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extra33 クズノハの休日は……
しおりを挟む「うちは五休ですね」
「五休!? また……随分と厚遇だな。ああ、確かレンブラント商会も五休だったか」
「もしかしたら、参考にしたのかもしれません。ライドウから詳細を聞いた事はありませんが」
「ここのところは出席も極力本人がしていたが、彼は営業か? 最近は外にいる日の方が多いようだ。実に羨ましい」
「幸いこの街での商売も軌道に乗り始めましたので、ライドウが、というよりもライドウに持ち込まれてくる話が増えました。皆様のおかげです。次回はライドウ本人が参りますので今回は私でご容赦ください」
「まあ、アクア殿や識殿が来てくれた方が私としても話はしやすい。かえって助かっているよ。エリス殿は場をかき乱すのがお好きなようだし、ライドウ殿は細かな話になるとまだまだ脇が甘い」
「……ザラ代表がフォローして下さるから人手に乏しい私どもの商会でも何とかギルドの集まりに参加できております。常々、クズノハ一同感謝しております」
呼び止められ、足を止めた森鬼が声の主と立ち話をしていた。
ここはロッツガルドの商人ギルド。
懇親会という名の腹の探りあいを終え帰ろうとしていた森鬼の女性に声をかけたのは、この街の商人をまとめるギルドの長、ザラだった。
何度か頭を下げつつ彼と話しているのはクズノハ商会の従業員、アクアだ。
普段の店舗勤務時とは違い、白のシャツに濃紺のスーツでまとめた服装をしている。
ピンと伸びた背筋、顔には柔らかな笑顔を浮かべた彼女の所作は、クズノハ商会の従業員としてこうした集まりに参加する内に身につけたものだが、今現在では実に自然に見える。
ザラから同僚と主について決して褒めていない意見を言われても、彼女の表情は好意的な笑顔を湛えたままでいる。
二人の会話は商会の従業員の休日について。
五休とは週に一度の休みに加えて、月に一度個人の都合で好きな日に休みを申請できる、この世界では破格と言っていい労働条件である。
余程の大商会か、さもなければ専門技術を要する上に凄まじく過酷な労働でなければ五休など望めはしない、それほどの条件だった。
ちなみに月により休みの回数が六回になることもあるが、この場合は週に一度の休みが一回削られるのが普通だ。
「と、今日はそちらについてではなくてな。話しておきたかったのはその五休についてだ」
「は? 何か問題でも?」
「クズノハ商会には街の復興におおいに活躍してもらっている。その上、店舗もこちらからお願いしてしばらくは無休で営業をお願いしているだろう? だが申告されている従業員の人数を考えると五休というのは少々まずい。また下らんことを突っ込んでくる輩が出てこんとも限らん」
「……」
「無論、今更その程度の事でどうのこうのと言う気はない。従業員リストを更新するか、一般的な一休と公言しておくように一言伝えておこうと思ってな。特に手間のかかることでもなかろう?」
ザラはアクアに敵意のない口調で話を続ける。
一休とはその名の通り、月に一度休みがもらえるというもの。
商会に勤める者にとっては至極普通の条件だ。
「お気遣いありがとうございます。必ずライドウと識に伝えます」
「だが、そうか。五休か。うちも三休から五休に変えて従業員を増やすべきかもしれんな……ふむ」
「……正確には五休だったり六休だったりしますが、働く身としては非常にありがたい条件なのは確かですね」
アクアはザラに礼を述べ、自身が働く環境についての感想を漏らす。
「っ!? 削りはなしで単純に週一日プラス一日の休暇があるのか?」
「? ええ」
「まったく。申告してない従業員が何百人もいるんじゃなかろうな……」
「ただ……」
「ん?」
「商会の仕事が休みでも、魔術や武技の訓練は当然ありますから」
「……そうだったな。クズノハ商会の従業員は皆一定以上の戦闘力を持っていないと使わんのだったな」
「例外はいますが、大概の者はそうですね。この条件のおかげで、人員不足が中々解消しません。ライドウは心配性なもので、クズノハ商会の店舗に勤める以上、ある程度の事態までは独力で解決できることが望ましいと考えていますので」
「アクア殿も他の従業員の方々も、学園祭のあの騒動でも誰一人欠けておらんのだからライドウ殿の考えは正しいのだろうが。求めるレベルが高すぎるとも思う。一応、街の中の商会で勤務する身分なのだし……」
「ですが、我々は所詮亜人。自らを卑下するつもりはありませんが、そのように考えておられるヒューマンの方々は多くいらっしゃいます。その中で商いをするのですから、きっと我々を心配してのことでしょう」
「耳が痛いな」
「今日の議題でも挙がりましたが、私どもとしましては従業員は随時募集しております。……ザラ代表には先にお話ししておきますが、実はヒューマンの方で何件か採用も内定していますし」
アクアがにこやかに前半の台詞を口にした後、一歩ザラに近付いて小声で囁く。
「っ、なに?」
内容は衝撃的なものだったがザラも小さく囁いたアクアの意図を汲んで驚きを押さえ込んだ。
クズノハ商会はヒューマンを採用しない。
その事への非難はここ数回のギルドの集まりで議題にあがってきていた。
改善を求めるというよりは、それ以外に攻めようがないクズノハ商会に、精々皮肉しかいえない他の商会の遠吠えに過ぎない。
アクアもそれをわかっているから下手に出たり流したりして、まともに取り合わずに済ませていた。
その件が実は水面下で動いていたとしたら、これは結構なことだ。
クズノハ商会としては、恐らく良くない方の意味で。
ザラはすぐその考えに至ったからというのもあって、アクアの言葉の続きを待った。
ヒューマンが働ける、入り込める職場になることは、決してクズノハ商会にとって良い影響ばかりとは言えないのだから。
「ですから、ザラ代表も信頼できる方でしたらご紹介下さい。きちんとテストは致しますが、合格すれば雇わせて頂きます。もちろん、この件はライドウも識も承知の事です」
「……いいのか?」
「他の商会の方にも、私から譲歩を引き出したと、代表から伝えて頂いて構いません。ですが、学園を極めて優秀な成績で卒業できるような方で最低限のラインですのでその点はご了承下さい」
「……なるほど。いたな、確かジンとアベリアだったか。あいつらを雇う気だったか。ふっ、ライドウ殿も、いやこれは識殿の発案か。どちらにせよ上手い事をする。わかった。遠慮なく私の手柄にさせてもらおう」
「日々の御配慮へのささやかなお礼です。それでは、これで失礼させて頂きます」
「ああ、ご苦労さん」
アクアは最後に一度、深々と頭を下げてザラに背を向ける。
規則正しい靴音がザラから遠ざかっていく。
だが不意に、静かに見送っていた彼がはっとした表情になった。
「アクア殿! すまん、最後に一ついいか?」
「なにか?」
「アクア殿は戦闘訓練も受けていると言ったが、ならそれを含めて完全な休暇と言えば月に何度ある? 純粋な好奇心だが気になってしまってな」
「完全な休暇、ですか。となりますと……年に二日ですね」
「……は?」
「それでは」
アクアは今度こそ去っていった。
場にはザラ一人が残される。
最後に彼女が言った一言はザラにとって中々衝撃的な内容だった。
「ね、年に二日? ライドウの奴、どうやればそれで店の者がついてくるんだ? わからん、謎だ……」
学園都市ロッツガルドは復興に向かって進んでいる。
そんな中、商人たちは当然忙しい日々を過ごしている。
中でもクズノハ商会の従業員の勤務態度や仕事への意欲は他の商会の代表から羨望の目を向けられるほど優秀だった。
ザラは一瞬それが五休という破格の労働条件に起因するのかと考えたが、先ほどそれは打ち砕かれた。
まだまだ多くが欠落した商人であるライドウだが、従業員からの忠誠の集め方については一度真剣に講義を受けたいとザラは思うのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
クズノハ商会の表向きの勤務条件は、アクアがザラに話した通り五休である。
が、実態は違う。
これも彼女が口にした事だが、兵士としての訓練もあるし、亜空に戻れば種族ごとに仕事がある者もいる。
例え商会に勤務する者だとしても、週に一度の休みが休日であるかといえばそうではない。
「若様に不満などありゃせんが、流石にこの件については巴様に感謝だな」
「識様にもな。若様の仰る通りにしてたら多分体が腐っちまう」
笑い声と注文が飛び交う室内。
エルダードワーフとオークが大きなジョッキを手に顔を赤くして雑談していた。
亜空の街中にある食堂兼酒場。
日が暮れて暗くなると、昼間汗を流した住民達が食事と酒を求めて集まる場所だ。
「なんでも、最初は七日に二日は休みにしろと仰ったらしい。とんでもないことじゃ」
「一日休みでいるってのも、たまになら有難いが、月に何度もあったらかえって困るもんな」
「おう! 年に二日もありゃ上等ってもんだ。大体、夜警もいらんこの場所で夜は全員ぐっすり眠れるんだぜ?」
「全くだ。訓練も仕事も、毎日反復してこそ前進出来る。流石に毎週休みがあるのは困る!」
口々に話しているのは、こちらも休日について。
ロッツガルドでザラとアクアが話していたのと同じ話題だった。
深澄真は亜空に住まう者にとって、非常に寛容な主だった。
当然、彼への不満や批判は少ない。
だが、こと労働条件については真と彼らの間で多少の揉め事があった。
いってみれば資本家、経営者の立場である真が休日を提案したところ、労働者の立場である亜空の住民が不満を口にしたのだ。
ここまでは一見自然な流れだが、とても奇妙でおかしな対立だった。
真は週に二日の休みを提案し、住民達はそれが多過ぎると主張したのだから。
住民達はなんと無休を望んだ。
真の目が点になったのはいうまでもない。
週に一度どころか、休みそのものがいらないというのだから当然の反応だ。
従者達は即答でわかったといい、話を終わらせようとした。
真は当然待ったを掛けた。
このままではブラック企業で搾取万歳の、あくどい経営者になってしまうと彼は焦った。
だがこれは、単に真がこの世界の実情と彼らのこれまでをあまりにも知らなかった上に、全く異なる世界の常識で話をしていたからに過ぎない。
住民の主張は簡潔で、真の持っていた常識を一旦脇においておけば至極当然のものばかりだった。
曰く。
「これまで村の明日を守る為に生きてきた」
「毎日満足な睡眠を取るなんて考えられなかった。いつ何の襲撃があるかわからなかったのだから。休みは毎晩取っている」
「亜空に移住して、やるべきことは沢山ある。やればやっただけ前に進めるのにどうして、体力的にも精神的にも休みを求めていないのに決まった日に休まなければいけないのか」
「訓練は毎日やってこそ意味がある。週に一度も休んでいたら、それは訓練の停滞ではなくこれまでの訓練の喪失になってしまいかねない」
「食べる物も寝る場所も安全も与えて頂いた。ならばせめて仕事で報いたい。休まずやらせて欲しい」
「休みをもらっても何とか理由を見つけて働くか鍛えると思う。だから必要ない」
などなど。
真からすれば斜め上の回答ばかりだ。
明日も知れぬ環境で生きてきた荒野の強者にとって、亜空の環境は快適すぎた。
見知らぬ土地に連れてきて、街を作れ、調査しろ、と求めている印象でいた真との意識の違いがくっきりと出た形だ。
毎晩ぐっすりと眠れるだけで至福と考える住民との溝は深かった。
第一、この世界では仕事についている者にとっては月に一、二度であっても決まった休みがある方が珍しい。
商会に勤める者であっても実質奉公人のように使われているのが実情に近い。
そもそも一般的なヒューマンの常識から見ても、真の考えは明らかに休み過ぎなのだ。
「結局、巴様の提案して下さった薮入りって制度で落ち着いてくれたんだ。良しとしようや」
「だな。夏冬一日ずつくらいなら休みでもいいな」
「あれで若様も祭り好きだから、多分薮入りの日は盛大にやるかもな」
「だったら楽しみだよな! 若様は節目節目で飲んだり食べたりする機会を下さる。ありがてえ! それだけで俺は十分だ、休みなんぞいらん! 朝まで飲んで、働くぞー!」
「おお、ありがてえな! 付き合うぜ!」
ありがてえ、ありがてえ、と連呼しながら皆が次々にジョッキを空けていく。
もう飲む理由になっていればそれでいいんじゃないかと思えてくる光景だった。
「やれやれ」
カウンターの内側で仕込みをしながら肩をすくめる一人の男。
アルケーだ。
この酒場を任されている。
何故彼なのかと言えば、澪がメニューや店内の造作に色々口出しをしている内に調整役を命じられてそのまま今に至る、という不幸な経緯がある。
あるが、彼としても酒場のマスターはやっていて楽しいのか、特に不満はなかった。
「こんばんは。サムライロック、一つね」
「アクア。お帰り。すぐ作るから待っていろ」
「相変わらず、皆楽しく飲んでるわね」
挨拶の後、カウンターに設けられた丸椅子に腰を下ろした森鬼が慣れた様子で注文した。
本日の仕事を全て終えたアクアだった。
サムライロックは彼女のお気に入りのカクテルで、真の世界由来のものだ。
当初甘く弱い酒を好んでいたアクアだが、最近は辛い酒でも楽しむようになっていた。
一際大声で盛り上がっている集団に目を向けて笑顔を向けている。
「途中若様への不満もあったが、まあいつものように、ありがてえ、で決着だ。問題ない。お前の方は珍しいな、今日はエリスは一緒じゃないのか?」
「エリスはコモエ様と一緒だから今夜はパスですって」
「……最近コモエ様が妙な事をしているのはアレの影響か。まったく……、しかしハンター・ミストの用意が無駄になったな」
「じゃ、それも私が頂くわ。ところで若様への不満ってなに?」
ハンター・ミストはアルケーが手慰みにエリスの要望を参考に作った彼のオリジナルカクテルだ。
エリスは強い酒を水の様に楽しむ傾向があるためアルコールとしては強い部類に入る。
「休みが増えなくてよかった、だそうだ」
「あー、なるほど。エリスみたいな変人ならともかく、休みはあればあるだけいい、ってのは少数派よね」
アクアが苦笑いを浮かべた。
彼女の相棒であるエリスは真が完全週休二日プラス有給年三十日という愉快な労働条件を皆に提案した時、万歳と叫んで立ち上がった。
数少ない真の賛同者の一人だった。
「強くなりたい者も、もっと働きたい者も、亜空には多いからな。もちろん、澪様たちから与えられる仕事も多い。休みばかり多くても身体が鈍ると考える者も多かろう。無理もない」
「私もブートキャンプについては欠席権が欲しいけど、他は概ね不満はないわねえ」
「第一、休めと仰る若様が休んでおらんのだ。完全な休日など、巴様の仰った薮入りというものを参考にした年二日が妥当だな」
「確かにねえ。若様の場合、ご自身の訓練に当てておられる時間が趣味の時間で休み時間扱いだもの。週に二日休みがあったとしても、結局亜空は今とあまり変わってない気もするわ」
「違いない」
真が弓や魔術の訓練に当てている時間を、自らの趣味の時間と考えている事に二人は突っ込む。
時に暗い内に起きだして。
時に食事を省いて。
時に寝る時間を削って。
そうやって欠かさず鍛錬を行っている真を見て、或いは知って、果たして亜空の住民が言われた通り休みを取るかと問われれば答えは明白だ。
否である。
もしも真が本気で週休二日を強行する気だったなら、命令だけでは不足で、まず自分が実践して見せなければ難しいだろう。
現状の真を見ている二人は、例え週休二日が通っていたとしても結局名前だけの休日になり、今と変わらない状況になっていただろうと互いに顔を見合わせてクスリと笑った。
「っと。ゴルゴンも来たか。また騒がしくなる」
「あら、外回り組がいたら、私もちょっと話を聞いておこうかしら」
「ほどほどにな」
「ええ。ご馳走様」
アクアがエリスの分だった酒の杯を片手に、新たに酒場に加わった高い声の集団に近寄っていく。
既に彼女らの周辺には濃厚な酒気が漂っていて、ゴルゴン達もどこかで飲んできているのが一目瞭然だった。
「なになに、何の話~!? 混ぜてよう」
「働くことこそ、生き甲斐って話よ!」
「姉ちゃん、それより服はどこに置いてきたんだよ!」
「服なら着てます~!」
「紐にしか見えねーぞ!」
「ええか、嬢ちゃん! 若の提案した分業はの! 作業の標準化を目指す下を見たもんじゃなかったんじゃ! むしろ、専門性を重視する……」
「爺さん、そりゃ樽だって! もう寝ろ~!!」
「メガネメガネ……」
「ちょ、ま!?」
「ふぁっしょーーん!」
日々の労働、その締めくくり。
この酒場では多少の違いこそあれど、夜毎繰り広げられる風景だ。
種族が増え、環境が増え、仕事が増えても。
亜空の住民達の、充実した日常は変わらず続いていく。
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