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二 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらの領地で暮らすことになったのだが、聞いて欲しい
二の11
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「レディ・シリアナが考案した『水着』の製造、販売を独占させると言ってもですか?」
「……みず、ぎ?」
「貴族の女性はみだりに肌を見せることを良しといたしません。ですが、プライベートビーチで恋人や家族の前でのみ、肌を見せるような『泳ぐ』ための着衣を売り出すのです」
「肌を、出す……? そんなの、お高く留まった貴族の女が受け入れるわけねぇぞ?」
「ええ、ですのであくまでも『恋人』や家族の前のみで着用するのです。そのためのプライベートビーチですよ。考えてみてください。貴族同士、火遊びでは済まないお付き合いはできない。けれど憎からず思うご令嬢の、普通ならば結婚相手にしか見せないお姿を見たいと望む殿方は多いでしょうね」
「……エイン」
「はい」
「シシィは天才かな?」
このすけべどもめ! 結婚するかどうかは分からないけど、かわいいご令嬢の足やら太腿やらは見たいというんだろう! ほんと、フケツよ! だけど童貞知ってる。すけべ心は財布の紐を緩ませることを。
「こちらに水着のデザインをいくつか持って来ております」
スケッチを覗き込んだレディシュの兄弟は、その髪よりも赤くなって唾を飲み込む。おい、前に出過ぎだ。気持ちも姿勢も前のめりである。
「お……おお……」
「兄さん、これは……うひゃあ……」
シリアナ嬢が描いた水着のデザインはどれも貴族令嬢が着るにはハレンチ極まりないものであるが、男のすけべ心には直撃したようだ。
「この水着を淑女へお勧めするためにも、この国でもっとも高貴な女性が『プライベートビーチで水着を着用した』という事実は必要でございます」
「……なるほど。続けて」
キレヂ令息は体を少し乗り出して話の先を促す。僕は努めて冷淡に、要求を突き付けた。
「水着の製造販売はフィストファック商会が独占。水着の売り上げの二割をオシリスキナ公爵家へ。これと併せてドエロミナのシリズキー海湾岸でのプライベートビーチ予約販売を独占。プライベートビーチ予約の売り上げ六割はオシリスキナ公爵家へ納めていただきます」
はぁ、とため息を吐き出してキレヂ令息は深くソファへ背を凭れた。眉はハの字になっている。垂れ気味の丸い目と相まって、何とも憎めない表情だ。
「それではうちに旨味がないじゃないか。そう思わないか、シシィの侍従くん?」
「水着の製造販売は独占です、シリイタイ卿。女性というのは、この水着にお似合いですよと帽子を勧められれば帽子を求め、この靴がお似合いですと勧めれば靴が気になるかわいらしい性質をお持ちだと、お思いになりませんか?」
シリアナ嬢は帽子とか靴より武器を求めるだろうけどもなッ!
確かにプライベートビーチの予約は金額が大きなものになるだろう。だが、水着に合わせた帽子や靴、小物を売れば利益になる。そしてその小物についてオシリスキナ公爵家は利益を求めない。生粋の商人であるシリイタイ伯爵家なら、上手くやるだろう。キレヂ令息の右眉がぴくりと上がった。
「……」
ことさらにっこりと微笑んで見せる。キレヂ令息は片手を上げ、肩を竦めた。
「はははっ! プライベートビーチ予約を成立させればさせるほど水着の売り上げは上がる。利益を得たければプライベートビーチの予約を取れと。つまりそういうことだね、エイン。まったく、シリネーゼ公爵夫人が一任するだけはある。いいだろう、嫌いじゃないよ。そういうの。よろしくね」
「オシリスキナ公爵家は、侍従まで抜け目ないな」
兄をちらりと見やり、イヴォヂ令息も足を組んで姿勢を崩した。ああ、怖かった。これを持ち帰って、シリネーゼ公爵夫人が「甘い」とか言わないかだけが心配。僕は誰もが恐れる魔王のはずなのに胃が痛いよ人間怖い。
警戒を解いた二人へ、今度は僕が身を乗り出した。本当の目的はここからだ。
「ところで折り入って、お二人にお願いがございます」
「……おやおや。プライベートビーチはあくまでもついでで、本題はここからというわけだね?」
「とあるご令嬢を、ゼンリツセェン学園のある教員と引き合わせたいのですが」
「ふぅん……それはシシィと殿下の破談と関係があるのかな?」
「ございます」
強く頷いた僕へ、それは楽しそうにイヴォヂ令息が身を乗り出す。ソファから完全に体を起こして、テーブルへ片肘をついている始末だ。
「で、とあるご令嬢とある教員ってのは誰だ?」
「ご令嬢はイカセル子爵家のご長女、ミコス・リ・ハンデ・イカセル子爵令嬢。そして教員はオシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵でございます」
「……」
「……」
兄弟は顔を合わせて普段から丸い目をさらにまん丸にしている。
「ロイ先生? なんで?」
「イカセル子爵家のご令嬢とは、何年も放置していた侍女との間の子という話の、そのご令嬢かな?」
「で、ございます」
さすがだ、キレヂ令息。イカセル子爵家の情報を持っている。人差し指と親指で自分の顎を挟むように摘んで少し上を向いてキレヂ令息は唸った。
「イカセル子爵は去年、流行り病でご子息を亡くされたんだよ。爵位を継ぐ子供を迎えられるような親類もなくてね。このままだと家名がなくなるところだったから、平民との間の子でもなりふり構わず迎えることになったんだろうねぇ……」
シリアナ嬢からの情報とも一致する。やはり、頼むならキレジ令息。ミナエロイ大陸一の規模を誇るフィストファック商会だろう。軽く一つ、咳払いをする。
「貴族令嬢は普通、学園へ通う前にそれなりの教養は身に付けているものでございます。しかしイカセル子爵令嬢は平民として暮らしていた。ゼンリツセェン学園は貴族の子息しか通えません。さらに入学まで三カ月強しか時間は残されておりません。ということは現在、貴族令嬢としての最低限のマナーや教養を学園入学までに詰め込んでいるといった状況でしょう」
シリアナ嬢が言うようにひろいんも転生者ならば違ってくるだろうが、転生者ではなくこの世界で育った平民であれば読み書き計算ができるかすら怪しい。
「シリイタイ卿」
「なんだい?」
「イカセル子爵家とも、お取引はございますでしょうか」
「……あるよ?」
しばらくキレヂ令息と僕の話を黙って聞いていたイヴォヂ令息へ顔を向ける。イヴォヂ令息はおどけた様子で両手を上げて唇をきゅっと引き結んだ。
「イヴォヂ卿。オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵と交流はございますでしょうか」
「あるよ。魔法理論の先生なのに悩みがあると言えば相談に乗ってくれて、剣術指南までしてくれる。いい先生だ。生徒に慕われてる」
いいぞ! しかし淫行教師のくせに生徒には慕われているのか。生徒を大事にしているのかしていないのか自分の下半身に忠実なのか。童貞、複雑な気持ち。
「まず、イヴォヂ卿にはオシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵に『入学後勉強に付いて行けるか心配しているご令嬢がいるので、よければ見てもらえないか』とお声をかけていただきたい」
「うん……?」
「そしてシリイタイ卿にはイカセル子爵家に『ゼンリツセェン学園の教師に勉強を見てもらえるように取り計らえる』と伝えてもらいたい」
「ほう」
イヴォヂ令息は実に凶悪な笑みを浮かべて僕に向かって顔を突き出した。
「で? するとどうなるんだ?」
「二人を、勉強会の名目で誘き出してフィストファック商会の一室で二人きりにします」
「おやおや、エイン。君は本当に悪い子だねぇ……」
僕の企みに気づいたキレヂ令息は満足気にソファへ凭れて己の唇を撫でる。「しかし」と視線を斜め右上へ向けて顔を傾ける。
「それがどう、シシィに繋がるんだい?」
「それはまだ、分かりません」
「分かんねぇのに、なんでこの二人だって断定できるんだ?」
「分かりませんが、イカセル子爵令嬢が三年後には聖女になるのだそうですよ」
「はっ?」
「……それはそれは」
これくらいの情報は与えておいてもいいだろう。信じる信じないは別として。
「それはいずこからの情報なのかな?」
まぁ、そうなるよね。ここは正直に言ってしまおう。その方が都合がいい。シラを切り通せばいいんだし。
「レディ・シリアナがそうおっしゃっておられました」
「シシィが言うんなら、そうだろうね。イヴォ」
「シシィがそう言うなら、そうなんだろ。なぁ、兄さん」
「え?」
なんて? ねぇ、あっさり信じちゃうの? 小さい頃のシリアナ嬢のこと、子熊だと思ってたのに? もうやだ。もう人間なんて信じられない。魔界帰る。魔界に引きこもる。二千歳児の子供部屋魔王爆誕だ。だが魔界に引きこもってもシリアナ嬢が僕の股間の玉座を奪いに来る。そうだ。今この苦労は僕の股間の平穏のためでしょ。諦めるな僕。諦めちゃダメ魔王。がんばれがんばれ魔王。やればできる子だもん。ただ清らかに生きて来ただけだもん。役勃たずじゃないもん。
「でもなんでシシィと聖女になるかもしんないイカセル子爵令嬢と、関係あんの?」
頭を使うことは兄任せかと思ったら、鋭いじゃないかイヴォヂ令息。この兄弟、小首を傾げるのが癖なのかな。小首っていうか、もう体ごと傾いでるけど。
「聖女が現れたから婚約破棄されるのと、王太子殿下と円満に破談するのとではレディ・シリアナへの風評に違いが出るからです」
「ほあ?」
キレヂ令息は大体予想が付いたみたいだけど、イヴォヂ令息は全く点と点が繋がらないらしい。大丈夫かな、この子味方に付けても。魔王、ちょっと心配。
「王太子殿下と円満に破談、もしくは王太子殿下有責の破談ならばシシィの経歴に傷が付くこともないけど、聖女が現れたから破談となるとまるでシシィが聖女に劣るようじゃないか」
「……! そんなんダメじゃん! 断固阻止だな、兄さん!」
「そうだね、イヴォ。そのためにイカセル子爵令嬢とロイ先生を会わせることが必要なんだね、エイン?」
「ご賢察の通りでございます」
イヴォヂ令息がちょっとアレな子のようなので、もうはっきり伝えておいた方が良さそうだ。魔王は判断が早いのだ。
「できればイカセル子爵令嬢と、オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵を在学中にただならぬ仲にしてしまいたいと思います」
「ただ……ならぬなか」
うん。やっぱイヴォヂ令息がちょっとアレな子だったね。キレヂ令息は予想していたのか、目を閉じて小さく咳き込んだ。
「できれば在学中にオシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵にはイカセル子爵令嬢とセッ」
「言われなくても察しようね、イヴォ!」
「う、うん、にいさん」
動揺してずっとひらがなで喋ってるじゃん。魔王分かっちゃった。イヴォヂ令息は仲間だ。童貞、童貞が大好き。童貞を見ると安心する。自分だけが童貞じゃないって素敵なことね。だがキレヂ令息、君はダメだ。君は非童貞の臭いがする。童貞以外は帰ってくれないか! ウソうそ、帰っちゃダメ。僕の股間の平和のために協力してください。できたら金をください。
「というわけで、お任せしてもよろしいでしょうか」
「なにを?」
しっかりしてくれキレヂ令息。たった今話をしていたじゃないか。僕は歯に衣着せず言い放った。
「オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵を淫行教師にしてください」
そして火のないところに煙を立たせて、淫行教師のあれやそれもムリヤリ勃たせてください!
「んんっ……! 君ね、エイン。もう少し言い方に気を付けようか?」
垂れていて丸い目と垂れ眉の印象でいつも少し困った表情に見えるキレヂ令息が、さらに困った表情で盛大に噎せた。まさかこの僕が言い方に気を付けろなどと言われるとは。今まで散々シリアナ嬢に注意して来たこの僕が注意される側になろうとは。
シリアナ嬢に童貞を奪われるという恐怖はそれほどのものだということだ!
「つまり君の依頼はオシリスキナ公爵の依頼と思っていいのだよね、エイン」
「おっしゃる通りでございます。取り急ぎ、重大な依頼は二つ」
二人の前へ、指を立てて見せる。鏡合わせの兄弟はそっくりな仕草で僕の指へ視線を注いだ。
「早急に現王ご一家をドエロミナへご招待すること。イカセル子爵令嬢と、オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵をただならぬ仲にさせること。この依頼につきましてはオシリスキナ公爵、公爵夫人ともに『上限を設けず代金を請求してもらって構わない』と承っております」
「やったね、兄さん! オシリスキナ公爵家が際限なく金を出すなんて、国家予算に匹敵するぜ!」
「……エイン。公爵と公爵夫人へお伝えしておくれ」
「はい」
「このキレヂ・オ・シリイタイ、フィストファック商会の名に懸けて依頼を遂行いたします、と」
「かしこまりました」
「手段と方法は私に任せてくれるね?」
にっこり笑ってテーブルに用意された紅茶へ手を伸ばしたキレヂ令息は、まるで乾杯するように僕へ向けティーカップを傾けた。応えて僕もティーカップを捧げ持つ。
「もちろんにございます」
もうちょっとゆっくりしてくれても良かったのに、キレヂ令息の行動は早かった。翌日の夕方にはオシリスキナ公爵家のタウンハウスにエムジカが知らせを持って来たのだ。
「キレヂ様から伝言でございます。一週間後に首都を発つとメスアナ陛下よりお返事いただきました、と」
「心よりお礼申し上げますとシリイタイ卿へお伝えください」
「承知致しました」
かくして、アホ殿下ご一行は一カ月後、初夏のドエロミナへホイホイとやって来たのである。
「……みず、ぎ?」
「貴族の女性はみだりに肌を見せることを良しといたしません。ですが、プライベートビーチで恋人や家族の前でのみ、肌を見せるような『泳ぐ』ための着衣を売り出すのです」
「肌を、出す……? そんなの、お高く留まった貴族の女が受け入れるわけねぇぞ?」
「ええ、ですのであくまでも『恋人』や家族の前のみで着用するのです。そのためのプライベートビーチですよ。考えてみてください。貴族同士、火遊びでは済まないお付き合いはできない。けれど憎からず思うご令嬢の、普通ならば結婚相手にしか見せないお姿を見たいと望む殿方は多いでしょうね」
「……エイン」
「はい」
「シシィは天才かな?」
このすけべどもめ! 結婚するかどうかは分からないけど、かわいいご令嬢の足やら太腿やらは見たいというんだろう! ほんと、フケツよ! だけど童貞知ってる。すけべ心は財布の紐を緩ませることを。
「こちらに水着のデザインをいくつか持って来ております」
スケッチを覗き込んだレディシュの兄弟は、その髪よりも赤くなって唾を飲み込む。おい、前に出過ぎだ。気持ちも姿勢も前のめりである。
「お……おお……」
「兄さん、これは……うひゃあ……」
シリアナ嬢が描いた水着のデザインはどれも貴族令嬢が着るにはハレンチ極まりないものであるが、男のすけべ心には直撃したようだ。
「この水着を淑女へお勧めするためにも、この国でもっとも高貴な女性が『プライベートビーチで水着を着用した』という事実は必要でございます」
「……なるほど。続けて」
キレヂ令息は体を少し乗り出して話の先を促す。僕は努めて冷淡に、要求を突き付けた。
「水着の製造販売はフィストファック商会が独占。水着の売り上げの二割をオシリスキナ公爵家へ。これと併せてドエロミナのシリズキー海湾岸でのプライベートビーチ予約販売を独占。プライベートビーチ予約の売り上げ六割はオシリスキナ公爵家へ納めていただきます」
はぁ、とため息を吐き出してキレヂ令息は深くソファへ背を凭れた。眉はハの字になっている。垂れ気味の丸い目と相まって、何とも憎めない表情だ。
「それではうちに旨味がないじゃないか。そう思わないか、シシィの侍従くん?」
「水着の製造販売は独占です、シリイタイ卿。女性というのは、この水着にお似合いですよと帽子を勧められれば帽子を求め、この靴がお似合いですと勧めれば靴が気になるかわいらしい性質をお持ちだと、お思いになりませんか?」
シリアナ嬢は帽子とか靴より武器を求めるだろうけどもなッ!
確かにプライベートビーチの予約は金額が大きなものになるだろう。だが、水着に合わせた帽子や靴、小物を売れば利益になる。そしてその小物についてオシリスキナ公爵家は利益を求めない。生粋の商人であるシリイタイ伯爵家なら、上手くやるだろう。キレヂ令息の右眉がぴくりと上がった。
「……」
ことさらにっこりと微笑んで見せる。キレヂ令息は片手を上げ、肩を竦めた。
「はははっ! プライベートビーチ予約を成立させればさせるほど水着の売り上げは上がる。利益を得たければプライベートビーチの予約を取れと。つまりそういうことだね、エイン。まったく、シリネーゼ公爵夫人が一任するだけはある。いいだろう、嫌いじゃないよ。そういうの。よろしくね」
「オシリスキナ公爵家は、侍従まで抜け目ないな」
兄をちらりと見やり、イヴォヂ令息も足を組んで姿勢を崩した。ああ、怖かった。これを持ち帰って、シリネーゼ公爵夫人が「甘い」とか言わないかだけが心配。僕は誰もが恐れる魔王のはずなのに胃が痛いよ人間怖い。
警戒を解いた二人へ、今度は僕が身を乗り出した。本当の目的はここからだ。
「ところで折り入って、お二人にお願いがございます」
「……おやおや。プライベートビーチはあくまでもついでで、本題はここからというわけだね?」
「とあるご令嬢を、ゼンリツセェン学園のある教員と引き合わせたいのですが」
「ふぅん……それはシシィと殿下の破談と関係があるのかな?」
「ございます」
強く頷いた僕へ、それは楽しそうにイヴォヂ令息が身を乗り出す。ソファから完全に体を起こして、テーブルへ片肘をついている始末だ。
「で、とあるご令嬢とある教員ってのは誰だ?」
「ご令嬢はイカセル子爵家のご長女、ミコス・リ・ハンデ・イカセル子爵令嬢。そして教員はオシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵でございます」
「……」
「……」
兄弟は顔を合わせて普段から丸い目をさらにまん丸にしている。
「ロイ先生? なんで?」
「イカセル子爵家のご令嬢とは、何年も放置していた侍女との間の子という話の、そのご令嬢かな?」
「で、ございます」
さすがだ、キレヂ令息。イカセル子爵家の情報を持っている。人差し指と親指で自分の顎を挟むように摘んで少し上を向いてキレヂ令息は唸った。
「イカセル子爵は去年、流行り病でご子息を亡くされたんだよ。爵位を継ぐ子供を迎えられるような親類もなくてね。このままだと家名がなくなるところだったから、平民との間の子でもなりふり構わず迎えることになったんだろうねぇ……」
シリアナ嬢からの情報とも一致する。やはり、頼むならキレジ令息。ミナエロイ大陸一の規模を誇るフィストファック商会だろう。軽く一つ、咳払いをする。
「貴族令嬢は普通、学園へ通う前にそれなりの教養は身に付けているものでございます。しかしイカセル子爵令嬢は平民として暮らしていた。ゼンリツセェン学園は貴族の子息しか通えません。さらに入学まで三カ月強しか時間は残されておりません。ということは現在、貴族令嬢としての最低限のマナーや教養を学園入学までに詰め込んでいるといった状況でしょう」
シリアナ嬢が言うようにひろいんも転生者ならば違ってくるだろうが、転生者ではなくこの世界で育った平民であれば読み書き計算ができるかすら怪しい。
「シリイタイ卿」
「なんだい?」
「イカセル子爵家とも、お取引はございますでしょうか」
「……あるよ?」
しばらくキレヂ令息と僕の話を黙って聞いていたイヴォヂ令息へ顔を向ける。イヴォヂ令息はおどけた様子で両手を上げて唇をきゅっと引き結んだ。
「イヴォヂ卿。オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵と交流はございますでしょうか」
「あるよ。魔法理論の先生なのに悩みがあると言えば相談に乗ってくれて、剣術指南までしてくれる。いい先生だ。生徒に慕われてる」
いいぞ! しかし淫行教師のくせに生徒には慕われているのか。生徒を大事にしているのかしていないのか自分の下半身に忠実なのか。童貞、複雑な気持ち。
「まず、イヴォヂ卿にはオシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵に『入学後勉強に付いて行けるか心配しているご令嬢がいるので、よければ見てもらえないか』とお声をかけていただきたい」
「うん……?」
「そしてシリイタイ卿にはイカセル子爵家に『ゼンリツセェン学園の教師に勉強を見てもらえるように取り計らえる』と伝えてもらいたい」
「ほう」
イヴォヂ令息は実に凶悪な笑みを浮かべて僕に向かって顔を突き出した。
「で? するとどうなるんだ?」
「二人を、勉強会の名目で誘き出してフィストファック商会の一室で二人きりにします」
「おやおや、エイン。君は本当に悪い子だねぇ……」
僕の企みに気づいたキレヂ令息は満足気にソファへ凭れて己の唇を撫でる。「しかし」と視線を斜め右上へ向けて顔を傾ける。
「それがどう、シシィに繋がるんだい?」
「それはまだ、分かりません」
「分かんねぇのに、なんでこの二人だって断定できるんだ?」
「分かりませんが、イカセル子爵令嬢が三年後には聖女になるのだそうですよ」
「はっ?」
「……それはそれは」
これくらいの情報は与えておいてもいいだろう。信じる信じないは別として。
「それはいずこからの情報なのかな?」
まぁ、そうなるよね。ここは正直に言ってしまおう。その方が都合がいい。シラを切り通せばいいんだし。
「レディ・シリアナがそうおっしゃっておられました」
「シシィが言うんなら、そうだろうね。イヴォ」
「シシィがそう言うなら、そうなんだろ。なぁ、兄さん」
「え?」
なんて? ねぇ、あっさり信じちゃうの? 小さい頃のシリアナ嬢のこと、子熊だと思ってたのに? もうやだ。もう人間なんて信じられない。魔界帰る。魔界に引きこもる。二千歳児の子供部屋魔王爆誕だ。だが魔界に引きこもってもシリアナ嬢が僕の股間の玉座を奪いに来る。そうだ。今この苦労は僕の股間の平穏のためでしょ。諦めるな僕。諦めちゃダメ魔王。がんばれがんばれ魔王。やればできる子だもん。ただ清らかに生きて来ただけだもん。役勃たずじゃないもん。
「でもなんでシシィと聖女になるかもしんないイカセル子爵令嬢と、関係あんの?」
頭を使うことは兄任せかと思ったら、鋭いじゃないかイヴォヂ令息。この兄弟、小首を傾げるのが癖なのかな。小首っていうか、もう体ごと傾いでるけど。
「聖女が現れたから婚約破棄されるのと、王太子殿下と円満に破談するのとではレディ・シリアナへの風評に違いが出るからです」
「ほあ?」
キレヂ令息は大体予想が付いたみたいだけど、イヴォヂ令息は全く点と点が繋がらないらしい。大丈夫かな、この子味方に付けても。魔王、ちょっと心配。
「王太子殿下と円満に破談、もしくは王太子殿下有責の破談ならばシシィの経歴に傷が付くこともないけど、聖女が現れたから破談となるとまるでシシィが聖女に劣るようじゃないか」
「……! そんなんダメじゃん! 断固阻止だな、兄さん!」
「そうだね、イヴォ。そのためにイカセル子爵令嬢とロイ先生を会わせることが必要なんだね、エイン?」
「ご賢察の通りでございます」
イヴォヂ令息がちょっとアレな子のようなので、もうはっきり伝えておいた方が良さそうだ。魔王は判断が早いのだ。
「できればイカセル子爵令嬢と、オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵を在学中にただならぬ仲にしてしまいたいと思います」
「ただ……ならぬなか」
うん。やっぱイヴォヂ令息がちょっとアレな子だったね。キレヂ令息は予想していたのか、目を閉じて小さく咳き込んだ。
「できれば在学中にオシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵にはイカセル子爵令嬢とセッ」
「言われなくても察しようね、イヴォ!」
「う、うん、にいさん」
動揺してずっとひらがなで喋ってるじゃん。魔王分かっちゃった。イヴォヂ令息は仲間だ。童貞、童貞が大好き。童貞を見ると安心する。自分だけが童貞じゃないって素敵なことね。だがキレヂ令息、君はダメだ。君は非童貞の臭いがする。童貞以外は帰ってくれないか! ウソうそ、帰っちゃダメ。僕の股間の平和のために協力してください。できたら金をください。
「というわけで、お任せしてもよろしいでしょうか」
「なにを?」
しっかりしてくれキレヂ令息。たった今話をしていたじゃないか。僕は歯に衣着せず言い放った。
「オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵を淫行教師にしてください」
そして火のないところに煙を立たせて、淫行教師のあれやそれもムリヤリ勃たせてください!
「んんっ……! 君ね、エイン。もう少し言い方に気を付けようか?」
垂れていて丸い目と垂れ眉の印象でいつも少し困った表情に見えるキレヂ令息が、さらに困った表情で盛大に噎せた。まさかこの僕が言い方に気を付けろなどと言われるとは。今まで散々シリアナ嬢に注意して来たこの僕が注意される側になろうとは。
シリアナ嬢に童貞を奪われるという恐怖はそれほどのものだということだ!
「つまり君の依頼はオシリスキナ公爵の依頼と思っていいのだよね、エイン」
「おっしゃる通りでございます。取り急ぎ、重大な依頼は二つ」
二人の前へ、指を立てて見せる。鏡合わせの兄弟はそっくりな仕草で僕の指へ視線を注いだ。
「早急に現王ご一家をドエロミナへご招待すること。イカセル子爵令嬢と、オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵をただならぬ仲にさせること。この依頼につきましてはオシリスキナ公爵、公爵夫人ともに『上限を設けず代金を請求してもらって構わない』と承っております」
「やったね、兄さん! オシリスキナ公爵家が際限なく金を出すなんて、国家予算に匹敵するぜ!」
「……エイン。公爵と公爵夫人へお伝えしておくれ」
「はい」
「このキレヂ・オ・シリイタイ、フィストファック商会の名に懸けて依頼を遂行いたします、と」
「かしこまりました」
「手段と方法は私に任せてくれるね?」
にっこり笑ってテーブルに用意された紅茶へ手を伸ばしたキレヂ令息は、まるで乾杯するように僕へ向けティーカップを傾けた。応えて僕もティーカップを捧げ持つ。
「もちろんにございます」
もうちょっとゆっくりしてくれても良かったのに、キレヂ令息の行動は早かった。翌日の夕方にはオシリスキナ公爵家のタウンハウスにエムジカが知らせを持って来たのだ。
「キレヂ様から伝言でございます。一週間後に首都を発つとメスアナ陛下よりお返事いただきました、と」
「心よりお礼申し上げますとシリイタイ卿へお伝えください」
「承知致しました」
かくして、アホ殿下ご一行は一カ月後、初夏のドエロミナへホイホイとやって来たのである。
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