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二 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらの領地で暮らすことになったのだが、聞いて欲しい

二の10

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「うわあああ! 何してるんだトア! 僕をびっくりさせ過ぎだろう! 心臓が口から飛び出るところだぞ!」
 ここまで読み進めたよいこの皆はすでに理解していると思うが魔王、実は結構繊細なんだからねっ!
「陛下……」
 少し見ない間に全体的にやつれた腹心の様子に怯えつつ声をかける。
「え、うん。どうしたのそんなに落ち込んで」
「陛下が居られないので私めの仕事が増えたとか、陛下がお金を少量ずつ送ってくださるおかげで貴族たちが皆、人間界へ興味を持ち始めたとか、問題が山積みでございます」
 あ~、ちょっとだけ珍しいものを買って帰ったり、人間界の食べ物を持って帰ったり、人間界の食材を持って帰ったりしてるからなぁ。知らなければ憧れることすらできないが、知ってしまえばそれを求める欲も出て来る。知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。残酷なことをしてしまった。
「人間界への興味はまぁ、ちょっと考えていることがあるから待てと皆に伝えてくれ」
「ほんとですね?! ほんとに考えてくださってますね?!」
「う、うん……」
 シリアナ嬢と知り合ってから、忠臣のキャラ崩壊が止まらない。小さい頃は怖がりで甘えん坊だったんだけどなぁ。
「今日は絶対に魔界へお戻りいただきますよ、陛下」
「うんうん、安心しろ。今日は戻るつもりだったぞ、トア」
 今日は寝ることはできなさそうだ。半泣きの忠臣に手を引かれてワードローブの中へ入る。大分シュールな絵面だ。
「本日はモリタイ卿が相談したい儀があるとお越しになられておりますからね」
「ああ……アナルケかい?」
「ええ。宰相のアナルケ卿と前侯爵のテイセ卿が面会を求めております」
「あの二人と会うとなると、テーブルが高くないと困るな。大広間へ案内しておいてくれ。僕は一旦、着替えるよ」
 ケンタウロス族のアナルケ・ツマ・モリタイと、その父テイセ・ツマ・モリタイは二代続けて宰相を務めている。ちなみに次男のジュンケ・ツマ・モリタイはシリアナ嬢の文通友達であり、ラストダンジョンの中ボスである。
 ちょうどいいや。僕もアナルケとシリトアに相談したいことがあったんだよね。
「苦労をかけるな、トア。それももう少しの辛抱だから」
「陛下……?」
「僕には野望が、あるんだ」
 にっこり微笑み、シリトアの肩を叩く。
 魔界に希望を。そんな野望なんだ。聞いてくれ、トア。
 魔界側の入口は僕の自室のワードローブである。とにかく、魔界の自室のワードローブから公爵家のワードローブへ移動した僕の表情は明るかったと思う。部屋の扉の僅かな隙間と、そこから覗くシリアナ嬢に気づくまでは。
「何やってるの朝から君は!」
「ぎゃん怒鳴っても顔がいいっ! でございますわ!」
「今すぐ部屋に戻りなさいよ、じゃないとエロシリダ令息に告げ口するよ。シリアナ嬢は侍従の部屋を覗く良くないご令嬢だって」
「大変申し訳ございませんでしたのですわ。お許しくださいませ」
 さすがのシリアナ嬢も天使であるエロシリダ令息に己の奇行は知られたくないらしい。しかし公爵令嬢が廊下で土下座はやめたまえ。誤解されちゃうでしょうが、僕が。しかし君、とても綺麗な土下座をするな。君、本当に公爵令嬢か? 土下座し慣れているではないかどういうことだ。
「お母さまの執務室へ行かれますのね?」
「ああ。フィストファック商会への書状があった方が動きやすいからな」
 僕の身分は、一応シリアナ嬢の侍従ということになっているからね。並んで廊下を歩きながら、シリアナ嬢の緩くウェーブがかかったプラチナブロンドに近いトウヘッドが朝日を受けて透けるのを眺める。
「君はあまり髪を結い上げないのだな」
「そうですわね。結い上げるには髪が細くて量が足りませんの。無理に結おうとすると支度に時間がかかるので、あまり好きではありませんのよ」
「ははっ。だから君はいつも支度が早いわけだ」
 シリアナ嬢は窓から差し込む光のごとく柔らかな表情を浮かべた。
「陛下に笑っていただけるのであれば、身支度の早さも誇れますわね」
「貴族令嬢としてはいかがなものかと思うがな」
「今さらですわ」
 ころころと笑う姿は年相応の令嬢に見える。今日もバッスルスタイルのドレスの下には暗器がてんこ盛りだろうけれども。油断してはならない。シリアナ嬢は童貞魔王に初めてを奪えとか言い出すご令嬢ゆえに。
「エイン君、おはよう。書状は準備しておいたよ。時に昼食は無理だとしても朝食の準備はエイン君が行うのだよね?」
「数日は首都でやることがありますので」
 答えるとアナルジダ公爵が大きく仰け反って額へ手を置いた。
「えっ! 昼食はエインくんが準備したご飯じゃないのかい?」
「残念だな、アナルジダ」
「残念だね、シリネーゼ」
「残念ですわ。お父さま、お母さま」
 食欲百パーセントじゃんこの人たち。そして朝からキツいです、アナルジダ公爵の膝に乗って執務しているシリネーゼ公爵夫人を見せつけられるのは童貞には刺激が強いって何度言ったら分かるの。この場を早々に立ち去るべく、さっさと書状を受け取る。
「では。朝食の指示を出したのち、首都へ行ってまいります」
「うん。よろしく頼んだよ、エイン君」
「今日はシシィもロシィもパパが独り占めだもんね!」
 子供かアナルジダ公爵。ドヤ顔が憎たらしい。一礼して執務室を出る。タイミングさえ合えば、ぜひアホ殿下や攻略対象たちの様子を見ておきたいところだ。
 厨房へ顔を出した後、転移するべくドエロミナ城の庭へ出る。遠見でエロアナル令息の現在地を確かめた。ああ、ダメだ。もう首都を離れてる。ほんと、無駄に迅速なんだからこの一族。まずエロアナル令息の乗る馬車へ転移する。目の前に現れた僕を眉一つ動かさず睨めつけ、エロアナル令息はゆっくりと足を組み替えた。
「事前連絡くらいしたらどうだい、エイン」
「失礼いたしました。こちらへ寄る予定ではございませんでしたが、エロアナル様にもお会いしておいた方がよろしいかと思いましたので」
「……で、用件はなんだい?」
「一つ、エロアナル様にお願いがございます」
「なんだい?」
 つまらなそうに顎を上げた、灰青色の瞳を見つめ返す。しっかし公爵家の馬車だから高級品のはずなのに揺れが酷いな。道か。道のせいか。馬車も改良の余地がある。
「ドエロミナへ、できるだけ貴族令嬢を呼び寄せていただきたいのです」
「ふむ。何か策があってのことかな?」
「アホ殿下を、堕とします」
「よかろう。君は今からどこへ行く?」
「王家ご一行をドエロミナへ連れ出す策のために、首都のフィストファック商会へ参る所でございます。シリイタイ卿やイヴォヂ卿へ何か伝言などございますか?」
「現王陛下ご一家をドエロミナへ呼び出して、そこへできるだけ多くの貴族令嬢も招待するのかい?」
「左様にございます」
 がたごと揺れる馬車の外へ、エロアナル令息と僕は同時に視線を流した。
「面白くなってきたね、エイン。ボクそういうの、嫌いじゃないよ?」
「あはははは」
「はっはっはっは」
 突然聞こえて来た笑い声に御者が怯える気配がした。そりゃそうだ。エロアナル令息が一人で笑い出したと思ってるよね。まぁ、エロアナル令息が御者にどう思われようが僕の知ったことではないのだよ!
「ところでねぇ、エイン」
「はい」
「君、ひょっとして今この馬車をドエロミナへ送ることができたりするんじゃないか?」
「できますが、できると都合が悪うございましょう」
 誤魔化すのめんどくさいからね。エロアナル令息は通常通り、一ヵ月かけて領地に戻って来てもらおう。めんどくさい一家に、エロアナル令息まで加わったら僕の胃が持たない。まぁ、それでも一ヵ月したらドエロミナに到着してしまうわけだが。
「では失礼いたします」
 再び首都へ向けて転移する。めんどくさいが一度、オシリスキナ公爵家のタウンハウスの庭へ。タウンハウスの執事に頼んで馬車を出してもらい、フィストファック商会へ向かう。まずはエムジカへシリネーゼ公爵夫人の書状を渡し、面会の予約を取りつけた。エロアナル令息とは違ってゼンリツセェン学園で授業を受けているシリイタイ卿とイヴォヂ卿との面会は午後になった。つまり時間が空いたわけだ。学園へ行けば淫行教師に会えるだろうが、ここはまずひろいんを見ておきたい。
 というわけで、イカセル子爵のタウンハウスへやって来た。シリアナ嬢の話が正しければ、流行り病で亡くなった兄の代わりに後継者としてすでに子爵家で暮らしているはずである。ゼンリツセェン学園への入学まで半年もない今、タウンハウスで貴族令嬢としての教育を詰め込まれている可能性が高い。
 フィストファック商会の紙袋を抱え、どこからどう見ても高位貴族のお使いに出た侍従である僕は怪しまれずに屋敷の前を悠然と歩く。門番へ「お疲れ様です」と声をかけると人懐こそうな青年は返事を返してぴょこんと頭を下げた。
「あ、お疲れ様です」
 僕も軽く頭を下げて通り過ぎる。門番と門扉に魔力で印をつけた。ついでにぐるりと回り込んで、使用人しか出入りしない裏口にも魔力で印をつける。ひろいんは平民として暮らしていたというからな。もしかしたら、使用人のふりをして裏口からお忍びで出かけるかもしれない。これでイカセル子爵家を出入りする人間を監視できる。なんてったって僕、魔王だからねっ! どこでも覗きたい放題さ! でも悪事には使わないぞ。ひろいんのお部屋を直接覗くことももちろんできるが、覗いたりはしない。だって僕は誇り高き童貞だからね! 浮かれてないよ! シリアナ嬢から離れて解放感を味わえる機会に恵まれたからとかそんなことないよ! 数日は貞操の心配をしなくても済むとか、お尻を揉まれなくて済むとか、そんなこと考えていないよお空キレイだなぁ!
 自由って素晴らしい。
「シリアナ嬢、僕は首都でやることがあるから数日こちらに滞在する」
 空に放った言葉が形を取って、鷹になった。ぴぃ、と一声鳴いて空高く一直線に南へ飛んで行く。お尻の心配をしなくていいと、こんなにも清々しい気持ちで過ごせるのか。なんだかんだ誤魔化してこのまま首都で過ごせないかなぁ。過ごせないだろうなぁ。そのうちシリアナ嬢が来てしまう。下手したらオシリスキナ公爵家ご一行で来てしまうだろう。ご遠慮願いたい。つまりこれは逃れられない運命というヤツだ。僕は梅雨の晴れ間の美しい空を仰ぎ、その透き通った青に相応しくない重々しいため息を長く吐き出した。
「……そろそろ行くか……」
 少し早いがフィストファック商会のティールームでお茶をしながら、シリイタイ卿たちを待とう。運が良ければエムジカからなにがしかの情報が得られるだろう。フィストファック商会の瀟洒なレンガ造りの建物まで戻ると、エムジカが丁寧に会釈するのが見えた。
「シリイタイ卿とイヴォヂ卿はもう、お待ちですか」
「ええ。ご案内致します」
 魔法装置の昇降機は四階、最上階であるはずのティールームを越えてもう一つ上の階で止まった。なるほど、外観から四階建てとしては少し妙な造りだと思っていたが認識阻害の魔法がかかっているのか。初めて来た時に気づいてたけどもね! だって僕は魔王ですしおすし!
「面会を乞うた私がお待たせすることになって申し訳ございません」
 案内された部屋には、まるで鏡合わせのようにレディシュの兄弟が左右に並んで座っていた。白い肌にそばかす、燃えるような赤毛の兄弟はまず、向かって右側へ座る方から口を開く。
「面白いことと、商会にとって利益になることを運んで来たそうだね?」
「はい、シリイタイ卿」
 ペールブルーの瞳。兄であるキレヂ・オ・シリイタイ伯爵令息は、長い指を持て余し気味に膝の上で組んで顔を傾けた。
「もったいぶらずにさっさと話せよ、シシィの侍従」
 ペールグリーンの瞳、向かって左側に座っているのが弟のイヴォヂ・オ・シリイタイ伯爵令息。いやほんと、双子みたいにそっくりの兄弟だ。話し方以外は。
「エロアナル様から話は通っていると思いますが、レディ・シリアナと王太子殿下の婚約を破談にするためにオシリスキナ公爵家から働きかけようとしております」
「先日聞いたシシィの意志だけではなく、オシリスキナ公爵家の公式見解として王太子殿下との婚約を取りやめたいということだね。殿下の噂は色々聞いているよ。まぁ……ぼくらのシシィには相応しくないようだね、イヴォ?」
「ああ。気に入らないね、キリー。だからオレたちはシシィと殿下を破談させる企みには大賛成さ」
「そのために、現王のご家族をドエロミナへご招待したいと思っております」
「それでシリネーゼ公爵夫人の書状にあった、プライベートビーチとかいう新しい試みを現王へ吹き込む人間が必要なのだね?」
「はい。それは王家御用達であるフィストファック商会、シリイタイ卿のお力なくしては成し得ません」
「ふむ……。公爵夫人はその辺りの話を、君に一任するとおっしゃっておられるよ。どう思う?」
 唇だけはいっそう深く笑みを刻んでいるが、キレヂ令息の瞳は一切笑っていない。書状に目を通したのだろう。さすがに次期伯爵、軽口を叩いていた時とは打って変わって商人の目つきだ。無意識に膝へ置いた手を握り締めた。この僕が、人間相手に緊張するなんて。
「まず、プライベートビーチの使用予約をオシリスキナ公爵家が自身で使うと指定した日以外、フィストファック商会のみで扱う、独占販売といたします」
「ふむ。オシリスキナ公爵家が客人を招くこともあるだろうからね。予約全体の二割は公爵家の持ち枠、というのはどうかな?」
 肘掛けへ肘をつき、上唇へ人差し指を当ててキレヂ令息は少し、身を乗り出した。
「それでよろしゅうございます。ただし、プライベートビーチの予約についてはオシリスキナ公爵家が利益の六割をいただきます」
「おいおい、シシィの侍従。いくらオレたちがシシィのお兄様だからって礼儀を忘れてもらっては困るぞ?」
 イヴォヂ令息が上半身を反らし、顎を突き出した。足を組んであからさまに威圧して見せている。キレヂ令息は人差し指を唇へ当てて目を閉じている。
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