上 下
28 / 33
三 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらの婚約者と会うことになったのだが、聞いて欲しい

三の5

しおりを挟む
 ああ、僕のお願いにシリイタイ卿とイヴォヂ卿だけではなく、エロアナル令息も加わり後押ししていたのか。
「なるほど、ヒロインは平民から突然子爵令嬢として引き取られたのですものね。入学までに準備が必要なのですわ。さすがエイン目の付け所が違いますのね」
 優美な仕草で紅茶を飲みながら、シリアナ嬢が微笑む。こういう姿だけを見れば間違いなく公爵令嬢らしいのだけれども。
「ああ。だから学園の勉強に付いて行けないかもしれない、と悩んでいるミコス嬢に声をかけて、ロイ先生と引き合わせるよう依頼したんだ。二人が勉強する場所も提供してもらうように、ね」
「フィストファック商会に依頼して、と言うわけだね? エイン君」
 シリネーゼ公爵夫人が四つ目のカスタァドブディングを飲み干した。
「そう。キリーとイヴォは親切な先輩というわけさ。この一ヵ月疑いもせず二人きりで勉強をしてすっかり気の緩んだ今こそ、作戦決行のよい時期だと思わないか?」
「エリィお兄さま、作戦とは?」
「ロイ先生の飲み物に媚薬を盛るのさ」
「さすがお兄さまですわ!」
「もっと褒めていいよ、シシィ」
 おいいいいいいいいいいいいいこの公爵令息おいいいいいいいいいいいいい!
 僕そこまでのことはシリイタイ卿に指示してないよ! さらっと笑顔で抜かしてんじゃねぇぞ、媚薬を盛って二人きりの部屋ってそんなお膳立てして淫行教師が我慢するわけないでしょうが! 天才か! だが人としてはいかがなものか! 僕もヒュース卿に同じ手を使おうとしたので人のことは言えないが! だって他人の貞潔より自分の股間の平和が大事なんだもん!
「そしてつい先日、ロイ先生に媚薬を盛った後ミコス嬢が何やら服が乱れた状態で部屋から出て来たと報告があったばかりだよ」
「それはよい知らせだね。だが駄目押しでもう二、三回はその淫行教師に媚薬を盛った方がいいんじゃないかな」
「はい、父上。すでにそのように指示をしましたが、先日は媚薬を盛っていないのにミコス嬢のあられもない声が聞こえたとのことですよ」
「それは良かったねぇ」
 あっはっはっは。アナルジダ公爵の朗らかな笑い声がティールームに谺するが、話の内容は最低である。やだこの公爵家の人たち怖い。
 これでもし、奇跡的にアホ殿下や小アホ殿下がひろいんとやらに出会って恋に落ちたとしてキレヂ令息とイヴォヂ令息が証言してしまえばおしまいである。親切に二人きりの部屋を提供してくれたシリイタイ伯爵令息兄弟の証言であれば、ひろいんもオシリエ卿も嘘だとは強く言えまい。だって事実だし。
「ミコス令嬢は、オシリエ卿とただならぬ仲である」
 さすがに王太子殿下の婚約者になる令嬢が他の男に純潔を捧げた後ってのはマズいもんね。良くて側室、悪くて愛妾止まりだろう。王太子妃にはなれない。
 アナルファック帝国は英雄王の血筋であることを王族の正当性として治めて来た国だ。ゆえに本当に王太子殿下の子供かどうか疑わしい子を生みかねない王太子妃なんて、据えられるわけがない。僕なら据えない。さらにシリアナル殿下とサキバシリー伯爵令息の関係がああなってしまった今、そんないつ爆発するか分からない爆弾みたいな令嬢を妾にも迎えられるわけがない。僕が家臣なら確実に止める。
 あとはミコス令嬢が学園に入学し、三年後の洗礼式で聖女ではないと判定されれば一安心である。
「さて。残りの三年、僕はどうしたらいいと思う?」
「お好きにお過ごしになってよろしいと思いますわ!」
 笑顔でシリアナ嬢が答える。いいのか。好きにしちゃうぞ。だってオシリスキナ家のお賃金大好き! 仕方ないな、とりあえず三年間は見守る約束だしな!
「……まぁ、シリアナ嬢が無事に過ごせると確信できるまでは見届けるとしよう」
「良かったですわ、よろしくお願いいたしますわね、陛下!」
 あ、シリアナ嬢今さらっと陛下って言ったな。ダメだろうそこ最後まで気を抜いちゃダメなとこだろう。だが気づいているのかいないのか、公爵家の人たちは笑顔で空になった皿を持ち上げた。
「良かったね、エインくん! さっそくこのカスタアドプディングとやらをおかわりだよ、そしておかわりだよ!」
「エイン君、このまま我が家の執事補佐として就職しないか? そしてわたくしもプディングのおかわりを所望する」
「おねいちゃま、エインはずうっとロシィたちのおうちにいてくれるということですか?」
「どうでしょう。三年はここに居てくださいますわよ、ロシィ」
「ちょっと離れている間にロシィまでエイン大好きになっていてボクは嫉妬で目から魔法が放てそうだよ憎いボクにもおかわりをおくれ」
「……皆様、プディングは飲み物ではございません」
 そう、僕は砂糖を少し焦がすという暴挙に出て、この苦味と香ばしさと甘味のマリアージュに辿り着いてしまったのだ。だからその焦がした砂糖を存分に使ってスイーツを作って行く。シリアナ嬢が命名した、キャラメルソースというものである。しかしほんとこの公爵家の人間は作り甲斐のある食べっぷりしてくれるよ。だが熊公爵はプディングを一気飲みするのはやめてくれ。
「とりあえず、あと三年は公爵家で好きなだけスイーツを作らせていただきますよ」
「やったぁ! エイン、ロシィはエインにえほんをよんでもらうのだいすきなのです!」
 抱きついて来たエロシリダ令息のまろい頭部を撫でる。そうだね。僕もここが嫌いではないよ。それに少々、欲が出て来た。三年で、もしできるなら。
「まぁ、何はともあれあと三年は世話になろう。シリアナ嬢」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」
 アフタヌーンティーを終え、晩餐の準備に慌ただしく動きだした厨房へ指示を出し、シリアナ嬢の部屋へ戻る。ノックをして返事を待って入った部屋では闇の精霊王ニイがシリアナ嬢の下で恍惚としている。
「シリアナ嬢、相談なんだが」
 声をかけてソファへ座る。無意識にティーポットへ手を伸ばし紅茶を淹れている自分が怖い。シリアナ嬢へも紅茶を注いだティーセットを差し出し、自分のティーカップへ口をつける。
「何でしょう?」
「ドエロミナ城下で商売をしたい」
「……どのようなご商売をなさるのでしょう、陛下」
「氷菓子、かな」
「いいですわね、前世ではアイスクリームとかき氷というものがありまして!」
「その話、詳しく」
「かき氷はそのもの、ズバリ氷を細かく削って甘いシロップ……蜜をかけて食べるのですわ。アイスアクリームは乳製品を高速で撹拌しながら冷やし固めるんだったと思いますの。エリィお兄さまのような水系の魔法使いの協力が必要ですわね」
「僕は全属性の魔法が使えるからエロアナル令息の協力は要らないな」
 というか、あの妹バカ令息にうっかり頼み事などしたらどんなお礼を要求されるか分からない。絶対に嫌だ。
「ふむ。かき氷はすぐにできるな。あいすくりぃむとやらはまず試作開発からだな……。あとはかき氷にかける蜜か」
「陛下、そのご商売の売り上げで何をなさるおつもりですの?」
「土地を買うんだ。僕らが住んでも気づかれないような」
「……わたくしと、陛下がですか?」
「なんで君と僕が一緒に住む話になってるのさ。僕と魔物たちが住んでも人間に見つからない土地だよ」
「ああ!」
 ああ! って君ね。当たり前だろ。どうして君と過ごす別荘を買う、みたいな話になってるんだよ。住まないよ。そんなことしたら君、僕の貞操を狙うだろうが。僕の股間が寛げないでしょ! 男の股間はね! のんびりゆったり寛がせないといけないんだよ! 心はホット、股間はクールがデキる童貞の正しい姿だよ!
「でも、魔物は地上の『昏き場所』にしか留まれないのですわよね?」
「うん。そういう約束だが、人の暮らしていない土地については言及されていないからね」
「ところで陛下」
「うん?」
「その『約束』は一体、どなたとなさったものですの?」
「……」
 ティーカップをソーサーへ置いて背を伸ばす。シリアナ嬢は聡い。おまけに彼女が言うにはこの世界はげぇむで、しなりおとやらを知っている。つまりこの世界のこと、この世界の未来を知っているのだ。彼のことも知っている可能性が高い。だが僕は、話をはぐらかした。
「神と約束したに決まっているだろ」
「……そう、ですの」
 シリアナ嬢はカップの中へと視線を落とした。シリアナ嬢へ目を向けると自然と闇の精霊王ニイが視界に入ってしまうが、断固記憶から排除した。
「陛下」
「なんだ?」
「土地ならこれまでのお礼にわたくしに買わせてくださいませ。父と母もきっと恩人へのお礼としてそうさせていただきなさいとおっしゃいますわ。陛下はその土地で必要になるものをドエロミナでご商売なさりながら揃えればよろしいのでは?」
「そこまで甘えられない」
「いいえ、それくらいのことはさせてくださいませ」
「……では、お言葉に甘えよう」
 やったね! とにかく僕にはお金がないのは事実だからね! それにお礼と言われれば貰っておかないとね! 公爵家からすれば離島の一つや二つ、屁でもないだろうし。
「で、どちらに土地をお買いになるつもりですの?」
「この、メ・スイキ法王領の東にある無人島だ」
「ああ、あの断崖絶壁に囲まれた上陸の難しい上にこれと言って資源のない法王領も領有を放棄した島ですわね」
「やけに具体的だな」
「ダンジョンがあるかと行ってみたことがありまして」
「あの島に上陸した冒険者って君か、シリアナ嬢」
「周りに難所が多くて地元の漁師もあの島に行きたがりませんの。海からは潮の流れが上陸を阻み、空からは常にドインラン連峰から吹き下す風に阻まれて生き物も植物も独自進化しているのです。しかもあの島固有種の蔦植物が大地を占めていて、農耕にも向かないそうですの。命がけで上陸しても特に得るものがないのです。ですので一応、あの島はアナルファック帝国領ということになっていますわ」
「それはますます好都合だな」
「安全に上陸するには転移魔法を使うのが最適ですの」
「普通は転移するのに一度その場所へ自力で到達する必要があるから、それも難しい、ということか」
「その通りでございますわ」
「さらに都合がいいな。調べたら一応、シリイタイ伯爵家が所有者ということになっていたから譲ってもらえないかと思っているんだ」
「あら、イヴォお兄さまたちのおうちが所有しているんですのね」
「そう。交渉し易いだろ?」
「……」
「……」
「時にシリアナ嬢」
「なんでしょう、陛下」
「僕の股間に向かって語りかけるのは止めたまえ」
「使っていただけないのであれば、せめて真摯に向き合いたいというわたくしの気持ちの表れですのよ」
「表すなって言ってるでしょ! 君、令嬢としての恥じらいはないのか!」
「隠すから恥ずかしいのですわ、陛下! いっそのことお使いになられればもう恥ずかしいことなど何もございませんわ!」
「そういう問題じゃない!」
 この間、ずっと闇の精霊王がハァハァゆらゆらしている為、シリアナ嬢も微妙に揺れている。それを無視して話を続けていられる僕はとても偉いと思う。僕はニイを殴りたい気持ちを懸命に堪えた。殴ったらヤツが悦ぶだけだ。僕に変態を悦ばせる趣味はない。我慢だ。我慢するんだ僕。シリアナ嬢の一言が僕の努力を全て、ぶち壊しにする。
「せっかく陛下の美麗なお顔を堪能しているというのに、椅子ごときがじっとしていられないなんて家具以下ですわね」
「ああんっ! 本気の蔑みキタああああ! もっと罵って欲しい!」
 もうやだこの公爵家。もうやだ人間界。もうやだこの精霊王。もうやだ僕おうち帰る。
 しかしおうち帰ってもシリアナ嬢の行く末を見届けねばまた魔界に来てしまうこの令嬢。僕は何としてもひろいんと淫行教師をくっつけねばならぬ。シリアナ嬢が残念そうに「もう陛下は魔界に帰って大丈夫ですわ」と言ってくれるまでは安心できない。
「ある程度、ドエロミナでの商売が軌道に乗ったら首都に行ってひろいんや他の攻略対象の様子を見ようと思っている」
「! 陛下! わたくしぜひ、シリアナル殿下とサキバシリー伯爵令息の近況を知りとうございます! 是が非でも! 切実に! 二人の愛の軌跡を!」
 何なんなの突然大興奮じゃないかシリアナ嬢。本当に怖いなこの令嬢。怖いしかない。泣きたい怖い。アホ殿下も大分濃い癖をお持ちだったしさぁ。寡黙なヒュース卿もあられもない声出してたし。変態だらけで人間怖い。
 別に気にならないし見たくもないが、何となくシリアナ嬢のベッド脇に置かれているイチの宿った剣へ顔を向けてしまった。このド変態精霊王も確か殴られて喜ぶタイプだったはずだが、大人しいものである。考えが表情に出ていたのか、イチがカタカタと鞘を鳴らしながら得意げに放った。
「シリアナ嬢は毎日剣の稽古をするからな! 毎日、雑に殴ってもらえて大満足だ!」
 いや、いい笑顔で何言ってんのこの精霊王。お前、光の精霊王だよね? 殴られて喜んでんじゃないよこの変態が! ドン引きだよ。魔王ドン引き。
「陛下! わたくしシリアナル殿下とサキバシリー伯爵令息の様子をつぶさに観察しとうございます! 何かこう、写真とか動画的な魔法を開発できませんかしら……眼球に焼きつけたい……」
 アホ殿下にご令嬢の身上書を見せる時、魔力転写でご令嬢方の姿を転写したことはシリアナ嬢には黙っておいて正解だったと実感する。そんなことができると知った日には、きっとシリアナル殿下とガマンジル令息の姿を転写しろと言うに決まっている。童貞、学習した。
しおりを挟む

処理中です...