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三 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらの婚約者と会うことになったのだが、聞いて欲しい

三の6

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「君は首都に行っちゃダメだよ。何のために今まで僕が苦労してきたと思ってるの、君とひろいんを会わせないためでしょうが」
「はい……」
 いくら温厚な童貞魔王の僕でも、さすがに怒るぞ。真顔で叱られてさすがのシリアナ嬢も大人しくなる。
「陛下」
「うん?」
「シリアナル殿下とサキバシリー伯爵令息の濡れ場を見学しとうございます。大丈夫、腐女子は壁や天井にすぐ擬態できますわ。訓練と言う名の妄想はばっちり前世からできておりますので。シリアナル殿下とサキバシリー伯爵令息の濡れ場だけ見学させていただければ他は何も望みませんの。さきっちょだけ、さきっちょだけでございますわ陛下」
「言い直しても却下なものは却下だ、懲りてないのか君は!」
 カッと目を見開いた僕を、それ以上の迫力でシリアナ嬢は見開き返した。何なのこの子ほんと怖い。魔王が公爵令嬢に迫力負けするとかどうしたらいいのか僕もう魔王辞める。ああ、辞めてやるとも。
「懲りるくらいで諦められるなら腐女子になんてなっていないのですわ! 『生まれ変わっても腐女子は腐女子』を見事に立証したわたくしですのよ?! 大豆は一度納豆になったらもう大豆に戻れないのです! 腐女子は魂に刻まれし運命と書いてさだめと読むなのですわよ?! 我が腐人生に一片の悔いなしですわ!」
「なるほど分からん! だが分かりたくもない! 僕は何も聞いてない! あと何度でも言うが公爵令嬢が濡れ場とか言っちゃダメでしょ! 君、女の子でしょ!」
「だってサキバシリー伯爵令息の絵姿を拝見したのですけれども、わんこ系豊満ボディメス兄さんだったのです。シリアナル殿下は今は儚い系美少年ですけれども、成長中の発展途上ですのよ?! ショタおに大変おいしゅうございますし、リバも美味しくいただけますわ! ビジュアルが追いつき追い越した時はもう、ビジュアル下剋上と呼んで差し支えございませんわ! 下剋上大好きな腐女子、ええわたくし下剋上大好きな腐女子なのでございますのよ! 敢えて成長してご立派な攻めに成長したシリアナル殿下をサキバシリー伯爵令息が下剋上するのもアリですわ! 固定派にリバは否定されがちですけれども、そこに穴と竿があるのに両方楽しまないだなんてもったいない、そうもったいないの精神は日本人の心なのですわ!」
 何を言っているかさっぱり分からないが、ろくなことは言っていないということだけは分かる。実物も爽やかな好青年だなどとシリアナ嬢に余計なことは言わない方がいいんだ。僕は知ってる。僕は学習できる魔王なんだもん。
 そんなこんながありつつ、僕はドエロミナ城下のドエロイゾ川沿いのシリエロイ通りに小さなかき氷屋台を出店する運びとなった。ドエロイゾ川はドエロイ湾へと続く流れが穏やかな川である。観光のゴンドラも行き交う。その、ゴンドラ乗り場に近い場所だ。ドエロイ湾の先はシリズキー海で、交易の要所である。つまり観光客も、地元客も望める絶好の場所である。
「陛下、私こんなにたくさんの金貨を見たのは生まれて初めてです」
「悲しいことを言うな、トア。これからはもっとたくさんの金貨を見せてやるぞ」
「陛下、このシリトア・ナル・デイクどこまでも付いて行きます」
 とはいえシリトアは由緒正しき名門吸血鬼一族。太陽の光が弱点……と人間には思われているらしいが、シリトアの一族は太陽光を克服している。ちなみに心臓に杭を打たれたらさすがに死ぬ。ダンジョンで大ダメージを受けた魔物が消えるのは、瀕死の重傷を負った時点で自宅転送されるからである。魔族といえど、不老不死なのは僕くらいだ。
 先ほどシリトアからかき氷を受け取った子供が、甲高い笑い声を上げて屋台の前を通り過ぎて行く。揺れるブーゲンビリアの鮮やかな桃色越しの陽射しがきらきらと輝いた。
「陛下」
「うん?」
「光とは……陽射しとは、こんなに美しいものなのですね」
「……うん」
 手を翳し、空を仰いだシリトアの額に汗が光る。木々の緑を渡って来た風が銀の髪を揺らした。
「楽しゅう、ございますね」
「……そうだな」
 オシリスキナ公爵が褒美として購入してくれた無人島への魔物たちの移住は、すでに始まっている。過酷な環境の魔界に比べれば快適な無人島に、魔界の貴族たちも魔物たちもはしゃいでいる。かき氷を削る腕に力も籠るというものだ。
「あの島の……国の名前を決めねばな」
「よろしゅうございますね。皆で決めましょう」
「……そうだな」
 島に作った新たな国の名前は、魔物たちの厳正なる投票によって「キヨラ・カーナ・ドウテイ魔王国」という名前に決まった。キヨラ島とか、カーナ島とか呼んでいる。島の名前を告げた時、シリアナ嬢は生暖かい瞳で僕を見つめていた。この顔はろくなことを考えていないと僕の経験が告げている。
「清らかな童貞。清らかな童貞ですものね、陛下。ぴったりの良き名前ですわ」
 「きゃっは童貞」などと呟いて両手で顔を覆って嬉しそうにしていたが、僕はいつも通り何も聞かなかったことにした。魔王知ってる。どうせろくな意味ではないのだ。
 僕がレシピを考え、シリトアや魔界の貴族たちが順番に売り子をする。人型の魔物は少ないので、人間界を出歩ける人材は限られている。インキュバス三兄弟の長男ナオシタ・イ・チンポジーや次男のサダマラナ・イ・チンポジー、三男のサリゲナ・イ・チンポジー、人狼族のガンボリー家次男であるキジョウ・イ・ガンボリーや、シリトアの従弟のチクビトア・ナル・デイク辺りは客に人気らしい。
 魔界の貴族で人型の者は美形が多いからな。創造主の趣味だ。
 相変わらず、彼らの名前を聞いたシリアナ嬢は「尻とアナルでイク従兄と乳首とアナルでイク従弟なんて業が深いですわ。あとチンポジくらいお好きに直しあそばせでございますのよ」と言っていたが気にしてはいけない。気にして尋ねたが最後、公爵令嬢にあるまじき下ネタを連呼されてしまう。
「ムッキムキのメス兄さんが騎乗位でガン掘り……きゃはっ……ガン掘りですのね……」
 キジョウの名前を聞いた時も嬉しそうに両手で顔を覆っていたが、僕は何も聞いていない。キジョウの兄はセイジョウ・イ・ガンボリーという名だが、言わない方がいい気がした。
 しかしちょいちょいシリアナ嬢の会話に登場するメス兄さんとは何だ。キジョウはオスだが訂正するとろくでもないなにがしかの説明を聞かせられてしまう気がしたので、僕は貝になった。これ以上シリアナ嬢の口から公爵令嬢にあるまじき言葉を聞いたら僕の繊細な童貞心が傷つけられてしまう。そう、童貞は魔王でも繊細なのだ。
「陛下は脱いだらすごいんです絶世の美男子系正統派攻めですわ」
 うん。僕のことは聞いてない。というか聞きたくない。君の前で脱いだことなどないはずだ。誤解されるような言動は慎みたまえ。
「キヨラ島に移住するとなると、ラストダンジョンはいかがなさいますの?」
「人間がラストダンジョンに入ったら、自動的に幹部が転送されるようにしてあるよ」
「ということは」
「うん?」
「お風呂に入っている時にも自動転送されるのでしょうか」
「いや、一応本人が承認してからしか自動転送されないようにはなってるよ。嫌でしょ、ご飯食べてるボスキャラが転送されて来て君、戦える?」
「申し訳なさでいっぱいになりますわ。とりあえずお食事が済むまで待たせていただくことになるでしょうね……」
「こっちとしても食事が済むまで待ってもらうとか、すごく気を遣うじゃん……」
 それで仕切り直して戦える? 僕なら帰るよ。シュール過ぎるでしょ。
「でも近いうちにラストダンジョンは閉じようと思ってるよ。キヨラ島で暮らせるなら、もう誰とも戦いたくないってみんな言ってるしね」
「……そうですの」
「うん。みんな、本当は争うのが嫌いな優しい子たちばかりだからね」
 そう。だからずっと心苦しかった。魔界に人間が迷い込まないよう、人間界と魔界の間にラストダンジョンを設けたのはそもそもが人間が魔界に踏み込んで命を落とすことがないようにという計らいだったのだ。魔界の環境では、人間は生きて行けない。ラストダンジョンはこの先に人間の住める場所はないという警告だ。
「魔界に誰も住まないなら、ラストダンジョン同様閉じてしまえばいい。危険な植物も多いしね。みんな島が気に入ったようだし」
「文通友達のジュンケ卿も喜んでおられましたわ。人間界の本を手に入れることが容易になった、とお手紙に書かれておりましたの」
「ジュンケは貴族の中でも特に大人しい子だから、喜んでいたよ」
 まぁ、ケンタウロスは人型魔物の中でも下半身が馬なのでおいそれとは人間の住む街に来られない。ジュンケの代わりに街で本を買ってくれる人型の魔族が行き来しやすくなったということだろう。いつかジュンケも自ら、人間の住む街で本を選べる日が来るといい。
 かき氷屋台の方は魔界の貴族令息たちが交代で店番をすることにも慣れ、僕がドエロミナを離れても問題なく経営できている。魔界の貴族令息たちは店番を楽しみにしているらしいと、シリトアが嬉しそうに報告してくれた。そうだね。陽の光や爽やかな風、彩り豊かな植物は魔界では見られないもんな。みんなが喜んでいるなら何よりだ。
「来週の予定だが、月曜にはかき氷屋台とドエロミナ城の厨房それぞれへの新メニュー説明会があるのでドエロミナ滞在。火曜から首都で情報収集のためフィストファック商会に木曜まで滞在、金曜にはアナルアルト殿下と謁見、土曜にキヨラで魔界の貴族と会合、日曜にはドエロミナに帰って来る予定だ」
「お忙しいのですわね……」
「それから、三年経って君の身の安全が確認された後もドエロミナ城の厨房外部指南として定期的に新メニュー開発に携わることになった」
「本当ですの? とても嬉しいですわ。ロシィも喜びますわね」
「君の母上はやり手だな。カ・ツヤクキィン共和国出身の料理人を紹介されては断れまい。あの国は毒のある食べ物でも毒抜きの方法を編み出して食用にしているものが多いそうだな。魔界の植物も食用として流通できるかもしれない」
 そうしたら、今よりもっと稼ぐ方法が増えるじゃない! とにかく僕は金がないんだっ!
「毒があっても食べようとする国民性に見覚えがありすぎますわ……」
「そうなのか?」
「ええ……毒のある魚とか、腐らせて食べるとかが大好きな国民性ですわ……」
「腐……それは苦行の末に習得したとか、罪人への刑罰として生み出されたとかそういうことか?」
「いいえ、とりあえず何でも醤油をかければイケると信じている島国の人間の話ですわ……」
 何だか遠い目をしているシリアナ嬢のカップへ紅茶を注ぐ。すっかり給仕が癖になってしまっている。自分が魔王だということを忘れてしまいそうだ。
「まだキヨラ島の開発も始まったばかりだからな。人型の魔物たちが住む建物も、獣型の魔物たちが住む環境も整えなくてはならないし」
「ドエロミナから、技術者を貸し出しましょうか?」
 ドエロミナからってことはその技術者、みんな暑苦しい筋肉を纏っているのだろう? かわいいマンドラゴラが怯えて泣いてしまう。
「さすがにそこまでは甘えられない。魔物たちを見せるわけにもいかないしな。それに皆、楽しんでいるからな。苦にならないらしい。……ありがとう、シリアナ嬢」
「……いいえ、陛下の努力の賜物ですわ」
「それでも君が訪ねて来なければ、僕はきっとあのまま閉塞していく魔界で今も足掻いていただろう。いつか滅びが来ることを知りながら、何もできずにただ足掻いて絶望すらできないくせに諦められずにいただろう」
「……」
 黙って僕を見つめ返す空色の瞳には、慈愛に似た光が宿る。幼い彼女に僕は確かに救われた。
「だから僕は、君に感謝している。ずっと世界が見たかったんだ。それから、魔界のみんなに世界を見せてあげたかった。ありがとう。初めはちょっと困ったけど」
 君に会えて、良かった。だから会いに来てくれて、ありがとう。
「陛下……」
 シリアナ嬢が僕の手を両手で包む。感謝を込めて微笑むと、シリアナ嬢は少し顔を傾けた。
「その感謝を、ぜひわたくしの処女と引き換えに」
「しません! 君ってヤツは! ほんとに! 童貞の気持ちと股間のさじ加減は繊細だって何度言えば分かるのかな!」
「陛下の陛下は繊細。かしこまりましてございますわ」
「言い方ああああ!」
 なんか普通に「股間」って言われるより嫌だ。その気づかい感が嫌だ。扇で「ぐふ」って笑うのを隠しているのが分かるのが何より嫌だああああ!
「かわいい童貞じゃのう」
「椅子は喋りませんことよ?」
「ひゃいんっ!」
 嬉しそうに鳴いたニイから目を逸らす。ベッドの脇に置いてあるイチの宿ったフランベルジュが目に入り、さらに顔を背ける。この部屋には見たくないものがたくさんで、童貞の繊細な心には耐えられない。イチが興奮して光を放つたびに揺れるベッドの天蓋とかもう、耐えられないッ! 耐えられないよ僕はッ! 童貞気が狂いそうッ!
「……かき氷屋台の様子を見に行って来る……」
 ふらりと立ち上がる。嫌なものを見た時は、お金を見るに限る。いいなぁ、うふふ。価格はトッピングなしの一番シンプルな安いかき氷で十エロイ銅貨だというのに、一エロイ銀貨がいっぱい。金貨に変えたら何ドエローになるだろう。魔王、お金だぁい好き。
 冬でも温かなドエロミナでは、かき氷は通年売れた。おまけにドエロミナの社交シーズンは冬。貴族たちが珍しがってこぞってかき氷を買ってくれて、正直魔王ウハウハである。キヨラ島の開発は順調に進みまくっている。オシリスキナ公爵領様様である。
 かき氷屋台で儲けながら週一で首都へ攻略対象の現在状況を確認に通い、淫行教師とひろいんが破局しないようにシリイタイ兄弟に指示を出し一年が経った。
 あのねぇ、素朴な疑問なんだけど。何故、僕は僕自身の恋愛も放って他人のすれ違い行き違いをサポートしているんだろう。すれ違いからの破局の危機が二人の愛を深めるよね。分かるよ。僕が恋愛する時、僕が君たちにしたように君たち僕のことをサポートしてくれるかなああああああ! もう僕淫行教師の顔もひろいんの顔も見たくないよ! もうお腹いっぱいだよ! 昼ドラも真っ青の愛憎渦巻くアレやソレなんか、知りたくなかったよ! 夢見がちな童貞にはキツ過ぎる。
 なのに何も知らない淫行教師とひろいんと来たら、幸せそうな顔しやがって!
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