炭酸水の恋

吉川 箱

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七月

第5話

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「でも、お喋り上手でおもしろい人たちでしょ?」
「おしゃべりじょうずなのと、やさしいのとはちがうのよ。たかしお兄ちゃん。あの人たちとお兄がご飯作り始めたら笑うのよ。ほんときらい」
「……それはちょっと、うん……」
 これまた想像できる光景ではある。けれどそれは、裏を返せば加藤たちは家のことをせずに甘えていられる存在であるという証明で、そんな彼らに十八とおやを笑う資格などない。幼い九七にとて分かることが理解できない彼らの行動はある意味傲慢だ。
「……九七ここなちゃんも説田も優しいね」
 九七の頭を撫でる。十八に似て聡い子だ。
「あの人たちはきらい。あの人たちにあわせてるとお兄もきらい。とお兄はなんであんな人たちとつきあってるのか分かんない」
 彼らは恵まれたことを自覚することもできない程度には「子供」なのだ。そしてそれは決して愚かだからではなく、年相応のことなのだろう。
「ぼくも、加藤たちは苦手だな」
「でしょ? あんなのとばかりつきあってるから、とお兄はデリカシーのカケラもない男になっちゃうのよ!」
「デリカシー?」
 憤慨した様子の九七へ苦笑いで問い返す。なるほど難しい年頃だ。十八の困った顔が浮かぶ。
「ここな、もう四年生よ? それなのにお風呂のドアも急に開けるし、下……っ、お、お洋服だってとお兄と同じタンスで……」
 段々小さくなっていく声。九七は俯いて首から提げた鍵を取り出す。Tシャツの襟口から覗く細い項がほんのりと桜色に染まっている。貴史は九七の言いたいことを何となく察したが、口には出さずに小さな頭を撫でる。
 九七の胸元で揺れている鍵へ視線を落とす。鍵が繋がっている、綺麗な色の組紐でできたネックレスは誰かの手作りなのだろう。十八と九七の母だろうか。そう思うと何だか、微笑ましい気持ちになった。
「説田に言ってごらんよ。分からないヤツではないと思うけどなぁ」
「ダメ。外ではどうだか知らないけど、ここなには話の途中でアレダメコレダメって、最後まで聞いてくれないもの」
「あー……」
 同じ内容を姉たちに言われたことのある貴史は九七の弁に引き攣った笑みを作る。女の子のお喋りは最後まで遮らずに聞くことが肝要だ。真面目な十八は逐一、問題への解決策などを口にしてきっと話の腰を折ってしまうのだろう。
 男同士の会話ならそれでいいが女の子には禁物だ。女の子は聡い。女の子は最後まで話を聞かないと怒る。ないがしろにされていたり、適当に流されていることに敏感だからだ。学校では女の子も上手くあしらっているのに、妹には弱いのだろう。九七に臍を曲げられて情けない顔をする十八を思い浮かべると何だかおかしい。
「なるほど、それで説田にはデリカシーがない、なのか……。あ、これ。お菓子とお茶ね、買ってきたから食べよう」
 通されたリビングで貴史が買ってきたお菓子と紙パックの紅茶飲料を受け取ると、九七は大げさに喜び、それから肩を落として見せた。
「わぁ! ありがとう、たかしお兄ちゃん。とお兄にこういうのはきたいできない」
「ふふっ。だね。でも、学校じゃ上手くやってるんだけどなぁ」
「うふふ、ネコかぶってるのよ」
 九七は貴史の渡したお菓子と飲み物を持ち上げ肩を竦める。それからいたずらっぽく笑いリビングのテーブルへ飲み物とお菓子を置き、コップとお菓子を入れる小鉢を持って来た。
「じゃあ、いただきます」
 コップに飲み物を注ぐ九七を見ながら、貴史は知らず知らずのうちに穏やかな表情になる。十八といい、九七といい、しっかりと躾けられている雰囲気がよく分かる。両親もきっと、真面目な人たちなのだろう。
「待っててね、たかしお兄ちゃん。ここな、しゅくだい先におわらせちゃうから」
 九七が数学のドリルを開き、鉛筆が軽快に紙の上を踊る。その音を聞きながら貴史はいくつか花を折っていく。百合、チューリップ、睡蓮、菖蒲。長方形に紙を切ってパーツを折り糊などで貼り合わせる手法を加えれば、もっと色々なものが作れる。
 気付くといつの間にか九七は宿題を終えていて、真剣に貴史の手元を見ていた。こんなに何か一つのことへ集中したのは久しぶりだ。
「どれを教えようか、九七ちゃん」
「全部!」
「じゃあ、簡単なチューリップから」
 キラキラと目を輝かせた九七に貴史は嬉しくなって口元を緩める。九七は貴史の細い指先を真剣に見つめ、時々顔を寄せて覗いては小さな指で紙に折り目を付けていく。
「できた! たかしお兄ちゃん、できたよ!」
「ああ、ホントだ。上手だね、九七ちゃん」
 少しずつ難易度が上がるように気を付けながら、九七と一緒に折り紙を折る。ちらちらと時計を気にする貴史を気遣うように九七が溜息をついた。
「とお兄おそいなぁ」
 加藤たちと楽しげに話す十八が脳裏に浮かんで、まるで炭酸水を飲んだみたいに喉を微かな痛みとも苦みとも言えぬものが下りて行く。九七が折紙を指で弄りながら、ぽつりと零す。
「ほんとはね。とお兄だっておるすばんじゃなくて、遊びに行きたいときもあるんじゃないかって思うのよ。ごはんも、おそうじも。だからここなも、おりこうにしてたいの」
 妹思いの兄。兄思いの妹。互いに互いを想っている。その気持ちを、貴史は愛しく思う。
「……だとしてもね。本当に友達なら、合わせられる方が合わせればいいんだよ。そうでしょ?」
「たかしお兄ちゃんみたいに?」
「どうかな。ぼくのことはまだ、友達だと思ってくれてるかどうか分からないな」
 自信がない。信じられないのは十八のせいではなく、貴史の臆病さのせいだ。
「とお兄が、そう言ったの?」
 九七の真っ直ぐな瞳が問う。ごまかすように貴史は話題を変えた。
「折り紙、いつまでに必要なの?」
「へ?」
「お母さんへのプレゼントでしょう?」
「んと、再来週の金曜日」
「じゃあそれまでにぼくも他の花の折り方を調べておくね」
「ありがとう、たかしお兄ちゃん」
 無邪気な笑顔に苦い粒が霧散していく。そのほろ苦さがなんなのか、知ってはいけない気がした。
「花をたくさん折って、かわいい箱に詰めたらどうかなぁ。ほら、花屋さんにあるプリザーブドフラワーみたいに」
「プリなんとかしってる! あんなふうに作れるの?」
「できるよ、じゃあいくつかバラの折り方を教えようね。姉さんたちにかわいい空き箱があったらもらっておくね」
「姉さんたち、ってことは、たかしお兄ちゃんのお姉さんは一人だけじゃないの?」
 鋭い観察眼を覗かせた九七に驚いた。こういうところは十八によく似ている。聡い少女に頷いてみせる。
「うん。ぼくの上に、二人」
「たかしお兄ちゃんと似てる?」
「どうかなぁ。ぼくは母さんにそっくりだって言われるけど、上の姉は父さんに似てるし下の姉はどちらにも似てるかな……」
「お目々とかみも、にてないの?」
「ううん。それは同じかな」
「じゃあ、お姉さんたちもお姫さまみたいなんだね!」
 お姫様に憧れる年なのだろう。無邪気に笑って胸の前で両手を合わせた九七に、携帯電話のフォルダにあった写真を見せる。
「これが上の姉。こっちが下の姉。それでこれが母さんで、こっちが父さんだよ」
「うわぁ、やっぱりたかしお兄ちゃんににてるね。おとぎ話のお姫さまみたい!」
「ふふふ、姉さんたちが聞いたら喜ぶよ」
「うおっほん」
 身を乗り出した九七と貴史の背後から、咳払いが降ってくる。振り返ると視線を逸らした十八が唇を尖らせていた。
「すまんな、遅くなった。九七、わがまま言って佐合を困らせたりしてないか?」
 少々わざとらしいくらいにお兄さんぶった素振りがおかしい。妹を取られたようでおもしろくないのだろうかと思うと、なんだか無性にかわいらしくて笑いを堪えるのが難しい。十八は俯いて肩を揺らす貴史を軽く睨む。が、ちっとも怖くなくて余計にかわいらしさが増す。
「たかしお兄ちゃんを困らせたのは、とお兄の方でしょ! よく知らないお家におるすばんさせるなんて、信じらんない」
 九七のこましゃくれた言い方に十八は絶句して眉を寄せている。たまらず吹き出してしまった貴史はデイパックを持って立ち上がり、九七に手を振った。
「説田も帰って来たし、ぼくはこれで。お邪魔しました」
「何だよ、オレが戻って来た途端に帰ることねぇだろ」
「とお兄はじごうじとくでしょ。たかしお兄ちゃん、ありがとう。また来てね!」
 無邪気に手を振る九七に頷き、リビングを出ると十八が付いてきた。玄関で靴を履き礼を言おうと思って振り返ると、十八もスニーカーを履いて横へ並ぶ。
「……なんで笑ってんだよ」
「んぐふ……っ、ううん」
 拗ねた横顔がこれまたかわいらしくて、教室で見せる達観した表情の中にこんな一面を隠していたこと、それを知っているのは貴史だけだということへの優越感が胸に甘い。
「九七のお守り押しつけちまって悪かったな、佐合」
「ううん。九七ちゃんは良い子だもの。それよりこういう時、普通は九七ちゃんの心配をするもんじゃない?」
「ばか、佐合じゃなきゃ、二人きりになんかさせるかよ」
「あ、何かそれ、ぼくは男の範疇にない、って言われてるみたい」
「まぁな、お前は細すぎるんだよ。九七にすら勝てそうにないな。それに女ってな、自分より綺麗な顔の男の隣に立ちたくないんだってさ」
「あはは、何それ」
 十八の返事に、貴史は薄く唇を上へ撓らせた。後半は意味不明だが妹がかわいいのだということと、貴史への信頼がこもった言葉が嬉しい。
「お前のことだろ、『王子様』。ほんとお前、自分の顔に自覚ねぇのな」
「自覚って何さ。ぼくは説田みたいに男らしい顔立ちに生まれたかったよ」
「あー……そういう……」
 一人得たりという様子の十八に首を傾げる。母親にそっくりな大きすぎる目も長い睫毛も、小さな口もどれもが男らしくなくて貴史は自分の顔が嫌いだ。
「こいつ、人形みてー」
 奇異なものを見る、クラスメイトたちの瞳。無遠慮な嘲笑。「これ、ほんもの?」と髪を引っ張られたこともあるし、貴史の虹彩が珍しいと指を指されたこともある。加減なしに瞳ぎりぎりへ指を突き立てられる恐怖が分かるだろうか。子供の遠慮ない好奇心は、向けられたものからすればただただ無慈悲な恐怖でしかない。いつしか貴史は、自分のアンバランスに大きな瞳や小さな口がたまらなく醜いものだと思うようになった。なのに十八はやたらと貴史をかわいいと言う。なんだか調子が狂ってしまう。
 アイアンの門扉を手前に引き、歩道へ出る。門を閉めようとすると十八は少し屈んで門の取っ手を掴み、歩道へ出てきた。
「最近、九七がオレの言うこと聞かねぇの。なのにお前にはいきなり懐いてて、何かさ、悔しいわ」
 遠く視線を逸らせて十八は大きな体を屈める。低く漏らした十八の本心に、貴史も感じたことをそのまま伝えた。
「それは説田がアニキだからだよ。どうしても、面倒見なきゃって思って接するだろ? でも、それが嫌っていうか、受け入れられない時期があるんだ。ほら、『宿題やりなさい』って叱られて『今やろうと思ってたのに』って思うみたいにさ。どこかで自分が悪いことも分かってて、でも素直になれない。そのうち落ち着くよ。あと、説田はちゃんと最後まで話を聞いてあげること。途中で口を挟んじゃダメだよ」
「よく分かるな。どこで見てたんだよ」
「あのね、そういうの女の子には嫌われるよ。黙って最後まで話を聞かないと何も話してくれなくなるからね。学校で女の子の相手してる時みたいにさ」
 目を丸くして背筋を伸ばすと十八は後頭部で手を組んで八重歯を見せる。夕日に照らされ、日に焼けた肌が染まる。
「お前、結構大人な。いや、うん。オレより大人だわ。なんかさ、バカらしくなった。やっぱ明日から、朝も声かけろよ。一緒に学校行こうぜ」
 どこか遠い表情をしていた十八はサバサバとした顔で一つ、伸びをした。下ろした手を途中で貴史の背中に当て軽く叩く。
「加藤たちは悪いやつらじゃねぇんだけど、同じ漫画読んでなきゃダメで同じドラマ見てなきゃダメで、なんかこう、違うんだよな。別に同じもん見てなくても、好きなもんが違っても一緒にいてぇのが友達だろ?」
 十八がこんな青臭いことを言うとは思わなかった。心の中はもっとクールで、どこか達観した人間だと勝手に思っていたのだ。
 十八が冷めた横顔の奥へ仕舞っていた熱が貴史の心に飛び火する。心を遠く隔てていたガラスが溶けて炭酸水みたいに音を立てて弾け、霧散していく。
「説田、意外と熱いね」
 あんぐり口を開き、大きな体を仰いだ。自分の体を支えきれず、重力に負けて倒れ行く貴史の体を背中に当てられた十八の手が止める。貴史の顔を見て、十八は頬を膨らませて横を向いた。
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