炭酸水の恋

吉川 箱

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なつやすみ

第10話

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「いらっしゃい、初めまして佐合くん。十八とおやの母です」
 口元へ手を当ててぺこぺこと頭を下げる十八の母は、確かに兄妹とそっくりである。十八は手のひらを上へ向け、母を指し示して真面目な顔で告げた。
二三子ふみこです」
「親を呼び捨てにすんじゃないわよっ」
 短く叫ぶと、十八の母は隣に立つ息子の背中を叩いた。叩かれた当人といえば母の攻撃にびくともせず、表情を変えることもなく真面目な口調で貴史へ顔を向けた。
「この通り凶暴な母です」
「十八っ!」
「ふふっ」
「もう! お母さんもとお兄もやめてよはずかしい! たかしお兄ちゃんに笑われてるでしょ!」
「すまないね、佐合くん。みんなはしゃいでしまって。十八の父です」
はじめです」
 無表情の紹介を受け、十八の父が真面目な面持ちでぺこりと頭を下げる。
「ご紹介に預かりました父・はじめです。先週は九七をプールに連れて行ってくれたんだってね。余程嬉しかったのか、九七から毎日その話ばかり聞かされて僕は少し君に嫉妬しています」
 至極真面目に締め括り、一は片眉を上げて唇の端を持ち上げた。そんな表情がとても十八に似ている。ああ、やはりこの人と十八は親子なのだ。そう感じたら笑いが込み上げてしまった。
「あははっ」
「な? だから言ったろ。家族全員数字が付いた名前だって」
 十八の家族がとても仲が良いことが分かる。彼らの善良さが十八の人となりを作ったことは納得だ。
「はじめまして、佐合貴史です。説田くんにはいつも仲良くしていただいております」
 頭を下げると、十八の母は胸の前で両手を握り合わせた。
「ちょっと十八、本当に王子様じゃん! キラキラ! 目のご褒美! ごめんね佐合くん、いつも十八と九七のお守させて~!」
「オレはお守されてねぇ!」
「されてるじゃん、とお兄いつもたかしお兄ちゃんにめいわくかけてるぅ!」
「いやぁ、佐合くん美人さんだねぇ。こりゃうちの息子も娘もイチコロなわけだ」
 十八も九七も母親似だが、口の端を撓らせる笑い方は父親似だ。十八の父をぼんやりと見つめる。
「騒がしくてごめんな、佐合」
「ふふっ。うちも姉さんたちがいると騒がしいから大丈夫だよ」
「さ、入って入って!」
 二三子に手招かれ、通い慣れた玄関をくぐる。いつもは十八と九七しか居ない部屋がまるで喜んでいるかに見える。
「どした?」
「ううん。なんだか、ああ、家族なんだなぁって」
「うん?」
「ご両親に会って、説田が優しくて大らかに育ったのは納得だなぁって思って」
 そしてそれがくすぐったくて嬉しい。そんな不思議な心持ちを、なんというのか貴史は知らない。それがもどかしくて、けれどちっとも嫌じゃない。十八はそんな貴史の気持ちを知ってか知らずか、いつもより柔らかく笑って手を差し伸べた。
「なんじゃそりゃ。あ、荷物はオレの部屋な。こっち」
 何度か十八の部屋にも入ったことはあるが、いつもは大体リビングで過ごしているから少し緊張する。真新しい階段を上がって、すぐ左の扉。持ち主と同じに整頓され、青で統一された部屋へ荷物を下した。
「説田の部屋はほんと、説田らしいって感じがする」
「どんなだよ」
「整頓されてて、でも遊び心もあって、変に余裕があってムカつく」
「褒めてねぇな」
「褒めてないもの」
「こいつ!」
 髪を掻き回されて悲鳴を上げる。軽い貴史は簡単に十八の手に翻弄されて、体勢を崩した。
「あっぶね。頭打つかと思った」
 庇うように貴史を抱え込み、ベッドへ倒れ込んだ十八が呟く。目の前で十八の喉仏が上下するのが見えた。
「……っ」
 目のやり場に困って視線を逸らそうにも、しっかりと抱き込まれていて僅かに身じろぎするのが精いっぱいだ。
「とお兄、たかしお兄ちゃん、リビングにお茶用意したよ」
 九七の声に十八が体を起こした。少し遅れて貴史も身を起こす。
「今行く」
 立ち上がった十八が貴史へ手を差し伸べる。その手を取って、引っ張られるままに十八の胸へ額をぶつけた。
「おっと」
「仕返し」
「ははっ。佐合は軽いからぶつかっても痛くねぇよ」
「もう!」
 胸を叩こうにも、利き手を掴まれていて動かせない。空いた手は、無意識に自分の胸を押さえていた。
「もう……」
 今日は変だ。ずっと変だ。胸がことこと、忙しなく動いている。むずむずと落ち着かないのに、悪い気はしなくて。こんなの初めてで、どうしたらいいのか分からない。
「行こうぜ」
 扉を開けるために十八の手が離れて行くのが、どうしてだか寂しくてTシャツの裾を無意識に手が追いかける。気づいた十八は唇の端を緩く撓らせた。
「しっかり掴んどけよ」
 落ち着かない思いが胸を騒がせる。自分の気持ちを紛らわすため、口を開いた。
「説田、お父さんに笑い方が似てるね」
「そうか? んなこと初めて言われた」
「そう?」
「おう。まぁ、あまり友達を親に会わせたことがねぇからな」
 リビングの扉を開くと、九七が駆け寄って来る。普段よりはしゃいでいるようだ。
「たかしお兄ちゃん、明日はみんなでお祭り行こうね!」
「うん。楽しみだね、九七ちゃん」
「うんっ!」
 キッチンから飲み物とお菓子を運んで来た二三子が頬へ手を当てて顔を傾ける。
「明後日には、十八が佐合くんのおうちにお泊りでしょう? ご迷惑をかけないか心配で」
「いいえ、むしろ説田が来てくれてぼくは自分の食事の心配がなくなるわけですから、両親も説田に悪いと言っていますよ」
「あら、十八ったら佐合くんの胃袋掴んでおくのよ!」
「まかせとけ」
 リビングで、いつも通りに九七と一緒に過ごす。一と二三子は三人を眺め、時々何か言葉を交わしていた。いつもなら十八が夕飯を作るためにキッチンへ向かう時間になって、顔を上げる。十八も時計を見ていて、顔を見合わせて笑ってしまった。
「ついいつもの癖でさぁ」
「そう、ぼくも」
「何、何? どうしたの?」
 キッチンから二三子が尋ねる。十八がソファへだらしなく凭れて声だけで答えた。
「いや、いつもならこの時間からオレが夕飯作り始めるからさ。佐合も時計見る癖が付いてるなってハナシ」
「たかしお兄ちゃんもお手伝いしてくれるんだよ」
「そうだってね。ありがとう。でも今日は私がやるから座ってて~!」
「そう、僕と二三ちゃんがやるから佐合くんは座っててね」
「一さんのポテサラは絶品なのよ?」
「父さんがポテサラ作るってことは、今日はカレーか」
「ぼく、手伝いますよ」
 貴史が立ち上がろうとすると、十八が手を掴む。
「やらせとけ。せっかく夫婦水入らずだから」
「分かる。うちの両親もよく並んでキッチンに居るもん。でもどうせなら、みんなでやろう? きっと楽しいよ」
 十八を振り返ると、ローテーブルの脇に座っていた九七が走り出す。
「たかしお兄ちゃんにさんせい!」
「お、九七が裏切った!」
「とお兄だけ座ってれば~!」
 キッチンとダイニング、リビングは扉のない開放された空間になっている。ダイニングテーブルの横で動きを止め、振り返って九七はべ、と舌を出した。
「うわ、九七のやつ憎たらしい顔しやがって」
「置いてくよ、説田」
 立ち上がってキッチンへ向かう貴史の手を掴んだ反動でソファから起き上がった十八が走り出す。
「残念だったな。お前以外は全員説田だぞ、佐合」
「なにそれ」
 一が九七に蒸したジャガイモをマッシャーで潰すように頼んでいる。九七を手伝いながら、ピーラを使ってカレー用のジャガイモの皮剥きをする。皮を剥いたジャガイモを十八へ渡す。十八は慣れた手つきで野菜を切ってボールへ入れて行く。
「ほれおふくろ」
「さんきゅー」
「たかしお兄ちゃん、できたよ」
「えらいね、九七ちゃん。じゃあこれ、お父さんのところへ持って行ってくれるかな」
 テーブルに手が届かないため、椅子の上に膝立ちになっていた九七が椅子を降りた。マッシャーで潰したジャガイモの入ったボールを持たせる。
「はぁい。パパ、ジャガイモつぶしたよ」」
「うん、ありがとう九七。じゃあ、今度はコーンの缶詰の水切りしてもらっていいかな?」
「はぁい」
「佐合くんはハムを切ってもらっていいかな」
「はい」
 やっぱり一の笑い方は十八の笑い方に似ている。一の隣で手伝いをする九七を振り返りながら、ダイニングテーブルで黙々と野菜を切っている十八の隣へ戻る。
「九七ちゃん、やっぱりお父さんとお母さんがいると楽しそうだね」
「まだまだ甘えただからな」
「ふふ。説田もいつもは『お兄ちゃん』の顔してるけど、今日は子供の顔してるよ」
「そりゃ、子供だもん」
 五人分のカレーとなれば材料も多い。黙々と野菜を切って行く十八の手元は、貴史と会話していても危なげない。貴史はといえば、そこまで慣れていないので手元に集中している。
「そこは素直に認めるんだ」
「そこを認められないほどガキじゃねぇよ」
「子供っぽいことしてる説田、なかなか新鮮だね」
「佐合はいつもより意地が悪い」
「あはは」
 切り終わったハムを一へ渡し、十八の元へ戻る。九七は一と、ポテトサラダの仕上げをするようだ。野菜を切り終えた十八は、二三子に声をかける。
「おふくろ、七輪出していい?」
「いいけど何するの?」
「ナスとか焼いてあとのせすんの」
「いいね! よろしく~!」
 笑顔で手を振った二三子の手には包丁が握られている。貴史はひやひやしたが、それは十八もだったようだ。
「あっぶね! 包丁振り回すなよ」
「ごめん、ごめん」
 けらけら笑う二三子を見ると、十八の大らかな性格は母親似なのかもしれない。
「行くぞ、佐合」
「え? 外?」
「おう。庭で焼くから」
 十八が冷蔵庫から適当に出した夏野菜を持って庭に出ると、十八はプレハブの倉庫から七輪を出して芝生ではなく砂利の敷き詰められた縁側に近い場所に置いた。
「佐合、七輪見るの初めてか」
「うん」
「炭入れて、網乗っけて、網の上で焼くの。秋になったらサンマ焼こうぜ。炭火で焼くと美味いからさ」
 秋になったら。十八の少し先の予定に、貴史が居ることが嬉しい。
 手際よく準備して行く十八の手元を見る。一と十八は笑い方が似ていると思った。でも、よく見れば長い指と大きな手も似ている。骨格が似ているんだろう。
「ぼく、魚食べるの下手だから笑わないでね。見るに見かねて父さんが身と骨に分けてくれるくらいなんだ」
「お前も甘えたじゃん」
「うちの親、超過保護だから今から説田に会わせるのすごく恥ずかしいんだってば」
「佐合、おっとりしてるもんな。親御さんが心配になるの何か分かるわ」
「とお兄、かとりせんこうおいとけってママが」
 リビングの窓を開けて九七がレトロな豚の蚊遣り器を差し出す。かわいさに覚えず破顔する。
「ふふ。かわいいね、これ」
 貴史が九七から受け取った蚊遣り豚を見て、十八は眉間に皺を寄せた。
「いらねぇよ」
「とお兄はいらなくても、たかしお兄ちゃんがカにさされたらかわいそうでしょ!」
「……それもそうか」
「どんな納得の仕方なの、それ」
 苦笑いする貴史の傍に蚊遣り豚を置いて、十八はずい、と顔を近づけた。
「佐合、皮膚が薄くてすぐ赤くなるだろ。かわいそうで気になっちまうんだよな」
「ば、ばかじゃないの赤くなったって別にどうってことないだろ……」
 顔が近い。頬が火照るのが分かる。十八の胸を片手で押しやり、上目遣いに盗み見ると嬉しくて仕方ない、といった表情で見つめられていることに気づく。
「ばか」
「うん」
「なに……」
「ははっ、佐合。項まで真っ赤」
「うるさいっ」
「オレさぁ、佐合が来るの楽しみ過ぎて花火買って来たんだ。メシ食ったらやろうぜ」
 君も、こんな風にくすぐったいような走り出したいような落ち着かない気持ちだろうか。十八の顔を見ることができず、七輪の上で爆ぜた茄子を睨み付ける。
「ばか」
「うん。オレさぁ佐合のことになるとバカになんの」
「……ばか」
「ははっ」
 落ち着かない恥ずかしいくすぐったい……嬉しい。この気持ちは、初めてできた友達への気持ちだろうか。
 説田家の家族に囲まれて食べたカレーは、とても美味しかったのに味がよく分からなかった。なぜなら、貴史は十八の顔ばかり見ていたから。
 食事が終わって、洗い物を手伝うと九七が待ちきれない様子で一の腕を引く。
「パパ、花火やろう? 早く、早く!」
 リビングの隅に置いてあった、花火の袋を持って一を急かす九七へ、十八が唇を尖らせる。
「買って来たのオレだかんな、九七」
「早いものがちですぅ」
「十八、バケツに水入れて持ってって」
「おう。いこーぜ、佐合」
 手招きする十八について庭へ出る。先ほどと同じに庭の隅にあるプレハブの物置小屋からバケツを持って来た十八は、貴史の手を引いた。
「九七、蚊取り線香持って来て」
「取りに来なよ、とお兄」
「ちぇっ」
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