14 / 17
エピローグ 十月
第14話
しおりを挟む
「おーっす。佐合、数学の課題やった?」
「おはよう。やったに決まってるだろ、課題なんだから」
いつも通りに十八の家から並んで歩き、途中のコンビニエンスストアで飲み物を買う。店内と外気の差があまり気にならなくなって来た。街路樹の葉も青々と盛んな時期は過ぎ、少しくすんで色を変え始めたものがちらほらと見受けられる。
「まさか、説田……」
「佐合はかわいい上に、賢いなー。そのまさかです。課題見せて」
「ホント、どうしてこんなヤツが学年一桁の成績でいられるのか、分からない」
「ばっか、オレは一度もお前の成績を抜いたことがねぇよ」
間服のカーディガンの袖を捲り、十八は頭の後ろで手を組む。コンビニエンスストアのビニール袋が音を立てた。その音よりも耳障りな声が、背後から掛かる。
「説田くん、ちょっといい?」
いつも通りに繰り返される告白観賞。胸の奥に重たいうねりを覚えてからは、もうあの優越感を味わえないでいる。貴史は今日も間抜けな見届け人だ。半身になり、できるだけ女の子の顔を見ないようにして顔を背けた。十八の手が貴史の腕を掴んで離さない。
「説田くん、好きです。付き合って下さい」
「オレは君のことをよく知らないから、無理」
「じゃあ今、手っ取り早く知ってよ。キスしてもいい?」
「はぁ? 何でそーなる……、おい!」
十八の慌てた声に顔を上げると女の子が背伸びして抱きつき、無理矢理に顔を寄せるところだった。貴史はほとんど無意識で、二人の間へ手を差し入れて遮る。
「だ、だめ……っ」
十八の口を手のひらで押さえ、女の子へ言い訳めいた講釈を垂れた。
「そ、そういう安売りみたいなのを女の子がするのは、よくないんじゃないかな……っ。ここ通学路だし、みんな見てるし……」
「はぁ? 関係ないでしょ? っていうか、アンタみんなに何て言われてるか知ってる? いくら顔がいいからって空気読めないマジ、説田くんの金魚のフンだって……!」
今さら言われるまでもなく知っている。しかしやはり面と向かって言われると辛い。惨めな貴史の恋心が捻れて悲鳴を上げる。貴史は彼女たちの告白を、嫉妬と歪んだ優越感で見ていたのだと見透かされた気がする。
制御不能の感情と、前々から分かっていたことを指摘されて貴史は情けなくなった。不覚にも視界が潤む。俯いた貴史は腰を掴まれ、十八に引き寄せられた。半分つま先が浮いて宙づり状態では逃げ出せない。
「黙れ。オレが佐合に無理強いしてることだ。佐合を悪く言うな」
不機嫌に言い放った十八の顔を、貴史も女の子も驚いて見上げた。
まずい。こんな時なら笑いながら不機嫌になるはずの十八が笑っていない。
確かに自分へ告白してくる女の子たちへ十八は今まで気のない態度で接してきたが、ここまで怒りを顕わにしたことはない。
「なっ……!」
女の子が絶句しているうちにどうにか体を捻って十八の顎を下から押す。びくともしないどころか、邪魔臭そうに空いた手で手首を掴まれていよいよ身動きが取れなくなった。そのことが無性に腹立たしくて短く怒鳴る。
「離せ!」
「やだね」
「離せ!」
「うるさい佐合、黙れ」
どうやっても振り解けない腰に回された腕を解くことを諦め、大声で十八へ怒りをぶつける。
「Bruyant vous tais-toi! Puis excuse-toi pour ce gamin!」
「ああ? 何キレてんだよ。何言ってっか分かんねぇ。日本語で頼むわ」
「いいから謝れ」
「何でオレが」
「謝れ!」
少し低い声で重ねて言い募った貴史に、十八はあからさまに拗ねた顔をして視線を横へ外した。
「悪かったな……」
「悪いと思うなら、これからはちゃんと二人きりで聞いてあげなよ。分かった?」
「何で!」
「ぼくも、金魚のフンとまで言われて他人の告白に付き合うなんて気分が良くないからさ。返事は?」
「……おう」
強めの口調で念を押した貴史が顔を覗き込むと、十八はいかにも渋々という態度で返事をする。二人の遣り取りを女の子は黙って見ていた。貴史は女の子へ向かって、眉をハの字にして微笑み場を濁す。
「ごめんね。もう邪魔しないよ」
もうやめよう。もうダメだ。貴史の気持ちは完全に殺してしまおう。十八には、当たり前の幸せが似合う。彼女のようなかわいらしい子が隣に並ぶのが自然だ。
「説田、ちゃんと話を聞いてあげなよ。ぼく、先に行くから」
それ以来、十八へ告白する女の子がいる時は先に行くようにしている。十八にとっても、己の行為で貴史が悪く言われることは不本意なのだろう。今までのように貴史を引き留めたりはしなくなった。その上今までみたいにごまかしたりせずに、はっきりと断っているらしい。
お陰で告白する女の子は減ったが、女子の株は急落で男子の間でも少し十八を悪く言う向きがある。離れて行った十八を快く思わない加藤が、積極的に吹聴していることも手伝っているだろう。
自分の思いを告げる勇気のない貴史にとって、彼女たちの行動は尊敬に値する。自分の恋と彼女たちの恋を重ねて見るかどうしても女の子たちへの態度が甘くなる。貴史は十八への恋文を頼まれれば快く引き受け、呼び止めておいてくれと言われればその通りにするようになった。
それは押し殺すしかない己の恋心への弔いで、代償行為で、自傷だった。何度も何度も、貴史は己の恋を自らの手で殺す。そのたびに愚かな恋心はいっそう執着を増している気がした。
十八はそんな貴史の態度へ不機嫌な顔を隠しもせず、聞こえよがしに「嫌がらせかよ」とぼやく。それでも不機嫌な顔は一瞬で、ラブレターや頼まれごとを持ち込んだ時以外、二人の関係は変わらなかった。変わらないと思っていた。
少しずつ別行動が増えた。席替えで席が離れた。それでも変わらず昼食は一緒だ。空が高くなり、頬に感じる風は冷たい。制服も来週には冬服へ衣替えだ。
寂しいのは季節のせいばかりではない。隣で太陽のように笑ってくれる相手がいない。それだけでこんなにも寂しいだなんて知らなかった。知りたくなかった。けれどもう、知らない頃には戻れない。
貴史一人で廊下を歩いていると、高い声に呼び止められた。
「佐合くん!」
振り向くと同じクラスの木村香恵が曲がり角へ隠れるようにして手招きしていた。不審に思いながらも歩み寄る。さらに手招きされて小さな声を聞き取ろうと前屈みになる。当然のように近づいた貴史へ、木村は小さく悲鳴を上げ「顔が、顔がいい……」とうわごとのように呟いた。女の子が何を考えているのか、貴史にはまったく理解できない。木村は激しく頭を横へ振ると、きっと顔を上げ貴史を仰ぐ。
「佐合くん、十八と仲がいいでしょ? 協力、してもらえないかなぁ……」
以前から何かと十八へ好意を寄せている素振りを見せていた、クラスメイトの女子からの頼まれごと。春頃には木村と十八が付き合っているという噂もあった。
泣きたくなる。柔らかな体、媚びた目つき、甘えた声。そのどれもが、女であるから許されたものだ。震える指先を押さえ、貴史は小さく頷いた。
「いいよ。ぼくは、何をすればいい?」
「佐合くんと十八、お昼ご飯一緒に食べるでしょ? 私が顔を出したら、佐合くんはそれとなく席を外してもらえないかな……?」
「ああ、うん……。分かった」
窓から入る日差しが眩しくて、クラスメイトが良く見えない。ぼやける視界の中、彼女の揺れる毛先と爽やかな秋風に翻るスカートの端が、やけに鮮明に瞼の裏へ焼き付いた。
「やったぁ。ごめんね、ありがと、佐合くん」
「ううん」
もう告白が成功したかのように喜んで飛び跳ねるクラスメイトに微笑み、貴史は細い首を伸ばして窓ガラスへと傾けた。ガラス一枚隔てたところにある、からりと晴れた晩秋の空はどこまでも遠く、高い。空の爽やかさとは正反対に、貴史の胸の裡は重く沈んで鉛色に染まった。
さすがの説田もクラスメイトの女子にまできつい物言いをしたりはしないだろう。彼女が羨ましく妬ましい。矛盾しているが貴史の中には同時に心の底から木村を応援したい気持ちがある。
元来、人当たりのいい十八だから女子と二人きりにされればそれなりに対応するだろう。十八の誤解も解け、木村にとっても悪い話ではない。胸で弾けて貴史を苦しめる、この小さな泡みたいな想いを、押し殺しさえすればすべてが丸く収まる。
しかし最近の十八ではどうだろう。多少自分が悪く言われても気にすることがなくなった。近頃は告白へもかなりの塩対応になっている。ふと十八が彼女を傷つけるのではないかと心配になった。そうなれば十八の性格上、自分が悪いわけではないことを弁明するわけもなく、誤解されたままになるのではと気が塞ぐ。
何より、そうして十八が悪く言われてしまうことが辛い。おそらく十八には十八なりに繊細な理由があるのだろうということを、貴史は知っている。知っているから、今までも宥め役に回っていたのだ。
自分でも、木村の告白が上手く行ってほしいのか、上手く行かないでほしいのか分からない。
予測できないことをあれこれと気に病んでも仕方ないというのに、貴史の心には次から次へと様々なことが浮かんでかき乱される。
「おい、佐合」
指に小さな棘《いら》が刺さったように、集中できない気持ちで昼休みを迎えた。目の前に突然現れた十八の顔へ、焦点の定まらぬ視線を送る。
「こら。またどっか行ってたな?」
「……うん」
「飯にしようぜ。ほら、行くぞ」
先を行く十八の後を追いかけ自席から腰を浮かせると、斜め前の席にいた木村が貴史に目で合図を送りながら立ち上がる。十八に悟られないよう、俯き加減に頷いて頬を染める木村を窺う。彼女が羨ましい。木村にとってまさに恋は素晴らしいものだろうが、貴史にとっては違う。
想いを口にすれば、何もかもが終わってしまうかも知れない。だからこれは、きっと最良の選択であると自分へ言い聞かせる。
「にゃぁん」
十八はなぜだかなにかと貴史がかわいがっている野良猫に対抗心を燃やしている。最近は裏庭へ来れば必ず猫のまねをして貴史に甘えようとするので、大きな体を押し返すのに苦労していた。
「なぅぅん」
「もう。重いってば」
ところが今日は木村がいつ来るのか、とそればかりが気になって上の空な貴史に十八は好き放題、頬を抓んだり髪を撫でたりしている。常なら怒るところも、木村が来る前に十八の機嫌を損ねてはいけないと我慢した。
十八にしてみれば普段通りにつれない態度を見せないことが面白くないのだろう。執拗に貴史の顔や手を触り、終いには鼻へ軽く歯を立てられてひっくり返った悲鳴を上げる。
「ひぁっ! なにっ!」
「何だよ、『ひぁっ』って。かっわいーの」
校庭に植わった楓の葉よりも真っ赤になって唇を尖らせた貴史へ、十八は上機嫌で肩を揺らした。短く揃えられた前髪が少し傾けた体の動きに釣られて横へ流れる。貴史の細くて腰のない絡まる猫毛とは違う。短く揃えても、さらりさらりと流れるその髪に触れてみたい。目は正直だ。そこから想いが流れて行かないよう、貴史は瞳を閉じた。
「十八、こんなところでご飯食べてるの? 二人きりだからって佐合くんのこといじめてるんでしょ、ダメじゃーん」
クラスで雑談をする時の調子で、木村が美術室のある廊下から声を掛ける。貴史はつま先から凍り付くように体が冷えていくのを感じた。
「いじめてねぇよ。な、佐合?」
「助かったよ、木村さん」
末端の冷たい体をどうにか動かし、貴史は十八の手から逃れる。几帳面な貴史らしからぬ慌てた手つきで弁当箱を胸へ抱え、片手で椅子を掴んで乱雑に元の場所へ積む。
「ごめん、ぼく、先に行くね。説田、ぼくの飲み物、もらっていいかな?」
「ちょ、待て、佐合!」
ビニール袋から自分の分とおぼしきペットボトルを抜き出す。貴史の襟首を捕まえたままの十八が腕を引いた。引き寄せられる体をどうにか踏ん張って、貴史は大声で抗議した。
「離せよ!」
無理に体を捻って十八の手から逃れる。締まった襟に喉を押さえられ、咳き込んだが気にせず体を翻す。カッターシャツのボタンが一つ、弾け飛んで紅葉した葉の伏せる地面へ落ちた。
突然激しく立ち回った貴史に立ち尽くす十八を睨み付ける。堪えきれず涙が零れた。
「ばかじゃないの、なんで他人の告白に立ち会わなきゃなんないわけ……!」
望みのない関係に縋るのも、傷つけられると分かっていて側にいることも。それでも友人でいられないかと、僅かな望みにすがることすらもう辛い。それならここで終わらせてしまおう。
「おはよう。やったに決まってるだろ、課題なんだから」
いつも通りに十八の家から並んで歩き、途中のコンビニエンスストアで飲み物を買う。店内と外気の差があまり気にならなくなって来た。街路樹の葉も青々と盛んな時期は過ぎ、少しくすんで色を変え始めたものがちらほらと見受けられる。
「まさか、説田……」
「佐合はかわいい上に、賢いなー。そのまさかです。課題見せて」
「ホント、どうしてこんなヤツが学年一桁の成績でいられるのか、分からない」
「ばっか、オレは一度もお前の成績を抜いたことがねぇよ」
間服のカーディガンの袖を捲り、十八は頭の後ろで手を組む。コンビニエンスストアのビニール袋が音を立てた。その音よりも耳障りな声が、背後から掛かる。
「説田くん、ちょっといい?」
いつも通りに繰り返される告白観賞。胸の奥に重たいうねりを覚えてからは、もうあの優越感を味わえないでいる。貴史は今日も間抜けな見届け人だ。半身になり、できるだけ女の子の顔を見ないようにして顔を背けた。十八の手が貴史の腕を掴んで離さない。
「説田くん、好きです。付き合って下さい」
「オレは君のことをよく知らないから、無理」
「じゃあ今、手っ取り早く知ってよ。キスしてもいい?」
「はぁ? 何でそーなる……、おい!」
十八の慌てた声に顔を上げると女の子が背伸びして抱きつき、無理矢理に顔を寄せるところだった。貴史はほとんど無意識で、二人の間へ手を差し入れて遮る。
「だ、だめ……っ」
十八の口を手のひらで押さえ、女の子へ言い訳めいた講釈を垂れた。
「そ、そういう安売りみたいなのを女の子がするのは、よくないんじゃないかな……っ。ここ通学路だし、みんな見てるし……」
「はぁ? 関係ないでしょ? っていうか、アンタみんなに何て言われてるか知ってる? いくら顔がいいからって空気読めないマジ、説田くんの金魚のフンだって……!」
今さら言われるまでもなく知っている。しかしやはり面と向かって言われると辛い。惨めな貴史の恋心が捻れて悲鳴を上げる。貴史は彼女たちの告白を、嫉妬と歪んだ優越感で見ていたのだと見透かされた気がする。
制御不能の感情と、前々から分かっていたことを指摘されて貴史は情けなくなった。不覚にも視界が潤む。俯いた貴史は腰を掴まれ、十八に引き寄せられた。半分つま先が浮いて宙づり状態では逃げ出せない。
「黙れ。オレが佐合に無理強いしてることだ。佐合を悪く言うな」
不機嫌に言い放った十八の顔を、貴史も女の子も驚いて見上げた。
まずい。こんな時なら笑いながら不機嫌になるはずの十八が笑っていない。
確かに自分へ告白してくる女の子たちへ十八は今まで気のない態度で接してきたが、ここまで怒りを顕わにしたことはない。
「なっ……!」
女の子が絶句しているうちにどうにか体を捻って十八の顎を下から押す。びくともしないどころか、邪魔臭そうに空いた手で手首を掴まれていよいよ身動きが取れなくなった。そのことが無性に腹立たしくて短く怒鳴る。
「離せ!」
「やだね」
「離せ!」
「うるさい佐合、黙れ」
どうやっても振り解けない腰に回された腕を解くことを諦め、大声で十八へ怒りをぶつける。
「Bruyant vous tais-toi! Puis excuse-toi pour ce gamin!」
「ああ? 何キレてんだよ。何言ってっか分かんねぇ。日本語で頼むわ」
「いいから謝れ」
「何でオレが」
「謝れ!」
少し低い声で重ねて言い募った貴史に、十八はあからさまに拗ねた顔をして視線を横へ外した。
「悪かったな……」
「悪いと思うなら、これからはちゃんと二人きりで聞いてあげなよ。分かった?」
「何で!」
「ぼくも、金魚のフンとまで言われて他人の告白に付き合うなんて気分が良くないからさ。返事は?」
「……おう」
強めの口調で念を押した貴史が顔を覗き込むと、十八はいかにも渋々という態度で返事をする。二人の遣り取りを女の子は黙って見ていた。貴史は女の子へ向かって、眉をハの字にして微笑み場を濁す。
「ごめんね。もう邪魔しないよ」
もうやめよう。もうダメだ。貴史の気持ちは完全に殺してしまおう。十八には、当たり前の幸せが似合う。彼女のようなかわいらしい子が隣に並ぶのが自然だ。
「説田、ちゃんと話を聞いてあげなよ。ぼく、先に行くから」
それ以来、十八へ告白する女の子がいる時は先に行くようにしている。十八にとっても、己の行為で貴史が悪く言われることは不本意なのだろう。今までのように貴史を引き留めたりはしなくなった。その上今までみたいにごまかしたりせずに、はっきりと断っているらしい。
お陰で告白する女の子は減ったが、女子の株は急落で男子の間でも少し十八を悪く言う向きがある。離れて行った十八を快く思わない加藤が、積極的に吹聴していることも手伝っているだろう。
自分の思いを告げる勇気のない貴史にとって、彼女たちの行動は尊敬に値する。自分の恋と彼女たちの恋を重ねて見るかどうしても女の子たちへの態度が甘くなる。貴史は十八への恋文を頼まれれば快く引き受け、呼び止めておいてくれと言われればその通りにするようになった。
それは押し殺すしかない己の恋心への弔いで、代償行為で、自傷だった。何度も何度も、貴史は己の恋を自らの手で殺す。そのたびに愚かな恋心はいっそう執着を増している気がした。
十八はそんな貴史の態度へ不機嫌な顔を隠しもせず、聞こえよがしに「嫌がらせかよ」とぼやく。それでも不機嫌な顔は一瞬で、ラブレターや頼まれごとを持ち込んだ時以外、二人の関係は変わらなかった。変わらないと思っていた。
少しずつ別行動が増えた。席替えで席が離れた。それでも変わらず昼食は一緒だ。空が高くなり、頬に感じる風は冷たい。制服も来週には冬服へ衣替えだ。
寂しいのは季節のせいばかりではない。隣で太陽のように笑ってくれる相手がいない。それだけでこんなにも寂しいだなんて知らなかった。知りたくなかった。けれどもう、知らない頃には戻れない。
貴史一人で廊下を歩いていると、高い声に呼び止められた。
「佐合くん!」
振り向くと同じクラスの木村香恵が曲がり角へ隠れるようにして手招きしていた。不審に思いながらも歩み寄る。さらに手招きされて小さな声を聞き取ろうと前屈みになる。当然のように近づいた貴史へ、木村は小さく悲鳴を上げ「顔が、顔がいい……」とうわごとのように呟いた。女の子が何を考えているのか、貴史にはまったく理解できない。木村は激しく頭を横へ振ると、きっと顔を上げ貴史を仰ぐ。
「佐合くん、十八と仲がいいでしょ? 協力、してもらえないかなぁ……」
以前から何かと十八へ好意を寄せている素振りを見せていた、クラスメイトの女子からの頼まれごと。春頃には木村と十八が付き合っているという噂もあった。
泣きたくなる。柔らかな体、媚びた目つき、甘えた声。そのどれもが、女であるから許されたものだ。震える指先を押さえ、貴史は小さく頷いた。
「いいよ。ぼくは、何をすればいい?」
「佐合くんと十八、お昼ご飯一緒に食べるでしょ? 私が顔を出したら、佐合くんはそれとなく席を外してもらえないかな……?」
「ああ、うん……。分かった」
窓から入る日差しが眩しくて、クラスメイトが良く見えない。ぼやける視界の中、彼女の揺れる毛先と爽やかな秋風に翻るスカートの端が、やけに鮮明に瞼の裏へ焼き付いた。
「やったぁ。ごめんね、ありがと、佐合くん」
「ううん」
もう告白が成功したかのように喜んで飛び跳ねるクラスメイトに微笑み、貴史は細い首を伸ばして窓ガラスへと傾けた。ガラス一枚隔てたところにある、からりと晴れた晩秋の空はどこまでも遠く、高い。空の爽やかさとは正反対に、貴史の胸の裡は重く沈んで鉛色に染まった。
さすがの説田もクラスメイトの女子にまできつい物言いをしたりはしないだろう。彼女が羨ましく妬ましい。矛盾しているが貴史の中には同時に心の底から木村を応援したい気持ちがある。
元来、人当たりのいい十八だから女子と二人きりにされればそれなりに対応するだろう。十八の誤解も解け、木村にとっても悪い話ではない。胸で弾けて貴史を苦しめる、この小さな泡みたいな想いを、押し殺しさえすればすべてが丸く収まる。
しかし最近の十八ではどうだろう。多少自分が悪く言われても気にすることがなくなった。近頃は告白へもかなりの塩対応になっている。ふと十八が彼女を傷つけるのではないかと心配になった。そうなれば十八の性格上、自分が悪いわけではないことを弁明するわけもなく、誤解されたままになるのではと気が塞ぐ。
何より、そうして十八が悪く言われてしまうことが辛い。おそらく十八には十八なりに繊細な理由があるのだろうということを、貴史は知っている。知っているから、今までも宥め役に回っていたのだ。
自分でも、木村の告白が上手く行ってほしいのか、上手く行かないでほしいのか分からない。
予測できないことをあれこれと気に病んでも仕方ないというのに、貴史の心には次から次へと様々なことが浮かんでかき乱される。
「おい、佐合」
指に小さな棘《いら》が刺さったように、集中できない気持ちで昼休みを迎えた。目の前に突然現れた十八の顔へ、焦点の定まらぬ視線を送る。
「こら。またどっか行ってたな?」
「……うん」
「飯にしようぜ。ほら、行くぞ」
先を行く十八の後を追いかけ自席から腰を浮かせると、斜め前の席にいた木村が貴史に目で合図を送りながら立ち上がる。十八に悟られないよう、俯き加減に頷いて頬を染める木村を窺う。彼女が羨ましい。木村にとってまさに恋は素晴らしいものだろうが、貴史にとっては違う。
想いを口にすれば、何もかもが終わってしまうかも知れない。だからこれは、きっと最良の選択であると自分へ言い聞かせる。
「にゃぁん」
十八はなぜだかなにかと貴史がかわいがっている野良猫に対抗心を燃やしている。最近は裏庭へ来れば必ず猫のまねをして貴史に甘えようとするので、大きな体を押し返すのに苦労していた。
「なぅぅん」
「もう。重いってば」
ところが今日は木村がいつ来るのか、とそればかりが気になって上の空な貴史に十八は好き放題、頬を抓んだり髪を撫でたりしている。常なら怒るところも、木村が来る前に十八の機嫌を損ねてはいけないと我慢した。
十八にしてみれば普段通りにつれない態度を見せないことが面白くないのだろう。執拗に貴史の顔や手を触り、終いには鼻へ軽く歯を立てられてひっくり返った悲鳴を上げる。
「ひぁっ! なにっ!」
「何だよ、『ひぁっ』って。かっわいーの」
校庭に植わった楓の葉よりも真っ赤になって唇を尖らせた貴史へ、十八は上機嫌で肩を揺らした。短く揃えられた前髪が少し傾けた体の動きに釣られて横へ流れる。貴史の細くて腰のない絡まる猫毛とは違う。短く揃えても、さらりさらりと流れるその髪に触れてみたい。目は正直だ。そこから想いが流れて行かないよう、貴史は瞳を閉じた。
「十八、こんなところでご飯食べてるの? 二人きりだからって佐合くんのこといじめてるんでしょ、ダメじゃーん」
クラスで雑談をする時の調子で、木村が美術室のある廊下から声を掛ける。貴史はつま先から凍り付くように体が冷えていくのを感じた。
「いじめてねぇよ。な、佐合?」
「助かったよ、木村さん」
末端の冷たい体をどうにか動かし、貴史は十八の手から逃れる。几帳面な貴史らしからぬ慌てた手つきで弁当箱を胸へ抱え、片手で椅子を掴んで乱雑に元の場所へ積む。
「ごめん、ぼく、先に行くね。説田、ぼくの飲み物、もらっていいかな?」
「ちょ、待て、佐合!」
ビニール袋から自分の分とおぼしきペットボトルを抜き出す。貴史の襟首を捕まえたままの十八が腕を引いた。引き寄せられる体をどうにか踏ん張って、貴史は大声で抗議した。
「離せよ!」
無理に体を捻って十八の手から逃れる。締まった襟に喉を押さえられ、咳き込んだが気にせず体を翻す。カッターシャツのボタンが一つ、弾け飛んで紅葉した葉の伏せる地面へ落ちた。
突然激しく立ち回った貴史に立ち尽くす十八を睨み付ける。堪えきれず涙が零れた。
「ばかじゃないの、なんで他人の告白に立ち会わなきゃなんないわけ……!」
望みのない関係に縋るのも、傷つけられると分かっていて側にいることも。それでも友人でいられないかと、僅かな望みにすがることすらもう辛い。それならここで終わらせてしまおう。
0
あなたにおすすめの小説
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる