まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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冬木立の月

第17話

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 ラルクはぼくとジークフリードの間に立って、頭の後ろで手を組んだ。離宮でのびのびぼくの乳兄弟として育って来たラルクは、貴族に対する礼儀なんて全く知らない。
「そうだね。あとで練習しようね」
「おう!」
 ラルクはとっても素直である。そこがいいところだよ。そのままでいてね。
「殿下への献上品には、ルカ様とぼくのサインを入れます。楽しみにお待ちくださいね」
 まだ帰らないつもりなのかな。声をかけると、ジークフリードはわざとらしく咳払いをして、唇を尖らせた。
「うむ。その、スヴェン」
「はい、殿下」
「そなたとオレは、近しい間がらだ。でんかなどとたにんぎょうぎではなく、ジークと呼ぶことをゆるす」
「……へ?」
 あまりのことに素で返事してしまった。いつの間に近しい間柄になったんだろう。床に大の字になって暴れる姿とか、負けたからと言って癇癪を起こして人形のコマを床にぶちまけた姿とか、フローエ卿にボードゲーム用の金貨を投げつけている姿とかを眺めていただけの間柄のはずだが。
 しかしジークフリードは鷹揚に微笑み、頷いて見せた。
「ゆるす。えんりょはいらぬ」
 これ、呼ばないと帰らないやつだ。君、初対面でぼくに「ばぁぁぁぁか!」って叫んで帰ったのもう忘れたのかな。ボードゲームでぼくに負け続けて「こんなゲームをおもいついたヤツはせいかくがわるい!」って叫んでたよね。
 ぼくは心を無にして唇の端を上へ吊り上げた。
「大変光栄にございます、ジーク様」
「うむ! オーベルマイヤー、かえるぞ。よいか、さっきゅうに冬木立の月の七の日に来るじじゅうたちのめいぼをスヴェンへわたしておくように」
「やっとお戻りになられるのですね……。はい、名簿は早急に準備いたします。では、スヴァンテ様。失礼いたしました」
「いいえ、またいらしてください。殿……ジーク様、庭園の端までお見送りいたします」
「よい、よい。ラルク、行くぞ」
「うん!」
 ぴょん、と勢いよくテラスから下り、芝の上へ駆け出すラルクだが、君はぼくの乳兄弟であって殿下の従僕ではないんだよ分かっているかな。椅子から下りて、その場で頭を下げる。手を振る金髪と赤毛と茶色の頭が噴水の向こう側へ見えなくなるまで、すっかり秋めいて来た風に頬を吹かれる。
 正直めんどくさいけど、皇宮に行くのはこれが初めてになるわけだし、できるだけ情報は集めておきたい。
「皇宮へ行く時は、フローエ卿も護衛として付いて来てくださるんですよね?」
「そうですね」
 テラスと庭の境目に立つフローエ卿へ尋ねる。少し風が冷たくなって来た。無意識に腕を擦っていたのだろう。ベッテがショールを持って来て、ぼくの肩にかけてくれた。
「ありがとう、ベッテ」
 ベッテは静かに頬を緩め、頭を垂れて下がる。その手へ軽く触れて労い、微笑んで見せた。
「では、皇宮に行くのはラルクとフローエ卿とぼく、ということでいいでしょうか」
「わたくしも行くよ? スヴァンくんの先生だし、何といっても監修者だしね」
「……ルカ様も、一緒に行ってくださるのですか?」
「うん。だって君が歩き疲れたら、誰が抱っこするの?」
 ルクレーシャスさんは、完全にぼくを子供扱いしている。そして心配してくれている。フローエ卿は、ぼくとラルクにとって味方ではない。だから一緒に来てくれるのだろう。
「うふふ、お願いします」
「うん。楽しみだね。当日は同じ色のお洋服で行こうか。だって君は、わたくしの弟子だもの」
 ショールごとぼくを抱きしめて、ルクレーシャスさんはおでこをくっつけた。
「わぁ、スヴァンくんあったかぁい。いいなぁ、今夜はこうやってくっついて寝ようか」
「ふふふ、ぼくの寝相が悪かったらどうするんです」
「こうするんだよ~!」
 ぎゅっと抱きしめられて、さらにおでこをぐりぐりと押し付けられた。
「あはは!」
 うん。仕方ない。だってルクレーシャスさんは二百歳。前世合わせてざっと三十歳のぼくですら、ルクレーシャスさんからすればまだまだ子供だろう。
 ぼくはこの世界に来て初めて、素直に子供扱いを受け入れた。
「あっ! ズルい! スヴェンがまた、ルクさんにこどもあつかいされてる! オレもまーぜーてー!」
 ジークフリードの見送りから戻って来たラルクがぼくの背中から抱きついた。
「ぎゅー!」
「ぎゅう~!」
「あはははは」
 そう。この日までは離宮は平和だったのだ。この日までは。
 翌日、オーベルマイヤーさんがジークフリードの侍従候補で、冬木立の月の七の日に招待されている子供たちの名簿を持って来てくれた。テラスでお茶を振る舞いながら、軽く名簿へ目を通す。侯爵、伯爵、どのご令息もそれなりの家門の者ばかりだ。
「バルタザール・ミレッカー宮中伯令息……」
「……」
 ぼくが呟くとオーベルマイヤーさんの眉が少し、寄った。それもそのはず。皇宮、と聞いた時から嫌な予感はしていたがまさかこんなところでこんな人物と関わることになるとは。向かいでアップルパイを貪っていたルクレーシャスさんが顔を上げた。
「どうかしたのかい、スヴァンくん」
「ええ……。ミレッカー宮中伯とフリュクレフ公爵家には因縁というか、少々気まずい家の成り立ちがありまして」
「ごめんね、わたくしそれぞれの国の細かい事情まで全て把握できなくて。聞いても大丈夫かい?」
「うう~ん……」
 ちらり、とオーベルマイヤーさんへ視線を向ける。オーベルマイヤーさんは、慌てて紅茶を一気に煽った。
「僕はこれで失礼しますね。スヴァンテ様、冬木立の月の七の日、午前八時にこちらへお迎えに上がります。よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。ご足労いただきありがとうございました、オーベルマイヤー様」
 心なしか速足で遠ざかる赤毛の後ろ姿を見送り、ルクレーシャスさんへ目を戻す。ふう、と息を吐きできるだけ軽い調子で口を開いた。
「フリュクレフ王国がデ・ランダ皇国の侵攻を許すきっかけになったのは、フリュクレフ王国の宰相がデ・ランダ皇国側へ寝返ったことが大きいというのは知っていますか」
「ああ、確か王宮への抜け道を先々代の皇王へ密告したバカがいたから、女王が捕まってしまったとか……」
「そのフリュクレフ王国の元宰相一族が、ミレッカー宮中伯です」
「……さいあく」
 顔面全体で最悪、を表現してルクレーシャスさんはティーカップをがちゃんとティーソーサーへ置いた。眼鏡も片側がずり落ちている。
「相手の出方次第ですけれど……困りましたね……」
 正直、他のご令息たちは何の問題もない。年齢も皆似たり寄ったりで上はミレッカー宮中伯令息の十歳から、下は七歳までの四人だ。ボードゲームのコマ人形は六個付きなのでつまり、侍従候補の令息四人と、ジークフリードと、ラルクの六人でゲームする気なのだろう。端からぼくがゲームを一緒にやる前提ではないとか酷くないかジークフリード。ほんの少し眉を寄せながらじっくりと令息たちの名前を眺める。
 ロマーヌス・メッテルニヒ伯爵令息七歳。ティモ・エンケ侯爵令息八歳。ローデリヒ・エステン公爵令息九歳。そして、バルタザール・ミレッカー宮中伯令息十歳。メッテルニヒ伯爵は中立派だし、エンケ侯爵は皇族派の重鎮だ。エステン公爵は代々、宮廷騎士団の団長をしている家柄である。相手は子供であるし、上手くあしらえる自信はある。だが、ミレッカー宮中伯令息はどうだろう。十歳という年齢もそうだが、ジークフリードからぼくの話を聞いていないはずがない。
「現ミレッカー宮中伯がどんな方か分かればいいんですけど……確か、書庫に貴族名鑑があったはず……」
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