まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

文字の大きさ
89 / 187
初めての社交月

第89話

しおりを挟む
 ぼくはベッテ以外にお世話をされたことがないので、普通の侍女が何をどこまでしてくれるものなのかも分からない。胸の間で温めた靴下とか、ちょっと怖いじゃない? 気遣いなのかも知れないけどベッテにはそんなこと、されたことないもん。木下藤吉郎かよ。普通に嫌だわ。そりゃ信長だって怒鳴り飛ばすわ。
 そんなわけで、ぼくが侍女が少し苦手なのだと話をしたら翌日、イェレミーアスが隠れて様子を見ていてくれたらしい。ぼくも気づかなかったんだけど。
 そしたら途中で血相変えて出て来て、すぐさまその侍女を連れて出て行ってしまった。最近その侍女を見かけない。別の場所へやられたわけでもなさそうで、解雇されてしまったのかな……と少し気になっている。だって他の侍女も胸の間から靴下とか下着とか出して来てたから、あれが普通なのかと思ってたんだよね。違うのかな。疑問を口にしたら、イェレミーアスの顔色が変わった。
「スヴァンテ様、他にも気になることはございませんか?」
「え……? えっと、ここの侍従はみんな、入浴の時ぼくの体を素手で洗うんですけど、他のおうちでもそうなんですかね……?」
「……少々ここでこのままお待ち下さい、スヴァンテ様」
 爆速で走り去るイェレミーアスが消えた廊下の角辺りから、フレートが鬼の形相でどこかへ走り去るのが見えた。イェレミーアス以上の爆速だったので、二度見したくらいだ。その後戻って来たイェレミーアスは、片時もぼくの傍から離れなくなってしまった。何があったんだろう。
 そんなわけで、それ以降ぼくの着替えや入浴はイェレミーアスが手伝ってくれることになっている。
「スヴァンテ様。おはようございます」
「うん……、おはよ、ございます……」
 目が開かない。まだ寝てたい。でもイェレミーアスが起こしに来てくれたのに、そんなわけには行かない。
 ベッドから起き上がろうとするぼくの背中へ、イェレミーアスの手が添えられた。イェレミーアスの手は、常にほんわり温かい。
「イェレ様のおてて、いつもあったかいですね」
「ああ……私は炎の魔法を使うせいか人より体温が高いようです。不愉快なようならおっしゃってくださいね、スヴァンテ様。抑えることもできますので」
「大丈夫。あったかいです。だからイェレ様のだっこ、気持ちよくて眠くなっちゃうんですね……」
 穏やかで物静かなイェレミーアスが炎の魔法使い。印象とは逆のような気がしてしまう。ぼくのごくごく個人的な見解を述べると、イェレミーアスには水や土の方が似合うと思う。人となりと、使える魔法の属性は一致しないものなのだろうか。
 すぐ脇のマットレスが、少し沈んだ。イェレミーアスが腰をかけたのだろう。
「目を擦ってはいけません。赤くなってしまいますよ。ほら」
 目に濡らしたタオルが当てられた。しばらくそのまま大人しくしておく。優しく両目を拭かれ、離れて行くタオルの感覚に目を開く。
「お湯を用意しました。洗面台へ移動しますね」
「はい」
 イェレミーアスへ凭れかかり、抱え上げられる。洗面台の足元には、ぼく専用の踏み台が置かれている。踏み台にはマットが敷かれている。その上へ慎重にぼくを下し、イェレミーアスは洗面器へ準備されたお湯へ手を入れ、少し湯加減を見た。
「どうぞ」
「はい」
 じゃばじゃばと顔を洗い、目を閉じたまま顔を上げる。途端に背中へ手を添えられ、顔にはタオルを当てられた。
「イェレ様。ぼく、一人でできますよ……」
「私がしたくてしていることです。させて、もらえませんか?」
 ぽんぽん、と柔らかく水気を拭き取られ目を開く。起き抜けから美少年を浴びせかけられて断れる人間など存在するのだろうか。ぼくはここ数日繰り返した自問自答に、いつも通り負けた。
 慎重にソファへ下される。オッドマンチェアへ足を置くと、両手で包んで温められた。
「イェレ様、あんよはばっちいですよ……」
「スヴァンテ様の小さなかわいいあんよは、汚くなんかないですよ」
「でもね、イェレ様。イェレ様はルカ様が『お預かり』している伯爵令息で、ぼくと身分は変わらないのですよ。だから、こんな、使用人みたいなことはしなくてもいいんです……」
 なんなら身分的には爵位を持たないぼくより、イェレミーアスの方が上だ。靴下を履かせながらイェレミーアスは破顔した。ソックスガーターを手際よく付けながら、ぼくを仰ぎイェレミーアスが答える。
「そうですね。でも私は、スヴァンテ様のお着替えを手伝うのが楽しいのです。他の者にはとても譲れません。ダメ、ですか?」
「……うぅ……っ」
 確かに最近はイェレミーアスが服を選んでくれるから、フリフリだのヒラヒラだのが少し押さえられている。温かいからと三日連続で侍女からカボチャパンツっぽい半ズボンを差し出された時は、イェレミーアスの後ろに隠れて一時間駄々を捏ねた。イェレミーアスが服を選んでくれるようになって、ぼくはカボチャパンツから解放されている。カボチャパンツかイェレミーアスに朝から傅かれる日々か。究極の選択である。
 しかしそれでも、線引きは必要である。貴族社会というのは、他人の目にどう映るかが重要だからだ。
「あの、でもぼくやっぱりこういうことはきちんとしないといけないと思うんです。だから例えば、イェレ様はぼくへ様付けして呼ぶのをやめる、というのはどうでしょう?」
「うーん、しかし私は敬語の方が楽なのです、スヴァンテ様」
「敬語が楽なのはぼくもなので分かります。でもイェレ様はぼくより大分お兄さんですし、やっぱり呼び捨てにしてほしいです。ダメ、ですか?」
 敬語が楽なのはほんと理解できる。相手の年齢も立場も関係なく、敬語で喋る癖が付いていれば意図せず無礼を働く可能性が限りなく低くなるからだ。さらにぼくは、前世の記憶があるから余計に、である。
 年が近いと紹介されて出会う同年代の子供たち、精神的には全員年下だからね。イェレミーアスやローデリヒは年上だが、それはこの世界に於いてであり、どうしても彼らが自分より年下という気持ちが抜けない。だからこそ、満遍なく敬語で話すのが楽なのである。
「……ですが……」
 イェレミーアスにとってはそれでもやはり、ぼくは恩人なのだろう。だがやはり、伯爵令息のイェレミーアスが何の爵位も持たないぼくへ謙っているのはよろしくない。ぼくが恩人であろうと、いずれイェレミーアスはこの国の国防を担う辺境伯の地位を取り戻すという目的もある。戸惑うイェレミーアスへ、ぼくから提案してみる。
「じゃあ、ぼくはイェレ様をイェレ兄さまとお呼びするので、イェレ兄さまはぼくを弟のように愛称で呼ぶ、というのはどうでしょう?」
 ぼくへシャツを羽織らせ、ボタンを留めるイェレミーアスへ提案する。顔を上げ、ぼくを見つめてイェレミーアスはじんわりと頬を染めた。
「……もう一度、呼んでいただいても?」
「……イェレ、にいさま?」
 ふわぁ、っと大輪の花が開くように微笑んで、イェレミーアスはぼくの両手を下から捧げ持つようにして揺らした。
「分かりました。では、私はスヴァンテ様のことをこれから『ヴァン』とお呼びしますね」
「……っ、うぅ~ん……、はい」
 どうしよう。ルチ様もぼくのことを「ヴァン」と呼ぶけど、イェレミーアスがそう呼ぶのを聞いたら拗ねるだろうか。だがルクレーシャスさんの腕からはぼくを奪うように抱っこするルチ様も、なぜかイェレミーアスには寛容なのだ。イェレミーアスにも妖精や精霊が見えていることと関係があるのだろうか。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。 神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。 『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』 平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。

知識スキルで異世界らいふ

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

転生魔法伝記〜魔法を極めたいと思いますが、それを邪魔する者は排除しておきます〜

凛 伊緒
ファンタジー
不運な事故により、23歳で亡くなってしまった会社員の八笠 美明。 目覚めると見知らぬ人達が美明を取り囲んでいて… (まさか……転生…?!) 魔法や剣が存在する異世界へと転生してしまっていた美明。 魔法が使える事にわくわくしながらも、王女としての義務もあり── 王女として生まれ変わった美明―リアラ・フィールアが、前世の知識を活かして活躍する『転生ファンタジー』──

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

異世界は流されるままに

椎井瑛弥
ファンタジー
 貴族の三男として生まれたレイは、成人を迎えた当日に意識を失い、目が覚めてみると剣と魔法のファンタジーの世界に生まれ変わっていたことに気づきます。ベタです。  日本で堅実な人生を送っていた彼は、無理をせずに一歩ずつ着実に歩みを進むつもりでしたが、なぜか思ってもみなかった方向に進むことばかり。ベタです。  しっかりと自分を持っているにも関わらず、なぜか思うようにならないレイの冒険譚、ここに開幕。  これを書いている人は縦書き派ですので、縦書きで読むことを推奨します。

転生の水神様ーー使える魔法は水属性のみだが最強ですーー

芍薬甘草湯
ファンタジー
水道局職員が異世界に転生、水神様の加護を受けて活躍する異世界転生テンプレ的なストーリーです。    42歳のパッとしない水道局職員が死亡したのち水神様から加護を約束される。   下級貴族の三男ネロ=ヴァッサーに転生し12歳の祝福の儀で水神様に再会する。  約束通り祝福をもらったが使えるのは水属性魔法のみ。  それでもネロは水魔法を工夫しながら活躍していく。  一話当たりは短いです。  通勤通学の合間などにどうぞ。  あまり深く考えずに、気楽に読んでいただければ幸いです。 完結しました。

公爵家次男はちょっと変わりモノ? ~ここは乙女ゲームの世界だから、デブなら婚約破棄されると思っていました~

松原 透
ファンタジー
異世界に転生した俺は、婚約破棄をされるため誰も成し得なかったデブに進化する。 なぜそんな事になったのか……目が覚めると、ローバン公爵家次男のアレスという少年の姿に変わっていた。 生まれ変わったことで、異世界を満喫していた俺は冒険者に憧れる。訓練中に、魔獣に襲われていたミーアを助けることになったが……。 しかし俺は、失敗をしてしまう。責任を取らされる形で、ミーアを婚約者として迎え入れることになった。その婚約者に奇妙な違和感を感じていた。 二人である場所へと行ったことで、この異世界が乙女ゲームだったことを理解した。 婚約破棄されるためのデブとなり、陰ながらミーアを守るため奮闘する日々が始まる……はずだった。 カクヨム様 小説家になろう様でも掲載してます。

処理中です...