まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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陰謀詭計のジングシュピール

第148話

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 フレートから受け取った紙を、ハンスへ渡す。それから椅子の背もたれへ深く、腰を掛け直した。
「それはタウンハウスのぼくの机へ置いて来てください。くれぐれも、誰の目にも入らぬように鍵の付いた抽斗へしまってください」
「かしこまりました」
 腕を組んで、自分の二の腕へ置いた指をとんとんと忙しなく動かす。ハンスイェルクとイェレミーアスの父、ディートハルトは異母兄弟であった。ディートハルトの母はレニエ侯爵家から嫁いだという。ハンスイェルクの母は、ラウシェンバッハ家の侍女だ。
「男児を除いて、自らの手で私生児を皆殺しにしたとのこと。その咎で先々代ラウシェンバッハ伯爵ライムント・ラウシェンバッハは爵位を奪われ、若くして嫡男ディートハルト伯がラウシェンバッハ伯爵を継いだ模様」
 フレートらしい簡潔な情報の締め括りには、ぼくを暗澹たる気持ちにさせる一言が添えられていた。
「ライムント卿、存命。現在ラウシェンバッハ辺境伯城にて、永蟄居えいちっきょ中」
 机へ肘をつき、指を組む。組んだ指へ額を押し当て、ぼくは長いため息を吐き出した。
「永蟄居……私生児十五人殺して、永蟄居止まり……いくら功臣だからって甘すぎだろ……いや、皇国の法が私生児に対して厳しすぎるのか……」
「……」
 黙ってぼくへ視線を落としているハンスへ、聞かせるともなく吐き出す。
「デ・ランダル神話自体が皇族の血筋を神格化したものだから、貴族は血筋に拘るってまぁ想像は付きますけど。だからって自分の子供を十五人も、男児じゃないからって殺します? そもそも無分別に女性へ手を出さなきゃいいだけじゃないですか。子供を殺すくらいなら自分のその制御不能な性器をちょん切ってしまえばいいのに」
 ハンスが言いにくそうにぼくへ視線を送る。
「……スヴァンテ様。いささかお口が過ぎます」
「だって本当のことじゃないですか」
 道理でヨゼフィーネもイェレミーアスも、祖父の話をしないわけだ。だがその好色ジジイは東の領土を大幅に広げた、功臣でもある。しかも何と、永蟄居を言い渡されるきっかけになったのが前メスナー伯爵の妻を強姦したからだという。
 つまり貴族同士の問題にならなければ、放っておかれたままであったのだ。
「前メスナー伯爵の奥さまを強姦した時点で殺しておくべきでしょう……」
 悲劇はそれで終わらなかった。その事件の後、前メスナー伯爵の妻は自殺したという。シェルケがミレッカーと手を組んだのは、従兄弟だからという理由だけではないかも知れない。
 自分の母を辱しめ自殺に追いやった男が、先々代のラウシェンバッハ辺境伯なのだ。永蟄居などで納得できるだろうか。代替わりしたとはいえ、ラウシェンバッハ家の名声が上がって行くのを苦々しく思っていたのではないだろうか。
 同じ男としても大変に胸糞が悪い。そんな色ボケジジイが、部下の妻とかに手を出してないわけがない。
 先々代ラウシェンバッハ伯爵は、一切人望がなかったらしい。人望がないから貴族は別の領地へ逃げ出し、先々代までラウシェンバッハ伯爵家の騎士は八割が平民や農奴で構成されていたそうだ。そんな中で北東の領土を広げたのだから、武人として、将軍としての腕は確かなのだろう。
 だからこそ、好き放題女に手を出しても生き残っていたのだろう。普通ならとっくに後ろから刺され殺されているに違いないのに、武人として強いから生き残ったのである。厄介この上ない。
 イェレミーアスの父であるディートハルトが、どれほど苦労をしたかが忍ばれる。父の尻拭いをし、領地と騎士団を立て直し、北東のケイローンとまで呼ばれた。イェレミーアスが父を慕うのは当たり前だ。その分、祖父のことは触れられたくないだろう。
 非道な祖父と、偉大なる父。ラウシェンバッハ家の事情を鑑みると、イェレミーアスが父を失った意味は大きいのだろう。ひいてはラウシェンバッハ領に於いても、その意味は大きいのではないだろうか。
 その喪失を画策した意味もまた、大きい。となれば、それを画策した者は次に何をするだろう。
 ぼくなら。
「ぼくならその色ボケジジイ、解き放つよなぁ……」
 イェレミーアスの祖父ということは、若く見積もっても五十代くらいだろう。医療事情も衛生状態も栄養状態も現代日本と比べれば格段に悪いこの世界の五十代といえば、普通ならよぼよぼのおじいちゃんだ。シュレーデルハイゲンのように現役の武人である五十代など、希少種なのである。しかも長年蟄居ちっきょしていたのだから、武人としての経験はあれど体力は落ちているだろう。
 武功を立てられるほどの元気はないが、政治的に恐怖を与えることは可能だろう。しかも領地に残っている正当なラウシェンバッハ家の血筋は、武勇ある父を永蟄居へ追い込んだ知恵者で胆力も騎士としての腕もあったイェレミーアスの父とは違い、臆病で小心者のハンスイェルクである。
 ハンスイェルクが、自分の父に逆らえると思えない。政治的にまともな判断を下せるイェレミーアスが居ない今、ラウシェンバッハ領を混乱に陥れるには、実に都合がいい人物なのではないだろうか。どれほど武人として強くとも長年の蟄居、高齢とくればいつでもラウシェンバッハ伯爵を殺した手を使って下すのは簡単だ。女にだらしないようだから、女を使えばより確実だろう。
 ぼくがミレッカーならイェレミーアスの父が亡くなった直後に何かと理由を付け、色ボケジジイを解き放つよう指示するだろう。今現在、そうなっていないのは、ハンスイェルクが色ボケジジイを畏れているからではないだろうか。
 小心者が、自分にとって頭が上がらない人物を解き放ちたがるだろうか。否である。姑息に何かと理由を付けて先延ばしする。小心者であればあるほど、できるだけ悪あがきすると、断言できる。
 ぼくがハンスイェルクならそうする。小者には、小者の心なんてお見通しよッ!
「ハンスもこの事は忘れてください。特に、ヨゼフィーネ様やベアトリクス様、イェレ兄さまの前では知っている素振りは厳禁です」
「かしこまりました」
「――それから、早急にライムント・ラウシェンバッハを……いや、これはルチ様に頼みましょう」
 唇へ指を当てながら呟く。途端に客間へ藍色のベールが降りた。部屋の真ん中へ闇が集まり、宵闇色が形を取る。
『……呼んだ、か?』
「ルチ様、今すぐラウシェンバッハからライムント・ラウシェンバッハを連れて来てください。あ、ここへ連れて来てはダメですよ。ゼクレス子爵邸の隠し牢へ放り込んでおいてください。あと、この手紙をリース卿へお渡しして来てください」
『……分かった』
 会話に一瞬間が空くのはいつものことだが、ルチ様の表情が僅かに曇った気がした。確認する前に、粒子になって崩れるように宵闇色が霧散する。藍色のベールが引き抜かれるように剥がれた。部屋の中に差し込む光で、細かな埃がきらきらと光る。
「……ほんとこの国の貴族ってろくな人間がいないんだから……」
 頬づえをついて、窓の外へ顔を向ける。ハンスは何とも言い難い表情でぼくを椅子から下した。ぼくは両手を広げてハンスへ抱っこを促す。
「……ご自分で歩くとおっしゃらないのですね?」
「……っ、じっ、自分で歩けますっ!」
 イェレミーアスに抱っこされるのが当たり前になってしまっている。これはよくない。だってぼくもう、一人で皇宮の中だって歩き切れますし!
「フレートに告げ口してはいけませんよ、ハンス!」
「……っ、はい」
 必死に笑いを堪えるハンスのズボンを掴んで歩く。先に修練場へ移動したジークフリードやイェレミーアスには、事業の関係書類を片付けてから合流すると伝えてある。昨日のお茶会からイェレミーアスは少し、元気がない様子だ。
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