まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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陰謀詭計のジングシュピール

第150話

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 冷たい地下牢で、ぼくは困惑していた。隣に立つフレートですら、言葉を失くしてぼくへちらりと視線を送った。
「ハハッ! ハハハッ! これほどに美しい造作を見たことがないぞ。貴様、フリュクレフの民だな。男か。惜しいな。女であれば今すぐに犯してやったものを」
 鉄格子を掴み、見せつけるために膨らんだ股間を押し付け、唾を飛ばす老人から遠ざけるようにフレートがぼくの前へ出た。ぼくは生まれて初めて、本気で人間を軽蔑した。侮蔑を隠すことすらできず、にやつく老人を覚えず見下ろす。
 「枯れ木のようだ」と思った。
 イェレミーアスたちがいなくなった混乱に乗じて、まともに食事も与えられていなかった様子だから当然と言えば当然だ。
 老いのせいだけではなくやつれ痩せさらばえ眼窩は落ちくぼんでいるが、その下卑た音をまき散らす顔には間違いなく見覚えがある。甘やかな色合いのピンクブロンド。アーモンド形に整った淡い勿忘草色の瞳。若い頃は甘い顔立ちの美形だったであろうことが、容易に読み取れる。熟れて蜜が滴りそうな美貌の面影。
 当然といえば当然だ。孫なのだから、似ている可能性はあった。しかし、これは。
 言い表せぬ不快感。飲み込んでも飲み込んでも、拒絶が胃を競り上がる。
「これ以上、その顔で汚い言葉をまき散らすのはやめていただけませんか」
「なんじゃ、それなりの育ちのようじゃな……。惜しい。まことに惜しいぞ。女だったなら甚振って悲鳴も泣き声も涙もじっくり味わってやったものを」
 じゅる、と耳を覆いたくなる水音を立てて舌なめずりした老人から、顔を逸らす。
 わざとだ。
 ああ。こいつは暴力を振るうことに快感を感じる、正真正銘のクズだ。「皇国の敵」と戦うことも、暴行することも、今ここでぼくをわざと嚇すことも、こいつにとっては等しく加害で暴力なのだろう。イェレミーアスが祖父に似ていると言われることを、侮辱と感じるわけだ。
 口元を押さえて吐き気を堪えた。脳が揺さぶられているかのような、酷い目眩が止まらない。親子でも、これほど似ることは難しいだろう。穏やかで優しいイェレミーアスに似た顔で、品のない笑みを浮かべる老人を見下ろす。
 ギーナが置いて行ったのだろうか。牢の脇に落ちていた、汚れた木製のフォークを拾う。
「ヒヒッ、それで何をする? ほれ、刺してみよ。フハハッ、ハハハッ」
 ぼくを侮ってわざわざ牢の格子から伸ばした腕へ、遠慮なくフォークを突き立てた。
「ヒヒッ! 痛くもかゆくもないぞ、小僧! ヒハッ……ッ、グッ……ッ! カハッ、……ッ! ……ッ!」
 やっぱり。たかが木製のフォークでも、ぼくが「武器」と認定したら麻痺の効果を付与できるんだな。
 仰け反り強張り、石畳へ倒れたライムントへ背を向ける。これ以上、ここで時間を過ごしたくなかった。
「あなたの品性が下劣で良かった。そのおかげで『顔が似ているだけ』だとすぐに理解できた。……あの人はそんな表情はしない」
 それでも、気分は最低だ。横穴から出る。井戸を上り、ルチ様が作ってくれたタウンハウスへの近道へ向かい森へ入る。
「死なない程度に管理してください。あれについては、病になっても治療は不要。病気で死ぬならそれがあの人の運命です」
 冷たく言い放ちながら頭の隅で考える。むしろ、生きていた方が回りにとっては迷惑だろう。少なくとも、イェレミーアスにとっては害にしかならない。そこまで浮かんで、首を横へ振る。
「いいや。言い訳だな。ぼくが生かしておきたくないだけか」
 直接手を下す覚悟はないけれど、生きていて欲しくはない。ただの卑怯者だ。
 ゼクレス子爵邸の地下牢には横穴が四つあって、四つの房には牢が五つという作りになっている。ギーナたちが捕まえていた囚人は四人。それから新しく連れて来たレームケ。レームケは三番目の牢に入ってもらっている。
 大事な証人は、死なないように加護が与えてあるから、死ねないし正気を失うこともできない。大事だけど自業自得だから、仕方ないよねっ。
「四番目の牢に三人、でしたね。その三人を二番目と三番目に移して、ライムントは四番目の房へ移してください」
「かしこまりました」
「くれぐれも、他の者に彼の存在を知られぬように。特にラウシェンバッハ親子には絶対に知られないようにしてください。四番目の房にはフレートとハンス以外、立ち入り禁止です」
「承知いたしました」
「それと」
「?」
 珍しく疑問を顔へ浮かべてぼくへ視線を送ったフレートへ肩越しに振り返る。
「死んだらそのまま、牢に放置しておいて。死体は腐らないように……できる? そう。……死体は朽ちないよう、精霊へお願いしたので」
「……かしこまりました」
 有能な執事は、疑問を飲み込み頭を下げた。再び顔を上げた時には、普段通りに押さえた表情の仮面をしっかりと纏っている。
 劇団と演劇場に関連して、マウロさんと相談したいことがある、と表向きは仕事を口実にぼくだけ皇宮からタウンハウスへ戻って来ている。実際、ぼくの決済を待つ書類がタウンハウスの自室に山積みになっていたので、涙目になった。
「じゃあ、劇場自体は少し内装を手直しするだけで済みそうですね。劇団員は完全に国外の人間で構成してください。平民向けの劇団は旅芸人の一座と冬の間だけ契約、紙芝居はなるべくお年を召した方の雇用をお願いします。それから、イェレ兄さまに紹介していただいた牧場との契約書はこれで。お相手に失礼のないようにしてください。レストランはダニーにメニューとレシピを最終確認してもらって、内装と食器はパトリッツィ商会で最高級のものを準備してください」
「……かしこまりました」
「あと、ヴェルンヘル様以外の各公爵家で小遣い稼ぎにミレッカーの情報を売ってくれる人間を一人ずつ、探してください」
「……シュレーデルハイゲン家、もですか」
「ええ。例外なく、ミレッカーについて調べて欲しい、という話に乗るような金に困っている輩で構いません。愚かで欲深そうならなおいいでしょう」
「……それは危険では?」
「ぼくがわざわざ他家の、しかも公爵家の人間を使っていると知られても構わないのです。むしろミレッカーにも、各公爵家の人間にも知られた方がいい。お願いします」
「かしこまりました」
 メモをしたため、きっちりと腰を折ったフレートが執務室から出て行くのを見送る。ぼくらが皇宮で過ごしている間に、本邸の建設は終了した。主人が不在でも優秀な執事のおかげで、着々と引越しが進んでいるようだ。なんかちょっと悔しい。
 机に広げた本邸の見取り図を眺める。ぼくの部屋は二階の西奥にするつもりだ。極星きょくせいの間という。極星の間の隣にイェレミーアスの部屋である、明星の間がある。西側の宵星の間は、空き部屋だ。ジークフリードとローデリヒの部屋は中央階段を挟んで反対の東側に準備する予定である。ちなみに三階は女性陣の部屋だ。
 本来なら、楽しい気持ちでこの見取り図をみんなで眺めていただろう。机の上へ広げた一通の手紙へ視線を送りふう、とため息を吐く。ノックの音に応えると、ハンスが顔を覗かせる。
「お呼びですか、スヴァンテ様」
「うん。ハンスにちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「はい。なんなりと」
「デュードアンデになるって、本当はあまりいいことではないのでしょう? ぼくに言いづらいことが、ありますよね?」
「……、さて、どなたがそのようなことをスヴァンテ様のお耳に入れたのでしょうか」
 お、大分フレートに似て来たな。一瞬目を大きく開いたが、感情を隠して頭を垂れたハンスのつむじを目路へ入れる。
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