『赦しの魔女』なので、復讐はしないと決めています

逢坂ネギ

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第12話 赦しの甘さ

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 村の酒場は大盛況だった。労働の疲れを癒すため。あるいは、単純に腹を膨らませるため。女給たちが忙しなくテーブルやカウンターの脇を歩く中、老いも若きも集まって、思い思いに話しながら酒とつまみを食らう。
 
 騒がしさは、明日への活気。生きるための憂さ晴らしだ。

「……でも、入り浸りなのはどうかと」

 リュネのつぶやきに、カイルは眉をひくりと上げる。漬物の野菜をぽりぽりと齧りながら、ゆったりと肘をついた。

「浸っちゃないさ。それに、俺はいつも酒は飲んでない。あんたに倣って、話を聞いてるだけ」
「何も頼まないのは、それはそれでお店の人に迷惑よ」
「話を聞いてると、おっちゃんたちからチーズとか酢漬けの野菜とかをもらう。時々肉もな。で、俺はありがた~く、それを頂くまでさ」

 ふふん。と口の端をにやりとさせるカイル。リュネが二の句に悩んでいると、隣のテーブルのおじさんが、すっぽ抜けそうな大声で話しかけてきた。

「魔女さま。このにいちゃん、悪いやつじゃないよ」
「そうそう。俺らのくだんねぇグチも聞いてくれるしさ。いいやつだよお」
「それに、こんなに細っこいんだ。食わせてやんねえと、って思っちまうし。あんま、怒らんでやってくれ」
「おう、ありがとうな。おっちゃんたち」

 カイルが手をひらりと振れば、男たちはひゃあと興奮したように声を上げる。彼の横顔はきらきらとまぶしく、男たちの興奮の中には、酒で説明のつかないものが混じっているようだった。
 
 リュネは呆れて、ジョッキの中のハーブティーを含んだ。
 彼が村に散歩に出て、遅くまで帰ってこないことは多々あった。食事をとらないことも。

(でもまさか、家々を渡り歩く野良猫みたいな真似をしてるとは……)

「つーわけで、ここの飯代も、おっちゃんたちが出してくれるらしい。よかったな、魔女さま。今日はメシを作らなくていい」
「……あなたって、かなり人たらしなのね。知らなかった」
「非常にムカつくが、この顔は相当使える。俺は、使える武器は全部使うタイプなんでね。女どもには使ってないだけ、温情だろ?」

(確かに、彼が本気を出したら村中の娘たちが喜んで貢いできそうだけど……)

 そこで女給がカイルの前にジョッキを置いた。隣の席から歓声が上がる。カイルの顔を見上げると、にやにやとした、どこか期待が滲む顔をしていた。

「……で、それは?」
「ワイン」
「お酒は飲まないんじゃなかったの?」

 リュネの指摘を無視して、カイルはくるくるとジョッキを回して見ている。

「飲んでみたかったんだ。それに、おっちゃんたちに『初ワインだ』って言ったら、奢ってもらえることになった。こういうのって、ガラスの入れ物に入ってくるんじゃないのな」
「ガラスは貴重だから。貴族ならともかく——」

 この村には、そんな容れ物はない。
 そう言う前に、カイルはぐいっとジョッキを傾けた。隣席の視線が、期待の色を込めてぴりぴり刺さる。
 が、

「苦っ……うえっ、渋くて酸っぱいな。なんだこれ……!」

 勢いよく器から顔を離したカイルに、男たちはどっと大笑い。そのうちのひとり、見える皮膚を全て真っ赤にした男が、ばんばんカイルの肩を叩く。

「そーかそーか、初めてだもんなあ。水割りでもキツかったかあ!」
「蜜酒! 蜜酒持ってきてもらおうぜ。なあ。あれなら、にいちゃんでもいけるだろ」
「肉食うか、肉! ほら、おっちゃんのあげような」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、男たちはカイルを輪に入れる。困惑しながらも食べたり飲んだり、カイルは楽しげで。恐らく、そういう所作や言葉に、男たちの心を掴むものがあるのだろう。

(まあ、うちじゃあ見られない光景ね)

 余った酢漬けを食べながら、リュネは静かに笑う。もみくしゃになって帰ってきたカイルが、不思議そうにくちびるを結んだ。

「……何笑ってんだよ」
「楽しそうだなって」
「……ひとりだけ外野から見てんのも、つまんねえだろ。ん」

 そうして渡されたのは、一杯のジョッキ。ついさっき、彼が飲んでいたそれは、まだ半分ほど赤い液体が満たしている。

「わたし、お酒は飲まないわよ」
「なんだよ、俺の酒が飲めないって言うのかよ」
「色々おかしいわ。あなた、酔っ払ってるのね」

 女給に水を頼み、リュネはしぶしぶ受け取る。ほんの少しだけ口に含んで——すぐにジョッキを彼に返した。
 
「ほぉー。魔女さまはゼータクな舌をお持ちで」
「好みじゃないってだけ」
 
「でもこれ、水割りなんだろ? あー本物も飲んでみてえなあ」

 カイルが伸びをしながら放つ。それに、男たちはけらけらと笑った。

「そりゃ春祭りまで待たないと無理だなあ」
「春祭り?」
「そうさ。今ワインは、美味くなるためにじっくり寝かしてんだ。それが明けるのが……ちょうどあのへんだ」

「そんな祭りあるのか? もっと暑くなってからじゃねえの」
「アル……北の方だとそうかもね。でもこの辺は、大体花が咲くころにやるわよ。冬を越えた感謝と、今年の豊穣を祈るお祭りなの」

 秋の豊穣祭と並んで、春祭りはこの村の二大イベントだ。近隣の村や街からの客や、旅人までやってくるほどに。
 アルノの領地とは違い温暖なこの土地では、春の訪れそのものをお祝いするのである。

「まあでも、本物のワインなんて、貴族さまにしか振る舞われないモンだけどなあ」
「舐めさせるくらいなら、ちょこっとくれぇ……ドンさんに頼んでみれば」
「いやいや、にいちゃんは水割りでも顔真っ赤になってるしな! そんなんじゃ、ひと舐めしただけでひっくり返っちまうぜ」
「……なんだとぉ?」

 男たちがまたけたけたと笑う。カイルが立ち上がったその瞬間、

「ふざけるな!!」

 何かが落ちたような騒音。それと、悲鳴。店の空気が一瞬で凍りつき、その頂点に向けられる。
 老人の胸ぐらを掴む男。慣れていないのか、感情が溢れているのか。その手は遠くからでも震えているのが見えた。

「……僕が、どんな思いであの店を守ってきたと」

 男は耐えかねるように、老人を突き放して店を出ていく。凍りついた空気が、ゆっくりと、さざめくように溶けだしはじめる。
 もちろん話題は、あの一幕。

「……あれ、パン屋のにいちゃんとオヤジさんだったな」
「あー、じゃあ、あれがオヤジさんか。老けたなあ。よく帰ってきたもんだ」
「あそこも色々あったもんなあ……」

「カイル」

 リュネは置いていたローブマントを被ると、お金を置いて席を立った。少しとろんとした彼の、琥珀色の双眸がリュネを見上げる。

「わたし、彼を追うから……あのおじいさんがどこか行かないか確認しといて」
「えっ」
「お願い」

 おい。引き止める声はざわめきの奥へ。リュネは熱気に満ちた店を飛び出した。

☆☆☆

「冷えない?」

 リュネは素焼きのカップを二つ持って、彼に近づいた。もうもうと湯気の上がるそれは、ついさっき買ってきたホットミルクだ。
 先ほど出ていった青年は、村外れの丸太に座ってくったりと項垂れている。そばかすの散った素朴な顔がリュネを見上げ、泣き出しそうにくしゃりと歪んだ。

「リュネ……いや、もうきみは『魔女さま』だったな」
「別に、どう呼ぼうがわたしはわたしよ」
「ううん。きみは立派な魔女だよ。先代だってそう言うさ。魔女さま」

 温かいミルクを飲みながら、ふたりは並んでぽつりぽつりと話をする。ちらつき始めた雪がひらひらと、髪や上着の肩に舞い落ちる。

「……なあ、あいつ、どの面下げて帰ってきたと思う?」

 青年の言葉は、強い感情を押さえつけているようだった。リュネはゆっくり顔を上げ、彼の横顔を見る。

「ここは俺の土地だから、住ませろって……ふざけんなよ。お前は、ずっと昔に出ていきやがったじゃねえか。僕や、母さんを置いて!」
「トマ」
「あいつのせいで、母さんは沢山働かなくちゃならなくって……それで死んでしまった。リュネだって、覚えているだろう?」

 知っている。ある日突然出ていった旦那を、ひとつも責めることなく働いた彼の母を。五人の子どもたちを立派に育て上げ、食わせていた彼女の姿を。
 流行病が彼女を連れ去ったとき、リュネは老婆と共に葬儀に参列した。その場に、彼の父親——彼女の旦那の姿はなかった。

 青年はもう湯気の立たないカップを握りしめ、言い聞かせるようにつぶやく。

「……『赦しの魔女』相手に申し訳ないんだけど。僕はあいつを許せない」
「……そうね」

 トマ。
 リュネはすとんと立ち上がり、彼の正面に立った。

「一度、ゆっくり家で休んでから考えてみたら?」
「えっ」
「奥さまと話したり、お子さんと遊んだりするの。その隙間に、ちょっとでもお父さまを感じたら、使ってない納戸なら貸せるって思えるかも」
「……でも」

 不快そうに眉を寄せる彼に、リュネは頭の雪を払ってやって続けた。

「今すぐ、なんて言わない。感情に任せて決めれば、きっと後悔することになる。だから……選ぶ猶予を、わたしはあなたにあげたい」

 彼の目が、ぱちぱちとまたたく。揺らぐ迷いの色を、それでも断ち切るように、彼は顔を強ばらせた。

「……そんなことで、僕の意思は変わらないよ。あいつのしてきたことと同じように」
「かもね。でも今、決定するのはよくないと思う。夜遅くて、雪がちらつくほど寒くて、あなたはカッカしている。違わない?」

「とりあえず今日は帰って、奥さまとお子さんにキスをして眠るといいわ。あなたが決断できるまで、お父さまには絶対に会わせないようにするから」
「……わかったよ。確かに、僕は今、冷静じゃないと思う」

 青年は立ち上がり、カップをリュネの手から取った。

「でも、冷静になっても選択肢は変わらないはずだよ。きっと」
「なら、冷静になってから聞かせてちょうだい」

 おやすみなさい。気をつけて。彼の家がある方に向かったのを見届けて、リュネは背を向けた。時間的に厳しいが……もしかしたら、まだ酒場にいるかもしれない。

(カイルなら、きっと……時間を稼いでくれてるはずだわ)

 走る。雪の粒がひたひたと顔にあたる。上がる息の中で、リュネは頬を紅潮させていた。
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