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五章 文明の魔王編
第1話 灰の都市
ジジッ……ブゥゥン……。
不規則に明滅する光と、壊れかけた換気扇が回るような、耳障りな駆動音。
肌に触れる空気は乾燥しきっており、鼻をつくのは、古い埃と、焦げた鉄のような匂いだった。
「……ん……ッ!?」
ミツキは、重たいまぶたを押し上げると同時に、弾かれたように上半身を起こした。
心臓が早鐘を打っている。
(……ここ、どこ!?)
視界に映ったのは、所々が剥がれ落ち、配線が剥き出しになった白い天井と、今にも消えそうな蛍光灯の頼りない明かり。
自分が寝かされていたのは、ギシギシと音を立てる硬いパイプベッドの上だった。
宿屋のふかふかのベッドじゃない。アイン・アル・ハヤトの爽やかな朝の匂いもしない。
あるのは、死んだような無機質な空気だけ。
ラーヴァナの言葉が脳裏に蘇る。
『本当の『文明』の絶望(リアル)を叩き込んでやるよ』
「……夢じゃ、なかったんだ」
ミツキは青ざめた顔で周囲を見渡す。
薄暗い部屋には、埃を被ったシーツに包まれて、数人の人影が横たわっていた。
「みんな……!?」
ミツキはベッドから転げ落ちるようにして駆け寄る。
「ルーク! エリシェヴァ! 起きて!」
肩を揺さぶると、ルークがうめき声を上げ、猛禽のような速さで跳ね起きた。
「……ッ! 何だ!?」
ルークはまだ焦点の合わない目で、反射的に腰の剣へと手を伸ばし、そのまま周囲を威嚇するように睨みつけた。
「敵襲か!? いや、ここは……?」
彼女は自分の手を見て、次に見知らぬ天井を見上げ、最後にミツキの顔を見て凍りついた。
「……ミツキ、君もいるのか? ここは宿屋じゃ……」
「きゃあああっ!?」
悲鳴が上がった。
隣のベッドで目覚めたライラが、パニックを起こしてシーツを被り、震えている。
「ここどこですか!? 暗い……怖いよぉ……!」
「ライラ、落ち着いて! 私よ!」
エリシェヴァが慌ててライラを抱きしめるが、彼女自身の顔色も蒼白だった。
「魔力反応がない……。それに、この壁……石でも木でもありません。ツルツルしていて……まるで氷のように冷たい……」
エリシェヴァは異様な部屋の造りに戦慄し、ルークに視線を送った。
「ルーク、私たちは……眠っている間に連れ去られたの? 誰にも気づかれずに……?」
「……ありえない」
ルークがギリリと歯噛みする。
「僕は浅い眠りだったし、ヴィクラム殿が結界を張っていたはずだ。それをすり抜けて、全員まとめて拉致するなんて……」
「お父様……?」
その時、セレスティアがふらりと起き上がった。
彼女は周囲を見渡し、そして顔色を変えて叫んだ。
「お父様!? お父様、どこですか!?」
狭い部屋の中、ベッドは五つしかなかった。
ミツキ、ルーク、エリシェヴァ、ライラ、セレスティア。
――ヴィクラムの姿だけがない。
「いない……! お父様だけいないわ! どうして……!」
セレスティアが取り乱し、出口へと駆け出そうとする。
「待ってセレスティアさん! 不用意に出ちゃダメ!」
ミツキが慌てて彼女を止める。
「落ち着いてみんな! ……たぶん、ここは『サントーン・カーシャヘル』だ」
「えっ……?」
全員の動きが止まる。
「サントーン・カーシャヘル……? ラーヴァナの都か?」
ルークが疑わしげに問う。
ミツキは意を決して、夢の中で起きたことを詳細に語り始めた。
「うん。……いつもの翁の夢だと思ってたの。いつもの花畑で、いつものように翁と話せると思ってたんだけど……違った」
ミツキは、夢が浸食された時の恐怖を思い出しながら続けた。
「ラーヴァナだったの。あいつ、翁との通信に割り込んできて……これは罠だったんだ。あいつが無理やり、あたしたちをここに連れてきたんだよ。『お前らを隔離(かくま)ってやる』って……」
「隔離……? どういうことだ?」
ルークが眉をひそめる。
ミツキは、夢で聞いた不穏な真意を、隠さずに伝えた。
「『ヴィクラムの魔手から守るため』だって」
「ヴィクラム殿から……守る?」
セレスティアが信じられないという顔で首を振った。
「お父様から守るなんて……どういうことですか? お父様は私を助けるために……」
「ごめん、セレスティアさん。でも、ラーヴァナははっきり言ってた」
ミツキは辛そうに、しかしはっきりと告げる。
「あいつ、ヴィクラムさんのことを『クソ親父』って呼んでた。セレスティアさんを利用して、何かとんでもないことを企んでる……ヴィクラムさんと一緒にいたら、骨の髄まで利用されて捨てられるぞって」
「……!」
「だから、これは『慈悲』なんだって。あたしたちをヴィクラムさんから引き離すために、あえてこんな強引なことをしたんだと思う」
場に、重苦しい沈黙が落ちた。
信じがたい話だ。あの献身的な父親が、娘を利用しているなどと。
だが、現実にヴィクラムだけがこの場におらず、ミツキたちがこうして拉致されている事実が、ラーヴァナの言葉の重みを裏付けていた。
「……とにかく」
ルークは複雑な表情を浮かべながらも、剣を抜いて扉の前へと歩み寄った。
「ラーヴァナの言葉が真実か、ヴィクラム殿が潔白か。……それを確かめるためにも、まずはここを出るぞ。じっとしていても始まらない」
扉の横にある操作パネルは壊れて火花を散らしている。
「退がってくれ」
ルークが剣の切っ先を扉の隙間にねじ込み、渾身の力でこじ開けた。
ギギギギギッ……!
錆びついた金属が悲鳴を上げ、重い扉がわずかに開く。
その隙間から流れ込んできたのは、饐えたような古い空気と、圧倒的な「廃墟」の気配だった。
一行は息を呑み、その外の世界へと踏み出した。
建物の外に出た瞬間。
一行を待っていたのは、言葉を失うほどの「喪失」の光景だった。
「……な、なにこれ……」
ライラが口元を押さえる。
そこには確かに、巨大な都市の残骸があった。
天を衝くようにそびえ立つ、ガラスと鋼鉄の巨塔(ビルディング)。
かつては陽光を反射して輝いていたであろうその摩天楼は、今は無残にひび割れ、窓ガラスの大半が砕け散っている。
剥き出しになった鉄骨は赤錆に覆われ、巨大なビルの残骸が、墓標のように林立していた。
建物と建物の間を縫うように架けられた透明なチューブは途中で折れ、中を通っていたはずの乗り物が、地面に落下して鉄屑と化している。
足元のアスファルトはひび割れ、その隙間からは、この異界特有の「灰色の植物」が這い出し、文明の残骸を侵食していた。
そして、空。
赤紫色の靄(もや)がかかった空には、太陽も星もなく、時折デジタルノイズのような亀裂が走っては、不気味な稲妻を落としている。
「……これが、ラーヴァナの都……?」
セレスティアが呆然と呟く。
魔法文明の極致と聞いていた場所。だが目の前にあるのは、数百年という時の中で風化し、死に絶えた廃墟だった。
「……静かすぎる」
ルークが剣を構えたまま、戦慄したように呟く。
「これだけの建物があって、人の気配が……微塵もしない。誰もいないのか?」
風がビル風となって吹き抜け、剥がれかけた金属板がカラン、カランと虚しい音を立てる。
ここは、時が止まったまま朽ち果てていく、機械たちの墓場だった。
「……『永遠を求めた成れの果て』。……こういうことだったんだ」
ミツキは、朽ちた信号機を見上げながら呟いた。
科学が発達し、空に届く塔を建てても、結局残ったのは錆と瓦礫だけ。
その時だった。
「……待って。あそこ」
ミツキが、街の中心部を指差した。
瓦礫の山の上に、周囲の摩天楼さえも平伏させるほどの威容を誇る、巨大な宮殿が鎮座していた。
それは、古代の神殿のような荘厳な造形と、未来的な金属の装甲が融合した、異様な城塞だった。
死に絶えた灰色の街の中で、その宮殿だけが血管のように赤い光を明滅させ、低い駆動音を響かせている。
まるで、この死んだ都市の心臓のように。
「……あそこからだけ、微かに……『人の気配』がする」
ライラが目を細めて言う。
「人の気配……?」
エリシェヴァが問い返す。
「うん。この街は死んでるけど、あの宮殿にだけは、生きてる誰かがいる気がするの」
「……生存者がいるのか?」
ルークが宮殿を睨み据える。
「行ってみよう。確かめるしかないよ」
一行は警戒を強めながら、瓦礫が散乱する大通りを、中心部の宮殿に向かって歩き始めた。
――――
大通りを進むにつれ、その異様さはさらに際立っていった。
「……これは」
エリシェヴァが、道の両脇に並ぶ鉄の塊を指差した。
四つの車輪がついた、鉄の箱。
それらは規則正しく列をなし、道路を埋め尽くしたまま、赤錆にまみれて朽ち果てている。
「馬車……にしては、馬を繋ぐ場所がないな」
ルークが、窓ガラスの割れた運転席を覗き込む。中にはボロボロになったシートと、乾燥した革のハンドルだけが残っていた。
「コレは自動車だと思う」
ミツキが小さく答える。
「人間が乗って、自分で動く乗り物。私が元いた世界にもあったの。……見て、渋滞したまま止まってる」
道路を埋め尽くす車の列。
それはまるで、ある日突然、運転していた人々が一斉に蒸発してしまったかのような、不自然な静止状態だった。
「逃げる暇もなかったのか……あるいは、何らかの理由で、命だけが消えたのか……」
ルークの推測に、全員が言葉を失う。
さらに歩を進めると、道端にはかつての生活の痕跡が散らばっていた。
ガラスが割れ、中身が空っぽになった巨大なショーウィンドウ。
文字が消えかけた看板。
そして、道端に佇む長方形の鉄の箱。
「……これは?」
ライラが、その箱――自動販売機に近づく。
かつては極彩色で彩られていたであろう塗装は剥げ落ち、取り出し口には砂が詰まっている。
「お金を入れると、飲み物が出てくる箱なんだけど……」
ミツキが試しにボタンを押してみるが、当然、反応はない。
ただの冷たい鉄屑だ。
アイン・アル・ハヤトで見た、素朴で活気ある市場とは対極にある、便利さと豊かさの残骸。
「……あ」
ふと、エリシェヴァが足を止め、地面に落ちていた何かを拾い上げた。
瓦礫と砂埃の中に埋もれていた、小さな物体。
「……これは人形?」
それは、プラスチックでできた子供用の人形だった。
熱で溶けたのか、あるいは経年劣化で変質したのか、顔の半分が崩れ、手足がもげている。
だが、木や布の人形と違い、数百年経っても腐ることなく、不気味なほど鮮やかなピンク色を保っていた。
「……腐らない素材」
エリシェヴァは、その人工的な感触に寒気を覚え、思わず人形を取り落とした。
カラン、と乾いた音が響く。
「ここには昔、たくさんの人が住んでいたはずです。これだけの建物を作って、こういう道具を使って……」
セレスティアが、周囲の廃墟を見渡して震える声で言った。
「その人たちは、みんなどこへ行ってしまったんでしょうか……? 骨すら、残っていないなんて……」
ミツキは、道路に転がるプラスチック片や、風化しないゴミの山を見た。
物は残る。けれど、命だけが消え去る。
(……一体、この街に何があったの?)
かつて栄華を極めた都市は、住人をすべて失い、ただの巨大なゴミ捨て場として、静かに朽ち果てていた。
ヒュゥゥゥ……。
ビル風が吹き抜け、錆びついた看板を揺らす。
その音は、死に絶えた都市の嗚咽のように、一行の耳にこびりついた。
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