転生したら魔女狩りの世界だった件。嫌なので全力で抗います〜絶望少女と魔王達〜

なないろすらいむ

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五章 文明の魔王編

第10話 お菓子な世界

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鼻孔をくすぐったのは、脳が溶けそうなほど濃厚な、甘ったるい香りだった。
 焦がしたバターとバニラエッセンス。
 煮詰めたフルーツと、たっぷりの蜂蜜。
 そして、胸焼けしそうなほど大量の砂糖の匂い。
 
「……ん、ぅ……」
 
 ライラは重いまぶたをこすりながら、身体を起こした。
 背中には、ふかふかとした柔らかい感触がある。
 かつてザビール家で寝かされていた固い石の床とも、ルークたちが用意してくれた寝袋とも違う、不思議な感触だった。
 ライラは無意識に、その「地面」を手で触ってみた。
 
「……べとべとする」
 
 指先についたクリームのようなものを、恐る恐る舐める。
 舌の上でとろりと溶けたのは、極上の生クリームと、スポンジケーキの味だった。
 
「……え?」
 
 ライラはぱちくりと瞬きをして、周囲を見渡した。
 そして、その光景を目にした瞬間、ぽかんと口を開けて固まった。
 
「なんなの、これ。絵本、みたい……」
 
 そこは、かつて奴隷だった時に親友のアーリヤと一緒に、大人に見つからないように隠れて眺めた、ボロボロの絵本の中に描いてあったような世界だった。
 空は絵の具で塗りつぶしたような鮮やかな水色で、雲はピンク色の綿菓子。
 
 ライラが寝ていた大地は、見渡す限りの巨大なパウンドケーキ。
 遠くに見える森の木々は、ねじれた飴細工や、チョコレートで出来ている。
 さらさらと流れる川は透き通ったジュースのようで、川岸には色とりどりの金平糖が砂利のように輝いていた。
 
「夢、なのかな……。でも、匂いがすごいし……」
 
 ライラは立ち上がろうとして、足元のスポンジに少し足を取られた。
 きょろきょろと周囲を確認するが、誰もいない。
 いつも優しくしてくれるルークも、元気なミツキも、エリシェヴァの姿もない。
 この甘くて不思議な世界に、ライラはたった一人、放り出されていた。
 
「……ルークさん? ミツキさーん?」
 
 大きな声で呼んでみたが、返事はない。
 ただ、甘ったるい風が吹き抜けるだけだ。
 
「……っ」
 
 急に心細くなり、ライラはぎゅっと自分の服の裾を握りしめた。
 
 怖い。
 
 奴隷だった頃に閉じ込められていた、暗くて寒い倉庫とは違う。ここは明るくて、甘くて、可愛い世界だ。
 
 だが、だからこそ「異常」だった。
 
 ライラは文字こそ読めないが、「見たもの」を完璧に記憶する才能を持っている。
 さっきまでの暗い遺跡と、このお菓子の世界。
 あまりにも脈絡がなく、作り物めいたその景色は、まるで誰かが悪ふざけで作った「嘘の箱庭」のように見えた。
 
(……泣いちゃだめ。私は、アーリヤの分まで生きるって決めたんだ)
 
 ライラはふるふると首を振り、瞳に滲んだ涙をこらえた。 ここでじっとしていても、誰も迎えに来てはくれない。
 自分で歩いて、ルークたちを探さなければ。
 
「……あっちに、森がある。誰かいるかも」
 
 ライラは、毒々しいほどカラフルなキャンディの森の方を見つめた。
 甘い匂いに少しだけ吐き気を覚えながら、彼女は勇気を出して、柔らかいケーキの大地を一歩踏み出した。

 森の中は、外よりもっとひどい匂いだった。
 木々の幹はチョコレート、枝葉はグミやキャンディ。
 足元の草は細く切った緑色の紙砂糖でできていて、歩くたびにカサカサと乾いた音がする。
 
「歩きにくいな。靴がベトベトする」
 
 ライラは顔をしかめながら、ねじれた飴細工の枝を手で払いのけた。
 
 手のひらが少しベタつく。
 奴隷だった頃、ご主人様が食べていた豪華なお菓子に見惚れていた事があったが、こんなふうに実際に「ぜんぶがお菓子の世界」を目の当たりにすると、ちっとも嬉しくない。
  むしろ、虫になったみたいで気持ち悪いだけだ。
 
「……ん?」
 
 ふと、甘い風に乗って、何かが聞こえてきた。
 風の音じゃない。
 楽しげな、高い声。笑い声だ。
 
「誰かいる……?」
 
 ライラは足を止め、息を潜めた。
 ルークたちだろうか? いや、違う。
 もっと幼い、鈴を転がすような女の子たちの声だ。
 
(……なんで、こんなところに子供がいるの?)
 
 ライラは警戒心を強め、音のする方へと慎重に近づいた。
 巨大なビスケットの岩陰に身を隠し、そっと様子をうかがう。
 そして、森が開けたその場所を見て、ライラは目を見開いた。
 
「……なに、あれ」
 
 そこは、森の中の広場になっていた。
 その中心に建っているのは、誰もが子供の頃に夢見るような「お菓子の家」。
 壁は分厚いジンジャーブレッド、屋根には真っ白なアイシングとカラフルなマーブルチョコが瓦のように敷き詰められている。
 煙突からは、甘いバニラの香りの煙がもくもくと上がっていた。
 けれど、ライラが注目したのは家ではない。
 その家の前の庭に置かれた、長いテーブルだ。
 真っ白なクロスがかけられたテーブルの上には、山のようなケーキやマカロン、クッキーが所狭しと並べられている。
 
 そして、その周りには――。
 
「……女の子?」
 
 十人くらいの少女たちが、優雅にお茶会をしていた。
 年齢はライラと同じくらいか、少し下くらい。
 みんな、どこかの貴族のお嬢様みたいに、フリルのついた綺麗なドレスを着ている。
 
「おいしいねぇ」
 
「こっちのタルトも素敵よ」
 
「おかわりはいかが?」
 
 キャハハ、ウフフと、無邪気な笑い声が響く。
 彼女たちはフォークでケーキを切り分け、紅茶を飲み、まるでここが王宮の庭園であるかのように振る舞っている。
 異常だった。
 こんな得体の知れない森の奥で、子供だけでお茶会なんて。
 それに……。
 
(……あの子たち、誰? 見たことない顔ばっかり)
 
 ライラは自身の過去の記憶を辿った。
 街で見かけた子でも、同じ奴隷の子供たちでも、ザビール家のパーティーに来ていた客でもない。
 全員、顔立ちは整っているけれど、どこか血の通っていない人形みたいに、肌が白すぎる気がする。
――まるで死人の様だ。
 
「ルークさんたちは、いない」
 
 ライラは唇を噛んだ。
 関わらない方がいい気がする。
 でも、ここがどこなのか、出口はどこなのか、聞ける相手はあの子たちしかいない。
 
「……行くしかないよね」
 
 ライラは覚悟を決めると、隠れていた岩陰からゆっくりと姿を現した。

 ライラは息を潜め、お菓子の家の陰から様子をうかがった。
 甘い香りが充満する庭で、十人の少女たちがテーブルを囲んでいる。
 みんな、ふわふわのドレスを着て、綺麗な髪をして、まるでお人形さんみたいだ。
 
(……変なの。ここ、屋敷の外だよね? なんでこんな子供たちがいるの?)
 
 ライラは目を細めて、じっと観察した。
 年齢は、ライラと同じか、もう少し下くらい。
 楽しそうにケーキを食べ、紅茶を飲んでいるけれど、その光景には奇妙な「違和感」があった。
 
 ――汚れひとつ、ないのだ。
 
 この森は、木も地面もお菓子でできている。
 ここに来るまで、ライラの靴や服はクリームや砂糖でベトベトになった。
 なのに、あの子たちのドレスは真っ白で、泥はねひとつ、クリームの染みひとつついていない。
 まるで、この空間から「浮いている」みたいに。
 
「……あら、新しいお友達?」
 
 ドキリとした。
 気づかれないように隠れていたはずなのに、テーブルの端に座っていた一人の少女が、真っ直ぐにライラの方を見ていた。
 
「!!」
 
 ライラは短剣がないことを悔やみながら、警戒して身構える。
 すると、他の九人の少女たちも一斉に振り返った。
 その動作は、気味が悪いほど揃っていた。
 
「まあ! 本当だわ!」
 
「お客様よ!」
 
「いらっしゃい!」
 
 少女たちは花が咲くように笑い、手招きをした。
 敵意は感じられない。けれど、その笑顔はどこか張り付いたように完璧すぎた。
 
「……貴方たち、誰?」
 
 ライラは木陰から出て、警戒しながら問いかけた。
 少女の一人――金髪の巻き毛の子が、鈴を転がすような声で答える。
 
「私たちは、パパの宝物よ」
 
「パパ?」
 
「そう、パパ。とっても優しくて、偉いパパ」
 
「私たちはここで、パパがお迎えに来てくれるのを待ってるの」
 
 少女たちは口々に「パパ」を褒め称える。
 ライラは眉をひそめた。
 パパって誰だ? この奇妙な世界を作った主人のことだろうか。
 
「……ふーん。ここは何処なの? 出口はどっち?」
 
 ライラが尋ねると、少女たちはキョトンと顔を見合わせた。
 
「出口?」
 
「ここから出るの?」
 
「どうして? ここはとっても素敵なのに」
 
「そうよ、お菓子はいっぱいあるし、ドレスも汚れないし、痛みもないわ」
 
 一人の少女が、フォークに刺した真っ赤なイチゴのケーキを差し出してきた。
 
「あなたも食べましょう? これを食べれば、ずっとパパの良い子でいられるわよ」
 
 その甘い誘いに、ライラのお腹がぐぅ、と鳴った。
 そういえば、ここに来てから何も食べていない。目の前のケーキは、宝石みたいにキラキラしていて、とてつもなく美味しそうだ。
 奴隷時代、屋敷のゴミ捨て場で拾ったパンの耳をかじっていたライラにとって、それは夢のようなご馳走だった。
 ――でも。
 
(……駄目だ。食べちゃ駄目)
 
 ライラの本能が、警鐘を鳴らしていた。
 この子たちの目は、笑っているのに、奥が笑っていない。
 それに、あの子が言った言葉。
 
 『痛みもないわ』
 
 生きている人間なら、転べば痛いし、ドレスだって汚れる。
 それが「ない」ということは……。
 
「……いらない。私、甘いものは嫌いなの」
 
 ライラは嘘をついて、一歩後ずさった。
 すると、少女たちの笑顔が、フッ、と消えた。
 十人の少女が、無表情でライラを見つめる。
 
「嫌いなの?」
 
「パパがくれたのに?」
 
「パパの愛を、拒むの?」
 
 空気が凍りついた。
 華やかなお茶会の場が、一瞬にして冷たい霊安室のような静寂に包まれる。

 「に、逃げなきゃ……!」
 
 ライラが背を向けようとした、その時。
 
 ――グゥゥゥゥゥ……。
 
 張り詰めた空気を切り裂くように、ライラの腹の虫が盛大に鳴り響いた。
 それは、自分でも顔から火が出るほど情けない、限界を超えた空腹の訴えだった。
 
「…………あ」
 
 ライラの動きが止まる。
 少女たちの凍りついたような無表情が、ふわりと緩んだ。
 彼女たちは顔を見合わせ、クスクスと笑い出した。
 
「ふふっ、お腹が空いているのね」
 
「やっぱり、食べたかったんじゃない」
 
「無理しちゃって。かわいそうに」
 
 少女たちの殺気が消え、再び甘ったるい「優しさ」が戻ってくる。
 一番近くにいた金髪の少女が、フォークに刺したままの真っ赤なベリーのタルトを、ライラの鼻先に突き出した。
 
「さあ、どうぞ。とっても甘くて、おいしいわよ」
 
 鼻腔を直撃する、バターと砂糖、そして甘酸っぱい果実の香り。
 ライラの喉が、ゴクリと鳴った。
 
(……駄目だ。食べちゃ駄目……)
 
 理性が警鐘を鳴らす。
 
 この世界で出されるものを食べてはいけない。食べたら、何かが終わってしまう。
 何の根拠もないが、本能がそう訴えて来る。
 ライラは必死に首を振ろうとした。
 でも。
 奴隷時代から染みついた「飢え」の恐怖が、理性を凌駕する。
 目の前には、夢にまで見た最高級のお菓子がある。
 一口だけ。毒見だと思って、一口だけなら。
 
「……一口、だけ」
 
 ライラは震える手で、差し出されたタルトを受け取ってしまった。
 少女たちが、ニタリと笑みを深める。
 ライラはタルトを口へと運んだ。
 サクッ、という心地よい音と共に、カスタードクリームと果汁が口の中に溢れ出す。
 
「――ッ!?」
 
 衝撃だった。
 美味しい。美味しいなんて言葉じゃ足りない。
 脳みそが痺れるほどの甘味。とろけるような食感。
 空っぽだった胃袋に、熱い幸福が流れ込んでいく。
 
「ん、ぁ……っ」
 
 気づけば、ライラは二口目を食べていた。
 あっという間にタルトはなくなり、彼女はテーブルに身を乗り出した。
 
「もっと……ある?」
 
「ええ、もちろん!」
 
「いっぱい食べて!」
 
「パパが用意したお菓子はおいしいでしょう?」
 
 少女たちが次々と皿を差し出してくる。
 チョコレートケーキ、マカロン、焼き立てのクッキー、蜂蜜たっぷりのパンケーキ。
 
 ライラは貪り食った。
 
 手掴みでケーキを掴み、クリームで顔を汚しながら、獣のように胃袋へ詰め込んでいく。
 
「おいしい、おいしい……!」
 
 満腹中枢が麻痺していく。
 ザビール家でカビの生えたパンを奪い合っていた惨めな記憶が、砂糖の甘さで塗りつぶされていく。
 
(ああ、幸せ……。もう、ここから出なくてもいいかも……)
 
 思考が飴細工のように溶け、ドロドロに濁っていく。
 ライラは貪り食った。
 手掴みでケーキを掴み、クリームで顔を汚しながら、獣のように胃袋へ詰め込んでいく。

 そんなライラを囲みながら、少女たちは優雅に紅茶を啜り、楽しげにお喋りを続けていた。
 
「ねえ、知ってる? 昨日の雲は、銀色のナイフの味がしたわ」
 
 金髪の少女が、うっとりとした顔で呟いた。
 すると、隣の少女がクスクスと笑って答える。
 
「ええ、知ってるわ。だから私は、金色の糸で時間を縛ったの。三回結んで、二回切るのよ。そうしないと、中身がこぼれちゃうもの」

 「そうそう、パパは『青い木の実』しか欲しくないの。だから『赤い木の実』は、潰してジュースにするしかなかったのよ」
 
「まぁ、とても悲しいわ。だから王様は腕を切り落としたのね。そうしないと死んでしまうから」
 
「そしてパパは言ったわ。三日月は針で滅多刺しにしないと、綺麗な夢が見られないって」
 
 ライラの手が、ふと止まった。
 口いっぱいにケーキを頬張りながら、彼女は瞬きをした。
 
(……え? なに?)
 
 言葉は聞き取れる。
 でも、意味がわからない。
 銀のナイフの味? 腕を切落とす? 針で滅多刺し?
 
「ねえ、あなた」
 
 不意に、正面に座っていた少女がライラに話しかけてきた。
 その目はキラキラと輝いている。
 
「あなたの『昨日』は、何色だった? 私はね、ドロドロのチョコレートの様な茶色だったの。だからスプーンですくって床に埋めたのよ」
 
「え……?」
 
 ライラは飲み込めないケーキを喉に詰まらせそうになった。
 何を言っているんだろう。
 冗談? それとも、貴族の間で流行っている詩の遊び?
 
「あら、いけない。この子の『昨日』はまだ焼けてないわ」
 
「そうね、生焼けだわ。暖炉に入れなきゃ」
 
「何度で焼く? 百度? 千度?」
 
「いいえ、魂が焦げるまでよ」
 
 少女たちは顔を見合わせ、楽しそうに笑い合った。
 会話が成立していない。
 
 まるで、壊れたレコードを何枚も同時に再生しているみたいだ。
 脈絡がなく、支離滅裂で、それでいて底知れない「狂気」だけが共通している。
 
「あは、あははは! 魂が焦げるまでだって! おかしいの!」
 
 少女たちが一斉に笑い出した。
 その笑い声は、鈴を転がすように愛らしいのに、ライラの耳にはガラスを爪で引っ掻いたような不協和音に聞こえた。
 
(……おかしい。変だ。この子たち、どこか壊れてる)
 
 砂糖漬けになったライラの脳みそが、遅まきながら警報を鳴らし始めた。
 この空間は「平和」じゃない。
 もっと恐ろしい、理解できない何かに満ちている。
 
「ごちそう、さま……」
 
 ライラは食べかけのケーキを皿に戻し、震える声で言った。
 もう、食べられない。
 甘いケーキが、急に泥か何かのように思えてきた。
 
「あら、もういいの?」

「お腹いっぱい?」
 
「じゃあ、次は『処刑』の時間ね」
 
 少女の一人が、唐突にそう言った。
 あまりにも自然な口調だったから、ライラは最初、聞き間違いかと思った。
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