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第一章【少年よ冒険者になれ】

1・辺境アイテム屋のお坊ちゃん

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 木枠でできた小窓から差し込む光が右頬をくすぐる。いつも通りに少年は目を覚ます。彼の祖父が二ヶ月前に作ってくれたベッドは絶品で、彼の深い眠りに大いに役立っていた。軽く伸びをしたり茶色くパーマがかかった髪をポリポリとかいたり、しばし最高のベッドとの別れを惜しむ。
 しばらくして、少年は大きな欠伸の終わりを勢いにして、相変わらずギシギシとよく鳴く木製の階段を下りていく。

「おお、テレス、起きたか」

 爺さんの朝はどの世界でも早い。一年中、太陽と競争しているようなものだ。

「おはよう、メレス爺。今、支度しちゃうね」
「ああ、頼んだよ。テレスの飯は絶品だからな」

 朝食作りはテレスの仕事だ。とはいっても、早起きの爺さんが山菜を積んでおいたり、肉や魚をある程度さばいてくれているので、仕事といえば味付けや調理くらいのものなのだが。しかし、それこそが彼の特殊な能力の見せ所なのである。
 米を炊く用の土鍋が蒸気をあげている。しかし彼にはそれ以外のものが見えている。
 ――うん、赤いオーラが今の二倍になったら頃合いだ。あと、五分くらいかな? 魚は……この青い光の筋に沿って切ると口当たりがよくなるぞ。と、こういう具合である。
 そう、彼には物質がもつオーラが色や形で判別できるのだ。料理はもちろん経験が必要なのだが、このスキルのおかげで彼の料理の腕は日々上達をしていった。今や本人や爺さんからしても、人生で何か失敗をしても料理でどうにか生きていける、という自信を持つまでになっていた。そしてそれは、この質素な食事を楽しむのに大いに役立っている。

「いやあ、やはりテレスの飯は絶品だな」

 大げさに爺さんが喜ぶ。ただ、そう言わせるくらいよくできた食事であるのも事実であった。

「メレス爺の飯もうまいけれどね。さすが、アイテム一筋45年」
「はっはっは。しかし、わたしがみられるのはアイテムの効果や品質のみ。比べてテレスは色や光でその潜在能力を深くまで探ることができる。これは世界中探しても、誰もできないことなんだ」
「うん。まあ、爺さんの孫だからね。血筋だね血筋。メイカー家の、さ」

 少年は少々複雑な表情で照れてみせる。この能力自体の有用性は自身も認めるところだが、この世界で立身出世を望むには、あまりにもな能力であった。

「その能力はこの村や周りの集落でもすこぶる評判がいい。だからな」
「爺さん」

 メレス爺さんの言いたいことを、少年は深く理解していた。毎日これに近い話をされているのだから当然といえば当然か。つまりは、爺さんはこの店を継いでほしいのだ。それは自身が一から始めたこのアイテム屋が大事なだけではない。孫を思いやってこそ出てくる提案であった。

「若いうちはさ、色々チャレンジしなきゃ。町で働きながら勉強もしたいし。それからでも遅くはないでしょ?」
「う、うむ。それは、大事なことだな、うん。だが、大きな怪我などするなよ」
「大丈夫。別に冒険者や騎士になるわけじゃないんだし」

 いつも通りの話で食事が終わる。爺さんが彼を心配する気持ちは決して過保護ではなかった。現在でも小型~中型の魔物とはそれなりに出くわすし、人気のないところでは盗賊と鉢合わせることも少なくない。さらに言えば、テレスの両親、つまりはメレス爺さんにとっての息子とその妻は、テレスがまだ幼い頃に旅へ出て、そのまま帰ってこなかったのだ。どこか他の国で暮らしている可能性を信じたいところだが、それはない。何故なら、世界で国は、ここ一つだけなのだから。

 彼らが住むカーデルト王国は、この世界にたった一つの王国だ。もちろん、わかっている限りは、の話ではあるが。そのカーデルト王国が建国されたのもわずか約300年ほど前。それまでは村や町、砦などが点在していて、人間以外の魔族も存在するなど、様々な小競り合いが頻繁にあったそうだ。
 現在は城と城下町を中心として栄え、そこから遠ざかれば遠ざかるほど自然が多くなり、人口密度は少なくなる。さらに外縁部へ進むと、徐々に傾斜がつき山の民や鉱山の関係者をのぞくとほとんど人の姿はなくなる。そしてそれは簡単に登ることのできない山脈となり、それがほぼ円形に縁どっているのだ。
 約150年ほど前に、探検隊が数か所登山したそうだ。それは過酷を極めた探検になったが、ついに彼らは山頂へたどり着いた。が、その先には何もない世界がただただ広がっていた。
 それから何十年かに一度の割合で、この探検記録を信じない者たちが挑戦しているのだが、結果はいつも一緒であった。
 つまり、この世界にはカーデルト王国以外は存在しない。これがこの世界の常識であった。
 この国の偉い学者たちの認識によると、この世界は円形の皿の上にあって、それが何もない空間に浮かんでいるらしい。その証拠に、夜空に浮かぶ星々は全て円形なのである。

 そんな世界の中で、王国は現国王ミル・カーデルトを中心とし、位の高い貴族が持つ各騎士団が守りや治安維持を務め、自分の領土での生産を指揮し、一部を税として国に納めている。テレスが住んでいるのは南側にあるストロス伯爵の領地の中で、その中でもさらに南の田舎に位置する、少し傾斜が始まりつつある地域である。因みにストロス伯爵は、若く気品を持った人物とされている。少々大人し過ぎるのが玉にきずではあるが、民たちにとっては接しやすく尊敬しやすい人物であろう。

「じゃあ、メレス爺、行ってくるよ」
「ああ、気を付けて行くんだぞ。できうる限り街道からは外れるなよ」
「わかってるって」

 家の外に出た少年は、荷車に次々と商品を運び込む。この台車も爺さんが作ったものだ。車輪が木で出来ているが、丈夫でバランスもいい。隠れた名品と言える品物だ。
 以前は爺さんが一人で街へと納品や買い出しに赴いていたが、数年前からはテレスがついてくるようになり、最近では本人からの申し出で一人でこの仕事をこなしている。

 これは三か月に一度の決まった仕事で、いつも通りのことだ。だがこの小さな旅から、少年の運命は大きく変わっていくことになる。
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