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第一章【少年よ冒険者になれ】

3・厚い雲。危険なヤナギモリ

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 ヤナギモリの手前、そこには名前もない集落がある。安宿が三軒と、農家と酪農家が点々と住んでいる。街道沿いにあるこうした集落の中には、場所によっては賑わっているが、ここは静かで閑散としている。こういった場所で栄えているのは、大きな鉱脈が見つかった道か、今まさに人気のダンジョンがあるかのどちらかである。残念ながら、ここはそうした人気はない。ヤナギモリは十年程前に、国からの要請で冒険者たちによって調べられたが、道から外れると中型のモンスターが出没するうえ、ダンジョンはおろか有用な薬草すら見つからず、途中で断念された。この森自体は街道に対して横に長く伸びているので、まだまだ調べつくされてはいないが、好んでここにくる者は少ないのだ。
 そんな小さく静かな集落に、カラカラと荷車の音が響く。安宿のうちの一軒に手際よくそれを横付けする。ここはテレスが幼い頃からお世話になっている。しかも、以前ベッドの修繕を頼まれたときに、爺さんと共同でに仕上げてからというもの、かなりサービスをしてくれるのだ。もちろん、その絶品ベッドで今日の疲れを取る目的もある。

「うん、まだまだ大丈夫だな」

 自身の傑作の状態を例の力で確かめる。直す前のベッドは、そこかしこに暗いモヤモヤがとりついており、たいていの場合、これは物が痛んでいたり寿命が近いことを示している。直した今はモヤモヤどころか、ところどころ淡く、じんわりと光っている。この光は、これが魔法の効果を持ったレアなアイテムであることを示している。一説によると、精霊の加護を受けている際にこのような現象がみられるとされているが、本当のところはわかっていない。そして、このベッドは街道を使う人々の間でちょっとした噂になり、以前より少しだけこの宿は繁盛しているらしい。テレスはそのおかげで、毎回この宿を利用するときは限界まで腹が満たされることになる。明日動けるのか心配になるほどに。
 弱い月明かりに照らされた外を見て、少年は少し不安を覚える。明日はこの比較的安全な旅の中では最大の難所、ヤナギモリ。最近は聞かないが、少し前には盗賊が出没したという噂も耳にしていた。しかも、この弱い月明かり。少し月に雲がかかっている。こういう時は翌日の天気が怪しくなることが多い。もし、大雨ならヤナギモリはより危険性を増す。森林地帯では魔物が出没する頻度が、雨の日には格段に上がってしまうのだ。さらに、下手をすると霧が現れ、ほんの先の道ですら見えなる。盗賊騒ぎがあったのも、しばらく天候が安定せず、霧が多かったことが原因とされている。

「明日、どうか晴れますように」

 小さく呟いた少年は、気持ちを切り替えるようにベッドに潜り込む。そして体がゆっくりと沈み込むのを感じている間に、意識を失っていった。

 朝。あまりにも静かな窓の外を見る。案の定、晴天とは言えない景色がそこにあった。が、雨が降っているわけではない。多少霧が出ているかもしれないが、この程度で足止めをされるわけにもいかない。明日がどうなっているのかはわからないのだ。
 まだシーツにくるまっていたい願望を断ち切るかのように、勢いをつけて立ち上がる。それは少し感じる不安を断ち切るためなのかもしれない。
 昨日の大量の食事はどこへいったのか。今まさに成長期の少年は、出されたサービス満点の朝ご飯を勢いよくかきこんだ。そして、馴染みの店主に挨拶をして、また、その体では重そうな荷車を引き始める。快眠とうまい食事。それでもぬぐい切れない不安を抱えながら。

 ヤナギモリに入ってから二時間程経ったであろうか。丁度森の中心辺りに差し掛かっていた。懸念していたように、多少霧が出ているが、少年の例の力があればどこになにがあるかはわかる程度であるのは幸いであった。
 これまでは特に変わったことはなく、小動物型の魔物と二、三回遭遇したが、一匹襲い掛かってきたのを持ってきた鉄の棒で軽くいなしたのちに、弱点とおぼしき頭に一撃を入れ、倒すことに成功した。残念ながら小さな牙一つを残して黒いモヤモヤになって消えてしまったので、一銭の特にもならなかったが。まあ、十歳くらいの子供でも倒せる魔物なので仕方がない。他の二匹は出会うなり逃亡してくれたので、戦闘には至らなかった。
 ただ、現在いる中心辺りは、高い木がより一層高くなり、その為日の光も届きづらくなりかなり薄暗い。盗賊が襲ってくるならここらが一番都合がいいと言われている。少年ももちろん、今までより慎重に歩みを進める。

 暗く、静かな森に、カラカラと荷車の音が響く。早くここを通り過ぎたい少年にとって、この時間は永遠に思えた。が、その視線の先、かなり遠方に生じた小さな変化を、少年は見逃さなかった。暗闇の奥の方に、霧とは違う紫がかったモヤモヤが、例の力によってはっきりと感じ取れたのだ。その数は三つ。オーラの色と、第六感が、これは人間が放つそれだと警告している。
 少年はため息をつく。順調に思えた旅が一気に緊張感を増す。彼の第六感が言うには、相手はあまり好意的な人物ではないらしい。身を隠そうにも、この大きな荷車が邪魔になる。最悪の場合、これは放置して引き返さなければならない。
 現在、テレスに分があるとすれば、それは二つに大別される。まだこちらの存在が気づかれていないパターンが一つ目だ。だが、これは相手がもし盗賊ならば、鷹の目のスキルでこちらの存在を認識している可能性が高い。あるいは、耳のいい者がいてもアウトだ。先ほどまで軽快になっていた荷車の音を拾っているだろう。二つ目は、一つ目のパターンが破綻していても、テレスが気づいていると気づいていない可能性だ。これは、遠くの存在を察知できるスキルは限られているので、期待できる。
 ただ、だからといってどうしようもないのも確かだ。ここで引き返せば、二、三分の間にも距離を詰められるのは間違いない。少年の頭の中に、前向きな発想は一つも浮かんできてはくれなかった。これはもう、荷車を置いて引き返すのが吉だろう。

 一応ゆっくりと進みながら思案していると、三つの紫のうち、一つが猛スピードでこちらに迫ってくる。跳躍力が凄まじいらしく、ヤナギモリの木々を飛び移りながら向かってきているようだ。これは荷車を生贄にしても、安全地帯まで下がることすら困難である。意を決して金属棒を手に取り、そこに心もとない魔力を込める。軽量化と強化、自身には身体強化をスピード中心に付与する。ないよりはマシ、な程度だが、なければこの速さでは一撃で致命傷だ。
 揺れる木の音がどんどん近づいてくる。接触まで三秒……二秒……一……。ガサっと音を立てて、一本の木天辺に止まる。逆光でよく見えていないが、それは、フードを被った子供のように見えた。
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