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第一章【少年よ冒険者になれ】

7・八つ当たりと泥仕合

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 予定よりは少し遅れてしまったが、またカラカラと心地よい音がヤナギモリに響く。つい三十分前までと変わらないリズム。しかし、先ほどと明らかに違う光景がそこにはあった。荷車を引くテレスの横、そこには騒動の発端となった少女の姿があった。
 カゼキリからテレスへの謝罪と説明のあとのことである。少女はすっかり回復したが、カゼキリから命令を受けることになった。

「全く、速さだけはかなりのもんだからいけると思ったが、こいつは使いものになりませんね」

 ヒューが少女を見下ろす。少女の表情が曇る。かなり動揺しているようだ。

「そんな目をしてもだめだ。折角カゼキリさんが拾ってやったのに、功を焦って一般人に危害を加えるわ睨み付けるわ。話にならねぇよ。こちとら孤児院でも学び舎でもないんだ。カゼキリさんはな、仲間を危険な状況にする行動を最も嫌うんだ。お前はもう、クビだよ」

 懇願するようにふるふると首を振る。

「ま、とりあえずその話は帰ってからだね。でも君、今ヒューが話したことは本当だ。ここで殺さなかっただけありがたく思って欲しいな。もちろん、罰は受けて貰うけれど」

 テレスにとっては、彼女を庇う立場でもないわけだが、先程ふって湧いた疑念のせいか、彼らの味方になりたいとも思えないでいた

「坊ちゃんの護衛をしなさい。それが殺さないでいてあげるための、君が受ける罰だ」

 テレスの表情が一瞬固まる。

「ごめんね、坊ちゃん。街まではまだ二日程ある。この子に罪を償わせるから、どうにか先程のことは流してくれ」

 既に予定にずれが出ている。これ以上の面倒はごめんというのがテレスの本心であった。

「いえ、でも」
「頼むよ。カゼキリさんがこう言ってるんだからよ」

 大きく、威圧的で、そして近い。とてもじゃないがこれは頼む態度ではない。が、テレスに反抗の余地は、欠片もありそうもない。

「お、お願い、します」

 そう絞り出すのがテレスの精一杯であった。
 
 そして、再出発し、彼女は無言のまま気まずい時間が流れ続け、現在に至るわけである。因みにカゼキリたちは、挨拶もそこそこにさっさと姿を消していった。その彼らに殺されたくないのか、気を落とした様子でトボトボと彼女は歩き続ける。今にも泣きだしそうな様子で。
 呪いの曰く付きで、コミュニケーションがとれない。そんな中でようやく見つけた仕事をクビになるばかりか、下手をすると殺される運命なのだ。暴走した自業自得とはいえ、テレスもつい同情してしまう。先ほどのことは水に流して話しかけてみるが、この状況で会話が弾むはずもなかった。
 通常、このシチュエーションであれば、早くこの仕事を終え、ゆっくりしたいと思うのが普通である。が、テレスの脳内には全く別の思いが溢れていた。

 二人きり。

 そう、今テレスは、年の近い女子と完全なる二人きりなのである。これはいったいいつ以来なのであろうか。彼の村ではそもそも子供が少なく、幼馴染の女子は殆どいない。それでも記憶を遡ってみると、あれはおよそ十歳の頃、街から支店を出している衣料品屋の娘、ジェシーから山を案内してくれと頼まれたことがあった。街からきている連中なので性格はあれだが、まだマシな上、見た目もなかなかの美人と評判だった。
 喜んで案内を引き受けたテレスであったが、極度の緊張から途中で吐き気をもよおし、あろうことか彼女を置いて逃げるように下山してしまった。
 彼女に怪我はなかったのが幸いであったが、色々な大人からこっぴどく叱られたのは今でもテレスのトラウマになっている。
 その後は言うまでもなく、テレスは街の女の子に嫌われ、決して自分からも近づくことはなかった。

 それが、結果はどうあれ女の子と二人で旅をしているのである。大失敗した当時よりも成長したせいか、少々緊張するにとどまっている。いや、むしろちょっと楽しくなっている有様だ。
 更に、カゼキリがいた間は彼女の容姿を確認する余裕がなかったのだが、二人になってからはゆっくりと吟味することができた。そうしていると、彼女の健康的な褐色の肌や、猫のような目、気を落としている表情なども、テレスにとっては新鮮で魅力的に感じられた。特にセミロングの銀髪にはところどころ黒いメッシュが入っており、珍しくも美しい。ついつい彼女の表情を盗み見てしまうのも致し方のないことであった。
 そこで、表情や手ぶりでも答えられそうな質問をいくつかしたが、ため息をつくか、そっとしておいて欲しいといわんばかりに少々睨み付けられたりした。それでもめげずに、テレスの心は浮かれていた。
 それがまずかった。
 いつもなら魔物の臭いや音、オーラですぐに気が付くはずだった。特に、あまりここらでは見かけられない中型~大型のモンスターともなれば、彼が気配を見落とすはずがない。
 しかし、すでにこちらの存在にも気が付いた様子のゴリラ型の魔物は、この人間のおチビちゃんたちをどう料理してやろうかと舌なめずりしている。因みに、動物としてのゴリラもいるが、動物と魔物は決定的な違いが二つある。一つ目は、動物は死んだ後も死体が残るが、魔物は霧のように消えてしまう。代わりに牙や骨や皮など、アイテムを作ったり換金できる物を落とすこともある。二つ目の違いは、その気配だ。これは実際に出会ってみないとわからないが、明らかに動物とは気配が違うのである。好戦的であるのもその理由と言われている。
 そして、今こちらを品定めしているのは、間違いなく魔物である。どこから手に入れたのか、鉄製の大きな兜を装備しているので尚更わかりやすい。こういった、奇妙な装飾品を身に着けている点も、魔物の七不思議のひとつとされている。

「君、逃げるよ」

 テレスには考えがあった。サル型の魔物は基本的に素早いが、彼女に追いつけるほどではないだろう。すると、危険なのは自分であるが、荷を捨て置いたところで、すぐに追いつかれる。しかし、彼女との戦闘時に使った光系の目つぶし魔法は相当な効果を発揮するだろう。特にこういった魔物は目がいい。いや、よすぎる。そのため、目つぶしの効果は絶大になるのだ。実際、テレスはこの魔法で何度も難を逃れている。
 テレスの言葉が届いているのか。彼女はナイフを手にして、一歩スっと出た。

「おーい、聞いてた?」

 半ば呆れたようにテレスが言葉をかけるが、次の瞬間にはお構いなしに突っ込んでいった。ただ、この事態もテレスは予想が出来ていた。仕方がないのだ。駆け出しとはいえ、彼女は冒険者なのだから。もっとも、明日にも冒険団はクビになりそうではあるが。

 それからの戦闘は凄まじかった。といっても、格好のいい戦闘ではなく、いわゆる泥仕合というやつだ。
 何も考えていないのか、それともスピードに余程の自信があるのか、ただただ彼女は真っすぐに魔物に斬りかかる。テレスは魔法で支援を試みるが、目つぶしは彼女にも効いてしまうため発動できずにいた。そんな中でも彼女の攻撃は次々に敵にヒットする。もちろん、ダメージはないが様々なバッドステータスが生じているはずだ。が、毒に強いタイプの魔物なのか、あるいは、その体の大きさから毒が回りきっていないのか、なかなか動きが鈍らない。しかも、彼女の攻撃はダメージがなく、かつ重さがないため、ノックバック――あいてをのけ反らせたり、体勢を崩させること――も発生しない。それゆえ、素早い反撃を許してしまう。それを持ち前の素早さでギリギリ避けるが、動き自体は単調なため、だんだんとタイミングが合ってくる。テレスは、その敵の攻撃の瞬間を狙い、ツルや根を使ってえ邪魔をしたり、砂粒や小さな火を目元にぶつけたりと、とにかく彼女が戦いやすくする工夫をし続けた。
 その戦いはなんと、三十分以上も続いたのだ。通常、魔物と戦うときは、どちらの総合力が優れているかで、だいたいの結果が出てしまう。ゆえに、長くても五分ほどで終わるものなのだ。大げさでもなんでもなく、人間対魔物の戦いで最長記録を樹立した可能性まであるのだ。
 ゴリラ型の魔物は最後の最後にはついに毒が全身に回り、前のめりで倒れ、やがて消えた。奴自身の大きな牙と大腿骨を残して。
 そして彼女も、奴が消えた数秒後に同じように倒れた。それもそのはず、終盤は動きが鈍ってきていたし、奴の攻撃も何度かかすっていた。なにより、あの緊張感の中三十分以上も動き続けたのだ。限界がきて当然だろう。もちろん、こちらは骨を残して消えたりはしない。ただ、だらしなく突っ伏しているばかりである。

 テレスも魔力が枯渇しかけてはいたが、彼女にわずかな回復魔法をかけに行く。近づいてみると案の定苦しそうな顔をしている。が、先ほどとは何かが違う。彼女の何が変わったのかを真剣に考えてみる。テレスはどうも、自分にの思考の世界に入り込み、ブツブツと独り言をいう癖がある。と、その顔が余程おかしかったのか、彼女が声にならない声で笑い始めた。失礼な。……と、思いつつ、結局テレスも笑ってしまった。
 理由はわからない。ただ、今日はお互い最悪の日で、緊張続きの日で、大失敗の日で。そんなときに出会った凶悪な魔物。普通なら出会った瞬間退路を確保し、街の保安施設や冒険者管理所に報告して、討伐隊を組むべきものなのだ。それを、アイテム屋のテレスと、冒険団をクビにされそうな女の子が倒してしまった。ようは、彼らはあの魔物に八つ当たりをしたのだった。
 緊張状態からの脱却もあいまって、人生の今までにないくらいにしていたのだ。
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