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第一章【少年よ冒険者になれ】

8・笑顔と和解と

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 声は出ていないが、完全にツボに入ったのか、まだ笑い転げている。その少女を笑顔で見つめるテレスも、ほとんど魔力が残っていないはずではあるが、同じような心地よさを感じていた。笑いは時に、力にも癒しにもなる。これは精神論ではなく、結果として、本当に魔力が勢いよく回復しているのだ。
 テレスは思い出したように、まだ腹を抱えている少女に近づく。

「少し怪我をしているし、体力も減っているでしょ? 回復するよ」

 心なしか、魔法も調子がいい。ただ、その間にも彼女が笑い出すため、しばしば魔法の波長が乱れる。それでも、何故か今は、今だけは何でもできてしまうような高揚感に少年は包まれていた。おそらく、先ほどの魔物を倒したことから、変な自信がつき、とんでもなく前向きになっているのだろう。
 そのポジティブな感情は、好奇心へと変化する。体に魔力を流しているため、あの呪いについて調べてみたくなったのだ。先ほどはカゼキリたちの手前、あまり詳しくは調べられなかったが、今は余裕がある。
 まず、喉のあたりを覆っている呪いだが、これは彼女の強力な毒と同じ、迷路で解けるようだ。しかし、もう一つの全身に蛇のように巻き付いている呪いは……これはまったく全貌が掴めなかった。テレス自身の魔力や知識がこれを理解するには全く足りていないのだ。だが、喉の方はなんとかなると考え、回復魔法よりも少し深いところへ落ちていく。そこには何重にも張り巡らされた魔法陣の迷路。本来ならかなり強力な光魔法でも、相当な時間唱え続けないと消し去れはしないものだ。だが、テレスには例のオーラや魔力の流れを察知するスキルと、これまでのがある。慎重に一つ一つの迷路を制覇していく。
 深く集中している様子を不思議そうに少女は見つめる。それは戦闘時の鋭いものではなく、初めて蝶を見た子猫のように、好奇心と疑問を内包した純粋なものであった。テレスはお構いなしに、様々な呪いのトラップを避け続け、最後の呪いを解除する。

「ん?」

 少女は自身の体の異変に気が付く。

「うん。たぶん、話せると思うよ」

 子猫の目は、更に丸くなって満月のようになっている。自分の手を喉にやり、テレスを見つめる。彼は大丈夫、という代わりに深く頷き、彼女もそれに呼応する。

「あ……あ~」

 先ほどよりも目を大きく開いてテレスを見る。体をブルっと震わせ、また喉に手をやる。

「あ、あー……あーあーあーー!! 喋れる! 話せる! 声が出る!! すごいすごい! どうやったの?」

 初めて魔法を見た子供がはしゃぐように、らんらんとした笑顔だ。テレスもこれにはなすすべなく、人生で最高潮に照れてしまう。

「う、うん。僕はほら、魔力の流れというか、そういうのが人より見えるから、さ。ちょっといじってみたんだ」
「なにそれ! 新しい魔法なんじゃないの!? 詳しく教えて!」

 それからしばらくは質問攻めが続いた。この美少女にこれだけ熱心に迫られれば、彼のような男の子に抵抗の余地はないのだ。結果、魔力は弱いがその流れが見えること、呪いは魔力の鍵のようなものだから、迷路のような鍵穴を通り抜ければ強い魔力じゃなくても解除は可能なこと、戦闘時に見えていた魔力の流れ。その全てを洗いざらい喋ってしまった。先ほどまで敵対していたのが嘘のようだ。

「そっか、力って色々な種類があるけれど、それも使い方次第ってことね。うん、勉強になった」

 納得しつつ、今得た知識を夢中で反芻はんすうする姿に、テレスはつい笑ってしまう。

「ん? なに?」
「いや、さっきまでとは偉い違いだな、と」
「ああ、イライラしてたからね。だって考えてもみてよ? こっちの意思は本当に伝わりにくいんだから! まあ、町ではいいのよ、筆談でもなんとかなるから。でも一歩外に出たらそれも難しいし……しかもあいつら、人を使えるだのそうじゃないだの。とにかくむかつくのよ!」

 怒りを思い出したかのように赤くなる。ともかく、不便な思いをしていたということは想像できる。

「ただあいつら、腕だけは確かだったからね。実際戦闘では敵わなかったし。ま、色々考えたらあの冒険団を抜けるいい機会なのかも、あんたのおかげで声も出るようになったからね」

 弾けるような笑顔を向けてくる。これはテレスにとって今日一番のダメージご褒美であった。

「あ、そうそう。あんた、名前は?」

 自己紹介が済んでいなかったことに、今更少年は気が付く。短い時間に様々なことが起こりすぎたため、仕方のないことではあるが。

「テレス。テレス・メイカーだよ。君は確か……エイリス・ペインさんでいいのかな?」
「ちがうよ。私はアリス。アリス・ペイン。ま、やつらには筆談で名乗ったから間違えてもしかたないのだけどね。ってかあんた、メイカーってことはモノづくりの家系よね?」
「うん。うちは代々アイテム屋なんだ。田舎にある小さな町でね」

 ふーん、と彼女は何かを考えこむ。少しテレスの表情が曇る。なにしろ、彼はただのしがないアイテム屋……の子倅こせがれ。没落したとはいえ名家の出でこれだけの才能を持っているアリスとは立場からして違うのだ。ただし、呪われてはいるが。先ほどの高いテンションからの反動か、考えが卑屈になってしまう。

「もったいない!!」

 大きな声にビクッとして顔をあげた少年の目の前には、キラキラと輝いている、それはそれは健康的で、子供っぽくて、いたずらっぽくて、そしてあまりに美しい瞳があった。ただし、呪われている、のだが。
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