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第一章【少年よ冒険者になれ】

33・野外闘技場と意外な苦戦

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「とはいえ、とりあえずやることは変わらないんだけれどね」

 そう言ってカゼキリは戦闘へ戻った。テレスは悔しさに唇を噛んだ。今回もまた、空中に意識がいかなかったからだ。これまでの教訓がいかされていなかった。今回は地中から出てきた魔物であり、空中はその前に蝶に覆われていたのだから仕方がないのだが、冒険ではこのが命取りになる。ここにいるテレス以外の誰もが、テレスのミスだと考えるどころか思いつきもしていないのだが、テレスは一人、自責の念にかられた。

「テレス、どうする?」

 少年は少女の言葉にはっと我に返る。

「ムカデは完全に僕らのことを忘れているみたいだね」

 戦闘を積み、誰よりも急成長している鈍感な幼馴染も、敵の様子の変化に気が付いている。

「何か、支援をした方がいいんでしょうか。準備は出来ているんですが……」

 臆病で天然な、一つ年上だがパーティの妹も冷静に戦況を分析できている。
 皆、テレスの指示が欲しいのだ。まだ冒険を始めたばかりではあるが、これまでの戦闘はテレスの指示あっての勝利だと、皆しっかり理解しているのだ。
 だが、今のテレスには情報もまだ乏しく、なにより周りの変化を見落とさないようにしなければいけない状況である。そのことを加味したうえで、頼もしい仲間たちに出す指示を、少年は決めた。

「うん。くるっと反転しよう」
「反転?」
「皆に後ろを任せたい。僕らへの注意が皆無なうちに、奴の力を分析したいんだ」

 この戦いにはムカデ以外に第三者がいる可能性が高い。もしムカデに集中している間に後ろをとられると完全に詰んでしまうのだ。不恰好ではあるが、誰かしらが背後を注視する必要がある。

「なるほど、名案ですね!」
「わかった、後ろは任せて!」
「あわわ、僕、遅いからゆっくりまわってね」

 そう言い終わると同時に、不器用に四人は回りだす。おかげでテレスはカゼキリとムカデの正面に立つことができた。丁度カゼキリは、地面上に出ているムカデの足を切り終えたところだった。そしてテレスは透原鏡を装着し、いつもよりも多くの魔力をそれに込める。

――分析しきってやる――。その決意のもとに、ムカデの細部まで分析を始める。先ほどと同じく、全体を黄土色と灰色の魔力が多く見える。透原鏡への魔力をさらに送り、解析度を上げる。すると、メレス爺のアイテム屋で試した時のように、文字や数字が浮かび上がる。

「腐……マイナス五千……」

 不可解な数字であった。あれから色々と数字をオーラや見てみたがどれもマイナスなどという表記はなかったのだ。不思議な数字だが、腐るという字が入っているのも不気味である。そして他にも「堅、千五百」「再、四百」「反・両三千」などの表記が読み取れた。堅というのは文字通り堅さのことだろう。これはボードをパーティに入れたときにも確認できたのでわかりやすい。問題は腐と再、そして反・両である。これは初めて見る表記であった。普通に考えれば再という字は再生能力を。そして腐という字はアリスのように相手にバッドステータスを与えるものだと予想できる。そういうことに特化した力ならば、マイナスという符号がつく説明になりそうである。であれば、敵の攻撃が全く当たる気配のないカゼキリにとっては問題ににはならないと考えられる。だが、反・両とは一体何か。なんとなく魔法などを反射する力を示していそうだが、これはもう少し分析が必要だ。
 そこで、ムカデの細部に目をやると、一つの疑問は解消された。先ほどカゼキリの攻撃で落とされた足のうちいくつかが、すでに生えかけているのだ。

「カゼキリさん! 奴には再生能力があります! 足を見てください!」

 カゼキリもそこで敵の再生能力に気が付き、テレスにアイコンタクトを返す。敵の足を一本一本間近で落としているうえ、再生能力がゆっくりなため、言われなければ気が付くのが遅れただろう。

「それから! 相手を腐らせるような攻撃があるかもしれません! 念のため!」

 それにもカゼキリはアイコンタクトで返す。そして彼は、戦略を変える。すでに敵の攻撃パターンは見切っているため、攻撃しやすい足を狙う必要がなくなったのもその理由だ。敵の攻撃を避けつつ、力を溜めていくカゼキリ。透原鏡を付けたテレスにはその変化がはっきりと見えた。
 アリスによく似た色の混ざった黒いオーラが増幅していく。速さが深い青や紫に近い色なので、黒くなりやすいのだろう。そこに赤いオーラも混ざっていくものだから、カオスな黒に見えるのだ。詳しい数値も見たかったが、動きが速すぎてみることができない。ただ、黒い翼のようなオーラが背中から広がっていて、その素早さも相まって、まさしく風斬鳥であった。
 一閃。そう表現するのがもっともふさわしいであろう、カゼキリの目にも止まらない斬撃がムカデを襲う。ムカデの背中あたりを斬りつけたため、ムカデは地面にたたきつけられる。――決まった。そうテレスが確信するには十分な攻撃であった。今まで出会った中で最も強敵であったあの赤黒い鬼でさえ、これを食らってはでは立っていられないだろう。
 テレスの予想通り、ムカデはピクリとも動かなくなる。はっきり言えることではないが、堅さも冒険を始める前のボードよりも低い値であった。その状態であれをくらったのだ。状況は終了した言っていいだろう。ただ、気がかりなのは、ムカデが消滅しないところだ。魔物は倒すとドロップ品をの残して消えてしまう。だが、その消滅がまだ始まっていない。カゼキリもそれを見越してか、まだ戦闘態勢のまま警戒を解かない。

「テレス、どうなった? もう終わったの?」

 後ろを警戒中のアリスが待ちきれずに話しかけてくる。だが、以前のアリスであれば聞かずに振り向いて確認していただろうが、それをしないあたり、成長を感じさせる。

「ごめん。まだわからないんだ。皆、引き続き後ろを頼む」
「オーケー」
「わかった」
「了解です」

 まとまりのない返事がまとまって返ってくることに、テレスは少し安堵する。だが、何か嫌な予感が辺りを支配している。ムカデに目を向けて透原鏡に魔力を込めると、ムカデのオーラは先ほどとあまり変化がなかった。――もしかして、あまり効いていないのか?
 案の定、ムカデはまた動き出す。その動きは先ほどと変わりがない。つまり、ダメージを感じさせないのだ。これにはさしものカゼキリも少し驚いたようだ。おそらく、手ごたえだけはかなりあったのだろう。だが、一度は沈黙したそれは、何事もなかったように今も暴れている。しかも、いつの間にか失ったはずの足もかなりの数が回復しいている始末だ。
 それならばと、カゼキリはさらに力を込めてムカデを攻撃する。今度は目にも止まらぬ連撃だ。これもアリスの魅せる連撃に似ているが、ダメージ無効化の呪いのあるアリスとは違い、しっかりと一撃一撃に重みがある。テレスの透原鏡にも、花火のように鮮やかな赤いオーラが映っている。「凄い」そういいかけてテレスは口をつぐんだ。後ろを向いている仲間たちも、この戦いを見たいに決まっているのだ。それを我慢させているのだから、当然の配慮と考えたのだ。
 何十もの連撃が決まり、ムカデはまた地面へ突っ伏す。カゼキリは一息いれるが、警戒はやはり解かない。テレスも、彼の攻撃自体には確かなものを感じている。だが、全く嫌な予感は消えてくれなかった。
 また、ムカデは体を起こし、暴れ始める。それほど大きくなかったはずの再生応力だが、何故ここまでタフなのか。ともかく、これでは何度どやってもきりがない。テレスは思考にエネルギーを向ける。
 堅さは冒険を始める前のボード以下。今はボードの方がかなり上だろう。攻撃力も鬼と比べるのも失礼なほどで、知能もなさそうだ。ならば、この「再、四百」という数字が思いのほか高いのかもしれない。あるいは「反・両」というオーラが、このタフさに関係しているのだろうか。
 そうしているうちに、またカゼキリが攻撃をしかけ、ムカデを地面に突っ伏した。幸い、カゼキリに息が切れた様子はない。実力差があまりにもあるため、今のところは倒せはしないが、倒される心配もない。そうしているうちにまた、ムカデがゆっくりと動き始める。カゼキリが今一度攻撃にうつろうとするが、そこでテレスは気が付く。

「カゼキリさん! ナイフが!」

 一見何も変化はなさそうだが、テレスの透原鏡にうつるナイフが力を失っていたのだ。カゼキリがそっとナイフの腹に触れると、それは砂のように砕けて落ちてしまった。

「奴には、触れたものを腐らせる力があるみたいです! それから、あまりにも堅さがおかしいです! もしかしたら、攻撃を反射する力があるのかもしれません!」

 これが今、テレスが考え得るすべてのことであった。失ったナイフの力と耐久力、数値とはかけ離れているように見える堅さ。これが奴の持つ「腐」と「再・両」のステータスが組み合わさった結果だと結論付けるほかないのだ。
 テレスは作戦を練り直す。ここはやはり、危険だとしてもリプリィの魔法しかないだろう。物理攻撃はこちらが損をするだけである。その後は、こちらに向こうの気が向いてしまった時のことを考えて、ボードにあの盾の防御を張ってもらう。その作戦を伝えようとしたとき、先に言葉を発したのはカゼキリだった。

「テレス君、ありがとう。仕方ない。切り札を一つ使うとするよ」

 そう言ってカゼキリは、小さなステッキを手にすると、そこにはみるみるうちに大きな炎の球が出来上がっていった。
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