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第一章【少年よ冒険者になれ】

37・虚構の森にて

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 朝、テレスは一足先に起きて、まずはテントの周りに設置した結界石を回収する。これは壊されない限り魔力を込めれば何度も使える。効果は、あまり強くない魔物は近寄ることができない。そして、もしその結界を破れるレベルの敵が侵入すると、術者に直ちに知らせてくれる、というものだ。それなりに高価だが、手が出ないレベルの代物でもないので、今回から使うことにした。おかげでこの日はぐっすり眠ることができたので、安い買い物だろう。まあ、あちこち少し痛いのはテントなのだから仕方がない。
 皆も次々に起きてきて、身支度を整える。学生たちの旅行の朝よろしく、テレス以外は寝ぼけた顔をしているので、傍から見ればとても今から虚構の森に挑戦する人物たちとは思えないだろう。
 全員の準備ができたところで、森へ向かう。虚構の森の木々は、ヤナギモリのような細めで枝垂れたものではなく、太く、歪である。それらが密集して生えている場所は、かなり薄暗くなるので注意が必要だ。

「なんだか、ちょっと不気味なところですねぇ」

 リプリィの顔には不安が表れている。アンデッド系の魔物が生息している可能性も考慮すべき薄暗さに見えるので、そういったものが苦手な女の子には少々この雰囲気はきつい。

「なにか未知の美味しいものがあればいいけれど」
「ボード、あんたよくこのおどろおどろしい森を見て食欲がわくわね」

 アリスの言う通り、あまり美味しそうな素材や動物が存在している空気は感じられない。まあ、ボードなら大抵のものは平らげてしまうだろうが。
 皆が各々、森の外観を確認している間、テレスは裸眼で森のオーラを見てみる。以前よりもまたレベルアップしたことで、この見る力も上がっているはずだ。が、あまりにも森の中に漂っている魔力が濃いためか、あまり見通しは良くない。そこで、透原鏡を使用してみる。すると、最初の見え方は裸眼と同じく煙の中のようであったが、木々の少ない個所を探したい、と集中したところ、木のシルエットだけがクリアに見えてきた。これなら中に入る前に多少はマッピングできそうである。
 さらに調査を進めると、木の密集にはある程度ばらつきがあることがわかってきた。そして、入ってから一キロほど進んだところに、木のない開けた場所があることもわかった。そこで、まず目標をその広場に設定することにした。まだ透原鏡による調査を続けたいところだが、見えるものにも限界があるのでずっとこのままというわけにもいかない。なにより、いつの間にか他の皆は森の外観を見飽きていて、テレスが調査を終えるのを待っている状態だ。それに気が付いたテレスは、ようやく中に入ることにする。

 中に入ると、全体的に薄暗さを感じるが、木々の間から光が漏れてくるため、じめっとした空気はあまり感じない。ただ、魔力が全体的に強いので、そういった意味での重苦しさがある。

「凄いですね、ここ。どんどん魔力が高まっていく気がします」
「そう? あたしはよくわからないけれど」
「そうだよね。全然お腹いっぱいにならないよ」

 コントロールが苦手なリプリィでも魔力の流れがわかるレベル。だが、ボードは魔力をよくわかっていないからいいとして、アリスはどうなのだろうか、とテレスは疑問をもった。ボードの力の根源は、おそらく魔力ではなく生命力だ。一方アリスのスピードや毒は魔力がもとになっていると考えられる。ならば、この魔力の濃い空気ならばアリスも感じられて当然なのだが、それができていない。その中で考えられるのは二つ。一つは魔力と魔法力は違ったものであり、アリスはその魔法力が欠如しているため、魔法を放てず魔力もこの空気からは感じられないというものだ。もう一つはアリスの魔力そのものである。以前透原鏡で分析したとき、アリスの数字は桁が違かった。リプリィがテレスの魔力を微量すぎて感じられなかったように、潜在的に持っている力が大きすぎるとわからなくなってしまうのかもしれない。まあ、単に空気から魔力を感じ取るのが下手なだけかもしれないが、今後もいろいろ試す必要性がありそうである。

「わあ、見たことない花が生えてるよ、テレス」

 アリスの指さす方向に目をやると、そこには四枚の花びらの紫の花が群生していた。

「綺麗な花ですね。私も初めて見ました」
「僕も」
「あれ? あの花、少し魔力を感じる」

 それを聞いてテレスはハッとする。確かにあの花は植物にしては珍しく魔力を帯びている。だが、確かに空気よりは魔力が濃いが、アリスが空気中の魔力を感じられずに、花の魔力を感じられるのは、テレスにとってかなり違和感があった。固形の物質の魔力はわかる、ということなのだろうが、魔力がブレずに感じられるテレスとしては、少し不思議である。今まで聞いたことはないが、これは個人差があるものなのかもしれない。その証拠に、リプリィは花の魔力に気が付いていない様子であった。

「ねえ、これ持って帰った方がいいかしら? なんか珍しそうだし」
「いや、目的のもの以外は一旦やめておこう。ここは妖精や精霊のテリトリーだからね。どんな罠があるかわからないんだ」
「そっか。それもそうね。じゃあ、一応目印って感じかな」
「そうだね。これだけ生えていればわかりやすいし」

 そう言ってテレスは持ってきた地図にマッピングする。ありがたいのは、力があがったおかげか、かなり正確に距離を測れるようになっていた。そのため、殆ど真っ白な地図がどんどんできあがっていく。これは今後の探索に役立つだけではない。いざというときに脱出の最短経路を割り出すことにも繋がるうえ、ある程度奥まで地図をかけたら、高値で売れる可能性もあるのだ。なんといってもこの虚構の森は攻略を試みる者が少なく、その殆どが入り口から二キロと進まずに引き返すことを余儀なくされているのが理由だ。しかも、攻略を失敗したものは多くを語りたがらない。その中で得たわずかな情報に、特に強敵がいるという話が出てこないのも、この森の異質さに拍車をかけている。
 そして、その理由はすぐにわかった。入ってから一キロを待たずして、この森は顔色を変えてきたのだ。

「なんだ、これ……」
「どうしたの? テレス」
「凄いなんてもんじゃないよ、このトラップの数は……」
「ええ? 私、全然気が付きませんでした」
「ぼくも」
「あたしも」

 彼らが気が付かないのも無理はない。普通トラップは、何か紐や蔦を足元に仕掛ける。それに引っかかることで連鎖的に攻撃が始まるのだ。だが、それはよく見れば目でわかるものである。だが、ここのトラップは全て魔力が起点となっているのだ。これでは魔力の流れが読める者でないと気が付かない。しかも、そのトラップは一か所にとどまるものではなく、ゆっくりではあるが移動し続けている。これではいかに多少魔力の流れを読める者がいても、誰かしらが引っかかり、その後はパニックに陥るだろう。
 そのことをテレスが説明すると、さすがに皆の表情が暗くなってしまった。

「何それ、ずっこいわ」
「ええ、今動かない方がいいですか?」
「どんな攻撃がくるんだろう。盾で防げるかな?」
「やめておきなさい。下手したらあんたが肉になるわよ」
「ええ~?」

 テレスも大いに悩む。トラップが見える自分は全く問題なく進めるが、動く見えないトラップを皆に避けさせるのは至難の業だ。この速さでこの量であれば、慎重に進めばなんとかなるかもしれない。だが、このトラップだらけの道を抜けたところで、この先トラップが増えない保証はないのだ。おそらく、最高到達点まで進んだ冒険者たちも、この後のトラップに手を焼いたのであろう。

「どうする? リプリィの魔法で吹き飛ばす?」
「ええ~? 私ですか?」
「僕がずんずん進んでいけばいいんじゃないかな?」
「だからやめなさいって。死んじゃったらどうすんの?」

 皆が出してくれた意見は、テレスにとってもなしではない選択だった。遠くからリプリィの魔法でトラップを発動させ、全て焼き切ってしまえばこちらにはダメージがない。同じ理屈で、ボードを完全にガードさせながら少しずつトラップを発動させ、全て解除してしまうのも、悪い手ではあるが考えられる範疇ではある。

「うん。でも、リプリィの魔法で攻撃した場合、ここから先の土地ごとえぐっちゃうからね。それに、こういうのは正当なやり方で解除しないと怒られる気がするんだよ」
「怒られるって、だれに?」
「作った人たちにさ」

 そう、テレスはもし自分がトラップを仕掛ける側だったら、ということを考える。幼い頃、メレス爺にびっくり箱や触ると小さな静電気が出るコップなど、いたずらを仕掛けた時のことが思い出される。今考えると、メレスはわかっていて引っかかってくれていたのだが、壊されたりしていたら泣いてしまったに違いない。

「じゃあどうすんの?」
「うん、僕が一つ一つ調べて解除するよ」
「ええ?」

 皆、驚きの表情を浮かべる。

「テレス、どれだけトラップがあるのかはわからないけれど、さすがにそれは大変なんじゃない? あたしたちは全然手伝えないし……」
「ごめんね。しばらく暇になっちゃうと思うけど。まあ、実を言うとさ、このトラップの構造を知ることで、新しい魔法の参考になるかもしれないなー、ってなことも考えてたりして」
「新しい魔法? よし、皆待つわよ! テレス、頑張って!」

 アリスはテレスの新しい魔法が好きなようだ。自分の言葉の呪いを解いてもらったことが原因なのだろう。

「僕はいいよ。ほら、ここの木の下なんて丁度お昼寝によさそうだし」
「そうですね、そういわれるとなんだか私も眠くなってきちゃいました」

 そんなこんなで、テレスは一人、トラップの解除に勤しむことになった。
 まず、動きが鈍く、一番近くにあるトラップから解除を試みる。テレスはそっと目を閉じ、意識をトラップに集中する。閉じた目の暗闇の中で、トラップが浮かび上がる。まだ動いているが、更に集中すると、ピタッと動きを止めた。よく見ると、トラップは迷路のようになっている。慎重に魔力の光で迷路を進む。一度気を抜いて行き止まりに入てしまったが、トラップが発動することはなかった。どうやら、迷路の中で失敗してもそれが引き金になることはないようだ。
 少し苦労したが、迷路自体はさほど難しくなかったので、すんなり解くことができた。すると、そのトラップは目の中で消失し、しばらく待っても復活することはなかった。眼を開けると、魔力で捉えていたそのトラップは実際になくなっているようだ。「これはいける」テレスは小さくそうつぶやき、次のトラップに意識を向けた。

 数時間が経った。テレスは順調にトラップを制覇し続ける。トラップの仕掛けにも種類があって、最初の迷路の他、一筆書きで魔法陣をなぞるものや、なぞなぞのようなものもあった。だが、内容はどれも難しくなく、魔力で捉えさえすれば容易に解けるものだった。一つ苦労したのは動きの速いトラップだ。これには魔力で捉えるのにもコツが必要だった。中には規則的な動きでなく、不規則に動くものもあったので、さすがのテレスも疲弊した。だが、このトラップは捉えればそのまま消失してくれるので、その点はありがたかった。

「……レス。テレス!」

 少年はハッして我に返る。

「ア、アリス」
「ア、アリス、じゃないわよ。全然反応しないんだから」
「ご、ごめん」
「で、どうなの? 凄い集中力だったけど」
「うん。えーと。まあ、あの左に曲がった木のところまでは解除できたかな」
「おおー、ってやっぱり時間がかかるのね」

 アリスがそういうのも無理はない。テレスが指さしたところは、ここから五十メートルほどしか離れていないのだ。それでも、動線上に動いてくるトラップだけでも相当な数があった。事実、テレスは数えてすらいなかったが、その数は百を超えていた。

「みたいだね。でも、だいぶコツを掴んできたから、もっと早くできそうだよ」
「そっか、ごめんね。テレスに任せっきりで。あたしもできたらいいんだけど」
「いいよ。実は、めっちゃくちゃ楽しいんだ。これ」
「ええー! そうなの? 尚更できたらよかったのに」

 そう、子供が時間を忘れてゲームをしてしまうように、テレスはこのトラップが楽しくて仕方がないのだった。

「いいでしょ。魔法のコントロールの鍛錬にもなるし、ちょっと時間がかかるけど僕に任せてよ」
「わかった。でも今はお昼にしましょ」

 アリスが顔を向けた先には、リプリィとボードが慣れない手つきで肉や野菜を焼いている姿があった。

「そうだね」

 アリスの提案と、、仲間たちの料理に苦戦する姿で、ようやくテレスは自身の空腹感に気が付く。そして、そちらへと向かおうとした瞬間、今までにない異質な気配を彼は感じ取った。

「……変わった人間もいるものね」
「誰だ!?」

 魔力の気配が曖昧なうえ、声が小さく場所が特定できない。

「ここよ、ここ。おーい!」

 ようやく声の出どころの検討が付き、顔を向ける。果たして、そこには絵にかいたような手のひらサイズの妖精が飛んでいた。 
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