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第一章【少年よ冒険者になれ】

42・本当の試練

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「いやぁ、よく気が付いたね」

 色を失ったこの世界観には似つかわしくない、軽く、甘い調子の声が響く。テレスには、その犯人がわかっていた。

「クロノース様、出てきてください」

 そういい終わらないうちに、テレスの前に肉眼でわかるほどの魔力の塊が表れ、やがてそれは人へと形を変えていった。

「まいったな、さっきと声を変えてたから、気づかれないと思ったのに」
「わかりますよ。ここはあなたの世界なんですから」
「なるほどね」

 この世界に招かれる前に聞いた声の印象とはかけ離れた、青い髪のさわやかな青年がそこにいた。周りの色彩がないため、余計にその姿は浮いてみえる。無論、この姿が本当とは限らないが。
 テレスは少し世界を見回す。モノクロになってしまったとはいえ、この世界はテレスたちの世界とはあまりに違っているのが今ならわかる。

「どうだい? この世界は。なかなかのものだろう」
「そうですね。僕らとは違うルールで動いているのがよくわかりました」
「よく考えるよね~。このスマホなんてすごく便利だ」

 そういって、ウィルが懐中電灯代わりにしていたスマホをひょいと奪う。

「で、どこで気が付いたの? この世界が自分の場所じゃないって」
「気がつかせるおつもりだったのでしょう? 星が平たいとか、あと、僕が知らない彼らの存在」

 テレスは今も心配そうに前を見つめるウィルとレンダに目をやる。確かに実際には知らない人物なのだが、しばらくともに過ごした日々が虚構であるということを心が拒絶するように、少し胸のあたりがキュッとなった。

「あー、そうか! まだ君はウィルとレンダには出会っていないのだったね。すまない。ご存知の通り、僕ら精霊は時間の感覚が曖昧なんだ。そうか~、失敗失敗」

 わざとらしく失敗、失敗となんども口にする。だが、大精霊クロノースともあろう存在がそんなミスを犯すはずがないのだ。おそらく、適当なタイミングでテレスに気が付かせるつもりだったのだろう。

「それで、クロノース様、試練はこれで終わりでしょうか」

 テレスには少し焦りがあった。事実、この世界でずいぶんと長い時間を過ごしてしまっていた。残してきた仲間たちがどうなっているのか、どの程度の時間が経過しているのか、心配事を挙げればきりがない。

「安心して、テレス。向こうでは大した時間は経っていないよ」

 心の中を見透かされたような返答。だが、彼の世界にいるのだから、すぐに納得した。時間が同じ理で動いていない、考えがすぐにそう至ったのだ。

「そうですか」
「そして、試練は次で最後だよ」

 そう言って、口元を緩めた。まるで、いたずらを考えている子供のように。

「聞かせてください。最後の試練の内容を」
「うん。まずは、この世界のことを今一度思い返してほしい。話はそれからさ」

 テレスはここでの体験を思い返す。ここで実際に過ごした時間はそう長くはないのだが、何故かこの世界で物心ついたときの記憶まで呼び起こされて気持ちが悪くなった。

「ああ、ごめんごめん。幼少期の記憶は二つあることになっちゃうから処理が難しいよね」
「だ、大丈夫です。ここ最近のことだけを考えるようにします」

 また集中する。プラネタリウムや学校の授業。くだらなくオチもない会話は、平和だからこそ存在するように思えた。アリスは呪われていないかわりに、あの常軌を逸した速さはなく、テレスやリプリィに魔力もない。自分たちの剣と魔法と魔物の世界と比べると、平凡な人間しか存在しないように感じる。それでも、科学が進み、様々な謎が解き明かされたこの世界は、実に魅力的に思えた。便利で、エンターテインメントが充実していて、学問や仕事が多岐にわたる。素晴らしい世界だ。
 だが、思考を巡らせていくと、心が締め付けるような存在に想いがくぎ付けになっていった。そして、その記憶は彼の体温をゆっくりと上昇させた。

「あの、クロノース様」
「なんだい?」

 すでに質問がわかっているかのような錯覚に囚われたが、テレスは言葉を続ける。

「僕の父と母なのですが、なんというか、その」
「歳相応に見えた、かい?」
「ええ。もし生きていたら、あんな感じになっていたのかなって。なんだか、その、お礼が言いたくなったんです。会わせてもらって、ありがとうございました。たとえ嘘でも、嬉しかったです。もっとも、本当の父と母の記憶はほとんどないんですけどね」

 これは、まぎれもなくテレスの本音であった。幼い記憶の中に淡く点在していただけの両親の存在。それが、この世界では線としてしっかりと繋がっているのだ。彼がどうあがいても手に入れられなかった経験、感覚が今その胸の中に確かにある。

「もし、生きていたら? うーん……少し待っててね」

 そう言うと、クロノースは目を閉じ、思考を張り巡らせた。テレスはその様子に、例の精霊が抱える時間についての曖昧な感覚に考えが及んだ。おそらく時系列を整理しているのだろう。

「うん。君のご両親は生きているよ。間違いない」
「え?!」
「服装は違うけれど、だいたい君がこの世界でみたままなはずだよ」
「そんな……でも、なんで」
「なんで、家に帰ってこられないのか。それはきっと、君が冒険を続けていればわかるはずだよ」

 唐突な両親の生存情報に、テレスの頭は酷く混乱した。本来なら嬉しいことなはずなのだが、何故か嘘であると心が決めつけようとしている。情報の大きさに、テレスの心の容量が耐えきれなかったのだろう。だが、目の前の精霊の長は、とても嘘をついているようには見えなかった。なにより、嘘をついて彼が得をするようには思えなかったのだ。

「混乱しているところ悪いんだけれど、ここまでの情報から一つの決断をして欲しいんだ、テレス。それが試練だよ」
「一つの、決断?」
「よおく考えてみてほしい。確認してもらったとおり、この世界はそれなりに安全で、科学や国が成長している。すなわち、君がこれから何百年生きようとも知ることができないことの多くが明らかになっているんだ。これって素晴らしいことだろう? そして、今しがた君は両親が健在であることを知ったわけだけれど、それはあくまで僕から得た情報に過ぎない。でも、この世界にはちゃんと存在している」

 ここまで聞くと、決断しなければいけないことが嫌でもテレスにはわかってしまった。

「もう気が付いているみたいだね。賢い子だ。そう、君に課す決断は、元の世界に戻るか、この世界で暮らすかだ」

 テレスの推測は当たっていた。だが、それならこの質問は実にバカげていると感じた。答えなど、選びようがないのだ。

「あの、クロノース様。もちろん、この世界は文明が進み、沢山の国、学問、遊びがあって、宇宙にまで人類が飛び出している。これは実に素晴らしいことだと思います。ですが、本当じゃない世界は選択肢の中に入りませんよ。さすがに」

 当然の選択であった。

「本当じゃない世界?」

 首を傾げながら不思議そうにテレスを見つめる。綺麗な青年といえども、その仕草は純粋に思えた。

「だって、ここはあくまであなたの作った、その、想像上のような世界であって。本物ではないでしょう?」
「ふむ。じゃあテレス。本物の世界って、なんだろう?」

 そう言われて、テレスの心は酷く困惑する。彼にとって本物の世界といえば一つしかない。あの、アリスやボード、リプリィ、メレス……これまで出会った人々が存在しているだ。テレスはその世界で生まれ、育ったのだから、彼にとっての本物の世界はそこしかありえない。ありえないはずなのだ。

「君は見たのだろう? こことそっくりの世界を。彼女を通して」

 クロノースの言葉に、北方騎士団の要塞で眠っているフェリアの具合を見た時の不思議な体験を思い出す。確かに、あのフェリアのいた世界は、この世界の文明レベルと近い気がした。フェリアのいた場所はもっと人が多く建物も高かったように感じるが、都会と田舎の違いで説明が付くだろう。もちろん、あの時はテレスはその世界に存在したわけではなく、ただのぞき込んだだけである。だが、確かに見たのだ。違う世界を。

「あれだけの人々が暮らしていて、様々な物や科学に溢れた世界の存在を疑うのかい?」
「いえ、それは」
「ならば。この世界だってあるはずだよ。君の記憶や他の世界を参考にして、ちゃんと僕が一から創ったのだから」

 テレスには信じられなかった。ここが偽物の、小説の中の世界や想像の産物だというならば理解ができる。だがクロノースの話を信じるならば、ここがということになる。それを認めるにはあまりにこの世界は大きすぎる。しばらく考え込んでも、テレスの脳が全く仕事ができないのも無理はない。

「もう少し話を追加しておこう。ここにいる人物たちは、僕の操り人形ではない。これまでの君との会話も、ちゃんと感情で反応したものであり、本当に生きているんだ。そう、わかりやすく断言するならば、彼らには魂がある。これで、少しは理解できたんじゃないかな」

 世界の大きさの説明はともかくとして、そう言われればここにいる人物たちが実在していることは腑に落ちた。確かに、幻想や夢のようなもので片づけるには、あまりにもすべてがリアル過ぎている。この世界の、この人々の存在を否定することは、逆に自分自身がいたあの世界すらも否定することと同義なのだ。

「……言いたいことはいっぱいあって、聞きたいこともいっぱいありますけれど。理解はできたと思います」
「それはなにより」
「もう一つ、質問があります」
「なんなりと」

 質問の内容もすでに予想がついているのだろう。人間らしい自然な笑顔がそこにあった。ただし、あまりにも整い過ぎていて、自然な中にも神々しさがにじみ出ているが。

「あの、忘れてしまうんでしょうか。選ばなかった方の記憶を」
「そうだね。理由は二つさ。一つ目は複数の記憶が混在していると、君の心や魂が混乱してしまうんだ。今もその状態なのだけれど、それが生きている間ずっと続いていくのは苦しいだろう?」

 確かにテレスは平静を保っているのがやっとだ。この空間では駆け出し冒険者の自分に、一学生として暮らしている自分の思い出が重なってきて、目が回りそうなのだ。

「そして二つ目。それは、例えば君がもとの冒険者に戻る場合だけれど。この文明や化学が進んだ世界の技や発想を根こそぎ持って戻ることになる。まあ、もちろんこのスマホがどうすれば出来るのかはわかっていないと思うけれどね。それでも、世界のルールから大きく逸脱していることになるのさ」

 これも納得がいく。天体の知識や電気、石油、その他文明の利器は、この世界の人物たちが一つ一つ血のにじむような努力で生み出したものだ。それをそう易々と持ち帰るのはルール違反と言われても反論はできない。

「ただ……そうだねどちらを選んだにせよ、僕は君の記憶を奪うわけなのだけれど。案外これは難しいんだ。人の記憶というのは、紙の記録とはわけが違う。正確でないし、様々な感情と絡み合って保管されているんだ。特に、魂と結合しているような記憶は、無理にはがすことはできない。おかしな話だよね。こうやって広大な世界を一から創ることはできても、人の心や記憶はコントロールできないんだ。きっと、世界よりも人一人の心のほうが広く、複雑なのだろうね」

 そういって、何かを考えるように遠くへ目を向ける。テレスもよく思考の中へ入り込んでしまう傾向にあるが、人から見た自分が少しわかったような気がした。

「だから、完全に記憶を取り除くのは無理だろうね。同じく、この記憶だけは残して欲しいとお願いされても、それは叶えてあげられないかな」

 また、思考を先読みされた。なにもテレスは文明を元の世界に持ち込んだり、魔法の概念をこの世界持ち込もうとしているわけではない。ただ一つ、元の世界に戻るとしても、ここでの両親との思いで、いや、人となりだけでも覚えておきたかったのだ。

「時間はたっぷりある。テレス、じっくりと悩むといい」

 こうして、あまりにも重い選択権がテレスの手に渡った。そしてこれは、テレスを大いに悩ませることになる。なにせ、二つある人生を選べと言われているようなものなのだ。ここまで来てようやく、テレスはこの試練の過酷さを思い知った。
 本来なら元の世界へ戻り、仲間たちと共に冒険を続けるのが正解なように感じる。なにせ、そこが元の世界であり、つまりはテレスにとってあまりに本当な世界なのだ。
 しかし同時に、テレスにはこの文明に溢れた世界で生まれ、過ごした記憶も鮮明に存在しているのだ。どちらも現実であり、どちらも一歩一歩踏みしめてきた実感がある。
 テレスは思考する。深く、自分の中へ集中していく。

「へえ、すごい集中力だ」

 クロノースがつぶやいた感想も彼の集中の壁にはならなかった。ただただ、様々なことを天秤にかけた。
 あの冒険の日々を捨てるのか。この世界の進んだ文明を忘れるのか。仲間たちや消滅病に苦しむフェリアが待っている。いやまて、人を理由に人生を選ぶのか。これは自分の意志で、自分のいるべき場所を選ぶべきだ。そんな問答を幾度も繰り返した。
 そんなテレスを、クロノースはただただ静かに見守った。まるで時間の経過などなく、退屈など存在しないかのように。その眼差しは、彼自身が創ったこの世界へ向けられるものに似た、どこか愛おしさすら含まれていた。

 それから、この世界でどれだけの時間が経ったのだろう。一時間ほどかもしれないし、数か月かもしれない。それほどテレスは集中して考え抜いた。その思考は、ほとんど迷路であった。妖精たちの迷路との違いはゴールを自分で決めなければいけないこと。突き詰めれば単純な右か左、マルかバツのような二択である。それが思い出と志を糧にした、巨大な迷路になっているのだ。
 だが、テレスは決定的な、あまりにも決定的な選択への道筋が一つ残されていることを、ようやく発見する。そして、ゆっくりと目を開ける。

「どうやら、決めたようだね」
「お待たせしました。でも、とっくにご存知なのでしょう?」
「まあね」

 クロノースは両手を横に挙げて、おどけて見せる。

「正直、迷いました。元の世界には冒険があって、短い時間ではあるけれど、一緒に旅をしてきた仲間たちがいて。こちらの世界には文明と安全があって。学校で苦楽を共にする友人たちもいて。こんなの、天秤にかけるのは到底無理でした。どちらかが僕の中で消えてしまうなんて」
「そうだね。本当に酷い試練だろう」
「ええ、本当に。元の世界の危険と冒険。この世界の科学と安定。いろいろなことをグルグル考えました。でもね、あったんですよ。僕が選ばなければいけない理由が」
「それは、なんだい?」
「この世界には僕の父と母がそばにいます。だから、僕は、元の世界に戻ります」

 すでに答えは知っていたのだろう。それでもクロノースは、優しく微笑みながら質問をする。

「ここにご両親がいるのに、戻るのかい?」
「そうです。元の世界で、ちゃんと父と母を探さなきゃ。もう一度、出会わなければいけないんです」
「うん。よくできました」

 そういって、一度手を強く叩く。パンッという気持ちのいい音が響く中で、テレスの意識は遠のいていった。
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