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第一章【少年よ冒険者になれ】

43・虚数の池での決意

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「……レス! テレス!!」

 聞きなれた声で少年の意識は急速に覚醒する。

「起きた!?」
「うん。ごめんね、待たせて」

 目の前で安堵するアリスの奥には、心配そうにしているボードとリプリィの顔があった。この状況になにか既視感を感じたが、今の少年にはそれを思い出すことができなかった。
 そして、現在地が明らかに先ほどクロノースと出会った大理石の洞窟とは違うことに意識が及ぶ。小さな光のエネルギーに満ち溢れ、幻想的な風景が広がっている。テレスが倒れていた場所から五メートルほど先からは、光るように透き通った池がある。

「ここが虚数の池……」
「どうやらそうみたいね。さっき急に変わっちゃったのよ」
「僕は、どれくらい意識を失っていた?」
「あー、どれくらいだろう」

 テレスのことを心配し過ぎて、あまり時間への意識はなかったらしい。

「丁度一時間くらいだよ。僕の腹時計はかなり正確だからね」
「まあ、便利ですね」

 テレスの無事が確認できて、後ろの二人もいつもの調子に戻った。同時に、ボードの腹時計の正確さは昔から知っていたが、こういった魔力が溢れ、時間の概念の特定が難しい場面では重宝すると、リーダーらしい分析も忘れてはいなかった。だが、冷静になれているこの状況で、何か心に引っかかっているものがある。

「で、テレス。試練ってどんなものだったの?」

 そう、それだ。何か大きな変化の中で迷い、もがいた印象は残っているのだが、起きた瞬間忘れる夢のように霧散してしまっている。

「そっか。覚えてないんだ。不思議なこともあるものだね」

 皆も首を傾げるばかりである。ただ、一つだけ何故か確信めいた発見が心の中に残っていた。それを元に少し未来のことを考えると、少年は急激に寂しさを感じざるをえなかった。

「ともかく、試練は無事終えられたよ。素材を探さないと」

 そう、今は気持ちを入れ替え、ここに来た目的を最優先にしなければならない。

「それなら、たぶんあれじゃないでしょうか」

 リプリィが指さした先はこことは反対側の池のほとりであったが、確かにそこには青い薔薇が咲いているかのように輝く石があり、その周りにこれまた眩いピンク色の液体が広がっていた。こういった名称は誇張されて名付けられることも数なくないが、これはまさにブル―ローズストーンとピンクダイヤリキッドそのものであった。

「採取の方法が僕らだとわからないから、念のためテレスを待ってたんだよ」

 ボードの選択は正解だった。希少価値の高いアイテムや鉱石は、慎重に扱わなければその効果を失ってしまうこともあるのだ。原因として考えられるのは、レアアイテムは強い魔力を帯びているケースが多いことだろう。それらが持つ魔力の流れを元に計算しなければ、性質が変化してしまうのだ。テレスもそのことを当然理解している。材料を最適に扱うアイテム屋だからこそ、人一倍素材の扱いは心得ているのだ。

 その後、テレスはブル―ローズストーンとピンクダイヤリキッドをくまなく分析し、持参してきた箱や瓶に魔力を付与し、それらを回収することに成功した。ここに来る前のテレスであれば、この分析や魔力付与だけでもそれなりの時間を必要としたであろう。だが、例の妖精たちのパズルを解くことによって、さらに飛躍的に魔力操作が上達していた。それでもまあ、魔力の総量自体はあまり変化はないのだが。
 思うところがあって、必要であろう分よりも少し多めに材料をいただく。だが、またここで増えやすいように、全てを採取するようなことはしなかった。

「欲がないなぁ。まあ、そういうところが君のいいところなのかもね」

 テレスにだけ、クロノースのささやきが届いた。その声は、あの青い髪の青年のものであった。彼がどのような姿をしているのか――そもそも、姿を持っているのかも不明だが――はわからないが、案外あの美青年が一番近いのかもしれない。

「不思議なところだね」

 名残惜しそうにアリスが呟く。美しく、魔力の詰まった場所ではあるが、必要なものを手に入れた以上、長居する意味はない。

「ジャネットと光の精霊に挨拶しに行こう。またここまでのパズルも作ってもらわなきゃいけないし」
「そうだね」

 そうして、虚数の池を一行は後にする。一番後ろを歩いていたテレスは、最後に立ち止まって深々と礼をした。それは、必要な素材を分け与えてくれたこの池と、自分にとって重要なことを教えてくれたクロノースに対してのものだった。

――必ず、両親を見つけ出します。ありがとうございました。

 心の中でそうつぶやく。声に出さずとも、この虚数の池にいる限りはクロノースに伝わっている確信が、テレスの中にはあった。その証拠に、彼の脳裏に、あの青い髪の青年が優しく微笑む姿が浮かんだ。そして、その笑顔がなぜだか、彼の決意が間違っていないという裏付けになっているように感じた。
 感謝と新たな決意をもって、少年は池に背を向けた。

「そう、大精霊様に会えたんだ。よかったじゃない」

 つい数時間前に別れたはずのジャネットと光の精霊が、少年には酷く懐かしく思えた。

「じゃあ、これでお別れってわけね」

 別に寂しくなんてないんだからね、とでも言いたげな様子だが、本音では彼女なりにテレスたちとの交流は退屈しのぎになっていたのだろう。

「また遊びに来るわよ」
「そうですね。それに、なんだかまたここに来る用事もできるような気がしますし」
「絶対よ。来なかったら妖精パンチをおみまいするからね!」
「次に来るのは……昨日? それとも……明日?」
「いや、あんたが喋るとややこしくなるのよ!」

 仲のいい学友卒業式のように女子たちが盛り上がる。

「あ、ところであんた。光の加護は与えられないの?」
「光の加護……彼らの魔力には……合わない」
「あらそう、残念ね。それなりに強力だから、大精霊様に会えたあんたたちならふさわしいと思ったのに」
「でも……いつか出会う……そして連れてくる……」

 これはかなり衝撃的な内容であった。完全に未来に関する予言になっている。いくら時間の概念が曖昧とはいえ、大丈夫なのか、と心配になる一同であった。

「へぇ、それが見えているってことは、よかったわね。あんたたち、とりあえずその光の加護を受けられる者を連れてくるまでは生きているみたいよ」
「は、はぁ。そりゃどうも」

 皆、喜んでいいのか複雑な気分になったが、とりあえずしばらくは冒険を無事に続けられそうである。そして、まだ見ぬ人物。光の加護を受けられる者というのは、他の精霊よりも少ないとされている。神官や魔医学を学ぶもの、治療師や祈祷師も光系の魔力を使うが、使えれば加護を与えられるものでもないらしい。そんな貴重な人物と出会うことがこの先あるという予言自体は、素直に喜び、楽しみにしていいだろう。もっとも、連れてきた後は死ぬ可能性があるわけだが。
 それからテレスは、クロノース様や希少なアイテムの件も考え、またパズルを復活させておくように助言をし、ジャネットと精霊もそれに応じた。

「じゃあ、またね!」
「また……あとで……」

 元気なジャネットと不思議な精霊の言葉を背に受けて、少年たちは森を後にした。まずは鍛冶屋のトーニャ・ハンマーの元へ。フェリア・シューマンを救う準備も大詰めだ。
 この森でまた、成長し、新たな決意をもった少年の足取りは軽く、力強いものになっていた。
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