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9.蓮華と熊若編

第65話(1185年1月) ひとさらい

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 京・六条の源義経屋敷

「留守居させられて、不満そうだな」

 脇息にもたれかかった義経の横で、愛妾の静御前が酌をしている。
 義経の前には硬い表情の熊若が座っていた。
 静御前が義経の妾になってからは、熊若は義経の護衛から外され、屋敷全体の警備に回された。外に出かけるときは、静御前が男装して側についた。

「初めはそう思いましたが、今は感謝していますよ。出雲大社とは戦いたくはありませんから――」

「――ほう、なぜ出雲大社に行ったと思う」

「100人も連れて行って、情報が洩れないとでも?」

 義経が静御前を見る。

「申し訳ございません」

 静御前は手をついて謝った。
 熊若が静御前を横目で見ながら言う。

「催眠術は人によってかかり具合が違うようですね。静御前にあまり期待をされるのは危険かと」

 静御前が熊若を睨む。静御前から殺気が漏れ出る。

「よせ! 熊若との別れの日につまらぬことで争うな」

 熊若は木曽義仲を逃がすために、1年間、義経の家人になると約束した。その期間が終わったのだ。義経はこのまま本当の家人になるよう口説いていたが、熊若は最後まで首を縦に振ることはなかった。

「出雲大社に戻るのか?」

「少し、京を見てから帰ろうと思います。僕を捕まえますか?」

 昨年8月に義経は朝廷から検非違使別当(警視庁長官)に任命されていた。

「ふっ、私を試しているのか? 平家と出雲大社の二正面作戦をするほど愚かではない。貴様を捕えれば鬼一法眼が黙っていない。そうだろう?」

「買いかぶりすぎです」

「静はもう下がれ。熊若とは今生の別れになるかもしれぬ。今宵は2人で語り合いたい。盗み聞きもならぬ。よいな!」

「――わかりました。寝所でお待ちしております」

 静御前が去った後、義経と熊若は朝まで語り合った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(熊若視点)

 翌日、熊若は義経屋敷を出ると、京のはずれにある霧の神社に向かった。
 義経と出雲大社国へ向かった兵のうち数名が、人をさらってきたと言ったからだ。ただし、誘拐した人間が誰なのか、どうしてそこへ運んだのかは、まったく記憶に無いという。

――誰ひとりとして覚えていない。静御前より強い催眠だ。そのような術を使えるのは安倍国道、唯一人。しかし、あの屋敷にうかつに近づくのは……。あれは!

 熊若が木の上から屋敷を伺っていると、馬に乗った義経と静御前が霧の神社に入っていく姿が見えた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(安倍国道視点)

 義経を霧の神社・本殿裏に並ぶ倉の一つを改造した鍛冶場に案内すると、感嘆の声をあげた。

「さらってきた鍛冶職人が逃げずに働いている……。催眠の術とは恐ろしいものだな。陰陽師殿は神のような力をお持ちだ」

「恐れ多いことです。しかし、催眠で操れる人は千にすら届きません。義経様は戦場で万の兵を操ります。神と呼ぶならば、義経様のほうが相応しいかと。それゆえに巫女をお側に仕えさせました」

――英雄を操るために。

「静御前は素晴らしい女だ。歌舞のほかにもわしを満足させてくれる。おかげで鎌倉から押し付けられた正室の元へは、全然、通えておらぬ」

 義経はそう言って笑った。静御前は頬を赤らめる。

「ところで、新兵器はいつ出来る?」

「連れてきた鍛冶職人もこれは造ったことが無いと言っております。数を作るのにはしばらくは時間がかかるかと」

「なんだと! それでは平家との戦に間に合わぬではないか! 約束が違う!」

 義経は癇癪を起した。静御前がなだめる。

「申し訳ありませぬ」

 安倍国道は頭を下げる。

――傲慢な男だ。蒸気機関の説明をしてやったときも感謝の一言も無かった。こやつに術をかけてしまえば楽なのだが、戦場での勘が鈍ってしまっては元も子もない。

 チリン――鈴の音が鳴った。

「静御前、ネズミが紛れ込んだようだ。もてなしてやれ――義経様はここにいてください。新兵器の試し撃ちをお見せします」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(熊若視点)

 熊若はまだ木の上から降りずに神社の中を伺っていた。

――好機かもしれない。いや、静御前が去った後のほうが……。

 義経たちが霧の神社に入ってしまった後も、潜入するかどうか決めかねていた。
 そのとき、一人の女が霧の神社に向かって歩いてきた。長旅をしてきたのか、衣服は汚れている。笠を取り、神社を見あげる女の顔を見て、熊若は思わず声を上げた。

「蓮華ちゃん!」

 熊若は木から飛び降りると、蓮華の元へ走り出した――。
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