37 / 146
第二章
一縷の望み
しおりを挟む
アレクの顔色は死人を見間違うほど青白く、ぐったりとして額には汗がにじむ。こんなアレクをケルトが見たら発狂していたに違いない。
今夜もまた。
その言葉がアレクの心に重くのしかかる。
二度と夜なんてこなければいい。しばらくの間離れていたバロンの欲望は渇望がうわ乗せされて、いままでで一番酷いものだった。次はなにをされるのだろう。考えれば考えるほど恐ろしい。
だけどアレクが一番耐えられなかったのはバロンに凌辱された体の痛みではなく、マーリナスとの誓いを守れなかったことだった。
自分以外の人間とそんなことをするなといってくれたのに。
知られたら嫌われるだろうな。誰とでもそんなことをする穢らわしい人間だと嫌悪され、もう二度とあの優しい笑顔を向けてくれることはないだろう。そしてきっと、こんな自分に口づけをしてくれることも二度とない……
想像するだけで胸が苦しく涙が零れ落ちそうだった。
だけどアレクは思い出した。こんなことは、ずっと繰り返してきたことなのだと。
マーリナスと過ごした優しい時間の中で、忘れていた愚かな自分をあざ笑うしかない。
自分は男娼のように生きて、何人もの人間とこうして交わってきた穢れた人間なのだ。
自分をひとりの人間として扱ってくれたマーリナスの優しさに甘えて幸福感を味わい、愚かにもこのまま、ほんのりと心に募る甘い想いを胸に秘めて、ずっと一緒に生活できたらいいなと夢までみていた。
だけどこれが本来の自分の生き方で、こんな穢れた自分が幸せを手に入れる権利なんて、最初からどこにもなかったんだ――
力ない笑みを浮かべたアレクにケルトは気づくことができなかった。
◇
その頃。
アレクの足取りを追って周囲を捜索していた追跡班、トマス・レンジはロナルドと合流を果たしていた。
「一晩中、増援部隊と周囲を探してみたのですが、それらしいものは見つかりませんでした。何人か小者は見つけたのですが、情報にあったバロンの手下やモーリッシュの手下も見当たらず、お手上げ状態です」
国際手配犯であるモーリッシュ・ドットバーグとその手下については、ロナルドよりもベローズ王国警備隊の方が詳しい。
追跡班がアレクの足取りを見つけてくれていれば良かったのだが、やはりそう簡単にはいかないようだ。
だが、いつこの近郊にモーリッシュやバロンが姿を現すかわからない以上、この場を離れるわけにもいかない。
ロナルドはトマスに現場の指揮を任せ、予定通りバロンの屋敷に集まった探索班と合流することにした。
だが――
「マーリナス隊長。なぜあなたがここにいるのですか」
正面の扉は鍵がかけられていたため、ロナルドから教えてもらった使用人の部屋から侵入を果たし、集った探索班の中にマーリナスの姿をとらえたロナルドは目を丸くする。
「上の指揮はギル殿に任せてきたから、問題ない」
「しかし……」
「ただ上で黙って待っているのは性に合わなくてな」
探索班に指示を出しながら、さらりといってのけたマーリナスにロナルドは深々とため息をつく。おおかた、アレクのことが心配でいてもたってもいられなかったのだろう。
「追跡班はまだ所在地を特定できていません。やはりここの探索にかけるしかなさそうですね」
「ああ」
屋敷内を動き回る探索班に目を向けながら、マーリナスは思考をめぐらす。
前回突入をかけたときも、財産押収のため屋敷内はくまなく探索したはずだ。そのときは隠し通路など見つからなかったが、ロナルドの手腕を認めているマーリナスは一縷の望みをかけていた。
どこかに見落としがあるのだ。
そう信じて動くしかない。その小さな希望がマーリナスの平常心を保っていたのだから。
「そういえば……前回突入したとき、地下牢はほとんど手をつけなかったのではありませんか」
ふと顔を上げたロナルドにマーリナスは瞬時に思考をめぐらせると、大股で地下牢へ向かって歩みを進めた。
「行くぞ」
「はい」
冷静になって考えてみれば、なぜあのときバロンは地下牢に逃げたのか。逃げたいのなら窓を割って外に飛び出すこともできたはずだ。
行き場のない地下牢に逃げこむなど、自分から袋の鼠になったようなもの。愚策以外のなにものでもない。
だがもしあそこに、他の逃げ道があったとしたら――
今夜もまた。
その言葉がアレクの心に重くのしかかる。
二度と夜なんてこなければいい。しばらくの間離れていたバロンの欲望は渇望がうわ乗せされて、いままでで一番酷いものだった。次はなにをされるのだろう。考えれば考えるほど恐ろしい。
だけどアレクが一番耐えられなかったのはバロンに凌辱された体の痛みではなく、マーリナスとの誓いを守れなかったことだった。
自分以外の人間とそんなことをするなといってくれたのに。
知られたら嫌われるだろうな。誰とでもそんなことをする穢らわしい人間だと嫌悪され、もう二度とあの優しい笑顔を向けてくれることはないだろう。そしてきっと、こんな自分に口づけをしてくれることも二度とない……
想像するだけで胸が苦しく涙が零れ落ちそうだった。
だけどアレクは思い出した。こんなことは、ずっと繰り返してきたことなのだと。
マーリナスと過ごした優しい時間の中で、忘れていた愚かな自分をあざ笑うしかない。
自分は男娼のように生きて、何人もの人間とこうして交わってきた穢れた人間なのだ。
自分をひとりの人間として扱ってくれたマーリナスの優しさに甘えて幸福感を味わい、愚かにもこのまま、ほんのりと心に募る甘い想いを胸に秘めて、ずっと一緒に生活できたらいいなと夢までみていた。
だけどこれが本来の自分の生き方で、こんな穢れた自分が幸せを手に入れる権利なんて、最初からどこにもなかったんだ――
力ない笑みを浮かべたアレクにケルトは気づくことができなかった。
◇
その頃。
アレクの足取りを追って周囲を捜索していた追跡班、トマス・レンジはロナルドと合流を果たしていた。
「一晩中、増援部隊と周囲を探してみたのですが、それらしいものは見つかりませんでした。何人か小者は見つけたのですが、情報にあったバロンの手下やモーリッシュの手下も見当たらず、お手上げ状態です」
国際手配犯であるモーリッシュ・ドットバーグとその手下については、ロナルドよりもベローズ王国警備隊の方が詳しい。
追跡班がアレクの足取りを見つけてくれていれば良かったのだが、やはりそう簡単にはいかないようだ。
だが、いつこの近郊にモーリッシュやバロンが姿を現すかわからない以上、この場を離れるわけにもいかない。
ロナルドはトマスに現場の指揮を任せ、予定通りバロンの屋敷に集まった探索班と合流することにした。
だが――
「マーリナス隊長。なぜあなたがここにいるのですか」
正面の扉は鍵がかけられていたため、ロナルドから教えてもらった使用人の部屋から侵入を果たし、集った探索班の中にマーリナスの姿をとらえたロナルドは目を丸くする。
「上の指揮はギル殿に任せてきたから、問題ない」
「しかし……」
「ただ上で黙って待っているのは性に合わなくてな」
探索班に指示を出しながら、さらりといってのけたマーリナスにロナルドは深々とため息をつく。おおかた、アレクのことが心配でいてもたってもいられなかったのだろう。
「追跡班はまだ所在地を特定できていません。やはりここの探索にかけるしかなさそうですね」
「ああ」
屋敷内を動き回る探索班に目を向けながら、マーリナスは思考をめぐらす。
前回突入をかけたときも、財産押収のため屋敷内はくまなく探索したはずだ。そのときは隠し通路など見つからなかったが、ロナルドの手腕を認めているマーリナスは一縷の望みをかけていた。
どこかに見落としがあるのだ。
そう信じて動くしかない。その小さな希望がマーリナスの平常心を保っていたのだから。
「そういえば……前回突入したとき、地下牢はほとんど手をつけなかったのではありませんか」
ふと顔を上げたロナルドにマーリナスは瞬時に思考をめぐらせると、大股で地下牢へ向かって歩みを進めた。
「行くぞ」
「はい」
冷静になって考えてみれば、なぜあのときバロンは地下牢に逃げたのか。逃げたいのなら窓を割って外に飛び出すこともできたはずだ。
行き場のない地下牢に逃げこむなど、自分から袋の鼠になったようなもの。愚策以外のなにものでもない。
だがもしあそこに、他の逃げ道があったとしたら――
1
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~
蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。
転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。
戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。
マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。
皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた!
しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった!
ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。
皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。
冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる
尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる
🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟
ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。
――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。
お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。
目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。
ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。
執着攻め×不憫受け
美形公爵×病弱王子
不憫展開からの溺愛ハピエン物語。
◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。
四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。
なお、※表示のある回はR18描写を含みます。
🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。
🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。
前世が教師だった少年は辺境で愛される
結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。
ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。
雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる