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第二章
消えたモーリッシュ
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瞬時に警戒心を跳ねあげ身構えたマーリナスだったが、中からモーリッシュが飛び出してくることも毒ガスが散布されることもなかった。
ではなぜ、兵は叫んだのか。
「モーリッシュが! モーリッシュがいませんっ!」
「なんだとっ!」
半開きの扉を力任せに引っ張って開けてみれば、確かにそこにいるはずのモーリッシュの姿はなく、ただガランとした空っぽの金庫しか存在していない。
信じられない思いで目を丸くし、マーリナスはおのれに問いかけるべく叫んだ。
「どういうことだっ!」
「わ、わかりません。モーリッシュが中に入ってから数分も経ちません。なにか仕掛けがあるのでは……」
珍しく声を荒らげたマーリナスに畏怖恐々と、なんとか受け答えた兵には見向きもせずにマーリナスはずかずかと大股で金庫の中に入ると周囲を見回し、そして見つけた。
「これか……」
それは壁に埋め込まれたレバーだった。今までの金庫にこのようなものはなかったはずだが。
そのレバーを迷いなく下ろすと、ガコンッという仕掛けが可動した音と共に、金庫の壁の一部に新たな出入り口が顔を現した。
その入り口をのぞきこんで見れば奥に続くのは長いスロープだった。
それは下に向かって延々と続いており、途中から弧を描いているようだ。それはさながら巨大な滑り台とでもいうべきものだった。
「ここから逃げたのでしょうか」
「そうだろうな。我々も行くぞ」
マーリナスの背後からスロープをのぞきこんだ兵たちも、驚いたように目を丸くする。
この遺跡にこのような仕掛けがあったとは驚きだが、驚いてばかりもいられない。
マーリナスは意を決してスロープに飛び乗った。
ただでさえ暗い地下迷路。
行き先も不明なその壁の中を滑り落ちるというのは、未知なる恐怖もあり勇気がなければ行えないものだっただろう。
実際、後続の兵たちは戸惑いを隠しきれずマーリナスが単身飛び込んだ後も、しばらくその入り口の前でだれが先に行くか押し問答を繰り返していたのだ。
少しひやりとした空気を切りながら髪をなびかせ、マーリナスはひたすら前だけを見据えてスロープを滑り落ちる。
そこは不思議な場所だった。
スロープを囲むトンネル状の壁はなにかの鉱石でできているのか、光もないのにキラキラと輝きを散りばめていた。白や黄色、中には蒼い光まである。
その中を螺旋を描きながら延々と滑り落ちていくと、もしかしたら終着地点などなく、このまま地の底にたどり着いてしまうのではないかという思いまで込み上げた。
だがそんな不安は突如、正面から差し込んだ橙色の光を目にすることによって霧散する。
光の先にはスロープの終わり。そして床が見えた。マーリナスは体勢を整え、スロープが切れると同時に滑降した勢いを利用しつつ制服をなびかせ、軽やかに床に飛び移った。
そのまま周囲を警戒強く見渡せば、綺麗にクロスのかけられたダイニングテーブルにシンク。食べ物が積まれた器などがある。ここはおそらくキッチンなのだろう。
周囲に人の気配はない。
だが――ガタッ!
奥から何かがぶつかる物音と、次いでドアが勢いよく閉ざされた音がマーリナスの耳を突く。
反射的に振り向き、マーリナスは音の聞こえた方へ向かって駆けだした。
そのとき、誰もいなくなったキッチンで包丁立てから一本の包丁がなくなっていたことには気づきもせず。
◇
一方――地下遺跡上層にある地下街では、追跡班が数日かけてアレクを見失った辺りからモーリッシュのアジトとおぼしき場所を特定すべく捜索を続けていたが、一向になんの手がかりもつかめず焦りをみせていた。
追跡班の指揮を執るのはベローズ王国警備隊所属、トマス・レンジ。
進展報告を地上にいるギルに出せないまま、いまもまだ地下街でなりをひそめながらアジトとおぼしき建物を捜索している者である。
「トマス。この一帯はもう何度も捜索した。一軒一軒しらみつぶしにだ。もうどの家に誰か住んでいるのかさえ、みな周知しているほどにな。やはりこの辺りにアジトはないのではないか?」
同期の兵が周囲に目を配りながらそうトマスに耳打ちする。だがトマスは難しい顔をしたまま押し黙った。
アレクを追跡してから仕掛けられていることに気がついた探知妨害の魔法の範囲は、それほど広範囲に渡ったものではなかった。
警戒をあらわにした探知妨害魔法の範囲内にアジトがないなど違和感がありすぎる。だから何度も何度も魔法の範囲以内を捜索した。
だが同期がいうとおり数日かけてもその限定された範囲内にアジトが見つけられないとなると、この付近にモーリッシュのアジトがあると踏んだ自分の読みは外れていたのだろうか。
とっくにスタローン王国警備隊と取り決めた猶予は過ぎてしまっていたが、要の警備隊長と副隊長がそろって地下遺跡の探索から戻ってきていないことをいいことに、ギルは捜索を継続しアジトを見つけ次第突入しろと指示をだした。
だがこのままでは突入どころか手土産ひとつ持ち帰れずに自国に戻るハメになる。
やはりこの場にこだわらず、捜索範囲を変えるべきなのか……
腑に落ちないものを腹に抱えたまま、トマスは深々と息を吐いた。
そのとき。
ちらっと光る何かがトマスの鼻先をかすめる。それはふわふわと安定しない飛び方で薄暗い地下街を浮遊する、一匹のサフェバ虫だった。
ではなぜ、兵は叫んだのか。
「モーリッシュが! モーリッシュがいませんっ!」
「なんだとっ!」
半開きの扉を力任せに引っ張って開けてみれば、確かにそこにいるはずのモーリッシュの姿はなく、ただガランとした空っぽの金庫しか存在していない。
信じられない思いで目を丸くし、マーリナスはおのれに問いかけるべく叫んだ。
「どういうことだっ!」
「わ、わかりません。モーリッシュが中に入ってから数分も経ちません。なにか仕掛けがあるのでは……」
珍しく声を荒らげたマーリナスに畏怖恐々と、なんとか受け答えた兵には見向きもせずにマーリナスはずかずかと大股で金庫の中に入ると周囲を見回し、そして見つけた。
「これか……」
それは壁に埋め込まれたレバーだった。今までの金庫にこのようなものはなかったはずだが。
そのレバーを迷いなく下ろすと、ガコンッという仕掛けが可動した音と共に、金庫の壁の一部に新たな出入り口が顔を現した。
その入り口をのぞきこんで見れば奥に続くのは長いスロープだった。
それは下に向かって延々と続いており、途中から弧を描いているようだ。それはさながら巨大な滑り台とでもいうべきものだった。
「ここから逃げたのでしょうか」
「そうだろうな。我々も行くぞ」
マーリナスの背後からスロープをのぞきこんだ兵たちも、驚いたように目を丸くする。
この遺跡にこのような仕掛けがあったとは驚きだが、驚いてばかりもいられない。
マーリナスは意を決してスロープに飛び乗った。
ただでさえ暗い地下迷路。
行き先も不明なその壁の中を滑り落ちるというのは、未知なる恐怖もあり勇気がなければ行えないものだっただろう。
実際、後続の兵たちは戸惑いを隠しきれずマーリナスが単身飛び込んだ後も、しばらくその入り口の前でだれが先に行くか押し問答を繰り返していたのだ。
少しひやりとした空気を切りながら髪をなびかせ、マーリナスはひたすら前だけを見据えてスロープを滑り落ちる。
そこは不思議な場所だった。
スロープを囲むトンネル状の壁はなにかの鉱石でできているのか、光もないのにキラキラと輝きを散りばめていた。白や黄色、中には蒼い光まである。
その中を螺旋を描きながら延々と滑り落ちていくと、もしかしたら終着地点などなく、このまま地の底にたどり着いてしまうのではないかという思いまで込み上げた。
だがそんな不安は突如、正面から差し込んだ橙色の光を目にすることによって霧散する。
光の先にはスロープの終わり。そして床が見えた。マーリナスは体勢を整え、スロープが切れると同時に滑降した勢いを利用しつつ制服をなびかせ、軽やかに床に飛び移った。
そのまま周囲を警戒強く見渡せば、綺麗にクロスのかけられたダイニングテーブルにシンク。食べ物が積まれた器などがある。ここはおそらくキッチンなのだろう。
周囲に人の気配はない。
だが――ガタッ!
奥から何かがぶつかる物音と、次いでドアが勢いよく閉ざされた音がマーリナスの耳を突く。
反射的に振り向き、マーリナスは音の聞こえた方へ向かって駆けだした。
そのとき、誰もいなくなったキッチンで包丁立てから一本の包丁がなくなっていたことには気づきもせず。
◇
一方――地下遺跡上層にある地下街では、追跡班が数日かけてアレクを見失った辺りからモーリッシュのアジトとおぼしき場所を特定すべく捜索を続けていたが、一向になんの手がかりもつかめず焦りをみせていた。
追跡班の指揮を執るのはベローズ王国警備隊所属、トマス・レンジ。
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「トマス。この一帯はもう何度も捜索した。一軒一軒しらみつぶしにだ。もうどの家に誰か住んでいるのかさえ、みな周知しているほどにな。やはりこの辺りにアジトはないのではないか?」
同期の兵が周囲に目を配りながらそうトマスに耳打ちする。だがトマスは難しい顔をしたまま押し黙った。
アレクを追跡してから仕掛けられていることに気がついた探知妨害の魔法の範囲は、それほど広範囲に渡ったものではなかった。
警戒をあらわにした探知妨害魔法の範囲内にアジトがないなど違和感がありすぎる。だから何度も何度も魔法の範囲以内を捜索した。
だが同期がいうとおり数日かけてもその限定された範囲内にアジトが見つけられないとなると、この付近にモーリッシュのアジトがあると踏んだ自分の読みは外れていたのだろうか。
とっくにスタローン王国警備隊と取り決めた猶予は過ぎてしまっていたが、要の警備隊長と副隊長がそろって地下遺跡の探索から戻ってきていないことをいいことに、ギルは捜索を継続しアジトを見つけ次第突入しろと指示をだした。
だがこのままでは突入どころか手土産ひとつ持ち帰れずに自国に戻るハメになる。
やはりこの場にこだわらず、捜索範囲を変えるべきなのか……
腑に落ちないものを腹に抱えたまま、トマスは深々と息を吐いた。
そのとき。
ちらっと光る何かがトマスの鼻先をかすめる。それはふわふわと安定しない飛び方で薄暗い地下街を浮遊する、一匹のサフェバ虫だった。
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