48 / 146
第二章
クロノスタシス
しおりを挟む
サフェバ虫は野山に生息するこの国の固有種であることをトマスは知っていた。
夜行性の昆虫で夜になると羽が発光する。光のない高原で一斉に発光しながら飛び立つサフェバ虫を目にするのはとても希なことであり、それはそれは夢のように美しい光景なのだとか。
トマスはサフェバ虫を目にしたことはなかったが、そのたった一匹のサフェバ虫の光に思わず目を奪われた。
温かみのあるオレンジ色の発光。ゆっくりと闇の中を舞うように浮遊するその姿。それが次第に高度を下げ通路に降り立つ。
こんな地下街にサフェバ虫が紛れ込んでいたことにも少々驚いたが、トマスはさらに信じられない光景を目にする。
一匹のサフェバ虫が降り立ったその場に、何匹ものサフェバ虫が密集していたからだ。何度も点滅を繰り返し、その場で光り輝くサフェバ虫。
通りに人の姿がないことを確認してトマスはその場に歩み寄った。
「なぜここに……」
そこはなんの変哲もない水路の蓋……であるが、他にもサフェバ虫がいるのかと何気なく横に視線を流したトマスはあることに気がついた。
縦横無尽に走る地下街の道。何度も増設と取り壊しを繰り返し、地図など作れたものではないが、ひとつだけ変わらぬものがある。
そう、地下水路だ。それだけは誰も手をつけず、昔と変わらぬ位置にある。
だがこの蓋の並びに他の蓋は見当たらない。思い起こせば、この探知妨害魔法のかけられた範囲内で他に水路の蓋など見かけなかったのではないか。
恐る恐るトマスが蓋に手を伸ばすと、集まっていたサフェバ虫は一斉に空へ飛び立った。
鉄製の蓋はずしりと重かったが、長年閉ざされていたものとは思えないほどなんの引っかかりもなく、やすやすとその口を開いた。
そして現れたのは、下へと伸びる階段――
「見つけたぞ……!」
思わず歓喜に打ち震え叫んだトマスは満面の笑みで後方を振り返り、仲間に大手を振って合図をだした。
その背後で、キラリと光る刃物がまっすぐにトマスの背中に向けて差し向けられる。
「――トマスッ!」
走り寄ろうとした仲間の視線がトマスの背後に移り、目を大きく見開いて手を差し伸ばす。
それはとてもゆっくりとした時間の流れだった。
叫ばれた言葉のひとつひとつがゆっくりと耳に流れて聞こえ、驚いたような仲間の表情も動かす唇の動きも、一歩一歩駆け寄る足の動きも、靴底から弾かれた砂塵も。
何もかもがスローモーションで鮮明に見てとれる。
そして仲間の視線にうながされ、後ろを振り返った自分の動きは、どこかそんな自分を遠くから見ているような不思議な感覚で、自分のものとは思えなかった。
突然マンホールから現れた黒色のターバンと骨ばった顔立ち。その顔の中で狂気に満ちた黒い瞳がすっと細められ、自分をとらえる。
その手に握られているのは、ぎらりと鈍い光を反射する包丁――
まるでそこに死神が現れたようだった。
避けようと思った。とっさに身をひるがえしたが、やたらと動きはスローモーションで突き出された包丁はトマスの脇腹をかすめた。
その痛みと熱さに一瞬ひるんだトマスに追い打ちをかけようと、さらに包丁は軌道を変えて襲いかかる。
その切っ先が、トマスの瞳に向かってまっすぐに突き出された。
「モーリッシュ!!」
耳をつんざく怒号。そして目の前に迫った切っ先を蹴り上げてモーリッシュに飛びかり、砂塵をまきあげながら上乗りになって取り押さえたのはマーリナスだった。
「マ……マーリナス殿……」
「無事か!」
「あ……へ、平気です!」
脇腹の傷はちくりと痛むもののたいしたことはない。トマスは脇腹を押さえつつ、マーリナスに歩み寄った。
「この地下にモーリッシュのアジトがある。そこから遺跡に続く通路が伸びていてバロンの屋敷とつながっているようだ。わたしはまた地下に戻る。モーリッシュの身柄はギル殿に預ける。頼めるか」
「はい!」
「それと、この入り口に厳戒態勢を敷け。モーリッシュの他にもここから誰か出てくる可能性がある」
「了解しました!」
闇にひそんでいたベローズ王国警備隊が次々と姿を現し、モーリッシュを拘束したのを確認してマーリナスは再び地下へと足を向ける。再びアレクを探すために――
夜行性の昆虫で夜になると羽が発光する。光のない高原で一斉に発光しながら飛び立つサフェバ虫を目にするのはとても希なことであり、それはそれは夢のように美しい光景なのだとか。
トマスはサフェバ虫を目にしたことはなかったが、そのたった一匹のサフェバ虫の光に思わず目を奪われた。
温かみのあるオレンジ色の発光。ゆっくりと闇の中を舞うように浮遊するその姿。それが次第に高度を下げ通路に降り立つ。
こんな地下街にサフェバ虫が紛れ込んでいたことにも少々驚いたが、トマスはさらに信じられない光景を目にする。
一匹のサフェバ虫が降り立ったその場に、何匹ものサフェバ虫が密集していたからだ。何度も点滅を繰り返し、その場で光り輝くサフェバ虫。
通りに人の姿がないことを確認してトマスはその場に歩み寄った。
「なぜここに……」
そこはなんの変哲もない水路の蓋……であるが、他にもサフェバ虫がいるのかと何気なく横に視線を流したトマスはあることに気がついた。
縦横無尽に走る地下街の道。何度も増設と取り壊しを繰り返し、地図など作れたものではないが、ひとつだけ変わらぬものがある。
そう、地下水路だ。それだけは誰も手をつけず、昔と変わらぬ位置にある。
だがこの蓋の並びに他の蓋は見当たらない。思い起こせば、この探知妨害魔法のかけられた範囲内で他に水路の蓋など見かけなかったのではないか。
恐る恐るトマスが蓋に手を伸ばすと、集まっていたサフェバ虫は一斉に空へ飛び立った。
鉄製の蓋はずしりと重かったが、長年閉ざされていたものとは思えないほどなんの引っかかりもなく、やすやすとその口を開いた。
そして現れたのは、下へと伸びる階段――
「見つけたぞ……!」
思わず歓喜に打ち震え叫んだトマスは満面の笑みで後方を振り返り、仲間に大手を振って合図をだした。
その背後で、キラリと光る刃物がまっすぐにトマスの背中に向けて差し向けられる。
「――トマスッ!」
走り寄ろうとした仲間の視線がトマスの背後に移り、目を大きく見開いて手を差し伸ばす。
それはとてもゆっくりとした時間の流れだった。
叫ばれた言葉のひとつひとつがゆっくりと耳に流れて聞こえ、驚いたような仲間の表情も動かす唇の動きも、一歩一歩駆け寄る足の動きも、靴底から弾かれた砂塵も。
何もかもがスローモーションで鮮明に見てとれる。
そして仲間の視線にうながされ、後ろを振り返った自分の動きは、どこかそんな自分を遠くから見ているような不思議な感覚で、自分のものとは思えなかった。
突然マンホールから現れた黒色のターバンと骨ばった顔立ち。その顔の中で狂気に満ちた黒い瞳がすっと細められ、自分をとらえる。
その手に握られているのは、ぎらりと鈍い光を反射する包丁――
まるでそこに死神が現れたようだった。
避けようと思った。とっさに身をひるがえしたが、やたらと動きはスローモーションで突き出された包丁はトマスの脇腹をかすめた。
その痛みと熱さに一瞬ひるんだトマスに追い打ちをかけようと、さらに包丁は軌道を変えて襲いかかる。
その切っ先が、トマスの瞳に向かってまっすぐに突き出された。
「モーリッシュ!!」
耳をつんざく怒号。そして目の前に迫った切っ先を蹴り上げてモーリッシュに飛びかり、砂塵をまきあげながら上乗りになって取り押さえたのはマーリナスだった。
「マ……マーリナス殿……」
「無事か!」
「あ……へ、平気です!」
脇腹の傷はちくりと痛むもののたいしたことはない。トマスは脇腹を押さえつつ、マーリナスに歩み寄った。
「この地下にモーリッシュのアジトがある。そこから遺跡に続く通路が伸びていてバロンの屋敷とつながっているようだ。わたしはまた地下に戻る。モーリッシュの身柄はギル殿に預ける。頼めるか」
「はい!」
「それと、この入り口に厳戒態勢を敷け。モーリッシュの他にもここから誰か出てくる可能性がある」
「了解しました!」
闇にひそんでいたベローズ王国警備隊が次々と姿を現し、モーリッシュを拘束したのを確認してマーリナスは再び地下へと足を向ける。再びアレクを探すために――
1
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件
碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。
状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。
「これ…俺、なのか?」
何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。
《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》
────────────
~お知らせ~
※第3話を少し修正しました。
※第5話を少し修正しました。
※第6話を少し修正しました。
※第11話を少し修正しました。
※第19話を少し修正しました。
※第22話を少し修正しました。
※第24話を少し修正しました。
※第25話を少し修正しました。
※第26話を少し修正しました。
※第31話を少し修正しました。
※第32話を少し修正しました。
────────────
※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!!
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
天涯孤独になった少年は、元軍人の優しいオジサンと幸せに生きる
ir(いる)
BL
※2025/11 プロローグを追加しました
ファンタジー。最愛の父を亡くした後、恋人(不倫相手)と再婚したい母に騙されて捨てられた12歳の少年。30歳の元軍人の男性との出会いで傷付いた心を癒してもらい、恋(主人公からの片思い)をする物語。
※序盤は主人公が悲しむシーンが多いです。
※主人公と相手が出会うまで、少しかかります(28話)
※BL的展開になるまでに、結構かかる予定です。主人公が恋心を自覚するようでしないのは51話くらい?
※女性は普通に登場しますが、他に明確な相手がいたり、恋愛目線で主人公たちを見ていない人ばかりです。
※同性愛者もいますが、異性愛が主流の世界です。なので主人公は、男なのに男を好きになる自分はおかしいのでは?と悩みます。
※主人公のお相手は、保護者として主人公を温かく見守り、支えたいと思っています。
祖国に棄てられた少年は賢者に愛される
結衣可
BL
祖国に棄てられた少年――ユリアン。
彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。
その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。
絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。
誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。
棄てられた少年と、孤独な賢者。
陰謀に覆われた王国の中で二人が選ぶ道は――。
兄弟カフェ 〜僕達の関係は誰にも邪魔できない〜
紅夜チャンプル
BL
ある街にイケメン兄弟が経営するお洒落なカフェ「セプタンブル」がある。真面目で優しい兄の碧人(あおと)、明るく爽やかな弟の健人(けんと)。2人は今日も多くの女性客に素敵なひとときを提供する。
ただし‥‥家に帰った2人の本当の姿はお互いを愛し、甘い時間を過ごす兄弟であった。お店では「兄貴」「健人」と呼び合うのに対し、家では「あお兄」「ケン」と呼んでぎゅっと抱き合って眠りにつく。
そんな2人の前に現れたのは、大学生の幸成(ゆきなり)。純粋そうな彼との出会いにより兄弟の関係は‥‥?
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる