アメジストの呪いに恋い焦がれ~きみに恋した本当の理由~

一色姫凛

文字の大きさ
86 / 146
第三章

失いたくないもの

しおりを挟む
「動くな」

 それはぞっとさせる声色だった。静かだが、どことなく無機質で感情のない声。なにをしでかすかわからないその声が、氷水のように背筋を差した。

 突然捕らえられ、驚きと同時に恐怖を感じたのは間違いない。だけどアレクが恐怖を感じたのは、それ以上に別のところにあった。

 アレクは今までも何度かこういった経験をしたことがある。そのときは、ああ…またかと、諦めと呆れが入り交じった乾いた感情しか生まれなかった。

 以前はそれでも良かった。そうして流されるままに生きて、どこかで朽ち果てるのが運命だと諦めていたから。

 でもいまは恐怖と混乱に陥りながら様々なことを思う。

 まさかまた闇商人に見つかってしまたのだろうか。
 またどこかに売られるのだろうか。
 そうしたらマーリナスはどうなるの?
 ロナルドは? ケルトは?
 もう、会えなくなってしまうの……?

 アレクを取り囲む人々のことがあたまを駆けめぐる。喧嘩したり泣いたり笑ったり、それでもかけがえのない幸福な日常。みんなの笑顔が優しい声が、フラッシュバックする。

 考えるほどに寂しさや悲しみが入り交じり、嫌だ嫌だと心が泣く。呪いを身に宿し穢れた人生を送ってきた自分がこんなことを思うのは我が儘かもしれない。

 だけど、どんなに無様でどんなに醜い生き様でも、いまは戻りたい場所がある。一緒にいたいひとたちがいる。そのひとのために、やらなければならないことがある。

 マーリナスが無事に生きていけるように、早く笑顔を取り戻せるように。

 恐怖と共にアレクの胸を締めつけたのは、そんな想いだった。

 だからいまここで諦めるわけにはいかない。

 己を奮い立たせて、アレクは固く目をつぶると口を押さえつけている手に目一杯歯を立てた。

「痛っ……!」

 一瞬ひるんだ男の腕から急いですり抜ける。だが男は逃がすまいとアレクの腕に手を伸ばし、体ごと壁に押しつけた。

 闇の中で自分をにらむ男と怯えるアレクの目が交差する。闇の中にあっても紫水晶のごときアレクの瞳は変わらない。

 だがアレクをにらむ瞳もまた、紫色の光を帯びてギラギラと輝いた――

 それに気がついたアレクは言葉を失う。

 それはバレリアの呪力を受けた者しか発することのない瞳の輝き。美しさではなくたがの外れた欲望に忠実な、ただただ禍々しいそんな色を持つ瞳だ。

「だ……れ」

「俺を忘れたか、アレク」

 深い闇の中で唇が動く。闇に溶け込んで顔はみえない。けれどその声がアレクの脳裏をつついた。どこかで聞いた声。僕はこのひとを知っている。そんな理由のない確信がアレクの胸をざわつかせた。

 そのとき、鼻先で突風が凪いだ。

 反射的に後方に飛び退いた男とアレクの間に影が割って入る。

 目の前に現れたシルエット。頬をかすめた風に揺れる髪。細かなところは闇に溶けてハッキリとみることは叶わない。それでもアレクにはわかった。

 背中越しに伝わる彼の柔らかな雰囲気が、もう大丈夫だとそう語る。

「ロナルド!」

「遅くなって悪かったね。無事かい、アレク」

 思った通りの声が返ってきて、アレクの目に思わず涙が浮かんだ。いつもと変わらず、優しくて安堵感を与える声。

 ロナルドが無事だったことに安堵した。それもある。でも涙が目に滲むのはロナルドが傍にいてくれることが何よりも心強く、張り詰めていた緊張感がぷつりと途切れてしまったからだ。

 同時に、いつの間にロナルドの存在がこれほど大きくなっていたのかと驚く自分がいた。

「何者だ」

 闇の中で対峙する男に投げかけたロナルドの声はアレクの身を案じたものとはかけ離れ、氷のような冷たさを纏う。大きく安堵の息をついたアレクはハッとして再び気を引き締めた。

「おまえは……」

 太陽から遮断された地下街の暗い路地裏。互いの顔など至近距離でなければ見てとれない。それでもロナルドと対峙した正体不明の影には、ハッキリとロナルドの顔を認識することができた。

 影がこぼしたのは疑問ではない。

 そう、これは怒り。認識できてしまったからこそ、湧き上がる憎悪が昂ぶりすぎて言葉に詰まってしまっただけだ。

 すぐそこの大通りでひとの波に煽られた篝火が大きく揺れて、つかの間ロナルドの頬を照らしだした。

 その瞬間。影が目の色を変えて刃物を抜きだしロナルドに飛びかかった。硬質な金属音と共に闇の中に火花が散る。

「アレク!」

 ロナルドはかろうじて一撃を受け流し、アレクの手を握ると大通りに向かって駆けだした。闇の中では分が悪い。まだいくらか明かりのある大通りの方が安全だ。

 男は瞳の中で揺れる紫色の光に憎悪を乗せて追いかける。いまや男の目にはロナルドの姿しか映っていなかった。目は血走り、飢えた獣のようによだれを垂らしながら腹底から声を吐き出す。

「殺す!!」

 背後から牙を剥いて飛びかかる影を振り返り、ロナルドはアレクを突き飛ばした。

 同時に顔の数センチ手前に迫った刃先をなんとか警棒で受け止める。

 だが突進してきた男の勢いを完全に殺すことはできず背中から地面に押し倒された。

 刃先が警棒を滑り頬をかすめながら地面に突き刺さる。影は倒れたロナルドの上に跨がり、どしりと体重をかけて身動きを封じると俊敏な動きで再び刃物を振り上げた。

 そのとき、男の狂気に満ちた顔が篝火に照らされて浮かび上がる。

 放り出されて身を起こしたアレクと男を見上げるロナルドの目が同時に大きく見開かれた。

 鳶色の短髪に左頬に走る大きな傷痕。刃物を握りしめた両腕に刻まれた二匹の蛇。

 何度も目にしたこの特徴を、この男を、ふたりが忘れるはずがなかった。

「「ベイン……!」」

しおりを挟む
感想 396

あなたにおすすめの小説

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件

碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。 状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。 「これ…俺、なのか?」 何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。 《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》 ──────────── ~お知らせ~ ※第3話を少し修正しました。 ※第5話を少し修正しました。 ※第6話を少し修正しました。 ※第11話を少し修正しました。 ※第19話を少し修正しました。 ※第22話を少し修正しました。 ※第24話を少し修正しました。 ※第25話を少し修正しました。 ※第26話を少し修正しました。 ※第31話を少し修正しました。 ※第32話を少し修正しました。 ──────────── ※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!! ※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。

天涯孤独になった少年は、元軍人の優しいオジサンと幸せに生きる

ir(いる)
BL
※2025/11 プロローグを追加しました ファンタジー。最愛の父を亡くした後、恋人(不倫相手)と再婚したい母に騙されて捨てられた12歳の少年。30歳の元軍人の男性との出会いで傷付いた心を癒してもらい、恋(主人公からの片思い)をする物語。 ※序盤は主人公が悲しむシーンが多いです。 ※主人公と相手が出会うまで、少しかかります(28話) ※BL的展開になるまでに、結構かかる予定です。主人公が恋心を自覚するようでしないのは51話くらい? ※女性は普通に登場しますが、他に明確な相手がいたり、恋愛目線で主人公たちを見ていない人ばかりです。 ※同性愛者もいますが、異性愛が主流の世界です。なので主人公は、男なのに男を好きになる自分はおかしいのでは?と悩みます。 ※主人公のお相手は、保護者として主人公を温かく見守り、支えたいと思っています。

兄弟カフェ 〜僕達の関係は誰にも邪魔できない〜

紅夜チャンプル
BL
ある街にイケメン兄弟が経営するお洒落なカフェ「セプタンブル」がある。真面目で優しい兄の碧人(あおと)、明るく爽やかな弟の健人(けんと)。2人は今日も多くの女性客に素敵なひとときを提供する。 ただし‥‥家に帰った2人の本当の姿はお互いを愛し、甘い時間を過ごす兄弟であった。お店では「兄貴」「健人」と呼び合うのに対し、家では「あお兄」「ケン」と呼んでぎゅっと抱き合って眠りにつく。 そんな2人の前に現れたのは、大学生の幸成(ゆきなり)。純粋そうな彼との出会いにより兄弟の関係は‥‥?

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

祖国に棄てられた少年は賢者に愛される

結衣可
BL
 祖国に棄てられた少年――ユリアン。  彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。  その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。  絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。  誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。   棄てられた少年と、孤独な賢者。  陰謀に覆われた王国の中で二人が選ぶ道は――。

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

処理中です...