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第四章
会いたくて
しおりを挟む……ト……ルト……ケルト……
「ケルト。どうした、なにかあったのか」
ただ茫然と立ち尽くすケルトを発見し、マーリナスは小さく眉根を寄せる。何度呼びかけてみても反応がない。肩をつかんでゆすってみると、ようやく反応を示した。
ぎこちない動きでゆっくりと振り返る。そのケルトの表情をみた途端、マーリナスの顔が曇る。
顔は血の気が失せたように青ざめ、目の焦点は不安定に揺れながら左右を行き来していた。
「ケルト……なにがあった」
「バレリア……」
バレリア?
小刻みに震えるケルトの唇からぽろりと落ちた小さな言葉に、マーリナスの眉間の皺がさらに深まる。なぜいまその言葉を発するのか。
そもそもアレクの呪いを知った上で傍にいることを望んでいるケルトが、いまさらその言葉に怯えるはずもない。だが、この様子は明らかに異常だ。はぐれてしまった僅かな時間になにがあったのか。
深く問いただしたいところだが、あいにくと状況は緊迫している。
先に酒場付近に到着したマーリナスは、ならず者たちを捕らえている警備隊を発見した。指揮官であるロナルドの姿は見当たらず、現場に残っていた隊員の数も僅かばかり。
隊員に状況を確認したところ酒場で乱闘が起き、ゲイリー・ヴァレットは逃走。ロナルドは既に追跡を開始し、上層へ移動している。
急いで後を追わなければ。そう思ったとき、ケルトがいないことに気がついて戻ってきたのだ。
「ケルト、ロナルドとアレクはゲイリーを追って上層に戻った。ロナルドのことだから無理はしないと思うが、あいつもまたバレリアの呪いにかかっている。アレクが傍で関わっている以上、いつ判断を誤るかわからない。それはアレクをいま以上の危険にさらす可能性があるということだ。わかるな?」
アレクが危険にさらされる。
その言葉がケルトの正気を取り戻す。あたまは真っ白だったし心臓は早鐘を打ったようにうるさく音を立てていたけど、ケルトはそれらから無理矢理目を背けた。
「悪い。行こう」
ケルトの焦点が定まり、目に力が戻ったのをみてマーリナスは小さく安堵の息をつく。
「地上に向かったのなら、おおよその目星はついている」
「なんでわかるんだよ」
「酒場の店主が教えてくれたからな」
片方の口角をあげて笑ってみせたマーリナスに、ケルトは一瞬呆気に取られたあと苦笑をもらした。
そうだ。いまはこんなことに気を取られている場合じゃない。早く、アレク様の元へ。
マーリナスもまた遥か頭上を見上げる。早く会いたい。頼むから無事でいてくれと、逸る気持ちを乗せて走り出した――
◇
「オクルール大臣……」
アレクは思わず言葉を失う。
この東地区の行政をみるからに貴族なのはわかっていたけど、まさか国の閣僚だとは思いもよらなかった。
「オクルール大臣は次期右大臣との呼び名も高く、国王殿下の信頼も厚い人物だと聞いている。おそらく職務上、国王殿下とも近しい立場にいるだろう。謁見することも容易だろうし、もしも大臣がゴドリュースを手に入れることが可能なら……」
「それを国王殿下に飲ませることも可能ということですね」
「黙れ! 軽率な言葉を吐くことは侮辱罪にあたるぞ、このバカが!」
ロナルドがいわんとしたことをアレクが続けると、ニックが鋭い目つきで怒鳴った。
ゲイリーの情報を吐いたホーキンスはモンテジュナルの闇商人エレノアと取引の予定があるといった。商人同士の取引ならば相場を元値に交渉するのが定石だろうが、もしそこに買い手がいるとすればどうなるか。
ゲイリー・ヴァレットはエレノアとオクルール大臣の仲介人だったということになる。
一国の大臣とゴドリュースを持つエレノア。しかも国籍は互いに別のところにあり、エレノアが取引を終えて出国した時点でオクルール大臣がゴドリュースを買ったという証拠は消え、手出しができなくなる。
双方にとってこの黄金のパイプは喉から手が出るほど欲しいもののはず。
ゲイリーはその両人から多額の仲介料を取り、さらに残ったゴドリュースを手に入れるという算段なのだろう。なんとも狡猾で強欲。
「本当に恐ろしい男だね」
敵でなければ賞賛の拍手を送ってやるところだ。ロナルドは苦笑交じりにつぶやいた。
「どうしますか?」
そしてアレクもまたロナルドと同様のことを考えていた。
取引相手にオクルール大臣が含まれているのなら、国王の命を揺るがす危険性が多いに含まれているということ。必ず現場を押さえなくてはならない。
ただし肝心のエレノアがここにいればの話だ。現物がなければ取引は成立しないし、なによりゴドリュースの確保ができない。
だがアレクが同行した狙いはまた別のところにある。ホーキンスがゲイリーから手に入れたという解毒剤。それを手に入れることだ。
毒物の取引には必ず解毒剤が含まれる。ゴドリュースに関しては必ずしもそれで助かるという保証はないが、マーリナスのように状態を維持しつつ、ゆっくりと改善に向かうケースもある。
要は「助かる可能性」があればいいのだ。それをちらつかせて、死に際の標的から求める物を奪う。
ただ殺すことを目的とするなら必要ないが、ゴドリュースという劇薬が王族貴族に使用されることになったのは、そういった目的が往々にして含まれていたからだ。
闇商人はそういった「事情」をよく理解している。だから必ずエレノアは解毒剤も持ってきているはず。それを手に入れて必ずマーリナスを助ける。
マーリナスはいま、どうしているんだろう。まだベッドで寝ているのかな。悪化なんてしていないよね?
たった一日、顔を見ないだけでこうも不安になる。死んだように眠るマーリナスの顔を見ているのはとてもつらかったけど、穏やかな寝息を聞いていると安心できた。
でももし可能なら。
もう一度、あの濃紺色の瞳の中に自分の姿を映して欲しい。そして、ありがとうとごめんなさいを伝えたい。
早く、会いたい。
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