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Dear Akiko
Dear Akiko ①
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叔母からの電話で、母の明子が癌である事を知った。
電話が掛かってきた時、私は勤務中で応答する事ができなかった。着信に気付いたのは休憩中の事だった。「姉ちゃん、癌になっちゃたんだ」という叔母からの留守番電話のメッセージを聞いた私は大層なショックを受け、ロッカー室の椅子に座ったまま目元に手を当て俯いていた。更にこちらから電話を掛け直すと、既に末期癌である事が分かった。上司に話してなるべく早くそちらに行くと伝え、この場は電話を切った。
私はこの二年間、ずっと母とは何の連絡も取っておらず。音信不通だった。父と母も二年前に離婚している。離婚後、父と母はそれぞれの実家に帰った。祖父も祖母も、叔父も既に他界していたが、実家には叔母(母の妹)とその一人息子が住んでいた。[※注1]
情けない話だが、私一人では面倒を見る事ができないと悟った両親が、迷わず実家に帰るという選択肢を取ったのだ。きっとこの電話がなければ、私はもう母に会いに来る事などなかったのかもしれない。叔母のメッセージがなければ、掛け直す事もなかったのかもしれない……
私はその時間、バーの方ではなくレストランのホールのヘルプをしていた。ディナーの混雑が粗方落ち着いてきて、バーに戻る前に休憩室で何も気にせずに留守番電話のメッセージを確認した時には、既に夜の八時を過ぎていた。
私はすぐに休憩室を出て、バーのキャッシャーにいる黒服のヒロミさんにその事を伝えた。私の表情は相当に蒼白していた様で、ヒロミさんはすぐに早退を許可してくれた。そして取り敢えず、三日間の休暇を頂いた。その間に母の看病等今後の事を決めてなさいとの事だった。
私には、明朝まで出発を待っていられる程の心の余裕はなかった。帰宅してすぐにシャワーを浴びて、一泊分の着替えを持ってそのまま車で叔母の家に向かった。
片道凡そ百五十キロの道程。深夜でも恐らく二時間くらいは掛かる。眠くなる事はなかったが、二年振りに、しかもこんな形で母に会う事を考えると緊張を通り越して恐怖心が湧いてくる。今の私には、精神的に長くて辛い道程だった。
叔母の家に着いたのは日付が変わる頃だったが、私が来るのを待っていてくれた。叔母は「来てくれてありがとうね」と言ったくれたが、その言葉が却って私の胸に突き刺さった。
その後もお互いの近況の話に二、三触れたが、この日に母の病気の事について話す事はなかった。
用意してくれた布団で眠ろうとしたが、深い眠りに就くまでには至らず。すぐに朝になってしまった。
叔母が用意してくれた朝食を食べた後、二人で病院に向かった。叔母の息子(私の従弟にあたる)は仕事が入っていた事もあり、後で行くからと言ってこの日一緒には来なかった。それが別に薄情だとも思ってはいないし、思う資格もない。別に仲が悪い分けでもなく、彼の本心は分からないが、今の私にとっては有り難い選択だった。
―――――――――――――――――――――
病室に向かう途中の廊下で、私達は廊下を歩く母の姿を見つけた。久し振りに対面した母の体はとても小さく見えたが、思っていたよりも血色が良く元気そうに見えて胸を撫で下ろした。
母は私の姿を見るなり、手を伸ばして抱き付いてきた。少なくとも私の記憶の中で、こんなにも感情的に母に抱きしめられる事なんてこれがはじめてだった。
「久し振り、何してたんだ?」
「全然会ってなかったね」
会えた事を、こんなにも喜んでくれている。笑顔の母に、私はまともに返答をする事ができなかった。
(お母さん、ごめんなさい)
心の中でそう呟いたまま、少し力を込めて母の体を強く抱きしめた。
「売店で飲み物を買って来る」と言い、叔母は私と母を二人きりにした。
母と二人で先に病室に戻り、私は母が寝ているベッドの横にある椅子に座り、暫くの間、二人で話をしていた。私がまだ母と一緒に生活していた頃の思い出を、二人で懐かしんだ。私の記憶がまだ曖昧な幼い頃の話や、私の学生時代の頃の話など、もう過去に幾度となく繰り返し話した内容だ。病気の具合など、とても聞く気にはなれなかった。
「あ、そうだ。私、少し前にハワイアンセンターに行ってきたんだ。今はもう、名前が変わってハワイアンズっていうんだけどね」
とにかく、明るい話題を切らせたくなかったのだ。常磐ハワイアンセンターは私が小学生の頃、夏休みの家族旅行で二度も行った事がある思い出の場所でもあった。
「へえ、懐かしいね。わたしももう一回行きたかったな」
言ってすぐに後悔した。母はもう、自分が長く生きられない事を知っている。それもその筈だ。祖父と、祖母と、叔父。嘘の様な本当の話だが、三人共に末期癌を患い、この日立総合病院のベッドの上で例外なく皆息を引き取ったのだ。私も「退院したら行こうよ」という言葉が出掛かったが、とても言えたものではなかった。
「誰と行ってきたのよ」
母は茶化すように聞いてくる。
「…ああ、友達と行ってきた。日帰りで大変だったけどね」
私は二十七歳にもなって、生まれてこの方一度も母に恋人を紹介した事がない。母になら私が同性愛者である事を打ち明けても受け入れてくれそうなのだが、後回しにして結局ここまで来てしまった。
等と考えているうちに、買い物袋を持った叔母が病室に入ってきた。私は叔母から貰った飲み物で口を潤していたが、数分後、今度は看護師の女性が私の許を訪れた。そして私に母の病状を説明する為、主治医のいる応接室まで案内された。
主治医の先生は、遠慮がちに母の病状について話し出した。
通院時に母が訴えていた症状は「休んでも疲れが取れない」「ちゃんと食事を摂っているのに体重が減っていく」という事だけだった。それが検査の結果、大腸癌だったのだ。そしてその腫瘍が、既に肝臓にまで転移している事。それが所謂末期癌であるという事。順を追って説明してくれた。
ここまでは叔母からも聞いていた話なのだが、ここから先の話は更に辛いものだった。
手術をしても、成功する可能性は三十パーセントにも満たないという事。そしてそれが、今よりも更に苦しい病気との闘いになるという。その三十パーセントにも満たない保障の為に、母は一体どれだけの苦しみを味わう事になるのだろう。私には想像もできなかった。
そして母に与えられたもうひとつの選択肢が、手術をせずに薬で病気の苦痛を和らげて、できるだけ穏やかに死を迎える事だった。それでも、もってあと半年という事だった。
あまりにも非情な二択だったが、私がそこで悩む必要はなかった。
母は、既にこの話を全て一人で聞き、結論を出していたのだ。
おそらく母は、自分にとっては実の妹である筈の叔母にさえ、ぎりぎりまで話をする事を遠慮していたのだろう。叔母の家で生活している事も、居候で肩身の狭い思いをしていたのかもしれない……
私はこれほど自分をクズだと思った事はない。
私にもっと母を思いやる愛情があれば、もう少しまマシな選択肢を用意する事ができたのだろうか。
私は先生の目も気にせず項垂れたまま、顔を上げる事ができず。すいませんでした、と誰にでもなく言葉を吐き捨ててその場を立ち去った。
―――――――――――――――――――――
注釈1.母の実家の家族構成
・私の母(父とは離婚)
・母の妹(旦那は他界)
・その息子
住まい:祖父の持ち家を母の妹が相続。息子と二人住まいの家に、私の母が居候した。
電話が掛かってきた時、私は勤務中で応答する事ができなかった。着信に気付いたのは休憩中の事だった。「姉ちゃん、癌になっちゃたんだ」という叔母からの留守番電話のメッセージを聞いた私は大層なショックを受け、ロッカー室の椅子に座ったまま目元に手を当て俯いていた。更にこちらから電話を掛け直すと、既に末期癌である事が分かった。上司に話してなるべく早くそちらに行くと伝え、この場は電話を切った。
私はこの二年間、ずっと母とは何の連絡も取っておらず。音信不通だった。父と母も二年前に離婚している。離婚後、父と母はそれぞれの実家に帰った。祖父も祖母も、叔父も既に他界していたが、実家には叔母(母の妹)とその一人息子が住んでいた。[※注1]
情けない話だが、私一人では面倒を見る事ができないと悟った両親が、迷わず実家に帰るという選択肢を取ったのだ。きっとこの電話がなければ、私はもう母に会いに来る事などなかったのかもしれない。叔母のメッセージがなければ、掛け直す事もなかったのかもしれない……
私はその時間、バーの方ではなくレストランのホールのヘルプをしていた。ディナーの混雑が粗方落ち着いてきて、バーに戻る前に休憩室で何も気にせずに留守番電話のメッセージを確認した時には、既に夜の八時を過ぎていた。
私はすぐに休憩室を出て、バーのキャッシャーにいる黒服のヒロミさんにその事を伝えた。私の表情は相当に蒼白していた様で、ヒロミさんはすぐに早退を許可してくれた。そして取り敢えず、三日間の休暇を頂いた。その間に母の看病等今後の事を決めてなさいとの事だった。
私には、明朝まで出発を待っていられる程の心の余裕はなかった。帰宅してすぐにシャワーを浴びて、一泊分の着替えを持ってそのまま車で叔母の家に向かった。
片道凡そ百五十キロの道程。深夜でも恐らく二時間くらいは掛かる。眠くなる事はなかったが、二年振りに、しかもこんな形で母に会う事を考えると緊張を通り越して恐怖心が湧いてくる。今の私には、精神的に長くて辛い道程だった。
叔母の家に着いたのは日付が変わる頃だったが、私が来るのを待っていてくれた。叔母は「来てくれてありがとうね」と言ったくれたが、その言葉が却って私の胸に突き刺さった。
その後もお互いの近況の話に二、三触れたが、この日に母の病気の事について話す事はなかった。
用意してくれた布団で眠ろうとしたが、深い眠りに就くまでには至らず。すぐに朝になってしまった。
叔母が用意してくれた朝食を食べた後、二人で病院に向かった。叔母の息子(私の従弟にあたる)は仕事が入っていた事もあり、後で行くからと言ってこの日一緒には来なかった。それが別に薄情だとも思ってはいないし、思う資格もない。別に仲が悪い分けでもなく、彼の本心は分からないが、今の私にとっては有り難い選択だった。
―――――――――――――――――――――
病室に向かう途中の廊下で、私達は廊下を歩く母の姿を見つけた。久し振りに対面した母の体はとても小さく見えたが、思っていたよりも血色が良く元気そうに見えて胸を撫で下ろした。
母は私の姿を見るなり、手を伸ばして抱き付いてきた。少なくとも私の記憶の中で、こんなにも感情的に母に抱きしめられる事なんてこれがはじめてだった。
「久し振り、何してたんだ?」
「全然会ってなかったね」
会えた事を、こんなにも喜んでくれている。笑顔の母に、私はまともに返答をする事ができなかった。
(お母さん、ごめんなさい)
心の中でそう呟いたまま、少し力を込めて母の体を強く抱きしめた。
「売店で飲み物を買って来る」と言い、叔母は私と母を二人きりにした。
母と二人で先に病室に戻り、私は母が寝ているベッドの横にある椅子に座り、暫くの間、二人で話をしていた。私がまだ母と一緒に生活していた頃の思い出を、二人で懐かしんだ。私の記憶がまだ曖昧な幼い頃の話や、私の学生時代の頃の話など、もう過去に幾度となく繰り返し話した内容だ。病気の具合など、とても聞く気にはなれなかった。
「あ、そうだ。私、少し前にハワイアンセンターに行ってきたんだ。今はもう、名前が変わってハワイアンズっていうんだけどね」
とにかく、明るい話題を切らせたくなかったのだ。常磐ハワイアンセンターは私が小学生の頃、夏休みの家族旅行で二度も行った事がある思い出の場所でもあった。
「へえ、懐かしいね。わたしももう一回行きたかったな」
言ってすぐに後悔した。母はもう、自分が長く生きられない事を知っている。それもその筈だ。祖父と、祖母と、叔父。嘘の様な本当の話だが、三人共に末期癌を患い、この日立総合病院のベッドの上で例外なく皆息を引き取ったのだ。私も「退院したら行こうよ」という言葉が出掛かったが、とても言えたものではなかった。
「誰と行ってきたのよ」
母は茶化すように聞いてくる。
「…ああ、友達と行ってきた。日帰りで大変だったけどね」
私は二十七歳にもなって、生まれてこの方一度も母に恋人を紹介した事がない。母になら私が同性愛者である事を打ち明けても受け入れてくれそうなのだが、後回しにして結局ここまで来てしまった。
等と考えているうちに、買い物袋を持った叔母が病室に入ってきた。私は叔母から貰った飲み物で口を潤していたが、数分後、今度は看護師の女性が私の許を訪れた。そして私に母の病状を説明する為、主治医のいる応接室まで案内された。
主治医の先生は、遠慮がちに母の病状について話し出した。
通院時に母が訴えていた症状は「休んでも疲れが取れない」「ちゃんと食事を摂っているのに体重が減っていく」という事だけだった。それが検査の結果、大腸癌だったのだ。そしてその腫瘍が、既に肝臓にまで転移している事。それが所謂末期癌であるという事。順を追って説明してくれた。
ここまでは叔母からも聞いていた話なのだが、ここから先の話は更に辛いものだった。
手術をしても、成功する可能性は三十パーセントにも満たないという事。そしてそれが、今よりも更に苦しい病気との闘いになるという。その三十パーセントにも満たない保障の為に、母は一体どれだけの苦しみを味わう事になるのだろう。私には想像もできなかった。
そして母に与えられたもうひとつの選択肢が、手術をせずに薬で病気の苦痛を和らげて、できるだけ穏やかに死を迎える事だった。それでも、もってあと半年という事だった。
あまりにも非情な二択だったが、私がそこで悩む必要はなかった。
母は、既にこの話を全て一人で聞き、結論を出していたのだ。
おそらく母は、自分にとっては実の妹である筈の叔母にさえ、ぎりぎりまで話をする事を遠慮していたのだろう。叔母の家で生活している事も、居候で肩身の狭い思いをしていたのかもしれない……
私はこれほど自分をクズだと思った事はない。
私にもっと母を思いやる愛情があれば、もう少しまマシな選択肢を用意する事ができたのだろうか。
私は先生の目も気にせず項垂れたまま、顔を上げる事ができず。すいませんでした、と誰にでもなく言葉を吐き捨ててその場を立ち去った。
―――――――――――――――――――――
注釈1.母の実家の家族構成
・私の母(父とは離婚)
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