しあわせの村

都貴

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第一章

第一章①

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 今年は久しぶりの冷夏だった。夏の活気が感じられないまま九月に入り、頬に当たる風はますます冷たい。

 上着を取りに戻ろうかと踵を返した時、ふと郵便受けが目に入った。昨晩残業を終えて帰宅した際、無造作に放り込まれていた宗教勧誘のチラシも格安メンズエステのダイレクトメールもちゃんと抜き取って、ダイニングの机に置いた。それなのに、ポストに何かが入っている。

 獅子王悠翔《ししおうゆうと》は怪訝に思いつつ、劣化して曇ったプラスチックの戸を開く。
そこには一通の封筒が鎮座していた。

 手紙なんて今時古風な。

 細い吊り眉を顰めつつ、封筒を手に取る。

 真っ白な封筒には差出人の名前がなければ切手も貼っていない。宛名も書いていない。
 本当に俺宛てなのだろうか。

 疑問に思ったが確認する余裕はない。封筒を鞄に無造作に突っ込み、腕時計を見る。

「げっ、もうこんな時間じゃねえか」

 連日に及ぶ終電までの残業が祟って寝過ごしてしまったというのに、いつも通りにきっちりと朝食をとって、弁当まで作っていたせいで出勤時間が差し迫っている。上着を取りに戻るのを諦め、駅に急いだ。

 雑多で騒がしい東京の良い所は、田舎と違って電車の本数が多い所だ。タイミングよくホームに滑り込んだ電車に飛び乗ることができた。
 かなり小柄で華奢な悠翔は、おしくら饅頭状態の車内にあっても上手く人と人の隙間に入り込み、押し潰されることなく悠然と電車に揺られた。会社の最寄り駅に着くと、大量に吐き出された人の波に乗って電車を降りる。

 あと十分で始業時間だ。囚人のように足の重いホワイトカラー達を追い抜きながら、オフィス街の大通りを大股の速足で進む。

 無事に始業二分前にオフィスに着いた。その時にはすっかり、鞄の封筒の存在など忘れていた。
 思い出したのは昼食の時間だ。

 弁当を食べようと鞄を開けた時、骨のように白い封筒が目に飛び込んできた。よくよく見ると、気味の悪い封筒だ。
 不意にアパートの押入れの奥深くに仕舞い込んだ、白い壺を思い出す。

『ずっと一緒よ、悠翔』

 封印した恐ろしいほど甘ったるい声が甦り、身震いした。
 忌々しく見えてきた封筒を摘み上げ、ぞんざいにデスクに置く。

「悠翔さん、一緒に昼飯食いましょうよ」

 新入社員の早瀬が高校生のようなノリで、コンビニの袋を手に近付いてくる。早瀬は弁当箱の横に置いた封筒を目敏く見つけ、勝手に手に取った。

「なんすか、これ。もしかしてラブレター?」
「ラブレターなんかじゃねえよ。家のポストに放り込んであったんだ。男からか女からかもわからない」
「マジですか。それってめっちゃ怖くないっすか? もしかしてストーカーだったりして」
「ストーカーされる覚えはねえ」
「悠翔さん美男子っすから」
「まさか、ないだろ。それより、一緒に昼飯食うんだろ」

 雨じゃない限り、昼食は人の少ない屋上でとるに限る。悠翔は早瀬を連れて屋上に向かった。

 自分より随分と背が高い早瀬が小鴨のように後を着いてくるのは妙な気分だけど、慕われるのは悪い気はしない。
 屋上に出るとオフィスの中に渦巻くのとはまったく別物の生きた風が吹き、悠翔の長い前髪と尻尾のような襟足がふわりと宙を舞った。

 剝き出しの腕を撫でる風はやや冷たいけれど、蒸し風呂状態のオフィスで火照った体にはちょうどいい。

「相変わらず、悠翔さんの弁当ってバランスと彩りがよくって美味そうですね」
「食うか?」

 ウインナーパンを齧りながら早瀬が羨ましそうに弁当を覗き込んでくるので、悠翔は弁当箱を差し出した。

「えっ、いいんすか。いつもありがとうございます」

 早瀬はほうれん草入りの卵焼きと昨日の晩の残りの茄子のはさみ揚げを持っていった。一つ下の後輩は遠慮という言葉を知らないけど、その素直さを好ましいと思う。
 普段は男前の早瀬だが、美味しそうに頬張る顔は子供みたいで可愛い。悠翔は頬を緩めた。

 ふいに、古い知人を思い出す。彼もまた、自分が作った食事を美味しそうに食べていた。

 脳裏に旧友の端正な顔が甦りかけて、慌てて掻き消す。 
 過去は故郷に置いてきたはずだ。

 昼食を食べ終えると真白い封筒を手に取った。蝋の封を模した赤黒いシールを剥がし、中身を取り出す。
 その間、隣から覗き込む早瀬の方が緊張した顔をしているのが可笑しかった。

 
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