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第一章
その一
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ベタつく潮風に攫われるさらりとした黒髪を搔き上げて、月島晋(つきしましん)は遠くを見つめた。
一面に広がる透き通ったオーシャンブルー。遥か彼方は空の蒼と海の碧が溶け合っている。それ以外には何もない。
デッキを歩いて船の後部へ移動すると、手摺に肘を掛けて、晋は進行方向とは逆を見詰めた。
海に白い泡で軌跡を描きながら、船は陸地からどんどん離れていく。
薄汚れた木の桟橋、小さな船がポツポツと停まっているだけの寂れた港が小さくなって見えなくなった。頭上ではウミネコが馬鹿にするようにギャアギャアと喚いている。
「なーにぼんやりしてんだよ。船酔いか?」
隣にやってきて手摺に凭れる青年に目を向ける。
癖毛な灰色の髪に灰色の瞳。彼は同じ人文学部の友人、椿木時夜(つばきときや)だ。
晋が答えずにいると、時夜が更に尋ねた。
「それとも、島に行くのが怖くなっちまったか?」
ニヤニヤ笑う時夜に、晋はふんと鼻を鳴らす。
船が向かっているのは、四国のずっと下に位置する、地図にも載っていないようなほんの小さな無人島だ。
島の名は鬼月島(おにづきとう)。正確な名前かどうかは知らないが、ネット上ではそう呼ばれている。その島には増築が繰り返された風変わりな屋敷があって、中に入った者が行方知れずとなったとか、凶悪な化け物が住んでいるという噂が絶えないらしい。
増築が繰り返された屋敷。アメリカにもそういう話があった。銃を開発した会社の社長夫人が幽霊に唆されて建て増し続けた、あの有名な屋敷の話だ。
晋はそんな噂など微塵も信じてない。それこそ、アメリカの奇妙な増築屋敷を文字って誰かが作った話に違いない。だから怖いなんて一瞬たりとも思わなかった。
そう、怖くはない。ただ、なんとなく嫌な匂いがする。
でも、そんなことは杞憂に違いないと頭では理解しているし、とるにたりない不安だ。
そんなことよりも、現実的にもっと気にかかっていることがあり、つい顔が暗くなる。
「別に、なんでもねぇよ」
時夜に対して素っ気なく答えると、晋はまた遠くを見詰めた。
真っ青な景色を眺めていると、胸にしまい込んでいた不安が不意に脳裏を過る。
鬼月島への旅行を計画し、同じ人文学部の三年生の連中を誘い集めたのは、ミステリー研究部という妙なサークルに所属している時夜だ。
旅行の目的は鬼月島の噂の真相を解き明かすことだそうだ。
情報の氾濫している時代だ。ガセネタなどそこら中に転がっている。その中から希少な本物を見つけ出すのは非常に困難だ。いかがわしい怪奇談となれば、いっそう本物を探すのは難しいだろう。
たかがサークル活動で歴史に残るような本物のミステリーを発見しようなんて気概は、恐らく時夜にはない。
大学一年からずっと一緒に過ごしてきて、彼の性格はよくわかっている。
鬼月島に関する噂の解明は時夜にとって単なる建前にすぎない。おおかた、ミステリー研究と称して仲間とワイワイ旅行したかっただけなのだろう。
ようするに大学での華やかな思い出づくりがしたかっただけというわけだ。
ミステリー研究部のサークルの連中を誘わずに同じ人文学部の同級生を誘った理由は、時夜いわく
「ミス研の連中って暗いヤツ多くてさ、一緒に旅行してもつまんねーんだよな」ということらしい。
こんな時に集まらずして、なんのためのサークルなのだろうか。甚だ疑問だ。
ちなみに晋は、時夜には旅行に誘われていない。
親友などというベタな言葉を使う気はないが、間違いなく時夜といちばん仲がいいのは自分だと自負していた。
しかし、時夜は自分を旅行に誘ってくれなかった。
晋を誘ったのは別の人間だ。
およそ一カ月前、晋は大学にあるカフェのテラス席で一人、コーヒーを飲んでいた。
初夏の風が頬を撫でる。もうすぐ夏休みだというのに何の予定もない。真っ白のスケジュール帳を眺めながら溜息を吐いた。
みんなでワイワイ仲良く楽しむタイプではない。人付き合いが嫌いで、コミュニケーション能力もやや欠けている自覚はある。でも流石に長い大学の夏休みになんの予定もないとなると、自分で自分が情けなくなる。
大勢の仲間でキャンプや旅行とまではいかなくてもいい。せめて、親しい友人とお出かけするぐらいの予定が一日くらいあってもいいのではないか。
それが無理なら、一人ででもいいから映画に行くとか、遠出するという予定ぐらいあってもいいはずだ。しかし、今のところ予定は真っ白だ。
一人でなにかしようにも、観たい映画もなければ行きたい場所もない。
寝て、起きて、食べて、好きな本を読んで。時間の感覚が消え失せてしまうような、自堕落な生活をしている自分の姿が今から浮かんで虚しくなる。
氷が解けてすっかり薄くなってしまったアイスコーヒーを啜る。
口に含んだ液体はもはやコーヒーではない。水増しされて、薄い苦みと酸味が不快な後味として残るただの茶色に着色された水と化していた。
持ち上げたグラスをトレイに戻して、晋は席を立とうとした。
その時、声もかけずに正面の席に時夜が座ってきた。晋は俯けていた顔を億劫そうにあげる。
「どうした晋、腐った顔して。さては、前期のテストが芳しくなかったんだな?」
ニヤニヤ笑いながら顔を覗き込んでくる時夜を、晋は鼻で笑う。
「お前と一緒にするな。俺はテストでヘマなんざしねぇよ。楽勝だ」
「あっ、言ったな?だったら一学期の成績見せてみやがれ」
「勝手に見ればいい。ただし、吠え面をかくことになるぞ」
鼻息を荒くして詰め寄ってくる時夜に、晋はぞんざいに成績を投げ寄越した。
優、良、可、不可の四段階で評価される成績表には、見事に優ばかりがずらりと並んでいる。良が一、二個あるだけで、可や不可など一つたりともない。
完璧な成績表を見て時夜が驚いた顔で大きな声を上げた。
「うおっ、なんだよこの優等生な成績は!優ばっかじゃねぇかよ!いつもつまんなさそうに講義受けていて、教授の話を聞いてんのか聞いてねぇのかわからない授業態度のクセに」
賑やかな奴だ。人の成績を学校のカフェテラスで暴露する無神経さに呆れはするけれど、時夜の飾らない自然体な様子は嫌いじゃない。気に入っている。
「俺はお前と違って、つまらなそうな顔をしていても、ちゃんと授業を聞いている。睡眠学習している奴と一緒にするな」
「ちぇっ、オレと似たり寄ったりの悲惨な成績を期待してたのによ」
心底面白くなさそうな顔で時夜が成績表を返してしてきた。
受け取った成績表を鞄にしまうと、晋は頬杖をついてぼんやりした表情を浮かべる。時夜が眉を顰めた。
「成績は良好。これから楽しい夏休み。なのに、なんでオマエはそんなにさえねー顔してんだよ?」
「別に。そんな顔してねぇよ」
「いーや、してる。さてはカノジョにフラれたな?」
「フラれるもなにも、彼女なんざいねぇよ」
「寂しいオトコだな。カノジョいねーのかよ」
「寂しくない。面倒だから今はいらねぇな」
つれない晋の言葉に時夜が何か言うよりも先に、別の低い声が反応した。
「今はいらねぇ、か。普通の男が言ったらただの負け惜しみだけど、美形の月島が言うとかっこいいんだよな。よっ、色男ってか?」
いきなり会話に割り込んできた低い声に振り返ると、ジャージで首にタオルをかけた浅倉圭吾(あさくらけいご)が笑っていた。
さっきまで運動をしていたのか、額に汗が光っている。汚いというよりは爽やかに見えるのは、圭吾が精悍な顔立ちをしているからだろう。スポーツ刈りの短い髪がよく似合っている。
「からかうんじゃねぇ。お前だってモテるだろ、サッカー少年」
唇の端を吊り上げて晋がからかうと、圭吾は白い歯を見せて笑った。
「まあな。でもお前ほどじゃないって」
圭吾は机にコーラとボリュームたっぷりのベーコンレタスバーガーとポテトフライが乗ったトレイをテーブルに置き、隣の机から椅子を持ってきて、無理やり二人席に入り込んできた。
時夜が不貞腐れた顔を圭吾に向ける。
「なにちゃっかり入ってきてんだよ、圭吾。オマエと晋が揃ったらオレは完全に引き立て役になっちまうだろーが」
「ははっ、拗ねるなよ椿木。俺だって、月島と比べたらかっこいいなんておこがましい。中の上ぐらいの顔でしかないぜ」
「謙遜すんなよ。あーあ、オマエらはいいよな~、女の子選びたい放題じゃねーか。オレもそんな立場になりてーよ」
時夜が机の上に突っ伏し、狭い机を半分ほど占領する。
「おい、邪魔だ。時夜」
邪険にすると、時夜が恨みがましい目で見上げてきた。
「そんで晋、成績優秀、女にもモテるオマエがなんで憂鬱な顔してるわけ?」
「つまらねぇからだよ。夏休みだってのに一つも予定がない。したい事も思いつかないんだ。授業があった方が退屈しなくてすむ」
「予定がないって、何言ってるんだよ。月島も旅行に来るんだろ?」
圭吾の言葉に晋は顔を顰め、首を捻った。
「なんだよ?旅行って」
「あれ、聞いてないのか?椿木が夏休みに同じ学部で仲のいい連中を何人か誘って、島旅をする計画を立てたんだぜ。俺も誘われて行くことにしたんだ。なんだよ、お前ら仲いいから、ぜったい月島には声かけてると思ってたんだけどな。誘ってないのか?椿木」
珍しく時夜が気まずそうな顔で晋から視線を逸らす。
「ああ、声かけてなかったわ。忘れてた」
あっけらかんとした声だったけど、そのなかに僅かにだが苦々しさが混じっていることに晋は気付いた。
もともと他人の感情の機微にはわりと敏感な方だ。加えて相手がよく知った時夜となれば、些細な変化さえも感じてしまう。
そんな自分とは正反対に、鈍い圭吾はまったく時夜の感情の動きに気付いていない。時夜は感情を素直に表現する一方で、肝心なところで自分の本音を隠すのが上手いから無理もない。
本気で時夜がうっかり自分に声をかけるのを忘れていたのだと信じ込んでいる圭吾が羨ましい。
「そっか。仲良い月島を誘い忘れるなんて、椿木はおっちょこちょいだな。じゃあちょうどいいから、いま誘おうぜ。行くだろ?月島」
別に行きたいわけじゃない。仲がいい時夜と圭吾はいいとして、いくら暇でも友達じゃない連中と旅行するのなんて嫌だ。
時夜が誰に声を掛けたか知らないが、晋は同じ人文学部に彼ら以外に一緒に旅行するほど仲がいい奴は一人もいない。行っても楽しめそうにない。
だが、時夜から声を掛けられなかったということがひっかかった。
だから碌に考えもせずに、圭吾の誘いにすぐに頷いてしまった。
どうして俺に一声かけてくれなかったのかと、時夜に対して少しむきになっていたのかもしれない。
「俺も同行させてもらおうか。もちろんいいよな?時夜」
「おう、もちろんいいぜ」
頷いた時夜は、明るくお調子者のいつもの時夜だった。そのことに密かにちょっとだけ胸を撫で下ろす。
きっと自分を誘わなかったのに深い理由なんてない。たまたまだ。
表面上はそう納得しながらも、棘が残ったようにすっきりとしない気分だった。
晋は海を見詰めたまま、あの時、大学のカフェテラスでは聞けなかったことを聞く。
「どうして、俺は旅行に誘ってくれなかったんだ?つれねぇ奴だな」
重くならないように、なるべく軽い口調で尋ねた。
晋の質問に時夜は少し困ったように笑う。
「ワリィな。べつにオマエが来るのが嫌だったんじゃねーんだ。ただ、オレ、この旅行で美沙ちゃんとお近づきになりたくってさ。オマエがくると美沙ちゃんがオマエにぞっこんになっちまうんじゃねぇかって思ってな。ちょっと小狡い打算が働いちまったんだ。ホント、すまねぇ。深い意味なんてねーよ。オマエのことは、また別の機会にいくらでも誘えると思ったし、オマエこういう馬鹿馬鹿しいのって好きじゃないだろ」
言い訳じみた長々しい言葉。
嘘をついている人間や隠し事をしている人間は、誤魔化すために聞きもしないことまでペラペラとよく喋ると心理学かなにかの講義で聞いたことがある。
もしかして、今の時夜もそうなのだろうか。
晋は窺うように時夜の瞳を覗き込んだ。
灰色の目はいつもと同じ色をしている。嘘を言っているふうではなさそうだ。自分を誘わなかったという後ろめたさで、饒舌になっていただけなのかもしれない。友達の心の中を疑ってもしょうがない、時夜のことを信じよう。
くだらない理由でよかった。晋は密かにほっとした。
誘われなくて拗ねていたと気付かれると恥ずかしいので、杞憂と安心を隠し、平然とした顔でふっと笑って見せる。
「なんだ、そんなことか。俺がお前の恋路を邪魔するはずねぇだろ。成就するようさりげなく応援してやるよ」
「マジかよ、サンキューな。美沙ちゃんアイドル級の可愛さだからさ、朴念仁のオマエでも恋に落ちるんじゃねーかって心配してたんだよ」
「俺はそんなに安くない。みてくれなんざ興味はねぇよ。月並みな言葉だが、大事なのは人となりだろう」
「またまたぁ。やっぱり女はブスより美人だろー」
明るい声で時夜が笑う。その声を聞きつけて女子達がこっちへやってきた。
「ちょっと聞き捨てならないわよ。女を差別するような発言ね。許せないわ」
怒り顔の佐藤朱里(さとうあかり)が時夜を叱る。
朱里の隣で海野美沙(うみのみさ)も可愛らしく唇を尖らせた。
「そうだよ、時夜くん。女の子は恋をしたらみんなキレイになるものなの。ブスより美人がいいだなんて、失礼だよ。ねえ、八重子」
「え、あの。その……、そう、だね」
美沙にいきなり会話を振られた桜田八重子(さくらだやえこ)はうろたえる。口ごもりながら小さく頷くと、彼女はさっと瞳を伏せた。
俯き加減になると重い前髪とボブヘアの横髪で顔が隠れてしまい、ますます薄暗い雰囲気を醸し出している。
「ほら、八重子に謝ってよぉ。時夜くん」
美沙が甘ったれた口調で時夜を責める。腰に手を当てて顔を突き出す美沙と顔が接近して、時夜はだらしなく鼻の下を伸ばしていた。
「ごめんな、美沙ちゃん」
「わかればよし!なんてね、偉そうだったかな?」
「いや、ぜんぜん」
デレデレとした時夜とアイドルスマイルを浮かべる美沙の華やかな笑い声が船上に響く。
八重子に失礼なのはお前だろ。
内心そう思いながら、晋は冷めた目で美沙を見た。美沙の言い方じゃまるで八重子がブスみたいだ。
確かに、ぱっちりした瞳に小さな鼻と口をした美沙の目には、小さく円らな瞳で眼鏡をかけた化粧っけのない八重子は地味に映るのかもしれないが、ちょっと酷いのではないだろうか。
茶色く染めて巻いた髪を高い位置でツインテールにして、ヒラヒラした服に丈の短いスカート姿の目が大きくてアイドル系の顔をした美沙。
黒く美しい長い髪を靡かせ、高い背丈によく似合うロングスカートを翻しながら颯爽と歩く、涼やかな切れ長の瞳の美人系の朱里。
二人は学部内で有名な目を惹く美女の仲良しコンビだ。
それに引き換え、いつも二人の後をついて回っている八重子はよく言えば清楚、悪く言えば地味な容姿をしている。
今日の服装も、Tシャツにデニムとあまり冴えない。
そんな八重子が二人の友達だなど、晋には俄かに信じられない。べつに顔で区別しているわけではない。性格をとっても明らかに釣り合わないのだ。
社交的で賑やかなことが大好きでアクティブな美沙と朱里。
それに対して、八重子は教室の隅で一人、静かに本を読んでいるのが好きな大人しい女子だ。
恐らく八重子は二人の引き立て役なのだろう。
人文学部の必須科目で彼女たちが三人で座っているところを見かけるが、楽しそうに喋っているのは美沙と朱里で、八重子はいつも必死な顔で二人を交互に見ているだけだ。
その証拠に、授業や学部でのイベントごとなどで二人組を作る時には、いつも八重子が余っている。
女はやっぱり見た目より中身だ。いくら見てくれがよくても、毒と棘のある花はお断りだ。晋は美沙を見てそう実感する。
「鬼月島かぁ。ねぇ時夜くん、不思議な屋敷があるとか、怪物が出るって本当なの?」
「真相は誰も知らないけど、オレは本当だと思ってんだよな。だからこそ、解明に乗りだしたってわけ。鬼月島の噂が本当だと突き止めたら、ビックニュースになるじゃねーか。オレら、有名人になっちまうかもなぁ」
鼻の穴を膨らませる時夜に対して、美沙は自分を抱きしめるようなポーズをして、眉を八の字に下げた。
「えぇ~、やだぁ、アタシ怖いよ。ねえ、もしも怖い怪物が襲ってきたら、時夜くんと晋くんが守ってくれるよね?」
胸焼けがしそうな甘ったるい声を出しながら、美沙が晋と時夜の腕にさりげなく細い腕を絡める。
まるで奸智な蛇のようだ。時夜はデレデレとしていたが、晋はなんだかゾッとしてしまい、するりと美沙の腕から逃げた。
「もう、晋くんったらつれないんだからぁ」
口を尖らせる美沙に、溜息が出そうになる。可愛い行動のテンプレートが彼女の中には存在しており毎回毎回それを引っ張り出さなければ、喋ったりリアクションしたりできないらしい。
正直、そういう女子特有の可愛い仕草や言葉は時折ふいに見せるから魅力的なのであり、毎度だとうんざりさせられる。
「キミ達。楽しそうだね」
島に向かっているというのに、動きにくそうなジャケットにカッターシャツ姿の一条和樹(いちじょうかずき)が近付いてきた。
彼も美沙に気があるらしく、逃げ出した晋の代わりに、すっと美沙の横に並んだ。和樹はさりげなく美沙の華奢な肩を抱く。大学生だからいいものの、社会に出てから同じことをしたらセクハラで訴えられそうだ。
「ボク達は今、未知なる島に向かっていると思うととてもワクワクするね。ところで美沙さん、キミは香川県の南北に浮かぶ細長い島、女木島を知っているかい?」
「えー、知らなぁい」
「女木島は長細い小さな島なんだけどね。桃太郎の伝説で鬼が住んでいた洞窟であるという言い伝えから、鬼ケ島と言われているんだよ。観光客も沢山きている島さ。無人島もいいけれど、観光用の島も素晴らしいものさ。もしよければ、こんど一緒に二人で旅行してみるかい?」
島に纏わる蘊蓄を語りだし、挙句にナンパときた。
今回の旅行が始まったばかりでまだ目的地にもついていないうちから、次の旅行の計画を立て始めるのはいかがなものか。しかもまだ付き合ってもいないのに二人で旅行しようだなんて、いやらしいというか、図々しいというか。
アグレッシブすぎる和樹に、晋は呆れて思わず眉根を寄せた。
誘われた美沙は笑顔を浮かべつつも、少し迷惑そうにしている。
自分がどんな男かさえわかっていない和樹には、他人から自分がどう思われているのかなど想像できまい。彼は美沙の困り顔にまったく気が付かない様子だ。
「えー、どうしよっかな。ちょっと考えさせて」
すぐに断らずに考える素振りを見せるのは、美沙が八方美人だからか優しいからか。どちらにせよ、社交辞令であるのが透けて見える答えだ。
「もちろん。前向きに考えてくれたまえ」
美沙の言葉に鼻孔を膨らませる和樹はひどく滑稽だった。
和樹はインテリを自称し、確かに学業はよくできる男だが、どうにも相手の気持ちや状況が読めなさすぎる。
美沙の表情や声のトーンからいって、断られるのは明白だ。それなのに期待するなんて本当に馬鹿な奴だ。いっそ哀れですらある。
晋は冷めた瞳で彼の横顔を眺めた。
こんなメンバーと一緒に旅行だなんて、本当に大丈夫なのだろうか。今更ながら不安になってきた。
旅行メンバーは同じ人文学部の生徒七人。発案者の時夜と誘ってくれた圭吾は友達だからいいとして、美沙、朱里、八重子の女子三人はもちろん、和樹とさえもあまり面識はない。
ほとんどよく知らない四人が四人とも、なかなか癖のありそうな連中ばかりだ。それも自分が苦手なタイプの人物ばかり。
自分だけじゃない、時夜だって彼らと上手くやっていけるような気がしない。
美人の美沙や朱里はともかく、八重子も和樹もあきらかに時夜が苦手なタイプの人間だ。
テントを持ちこんで、無人島である鬼月島に一晩泊まろうという計画だが、上手くやっていけるのだろうか。
いや、上手くやる必要はないとして、数日の間一緒に居ることに耐えられるのかさえ不安だった。定期便などないので、途中で帰りたくなっても帰れない。
ああ、今すぐ引き返したい。
後ろ向きになりつつある思いとは裏腹に、海だけだった視界に小さな黒い点が見えてきた。
他の島から離れてぽつりと寂しげに佇む、ギザギザとしたクロワッサンのような形の島。鬼月島だ。
無人島というだけあって、船着き場などない。船長である壮年の男性は、砂浜に直接船を停泊させた。
「船長のおっさん、ありがとな」
優しそうな船長に、時夜が笑いながら礼を言った。
名前も知らない船長は、船など出ていない鬼月島に船舶免許も船もない学生だけで行くために、時夜が探し出してきた人物だ。
積み荷を他の島に届けるついでに、かなり破格の安値で快く港から鬼月島まで七人を乗せてくれた。
いろんな人に頼み込んで、ようやく見つけた仏のように親切な船長だと時夜が言っていただけあり、笑顔が無欲そうで穏やかだ。本当に仏に見えてくる。
「いやいや、ほんのちょっとの距離だし、別の場所に行くついでだ。お金ももらっているわけだし、こういうの、外国語でギブアンドテイクって言うんだろ。ぜんぜん気にしなくていいよ」
ギブアンドテイクの言い方がぎこちなく、いかにも無理をして使っている感があった。こちらに必要以上に遠慮をさせないように、若者にあわせて慣れない言葉を使ったのだろう。そういうところも、好感が持てる。
「それじゃあ、三日後の夕方になったら迎えにきてあげるから。気をつけて」
船長は愛想よく笑うと、船を発進させた。
あっという間に小さくなっていく船体を見送ると、七人は砂浜を歩きだした。
「すごーい、まるで南国のビーチみたいにキレイ。記念に写真撮っちゃおうよ。インスタ映えしそうだよ、朱里」
「そうね」
美沙と朱里が立ち止まり、二人で肩を組んでスマホで写真撮影を始める。
晋は二人にかまわず、さきさきと歩いていった。進むたびに乾いた砂がサクサクと軽い音を立てる。
砂浜は白くてさらさらしており、波打ち際の水は碧がかった透明で、エメラルドのように輝いている。確かに美しい島だ。
ハワイやタヒチのような南国の美しい海を連想させる。それなのに、なんとなく凍えたような空虚感がある。
誰もいない静けさのせいだろうか。うすら寒さすら覚える不気味な空間に思えて、晋は無意識のうちに、剥き出しの腕を擦っていた。
「どうした、月島。早くも日焼けで肌が痛むのか?色白な奴は大変だな」
小麦色とまではいかないが、サッカー練習でミディアムくらいに焼けた圭吾がからかうように笑った。
「そんなわけあるか、馬鹿。焼けないようにちゃんと日焼け止めを塗っている」
「マジかよ、晋。オマエ女みてーだな。日焼け止めとか、オレ、使ったことねーよ。そんなに色白でいたいのか?乙女チックだな」
からかうような態度の時夜に晋は容赦なくデコピンを喰らわせる。
「いてっ、なにすんだよ晋」
「笑うからだ。俺の場合は日焼けすると黒くならずに赤くなって痛いんだよ。火傷みたいになっちまうんだ。日焼けしたくないわけじゃない。誤解するな。お前も紫外線を舐めていると痛い目にあうぞ、時夜」
「ざんねーん。オレは日焼け止めないで一日中外に居ても、まったく焼けねぇし、痛くもならないんですー。スゲーだろ」
時夜の言葉に圭吾が食いつく。
「椿木も月島ほどじゃないけど肌の色が白いのに、日焼け止めを塗らなくてもなんともないのか。すごいな、椿木」
「ああ。オレ、皮膚とか身体とか普通の人より強いからな」
「ふうん、それは羨ましいな。俺なんて紫外線対策してないから真っ黒に焼けちまってさ。まあ、ナイスガイには小麦肌が似合うだろ?」
力こぶを作って白い歯を見せる圭吾に対抗するように、時夜もマッチョポーズをとる。圭吾みたいに無駄にムキムキじゃないけれど、時夜もかなり筋肉質な腕をしている。見ごたえのある腕だ。
「今時の男は色白で細マッチョだぜ。知らねーの?」
ふふんと笑う時夜に、圭吾はチッチと舌を鳴らして指を振る。
「いいや、肉食系丸出しな、筋肉質で男らしい方がいいに決まってるさ。スポーツマンは古今東西モテるんだぞ」
「そんなことありませんー。今は文系なのに実はいい筋肉している隠れ筋肉が人気なんだっつーの」
時夜と圭吾がくだらない言い争いが始まった。小学生みたいだ。
晋は肩を竦めると、サイドチェストやフロントダブルバイセップスなどのマッスルポーズをとりあって張り合う二人を置いて、一人で先に進んだ。
海岸の奥は深い森だ。翡翠色の木が生い茂っている。まるで何かを隠しているような、秘密めいたものを感じた。
「森の向こう、何があるんだろうな」
ポツリと呟くと、時夜が悪戯っぽく笑いながら答えた。
「森の中には、おっかねー化けモンが住んでるんだよ。人を喰らう鬼さ。ウサギみてーに真っ白な蓬髪に二本の角の、恐ろしい姿の化けモンさ」
「そんなわけねぇだろ」
「あら、いないなんて決めつけてちゃ面白くないわよ、月島くん。私達はこの禁忌の島の怪奇の正体を確かめに来たんでしょう?」
朱里が大袈裟に肩を竦めて見せる。晋は眉根を寄せて彼女の方を向いた。
「佐藤。お前、随分と乗り気だな」
「当然よ、晋君。愉しまなければ損よ。ねぇ、美沙」
「朱里の言う通りだよ、晋くん。せっかく時夜くんが企画してくれたミステリー旅行を楽しまなきゃダメだよ。夏だし、ホラーな話題なんてぴったりだよ。ねー、朱里」
「その通りだわ」
きゃぴきゃぴとした声で朱里と美沙が笑う。
みんな退屈な日常を抜けだしたくて旅をしているのだろう。旅行とはそういうものなのかもしれない。水を差すのは大人気ない。
「そうだったな」
本当はこの旅行の目的になんて一つも共感できなかったけど、晋も曖昧にだがいちおう頷いておいた。
「ねえねえ、晋くんも一緒に写真撮ろうよ」
スマホを構えて近付いてくる美沙に、晋はつれない様子で首を横に振る。
「俺は別にいい。写真は苦手なんだ」
「えー、ちょっとぐらいいいでしょ。ねえ、いっしょに映ってよぉ。せっかくステキな場所なんだしさ、晋くんも写真撮ってアップしなよ」
羊の皮を纏った狼さながら、愛らしい表情に似合わない野心的な目で美沙が接近してくる。
「悪いが、インスタなんざやってないし、ケータイもガラケーだ。遠慮させてもらう」
「えー、ざんねーん。まあ、しょうがないか。朱里との写真、さっそくグループラインにアップしちゃおうっと」
楽しげにスマホを操る美沙の顔が俄かに曇った。
「あれ、やだぁ、ここ圏外だよ~。もぅ、やんなっちゃう!」
「本当かい?ボクの性能のいいスマホなら大丈夫のはずさ」
美沙の悲鳴を聞きつけて、出番とばかりに和樹が近付いてきた。最新のスマホを見せびらかすように掲げて、仰々しい手つきで画面に触れる。
「どう?繋がりそう?」
美沙が期待した顔で和樹の顔を覗き込む。
「いや、やっぱり圏外だね。まったく、なんてど田舎なんだこの島は」
和樹は眉間に皺を寄せて忌々しげに吐き捨てる。それに対して、朱里が興奮気味に目を輝かせて、珍しく声を弾ませる。
「私のスマホも圏外なのよ。電波さえ拒む正真正銘の孤島なのね。ますますミステリーだわ!」
単に携帯基地局が近くにないだけだろう。
地図に載っていないような孤島だ。逆に基地局があって、ケータイが繋がる方が怖いというものだ。
心の中で冷静につっこみをいれながらも、晋は少し落ち着かなさを感じていた。
一面に広がる透き通ったオーシャンブルー。遥か彼方は空の蒼と海の碧が溶け合っている。それ以外には何もない。
デッキを歩いて船の後部へ移動すると、手摺に肘を掛けて、晋は進行方向とは逆を見詰めた。
海に白い泡で軌跡を描きながら、船は陸地からどんどん離れていく。
薄汚れた木の桟橋、小さな船がポツポツと停まっているだけの寂れた港が小さくなって見えなくなった。頭上ではウミネコが馬鹿にするようにギャアギャアと喚いている。
「なーにぼんやりしてんだよ。船酔いか?」
隣にやってきて手摺に凭れる青年に目を向ける。
癖毛な灰色の髪に灰色の瞳。彼は同じ人文学部の友人、椿木時夜(つばきときや)だ。
晋が答えずにいると、時夜が更に尋ねた。
「それとも、島に行くのが怖くなっちまったか?」
ニヤニヤ笑う時夜に、晋はふんと鼻を鳴らす。
船が向かっているのは、四国のずっと下に位置する、地図にも載っていないようなほんの小さな無人島だ。
島の名は鬼月島(おにづきとう)。正確な名前かどうかは知らないが、ネット上ではそう呼ばれている。その島には増築が繰り返された風変わりな屋敷があって、中に入った者が行方知れずとなったとか、凶悪な化け物が住んでいるという噂が絶えないらしい。
増築が繰り返された屋敷。アメリカにもそういう話があった。銃を開発した会社の社長夫人が幽霊に唆されて建て増し続けた、あの有名な屋敷の話だ。
晋はそんな噂など微塵も信じてない。それこそ、アメリカの奇妙な増築屋敷を文字って誰かが作った話に違いない。だから怖いなんて一瞬たりとも思わなかった。
そう、怖くはない。ただ、なんとなく嫌な匂いがする。
でも、そんなことは杞憂に違いないと頭では理解しているし、とるにたりない不安だ。
そんなことよりも、現実的にもっと気にかかっていることがあり、つい顔が暗くなる。
「別に、なんでもねぇよ」
時夜に対して素っ気なく答えると、晋はまた遠くを見詰めた。
真っ青な景色を眺めていると、胸にしまい込んでいた不安が不意に脳裏を過る。
鬼月島への旅行を計画し、同じ人文学部の三年生の連中を誘い集めたのは、ミステリー研究部という妙なサークルに所属している時夜だ。
旅行の目的は鬼月島の噂の真相を解き明かすことだそうだ。
情報の氾濫している時代だ。ガセネタなどそこら中に転がっている。その中から希少な本物を見つけ出すのは非常に困難だ。いかがわしい怪奇談となれば、いっそう本物を探すのは難しいだろう。
たかがサークル活動で歴史に残るような本物のミステリーを発見しようなんて気概は、恐らく時夜にはない。
大学一年からずっと一緒に過ごしてきて、彼の性格はよくわかっている。
鬼月島に関する噂の解明は時夜にとって単なる建前にすぎない。おおかた、ミステリー研究と称して仲間とワイワイ旅行したかっただけなのだろう。
ようするに大学での華やかな思い出づくりがしたかっただけというわけだ。
ミステリー研究部のサークルの連中を誘わずに同じ人文学部の同級生を誘った理由は、時夜いわく
「ミス研の連中って暗いヤツ多くてさ、一緒に旅行してもつまんねーんだよな」ということらしい。
こんな時に集まらずして、なんのためのサークルなのだろうか。甚だ疑問だ。
ちなみに晋は、時夜には旅行に誘われていない。
親友などというベタな言葉を使う気はないが、間違いなく時夜といちばん仲がいいのは自分だと自負していた。
しかし、時夜は自分を旅行に誘ってくれなかった。
晋を誘ったのは別の人間だ。
およそ一カ月前、晋は大学にあるカフェのテラス席で一人、コーヒーを飲んでいた。
初夏の風が頬を撫でる。もうすぐ夏休みだというのに何の予定もない。真っ白のスケジュール帳を眺めながら溜息を吐いた。
みんなでワイワイ仲良く楽しむタイプではない。人付き合いが嫌いで、コミュニケーション能力もやや欠けている自覚はある。でも流石に長い大学の夏休みになんの予定もないとなると、自分で自分が情けなくなる。
大勢の仲間でキャンプや旅行とまではいかなくてもいい。せめて、親しい友人とお出かけするぐらいの予定が一日くらいあってもいいのではないか。
それが無理なら、一人ででもいいから映画に行くとか、遠出するという予定ぐらいあってもいいはずだ。しかし、今のところ予定は真っ白だ。
一人でなにかしようにも、観たい映画もなければ行きたい場所もない。
寝て、起きて、食べて、好きな本を読んで。時間の感覚が消え失せてしまうような、自堕落な生活をしている自分の姿が今から浮かんで虚しくなる。
氷が解けてすっかり薄くなってしまったアイスコーヒーを啜る。
口に含んだ液体はもはやコーヒーではない。水増しされて、薄い苦みと酸味が不快な後味として残るただの茶色に着色された水と化していた。
持ち上げたグラスをトレイに戻して、晋は席を立とうとした。
その時、声もかけずに正面の席に時夜が座ってきた。晋は俯けていた顔を億劫そうにあげる。
「どうした晋、腐った顔して。さては、前期のテストが芳しくなかったんだな?」
ニヤニヤ笑いながら顔を覗き込んでくる時夜を、晋は鼻で笑う。
「お前と一緒にするな。俺はテストでヘマなんざしねぇよ。楽勝だ」
「あっ、言ったな?だったら一学期の成績見せてみやがれ」
「勝手に見ればいい。ただし、吠え面をかくことになるぞ」
鼻息を荒くして詰め寄ってくる時夜に、晋はぞんざいに成績を投げ寄越した。
優、良、可、不可の四段階で評価される成績表には、見事に優ばかりがずらりと並んでいる。良が一、二個あるだけで、可や不可など一つたりともない。
完璧な成績表を見て時夜が驚いた顔で大きな声を上げた。
「うおっ、なんだよこの優等生な成績は!優ばっかじゃねぇかよ!いつもつまんなさそうに講義受けていて、教授の話を聞いてんのか聞いてねぇのかわからない授業態度のクセに」
賑やかな奴だ。人の成績を学校のカフェテラスで暴露する無神経さに呆れはするけれど、時夜の飾らない自然体な様子は嫌いじゃない。気に入っている。
「俺はお前と違って、つまらなそうな顔をしていても、ちゃんと授業を聞いている。睡眠学習している奴と一緒にするな」
「ちぇっ、オレと似たり寄ったりの悲惨な成績を期待してたのによ」
心底面白くなさそうな顔で時夜が成績表を返してしてきた。
受け取った成績表を鞄にしまうと、晋は頬杖をついてぼんやりした表情を浮かべる。時夜が眉を顰めた。
「成績は良好。これから楽しい夏休み。なのに、なんでオマエはそんなにさえねー顔してんだよ?」
「別に。そんな顔してねぇよ」
「いーや、してる。さてはカノジョにフラれたな?」
「フラれるもなにも、彼女なんざいねぇよ」
「寂しいオトコだな。カノジョいねーのかよ」
「寂しくない。面倒だから今はいらねぇな」
つれない晋の言葉に時夜が何か言うよりも先に、別の低い声が反応した。
「今はいらねぇ、か。普通の男が言ったらただの負け惜しみだけど、美形の月島が言うとかっこいいんだよな。よっ、色男ってか?」
いきなり会話に割り込んできた低い声に振り返ると、ジャージで首にタオルをかけた浅倉圭吾(あさくらけいご)が笑っていた。
さっきまで運動をしていたのか、額に汗が光っている。汚いというよりは爽やかに見えるのは、圭吾が精悍な顔立ちをしているからだろう。スポーツ刈りの短い髪がよく似合っている。
「からかうんじゃねぇ。お前だってモテるだろ、サッカー少年」
唇の端を吊り上げて晋がからかうと、圭吾は白い歯を見せて笑った。
「まあな。でもお前ほどじゃないって」
圭吾は机にコーラとボリュームたっぷりのベーコンレタスバーガーとポテトフライが乗ったトレイをテーブルに置き、隣の机から椅子を持ってきて、無理やり二人席に入り込んできた。
時夜が不貞腐れた顔を圭吾に向ける。
「なにちゃっかり入ってきてんだよ、圭吾。オマエと晋が揃ったらオレは完全に引き立て役になっちまうだろーが」
「ははっ、拗ねるなよ椿木。俺だって、月島と比べたらかっこいいなんておこがましい。中の上ぐらいの顔でしかないぜ」
「謙遜すんなよ。あーあ、オマエらはいいよな~、女の子選びたい放題じゃねーか。オレもそんな立場になりてーよ」
時夜が机の上に突っ伏し、狭い机を半分ほど占領する。
「おい、邪魔だ。時夜」
邪険にすると、時夜が恨みがましい目で見上げてきた。
「そんで晋、成績優秀、女にもモテるオマエがなんで憂鬱な顔してるわけ?」
「つまらねぇからだよ。夏休みだってのに一つも予定がない。したい事も思いつかないんだ。授業があった方が退屈しなくてすむ」
「予定がないって、何言ってるんだよ。月島も旅行に来るんだろ?」
圭吾の言葉に晋は顔を顰め、首を捻った。
「なんだよ?旅行って」
「あれ、聞いてないのか?椿木が夏休みに同じ学部で仲のいい連中を何人か誘って、島旅をする計画を立てたんだぜ。俺も誘われて行くことにしたんだ。なんだよ、お前ら仲いいから、ぜったい月島には声かけてると思ってたんだけどな。誘ってないのか?椿木」
珍しく時夜が気まずそうな顔で晋から視線を逸らす。
「ああ、声かけてなかったわ。忘れてた」
あっけらかんとした声だったけど、そのなかに僅かにだが苦々しさが混じっていることに晋は気付いた。
もともと他人の感情の機微にはわりと敏感な方だ。加えて相手がよく知った時夜となれば、些細な変化さえも感じてしまう。
そんな自分とは正反対に、鈍い圭吾はまったく時夜の感情の動きに気付いていない。時夜は感情を素直に表現する一方で、肝心なところで自分の本音を隠すのが上手いから無理もない。
本気で時夜がうっかり自分に声をかけるのを忘れていたのだと信じ込んでいる圭吾が羨ましい。
「そっか。仲良い月島を誘い忘れるなんて、椿木はおっちょこちょいだな。じゃあちょうどいいから、いま誘おうぜ。行くだろ?月島」
別に行きたいわけじゃない。仲がいい時夜と圭吾はいいとして、いくら暇でも友達じゃない連中と旅行するのなんて嫌だ。
時夜が誰に声を掛けたか知らないが、晋は同じ人文学部に彼ら以外に一緒に旅行するほど仲がいい奴は一人もいない。行っても楽しめそうにない。
だが、時夜から声を掛けられなかったということがひっかかった。
だから碌に考えもせずに、圭吾の誘いにすぐに頷いてしまった。
どうして俺に一声かけてくれなかったのかと、時夜に対して少しむきになっていたのかもしれない。
「俺も同行させてもらおうか。もちろんいいよな?時夜」
「おう、もちろんいいぜ」
頷いた時夜は、明るくお調子者のいつもの時夜だった。そのことに密かにちょっとだけ胸を撫で下ろす。
きっと自分を誘わなかったのに深い理由なんてない。たまたまだ。
表面上はそう納得しながらも、棘が残ったようにすっきりとしない気分だった。
晋は海を見詰めたまま、あの時、大学のカフェテラスでは聞けなかったことを聞く。
「どうして、俺は旅行に誘ってくれなかったんだ?つれねぇ奴だな」
重くならないように、なるべく軽い口調で尋ねた。
晋の質問に時夜は少し困ったように笑う。
「ワリィな。べつにオマエが来るのが嫌だったんじゃねーんだ。ただ、オレ、この旅行で美沙ちゃんとお近づきになりたくってさ。オマエがくると美沙ちゃんがオマエにぞっこんになっちまうんじゃねぇかって思ってな。ちょっと小狡い打算が働いちまったんだ。ホント、すまねぇ。深い意味なんてねーよ。オマエのことは、また別の機会にいくらでも誘えると思ったし、オマエこういう馬鹿馬鹿しいのって好きじゃないだろ」
言い訳じみた長々しい言葉。
嘘をついている人間や隠し事をしている人間は、誤魔化すために聞きもしないことまでペラペラとよく喋ると心理学かなにかの講義で聞いたことがある。
もしかして、今の時夜もそうなのだろうか。
晋は窺うように時夜の瞳を覗き込んだ。
灰色の目はいつもと同じ色をしている。嘘を言っているふうではなさそうだ。自分を誘わなかったという後ろめたさで、饒舌になっていただけなのかもしれない。友達の心の中を疑ってもしょうがない、時夜のことを信じよう。
くだらない理由でよかった。晋は密かにほっとした。
誘われなくて拗ねていたと気付かれると恥ずかしいので、杞憂と安心を隠し、平然とした顔でふっと笑って見せる。
「なんだ、そんなことか。俺がお前の恋路を邪魔するはずねぇだろ。成就するようさりげなく応援してやるよ」
「マジかよ、サンキューな。美沙ちゃんアイドル級の可愛さだからさ、朴念仁のオマエでも恋に落ちるんじゃねーかって心配してたんだよ」
「俺はそんなに安くない。みてくれなんざ興味はねぇよ。月並みな言葉だが、大事なのは人となりだろう」
「またまたぁ。やっぱり女はブスより美人だろー」
明るい声で時夜が笑う。その声を聞きつけて女子達がこっちへやってきた。
「ちょっと聞き捨てならないわよ。女を差別するような発言ね。許せないわ」
怒り顔の佐藤朱里(さとうあかり)が時夜を叱る。
朱里の隣で海野美沙(うみのみさ)も可愛らしく唇を尖らせた。
「そうだよ、時夜くん。女の子は恋をしたらみんなキレイになるものなの。ブスより美人がいいだなんて、失礼だよ。ねえ、八重子」
「え、あの。その……、そう、だね」
美沙にいきなり会話を振られた桜田八重子(さくらだやえこ)はうろたえる。口ごもりながら小さく頷くと、彼女はさっと瞳を伏せた。
俯き加減になると重い前髪とボブヘアの横髪で顔が隠れてしまい、ますます薄暗い雰囲気を醸し出している。
「ほら、八重子に謝ってよぉ。時夜くん」
美沙が甘ったれた口調で時夜を責める。腰に手を当てて顔を突き出す美沙と顔が接近して、時夜はだらしなく鼻の下を伸ばしていた。
「ごめんな、美沙ちゃん」
「わかればよし!なんてね、偉そうだったかな?」
「いや、ぜんぜん」
デレデレとした時夜とアイドルスマイルを浮かべる美沙の華やかな笑い声が船上に響く。
八重子に失礼なのはお前だろ。
内心そう思いながら、晋は冷めた目で美沙を見た。美沙の言い方じゃまるで八重子がブスみたいだ。
確かに、ぱっちりした瞳に小さな鼻と口をした美沙の目には、小さく円らな瞳で眼鏡をかけた化粧っけのない八重子は地味に映るのかもしれないが、ちょっと酷いのではないだろうか。
茶色く染めて巻いた髪を高い位置でツインテールにして、ヒラヒラした服に丈の短いスカート姿の目が大きくてアイドル系の顔をした美沙。
黒く美しい長い髪を靡かせ、高い背丈によく似合うロングスカートを翻しながら颯爽と歩く、涼やかな切れ長の瞳の美人系の朱里。
二人は学部内で有名な目を惹く美女の仲良しコンビだ。
それに引き換え、いつも二人の後をついて回っている八重子はよく言えば清楚、悪く言えば地味な容姿をしている。
今日の服装も、Tシャツにデニムとあまり冴えない。
そんな八重子が二人の友達だなど、晋には俄かに信じられない。べつに顔で区別しているわけではない。性格をとっても明らかに釣り合わないのだ。
社交的で賑やかなことが大好きでアクティブな美沙と朱里。
それに対して、八重子は教室の隅で一人、静かに本を読んでいるのが好きな大人しい女子だ。
恐らく八重子は二人の引き立て役なのだろう。
人文学部の必須科目で彼女たちが三人で座っているところを見かけるが、楽しそうに喋っているのは美沙と朱里で、八重子はいつも必死な顔で二人を交互に見ているだけだ。
その証拠に、授業や学部でのイベントごとなどで二人組を作る時には、いつも八重子が余っている。
女はやっぱり見た目より中身だ。いくら見てくれがよくても、毒と棘のある花はお断りだ。晋は美沙を見てそう実感する。
「鬼月島かぁ。ねぇ時夜くん、不思議な屋敷があるとか、怪物が出るって本当なの?」
「真相は誰も知らないけど、オレは本当だと思ってんだよな。だからこそ、解明に乗りだしたってわけ。鬼月島の噂が本当だと突き止めたら、ビックニュースになるじゃねーか。オレら、有名人になっちまうかもなぁ」
鼻の穴を膨らませる時夜に対して、美沙は自分を抱きしめるようなポーズをして、眉を八の字に下げた。
「えぇ~、やだぁ、アタシ怖いよ。ねえ、もしも怖い怪物が襲ってきたら、時夜くんと晋くんが守ってくれるよね?」
胸焼けがしそうな甘ったるい声を出しながら、美沙が晋と時夜の腕にさりげなく細い腕を絡める。
まるで奸智な蛇のようだ。時夜はデレデレとしていたが、晋はなんだかゾッとしてしまい、するりと美沙の腕から逃げた。
「もう、晋くんったらつれないんだからぁ」
口を尖らせる美沙に、溜息が出そうになる。可愛い行動のテンプレートが彼女の中には存在しており毎回毎回それを引っ張り出さなければ、喋ったりリアクションしたりできないらしい。
正直、そういう女子特有の可愛い仕草や言葉は時折ふいに見せるから魅力的なのであり、毎度だとうんざりさせられる。
「キミ達。楽しそうだね」
島に向かっているというのに、動きにくそうなジャケットにカッターシャツ姿の一条和樹(いちじょうかずき)が近付いてきた。
彼も美沙に気があるらしく、逃げ出した晋の代わりに、すっと美沙の横に並んだ。和樹はさりげなく美沙の華奢な肩を抱く。大学生だからいいものの、社会に出てから同じことをしたらセクハラで訴えられそうだ。
「ボク達は今、未知なる島に向かっていると思うととてもワクワクするね。ところで美沙さん、キミは香川県の南北に浮かぶ細長い島、女木島を知っているかい?」
「えー、知らなぁい」
「女木島は長細い小さな島なんだけどね。桃太郎の伝説で鬼が住んでいた洞窟であるという言い伝えから、鬼ケ島と言われているんだよ。観光客も沢山きている島さ。無人島もいいけれど、観光用の島も素晴らしいものさ。もしよければ、こんど一緒に二人で旅行してみるかい?」
島に纏わる蘊蓄を語りだし、挙句にナンパときた。
今回の旅行が始まったばかりでまだ目的地にもついていないうちから、次の旅行の計画を立て始めるのはいかがなものか。しかもまだ付き合ってもいないのに二人で旅行しようだなんて、いやらしいというか、図々しいというか。
アグレッシブすぎる和樹に、晋は呆れて思わず眉根を寄せた。
誘われた美沙は笑顔を浮かべつつも、少し迷惑そうにしている。
自分がどんな男かさえわかっていない和樹には、他人から自分がどう思われているのかなど想像できまい。彼は美沙の困り顔にまったく気が付かない様子だ。
「えー、どうしよっかな。ちょっと考えさせて」
すぐに断らずに考える素振りを見せるのは、美沙が八方美人だからか優しいからか。どちらにせよ、社交辞令であるのが透けて見える答えだ。
「もちろん。前向きに考えてくれたまえ」
美沙の言葉に鼻孔を膨らませる和樹はひどく滑稽だった。
和樹はインテリを自称し、確かに学業はよくできる男だが、どうにも相手の気持ちや状況が読めなさすぎる。
美沙の表情や声のトーンからいって、断られるのは明白だ。それなのに期待するなんて本当に馬鹿な奴だ。いっそ哀れですらある。
晋は冷めた瞳で彼の横顔を眺めた。
こんなメンバーと一緒に旅行だなんて、本当に大丈夫なのだろうか。今更ながら不安になってきた。
旅行メンバーは同じ人文学部の生徒七人。発案者の時夜と誘ってくれた圭吾は友達だからいいとして、美沙、朱里、八重子の女子三人はもちろん、和樹とさえもあまり面識はない。
ほとんどよく知らない四人が四人とも、なかなか癖のありそうな連中ばかりだ。それも自分が苦手なタイプの人物ばかり。
自分だけじゃない、時夜だって彼らと上手くやっていけるような気がしない。
美人の美沙や朱里はともかく、八重子も和樹もあきらかに時夜が苦手なタイプの人間だ。
テントを持ちこんで、無人島である鬼月島に一晩泊まろうという計画だが、上手くやっていけるのだろうか。
いや、上手くやる必要はないとして、数日の間一緒に居ることに耐えられるのかさえ不安だった。定期便などないので、途中で帰りたくなっても帰れない。
ああ、今すぐ引き返したい。
後ろ向きになりつつある思いとは裏腹に、海だけだった視界に小さな黒い点が見えてきた。
他の島から離れてぽつりと寂しげに佇む、ギザギザとしたクロワッサンのような形の島。鬼月島だ。
無人島というだけあって、船着き場などない。船長である壮年の男性は、砂浜に直接船を停泊させた。
「船長のおっさん、ありがとな」
優しそうな船長に、時夜が笑いながら礼を言った。
名前も知らない船長は、船など出ていない鬼月島に船舶免許も船もない学生だけで行くために、時夜が探し出してきた人物だ。
積み荷を他の島に届けるついでに、かなり破格の安値で快く港から鬼月島まで七人を乗せてくれた。
いろんな人に頼み込んで、ようやく見つけた仏のように親切な船長だと時夜が言っていただけあり、笑顔が無欲そうで穏やかだ。本当に仏に見えてくる。
「いやいや、ほんのちょっとの距離だし、別の場所に行くついでだ。お金ももらっているわけだし、こういうの、外国語でギブアンドテイクって言うんだろ。ぜんぜん気にしなくていいよ」
ギブアンドテイクの言い方がぎこちなく、いかにも無理をして使っている感があった。こちらに必要以上に遠慮をさせないように、若者にあわせて慣れない言葉を使ったのだろう。そういうところも、好感が持てる。
「それじゃあ、三日後の夕方になったら迎えにきてあげるから。気をつけて」
船長は愛想よく笑うと、船を発進させた。
あっという間に小さくなっていく船体を見送ると、七人は砂浜を歩きだした。
「すごーい、まるで南国のビーチみたいにキレイ。記念に写真撮っちゃおうよ。インスタ映えしそうだよ、朱里」
「そうね」
美沙と朱里が立ち止まり、二人で肩を組んでスマホで写真撮影を始める。
晋は二人にかまわず、さきさきと歩いていった。進むたびに乾いた砂がサクサクと軽い音を立てる。
砂浜は白くてさらさらしており、波打ち際の水は碧がかった透明で、エメラルドのように輝いている。確かに美しい島だ。
ハワイやタヒチのような南国の美しい海を連想させる。それなのに、なんとなく凍えたような空虚感がある。
誰もいない静けさのせいだろうか。うすら寒さすら覚える不気味な空間に思えて、晋は無意識のうちに、剥き出しの腕を擦っていた。
「どうした、月島。早くも日焼けで肌が痛むのか?色白な奴は大変だな」
小麦色とまではいかないが、サッカー練習でミディアムくらいに焼けた圭吾がからかうように笑った。
「そんなわけあるか、馬鹿。焼けないようにちゃんと日焼け止めを塗っている」
「マジかよ、晋。オマエ女みてーだな。日焼け止めとか、オレ、使ったことねーよ。そんなに色白でいたいのか?乙女チックだな」
からかうような態度の時夜に晋は容赦なくデコピンを喰らわせる。
「いてっ、なにすんだよ晋」
「笑うからだ。俺の場合は日焼けすると黒くならずに赤くなって痛いんだよ。火傷みたいになっちまうんだ。日焼けしたくないわけじゃない。誤解するな。お前も紫外線を舐めていると痛い目にあうぞ、時夜」
「ざんねーん。オレは日焼け止めないで一日中外に居ても、まったく焼けねぇし、痛くもならないんですー。スゲーだろ」
時夜の言葉に圭吾が食いつく。
「椿木も月島ほどじゃないけど肌の色が白いのに、日焼け止めを塗らなくてもなんともないのか。すごいな、椿木」
「ああ。オレ、皮膚とか身体とか普通の人より強いからな」
「ふうん、それは羨ましいな。俺なんて紫外線対策してないから真っ黒に焼けちまってさ。まあ、ナイスガイには小麦肌が似合うだろ?」
力こぶを作って白い歯を見せる圭吾に対抗するように、時夜もマッチョポーズをとる。圭吾みたいに無駄にムキムキじゃないけれど、時夜もかなり筋肉質な腕をしている。見ごたえのある腕だ。
「今時の男は色白で細マッチョだぜ。知らねーの?」
ふふんと笑う時夜に、圭吾はチッチと舌を鳴らして指を振る。
「いいや、肉食系丸出しな、筋肉質で男らしい方がいいに決まってるさ。スポーツマンは古今東西モテるんだぞ」
「そんなことありませんー。今は文系なのに実はいい筋肉している隠れ筋肉が人気なんだっつーの」
時夜と圭吾がくだらない言い争いが始まった。小学生みたいだ。
晋は肩を竦めると、サイドチェストやフロントダブルバイセップスなどのマッスルポーズをとりあって張り合う二人を置いて、一人で先に進んだ。
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「森の中には、おっかねー化けモンが住んでるんだよ。人を喰らう鬼さ。ウサギみてーに真っ白な蓬髪に二本の角の、恐ろしい姿の化けモンさ」
「そんなわけねぇだろ」
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「その通りだわ」
きゃぴきゃぴとした声で朱里と美沙が笑う。
みんな退屈な日常を抜けだしたくて旅をしているのだろう。旅行とはそういうものなのかもしれない。水を差すのは大人気ない。
「そうだったな」
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スマホを構えて近付いてくる美沙に、晋はつれない様子で首を横に振る。
「俺は別にいい。写真は苦手なんだ」
「えー、ちょっとぐらいいいでしょ。ねえ、いっしょに映ってよぉ。せっかくステキな場所なんだしさ、晋くんも写真撮ってアップしなよ」
羊の皮を纏った狼さながら、愛らしい表情に似合わない野心的な目で美沙が接近してくる。
「悪いが、インスタなんざやってないし、ケータイもガラケーだ。遠慮させてもらう」
「えー、ざんねーん。まあ、しょうがないか。朱里との写真、さっそくグループラインにアップしちゃおうっと」
楽しげにスマホを操る美沙の顔が俄かに曇った。
「あれ、やだぁ、ここ圏外だよ~。もぅ、やんなっちゃう!」
「本当かい?ボクの性能のいいスマホなら大丈夫のはずさ」
美沙の悲鳴を聞きつけて、出番とばかりに和樹が近付いてきた。最新のスマホを見せびらかすように掲げて、仰々しい手つきで画面に触れる。
「どう?繋がりそう?」
美沙が期待した顔で和樹の顔を覗き込む。
「いや、やっぱり圏外だね。まったく、なんてど田舎なんだこの島は」
和樹は眉間に皺を寄せて忌々しげに吐き捨てる。それに対して、朱里が興奮気味に目を輝かせて、珍しく声を弾ませる。
「私のスマホも圏外なのよ。電波さえ拒む正真正銘の孤島なのね。ますますミステリーだわ!」
単に携帯基地局が近くにないだけだろう。
地図に載っていないような孤島だ。逆に基地局があって、ケータイが繋がる方が怖いというものだ。
心の中で冷静につっこみをいれながらも、晋は少し落ち着かなさを感じていた。
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