鬼月島

都貴

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最終章

その一

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牛面の男が晋と時夜を追って一階に降りたのを確認すると、八重子はほっと息を吐いた。これでしばらくは安全だ。そう思った自分に少し自己嫌悪する。

「ちょっと八重子、これからどうするの?あれなに、バケモノ?アタシ、あいつを森で見たよ。でも、キダマシソウのせいで見た幻覚だって、礼子さんは言ってたの。それなのに、屋敷の中に現れるなんて。ありえないよ。なんなの?」

「あの牛の面の男、ミノタウロスみたいだったね」

「ミノタウロスってそんなワケわからない名称で片づけないでよっ!八重子、礼子さんはどこいっちゃったんだろ?朱里だって見つかってないし。圭吾くんは襲われちゃったかもしれない。ねえ、アイツの正体、礼子さんじゃないの?」

「まさか。美沙ちゃんだって見たでしょう?あの化け物、すごく逞しい身体だった。礼子さんのはずがないよ」

「じゃ、じゃあ、もしかして礼子さんも襲われちゃったのかな?」
「礼子さんのことより、自分たちがどうすればいいか考えないと」
「そうだよね。ねえ、アタシたち、どうすればいいの?」

 自分で何一つ考えず質問攻めにする美沙。普段は朱里と一緒にリーダーシップを発揮して偉そうなのに、非常時に陥った途端にこれか。
八重子はがっかりした。

美沙にデレデレだった和樹までも、辟易とした表情を浮かべる。

「美沙さん、気味に脳みそが無いのは解っているが少しは自分で考えたまえ。質問攻めにされたって、僕にだって解らないよ」

八重子は素直に感情を表せる和樹を羨ましく思った。自分はこんな時でも嫌われるのが怖くて、いい顔をしてしまう。

本当はさっきだって、質問攻めにしながら八つ当たりしてくる美沙にイライラしていた。でも、嫌な顔をせずに曖昧に笑んで、いちいち彼女の問いに答えてしまった。

「アンタっていつもインテリぶって頭がよくっても、こんな時、ぜんぜん頼りにならないんだね。意味ないじゃん。こんなことなら、時夜くんと晋くんが一緒だった方がよかったな。二人とも、大丈夫かな?」

「頭が悪いキミに無能呼ばわりされたくないね。晋くんが牛男に向かっていった隙に逃げ出した癖に心配するなんて、君は偽善者だよ」

「なによそれ、ひっどーい。ほんとイヤな男!」

「そういうキミは顔が可愛くても性格はブスだね。こんな女にモーションをかけていた自分が恥ずかしいよ」

「ほんと、サイテー。アンタなんてあの牛男に殺されちゃえばいいのよ!」
「僕はみんなが死んでも生き残ってみせるさ!」

 醜い言い争いをしていると、階段をゆっくりと登る足音が聞こえてきた。足音は一つ。たぶん、晋や時夜ではない。あの化け物だ。

「ひいっ!」

 和樹は真っ先に部屋を転がり出て逃げて行った。この部屋はわりと階段に近い。少しでも足音から離れたいという心理が働いたのだろう。

八重子と美沙はどうしていいかわからず、ただ顔を見合わせた。怪物が二階に来ているなら隙を見付けて一階に降りた方がいいかもしれない。

八重子は籠っていた蔵書室から恐る恐る顔を覗かせた。今の所目の前の廊下に人影はない。

蔵書室を飛び出して、忍び足で一階の階段の方へと向かう。

 廊下の前方にゆらりと角のある黒い人影が伸びてきた。

「キャアッ!」

 恐怖のあまり美沙が上げてしまった悲鳴に気付き、牛の面の男が八重子達の方に走り寄ってくる。

なんで悲鳴なんてあげるのよ、おかげで気付かれてしまったじゃないか。

そう怒鳴りたいのを堪えて、八重子は無心で走った。晋や時夜を追っていった時の足音はゆっくりだったからのろまだと踏んでいたが、相手はかなりの韋駄天だったようだ。距離はすぐに縮まっていく。

ゆっくり歩いたり、早く走ったりするのは、狩りを楽しんでいるからなのだろう。やっぱりあいつはミノタウロスだ。捕まったら、無残に食べられてしまうのだ。

八重子は顔を恐怖に引きつらせた。必死に全力で走る。

ドアが開きっぱなしだった子供部屋に逃げ込み、その奥にある小部屋の中に八重子と美沙は飛び込んだ。

小部屋には鍵があったけど、鍵を掛ける前に追いついた男がドアを開ける。

八重子は小部屋の更に奥にあるピアノ室に素早く飛び込んだ。美沙も自分に続いて奥の部屋に入ろうとしたが、長い髪を男の指に絡め取られてしまった。

「助けて、八重子!アタシたち友達でしょ?」

必死に手を伸ばしてくる美沙に、反射的に手を伸ばそうとした。だが、八重子はその手を引っ込める。

こんな時ばかり友達だなんて甘い言葉を並べる卑怯な女。あんな子を助けるために、自分の身を危険に晒すなんて馬鹿げている。

心のどこかで解っていた。自分は美沙や朱里にいいように利用されているだけなのだと。

自分は彼女たちにとって課題の解き方を教えてくれたり、ノートを貸してくれたりするだけの都合のいい女で、ついでに引き立て役なのだ。

二人組を作る時に美沙や朱里が自分を選んでくれたことは一度もないし、彼女たちが華やかな他の女友達とカラオケや買い物に行く時に誘って貰ったことも一度だってない。

利用されていると解っていても、根暗で無口でとりえのない自分に声を掛けてくれるのは美沙だけだったから、嫌われまいといいなりになってきた。

利用し利用される関係。自分たちの間にあるのは、そんなご都合主義の薄っぺらい絆だけ。

 さようなら、美沙。

心の中で別れを告げると、八重子はピアノ室の扉を閉めて鍵を掛けた。

「開けて。ねえ、開けてよ八重子!お願い、開けてっ!」

泣き叫びながら美沙がドアを叩く。八重子はその音から逃げるように耳を塞ぎ、アップライトピアノの下に蹲った。

「キャアアァッ!」

 絹を裂くような悲鳴が聞こえた。

ピアノ室の防音壁の外から聞こえるくぐもった音には、現実味がまるでない。こうやって耳を塞いでいれば、別世界の出来事とさえ思えた。

 悲鳴が消えて暫くすると、八重子は分厚い防音扉に耳をくっつけた。

隣の部屋からは音も気配も消えている。口に溜まった唾を飲み込むと、恐る恐る八重子は扉を開けた。そこには、美沙の姿も牛面の男の姿もなかった。


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