夜鴉

都貴

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第一章 夢見の城

悪夢の中④

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 洋館の上に禍々しさを感じる黒雲が渦巻いている。
 入ったら最後、二度と出られない要塞のように思えたけれど、必ず文也を連れ戻してやると息巻いて扉を開けた。

 体に貼り着いた服が鎧のように重い。
 霊体の状態で眠ったはずなのに、ブレザー姿になっていた。

 やはり、夢の中では敵が一枚上手のようだ。

 冷たい体を温めるように腕を擦りながら廊下を進んでいく。
 カーペットに濃い染みをつくりながら二階を目指した。

 二階の最奥のドアを開くと、ファンシーなベッドに背筋を伸ばして眠る文也の姿を見つけた。部屋の明かりは消えている。雨空で陽光の恩恵はなく、夜のように薄暗い。

 部屋には現実の世界で訪れた時にあった埃やひび割れはない。隅から隅まで掃除したようにきれいだったが、それがかえって死の匂いを漂わせていた。

 レースのカーテンを開き、光季は文也の頬を軽く叩いた。

「おい瀬名、起きろよ。ここから出るぞ」

 呼びかけても文也はピクリとも動かない。
 安らいだ顔をしているが、血色が悪く顔色が冴えない。
 眠りながら生気を吸われているのだろう。早く起こして外に連れ出さないと。

 名前を呼びながら彼の肩を強く揺す振った。
 だが、やはり起きる気配はない。

「くっそ、しょーがねーな」

 文也の脇の下に手を滑り込ませ、持ち上げようとした。
 だが、自分より三センチ背の低い文也は意外にもがっちりとした身体付きをしていて重く、背負うのは無理だった。

 しょうがなく、肩を貸して彼を引き摺るようにして歩いた。

 夢魔との遭遇を警戒しながら廊下に出た。
 今のところ、なんの気配もない。
 屋敷の中は薄闇に包まれ、不気味な廊下がずっと向こうまで続いている。

「ここの廊下、こんなに長かったか?」

 呟いた声が虚しく響いた。眠った文也を連れているせいもあるのだろうが、それだけじゃない。
 どれほど一歩を踏み出すのに時間をかけていたとしても、流石にそろそろ階段に差しかかってもいいはずだ。
 それなのに、延々と廊下が続いている。

 立ち止まった光季の耳に、ヒタヒタと濡れた足音が聞こえた。
 音は背後からだ。

 夢魔が現れたのだろうか。
 恐る恐る振り返ると、意外な人がそこに立っていた。

「姉ちゃん……」

 死んだはずの美咲がゆらゆらと立っていた。
 乱れた長い髪を青白い顔の前に垂らし、髪の隙間からぎょろりとした薄茶の瞳で、こちらを見ている。

「光季。アタシと一緒にいてよ。ね、また二人で蛍を見にいこ」

 美咲が誘うように手を伸ばし、光季に触れようとする。
 浮かべられたのは生前と変わらない明るい笑みなのに、光季は違和感を覚えて一歩後ろにひいた。

 美咲とは仲が良かったので、彼女がいないことを寂しいと思うことはある。
 だが、あの頃に戻りたいと思ったことはない。
 彼女の死はとっくの昔に受け入れている。

「おれはここにいる気はないんだ。ごめん」

 光季が謝ると、美咲の顔が歪んだ。薄茶の瞳には憎しみが揺らいでいる。

「アンタが私を殺した。アンタがいなかったら、アタシは死なずにすんだのよ」

 違う、美咲が死んだのは交通事故だ。わかっているのに、何故か美咲の言葉は現実感を伴って光季を苛んだ。

 おれが姉ちゃんを殺した。反芻した言葉に胸が疼いた。
 責める声から逃げるように、光季は足を速めた。

 それでも声は追いかけてくる。
 頭の中に呪詛のような言葉が響く。

 お前もここで死ねと、そう言われている気がした。

 無限回廊のように、歩いてもどこにも辿りつけない。
 肩に担いだ文也の重みが最初よりずっと増している。

 疲れたな。

 足を止めて、光季はその場に座り込んだ。
 足音が迫っていた。近付いてきているのが美咲なのか、夢魔なのか確かめる気力がない。

 自分と一緒に廊下に崩れ落ちた文也は相変わらず安らいだ顔だ。

 彼を起こすのは、いけないことなのかもしれない。
 蓮華畑ではしゃいでいた幸せそうな幼子二人が脳裏を過り、罪の意識が胸を締めつけた。

「光季、アタシを殺したのはアンタよ。贖いなさい。罰として、ここに一緒にいるの」
「光季の姉ちゃんは、そんなふうにアイツを責めたりしねぇよ」

 明るく響いた声で光季は我に返った。

 顔を上げると、薙刀を掲げた陽平の眩しい笑顔がとびこんできた。

 夢魔の術中に嵌まっていたようだ。
 奥歯を噛みしめると、光季は唇の端を吊り上げた。

 手のひらを上に向けて神経を集中する。
 光季の周囲に光の弾が浮かびあがった。
 纏っていた水の鎧が乾き、カーキ色のロングコートの裾がひらりと翻る。

「やってくれるじゃねーか。今度はこっちの番だぜ、夢魔」

 光季はニタリと凶悪に笑んで光弾を撒いた。
 爆煙の中、栗色の巻髪の少女が現れる。

「ここはアタシの世界。オマエたちには勝ち目なんてないわ」
「そりゃどうかな」

 陽平が地面を蹴り、少女に突きを放った。
 夢魔は夢の世界に人を引き摺り込むのが厄介だが、本体の戦闘力はそれほど高くない。
 優がくれた情報は間違ってなかった。

 陽平の切っ先は容易く少女の腹を貫き、白いワンピースを鮮血で染めた。
 見た目が少女なのでなかなかえぐい光景だ。

「ぐっ、うぅ、夢の中では、アタシを殺すなんて不可能よ」

 皺が刻まれた醜い老婆の顔に変わった夢魔が、風景に溶け込んだ。

「逃げるつもりかよ。どうする?光季」
「おれに任せろ。陽平は瀬名を連れて屋敷の外に出てろ。屋敷ごとバラバラにしてやる」

 軽く広げた両手の間に特大の光弾を出すと、細かく分割して八方に一斉に放った。

 壁や柱を光弾が打ち砕き、洋館が倒壊していく。
 文也を背負った陽平が窓から飛び降りたのを確認すると、光季も窓硝子を割って外へ飛び出した。

 空中で身を翻すと、洋館の方を向いて落下しながら、さらに無数の光弾を放つ。
 爆発音が轟き、洋館が跡形もなく消えた。嗄れた断末魔が辺りに響く。

「さすがじゃん。ビル解体はダイナマイトなしでもオマエがいれば事足りるな」
「おれは解体業者じゃねーっつーの」
「見てみろよ、洋館が燃えてるぜ」

 光季は陽平の指を視線で追った。館の残骸がオレンジ色の炎に包まれている。

 空が黄金色に輝いていた。
 まるで朝だ。光季はあまりの眩しさに目を瞑った。


 目を開くと、響の青い目に覗き込まれていた。
 どうやら、無事に現実の世界に戻ってきたらしい。

 光季が起き上るのと同時に、文也と陽平も身を起こした。

 まだ繋いだままになっている手に、文也が眉を顰める。
 光季は慌てて手を放した。

 起きるなり見慣れた仏頂面になった文也に、複雑気持ちになった。

 寝ている文也は幸せそうだった。
 死んでしまった大切な弟と一番楽しかった頃にいた彼は、目覚めることを望んでいなかったのかもしれない。

 夢魔に憑かれた人の殆どが幸福な夢を見ていた。
 楽しい夢を見たまま、静かに死んでいくことを望んでいた人がいても不思議じゃない。

 特に文也みたいな重苦しい過去を引き摺って生きている人にとっては、現実よりも夢の中の方がずっと温かくて幸せに違いない。

 無理やり夢から呼び覚まされて、文也は怒っているだろうか。

 窺うように文也の顔を覗き込むと、文也が顰め面を僅かに和らげた。

「ありがとう、助かった。……その、夢で見たものは全て忘れてくれ」

 文也が少しだけ恥ずかしそうに呟いた。
 夢の中で高校生の文也は眠っていたけれど、どうやら記憶を共有しているらしい。

 愛らしかった文也の過去の姿を思い出して、光季はにやりと笑みを浮かべた。

「忘れねーよ」

 陽平と声が重なった。
 光季は陽平と顔を見合わせて笑い声を上げる。

 間に挟まれた文也がジロリと二人を一瞥し、ベッドから降りて足早に医務室を去っていった。
 彼の頬が僅かだが朱に染まっていたのを見逃さなかった光季と陽平は、また馬鹿みたいに笑った。

「夢の世界にいたほうが幸せってひとも、いたかもしれないな」

 文也の姿が完全に見えなくなると、光季は笑うのをやめてポツリと呟いた。
 じっと扉の向こうを見詰める光季の肩に、優が優しく触れる。

「そりゃ現実は苦しいことがいっぱいあるだろうだけど、だからこそ楽しいことが楽しく感じられるんだよ」
「そうかもしれないですね」

「きっとそうさ。みんな今頃目覚めてホッとしてるよ。さて、任務完了だね。報告書やら後始末やらはオレと要がやっとくから、みんな帰っていいよ。おつかれさん」

「ありがとうございます、おつかれさまでした」

 面倒臭い処理をかってでてくれた優と要に礼を言い、光季は陽平と医務室を後にした。

「待て、光季」

 後ろから呼び止められて、光季は踵を返す。声をかけてきたのは響だった。

「響さん、なんですか?」
「光季、お前はどんな夢を見たんだ?」
「嫌な夢でした。妖怪に追っかけられる夢。あと、姉ちゃんの夢も見ました」
「……そうか」

 珍しく響の顔が翳る。
 真偽は不確かだが、響は死んだ姉の美咲と恋仲だったらしい。

 彼は中学の途中で引っ越して東京に転校したのだが、高校は一人暮らしをしてまで六堂市の進学高に通っていた。
 響が地元に戻ってきたのは美咲と付き合いだしからだと、近所のおばさん連中が噂しているのを聞いたことがある。

「響さんは、夢でもいいからおれの姉ちゃんに会いたい?」

 光季の問いに、響は珍しく間をあけてから答えた。

「夢なんて幻だ。それがどんなに素晴らしくても、所詮はただの創りものに過ぎない」

 強い口調だった。揺らぎのない青い瞳に光季は僅かに安堵する。
 夢なんて幻だ。響の言葉を口の中で反芻し、噛みしめる。

 夢魔が消えた今夜、眠っていた人達はどんな夢を見るのだろうか。
 できれば、夢魔が魅せる夢に負けないくらい、明るくて楽しい夢だといい。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、光季は家路に着いた。

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