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第二章 真夏の再会
過去夢②
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光季は自分の絶叫で目を覚ました。
窓から柔らかな金の光が差し込み、雀の囀ずりが聞こえる。
大丈夫、現実に戻ってきた。
ほっと息を吐き、呼吸を整えながらスマホの画面に触れる。
八月十三日、姉の命日まであと二日だ。
夢で美咲が言った言葉が鮮烈に耳の奥に残っている。
先月、夢魔の夢の中でも聞いた言葉。
おれが姉ちゃんを殺した。そんな、まさかな。
姉は交通事故で死んだ。姉を殺したのは車の運転手であり、自分ではない。姉が轢かれた現場に自分はいなかったから、間接的に姉の死の原因になることさえ不可能なはずだ。
あの日、姉が車に轢かれたと連絡を受けて慌てて病院に駆けつけた。
そのはずなのに、何故か救急車のくるくる回る赤いランプを間近で見たような気がする。
この矛盾はなんだろうか。記憶が曖昧ではっきりとしない。
「やめやめ。朝っぱら考えることじゃねーよ」
思考を止め、光季は一階に降りた。
「おはよう、光季。夏休みなのに早いのね。今日も仕事なの?」
エプロン姿でオープンキッチンに立っていた母の美奈子が、心配そうにこちらを見る。
光季はへらりと人懐っこい笑みを浮かべた。
「おはよ、母さん。今日も任務入っててさ。九時前に家を出るから」
「大変ね。お仕事がんばってね。朝食できてるわよ」
テーブルには好物のフライドチキンが並んでいた。
ここ最近仕事や訓練で忙しくして家で食事をとる機会が少なかった息子のためにはりきって作ったのだろう。
朝だし夏バテ気味で食欲はあまりなかったが、光季は笑顔でチキンを頬張った。
嬉しそうな息子を見て上機嫌な母に、光季は密かに苦笑する。
台所仕事を終えた美奈子が向かいに座った。
美咲の死について詳しく聞いてみたい気がしたが、母の前、いや、家で亡き姉の話をするのはタブーとなっている。
やっぱり母に姉のことを聞くべきではない。愛する娘を失った悲しみを思い出すことは、母にとっては不幸なことなのだから。
光季は黙って食事に集中した。
美奈子は相変わらず、前に座ったまま笑みを浮かべている。
母が他愛のないことを話すのを聞きながら、愛想よく相槌を打った。
ボリュームがありすぎる朝食をなんとか平らげると、はやばやと家を出た。
玄関を出る直前、靴箱の上に置かれた写真立ての中で笑う美咲と目があった気がした。
基地に向かう途中、響の家の前で彼に会った。
「おはようございます、響さん」
「おはよう、光季。お前も招集がかかっているんだったな。乗れよ」
車のキーを手に、響が車庫に停まった彼の愛車のアテンザを指差す。
まだ二十歳で大学生の響が高級車に乗れるのは、もともと裕福な家庭だからというだけではなく、彼が率いる響隊も夜鴉の式神だからだ。
夜鴉は隊員のモチベーションを保つため、働きに応じて高い給料が支払われる究極の実力主義だ。
一般兵よりも優れた式神と認定された七部隊は普段の巡回任務に加えて特務もこなし、けっこうな稼ぎとなる。
「ありがとうございます」
光季はアテンザの助手席に乗り込んだ。車が滑らかに走り始める。
炎天下の中、涼しくて乗り心地のいい車で通勤できるのは最高だ。
「ねえ、響さん。おれの姉ちゃんのことなんだけどさ」
他愛のない会話が途切れた拍子にふと切りだした話題に、いつも冷静な響の眉が僅かに動いたのを光季は見逃さなかった。
まずい話題かもしれない。でも、聞かずにはいられない。
「姉ちゃんって事故で死んだんだよね?おれさ、犯人の顔見たことないし、犯人に会ったことない気がするんです。響さんはさ、犯人について知ってる?」
「いや、知らない。轢き逃げで犯人は捕まってない」
「そうだっけ。事故の話さ、うちの両親はぜったいしてくれないから。そんなに昔のことじゃないのに、おれ、事故のことよく覚えてない。おれが中一の時だから三年前の夏だよね。なのに、ほとんどなにも覚えてなくってさ」
「ショックなできごとだったから、無理もないさ」
響の青い瞳に暗い影が落ちる。
彼にこれ以上美咲のことを聞くのは酷だろう。
「響さんはさ、なんで夜鴉にはいったんだっけ?」
「なんだ、いきなり」
「いや、気になっちゃってさ。響さんって非日常のスリルを味わいたいタイプじゃないでしょ。かといって正義の味方ってガラでもないしさ。どっちかっていうと魔王タイプじゃんか」
「魔王タイプってなんだ。まったく、失礼な奴だ」
「ははっ、冗談ですよ。響さん、顔はこえーけど実は優しいとこあるし。でもさ、武志さんや朝比奈さんみたいに、みんなを守らなきゃってタイプじゃないでしょ」
「そうだな。俺は博愛主義じゃねえ。俺以外の人間のことなんざ、知ったことじゃない。俺が夜鴉に入隊したのは、守りたい奴がいたからだ」
もし自分が女だったら響に惚れていたかもしれないくらいかっこいい台詞だが、過去形であることに哀愁を感じて、胸が小さく痛んだ。
彼が守りたい奴というのは、もしかすると美咲のことなのかもしれない。
「あんたさ、その顔でその台詞はずるいでしょ。いいよな、響さん、どうせ女子にモテモテなんでしょ」
にやりと笑ってわざと明るく茶化すと、響が口元を緩めた。
「まあな。女にもてる容姿だという自覚はある。きゃあきゃあ寄ってきて鬱陶しいと思うがな。可能ならお前に顔をやってもいいぐらいだ」
「うわっ、もてる男の台詞。そんなこと言ってると、友達逃げてきますよ。ただでさえ冷酷そうで迫力のある顔してるんだからさ」
「ふん、友人なんざ俺には必要ない」
響の言葉に光季が笑い声をあげる。つられたように、響も低い声で笑った。
くだらない会話をしている内に、車が基地に着いた。
窓から柔らかな金の光が差し込み、雀の囀ずりが聞こえる。
大丈夫、現実に戻ってきた。
ほっと息を吐き、呼吸を整えながらスマホの画面に触れる。
八月十三日、姉の命日まであと二日だ。
夢で美咲が言った言葉が鮮烈に耳の奥に残っている。
先月、夢魔の夢の中でも聞いた言葉。
おれが姉ちゃんを殺した。そんな、まさかな。
姉は交通事故で死んだ。姉を殺したのは車の運転手であり、自分ではない。姉が轢かれた現場に自分はいなかったから、間接的に姉の死の原因になることさえ不可能なはずだ。
あの日、姉が車に轢かれたと連絡を受けて慌てて病院に駆けつけた。
そのはずなのに、何故か救急車のくるくる回る赤いランプを間近で見たような気がする。
この矛盾はなんだろうか。記憶が曖昧ではっきりとしない。
「やめやめ。朝っぱら考えることじゃねーよ」
思考を止め、光季は一階に降りた。
「おはよう、光季。夏休みなのに早いのね。今日も仕事なの?」
エプロン姿でオープンキッチンに立っていた母の美奈子が、心配そうにこちらを見る。
光季はへらりと人懐っこい笑みを浮かべた。
「おはよ、母さん。今日も任務入っててさ。九時前に家を出るから」
「大変ね。お仕事がんばってね。朝食できてるわよ」
テーブルには好物のフライドチキンが並んでいた。
ここ最近仕事や訓練で忙しくして家で食事をとる機会が少なかった息子のためにはりきって作ったのだろう。
朝だし夏バテ気味で食欲はあまりなかったが、光季は笑顔でチキンを頬張った。
嬉しそうな息子を見て上機嫌な母に、光季は密かに苦笑する。
台所仕事を終えた美奈子が向かいに座った。
美咲の死について詳しく聞いてみたい気がしたが、母の前、いや、家で亡き姉の話をするのはタブーとなっている。
やっぱり母に姉のことを聞くべきではない。愛する娘を失った悲しみを思い出すことは、母にとっては不幸なことなのだから。
光季は黙って食事に集中した。
美奈子は相変わらず、前に座ったまま笑みを浮かべている。
母が他愛のないことを話すのを聞きながら、愛想よく相槌を打った。
ボリュームがありすぎる朝食をなんとか平らげると、はやばやと家を出た。
玄関を出る直前、靴箱の上に置かれた写真立ての中で笑う美咲と目があった気がした。
基地に向かう途中、響の家の前で彼に会った。
「おはようございます、響さん」
「おはよう、光季。お前も招集がかかっているんだったな。乗れよ」
車のキーを手に、響が車庫に停まった彼の愛車のアテンザを指差す。
まだ二十歳で大学生の響が高級車に乗れるのは、もともと裕福な家庭だからというだけではなく、彼が率いる響隊も夜鴉の式神だからだ。
夜鴉は隊員のモチベーションを保つため、働きに応じて高い給料が支払われる究極の実力主義だ。
一般兵よりも優れた式神と認定された七部隊は普段の巡回任務に加えて特務もこなし、けっこうな稼ぎとなる。
「ありがとうございます」
光季はアテンザの助手席に乗り込んだ。車が滑らかに走り始める。
炎天下の中、涼しくて乗り心地のいい車で通勤できるのは最高だ。
「ねえ、響さん。おれの姉ちゃんのことなんだけどさ」
他愛のない会話が途切れた拍子にふと切りだした話題に、いつも冷静な響の眉が僅かに動いたのを光季は見逃さなかった。
まずい話題かもしれない。でも、聞かずにはいられない。
「姉ちゃんって事故で死んだんだよね?おれさ、犯人の顔見たことないし、犯人に会ったことない気がするんです。響さんはさ、犯人について知ってる?」
「いや、知らない。轢き逃げで犯人は捕まってない」
「そうだっけ。事故の話さ、うちの両親はぜったいしてくれないから。そんなに昔のことじゃないのに、おれ、事故のことよく覚えてない。おれが中一の時だから三年前の夏だよね。なのに、ほとんどなにも覚えてなくってさ」
「ショックなできごとだったから、無理もないさ」
響の青い瞳に暗い影が落ちる。
彼にこれ以上美咲のことを聞くのは酷だろう。
「響さんはさ、なんで夜鴉にはいったんだっけ?」
「なんだ、いきなり」
「いや、気になっちゃってさ。響さんって非日常のスリルを味わいたいタイプじゃないでしょ。かといって正義の味方ってガラでもないしさ。どっちかっていうと魔王タイプじゃんか」
「魔王タイプってなんだ。まったく、失礼な奴だ」
「ははっ、冗談ですよ。響さん、顔はこえーけど実は優しいとこあるし。でもさ、武志さんや朝比奈さんみたいに、みんなを守らなきゃってタイプじゃないでしょ」
「そうだな。俺は博愛主義じゃねえ。俺以外の人間のことなんざ、知ったことじゃない。俺が夜鴉に入隊したのは、守りたい奴がいたからだ」
もし自分が女だったら響に惚れていたかもしれないくらいかっこいい台詞だが、過去形であることに哀愁を感じて、胸が小さく痛んだ。
彼が守りたい奴というのは、もしかすると美咲のことなのかもしれない。
「あんたさ、その顔でその台詞はずるいでしょ。いいよな、響さん、どうせ女子にモテモテなんでしょ」
にやりと笑ってわざと明るく茶化すと、響が口元を緩めた。
「まあな。女にもてる容姿だという自覚はある。きゃあきゃあ寄ってきて鬱陶しいと思うがな。可能ならお前に顔をやってもいいぐらいだ」
「うわっ、もてる男の台詞。そんなこと言ってると、友達逃げてきますよ。ただでさえ冷酷そうで迫力のある顔してるんだからさ」
「ふん、友人なんざ俺には必要ない」
響の言葉に光季が笑い声をあげる。つられたように、響も低い声で笑った。
くだらない会話をしている内に、車が基地に着いた。
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