夜鴉

都貴

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第二章 真夏の再会

過去夢③

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 せっかく出勤したのに、如月隊の巡回任務は急遽、一条隊に任せることになった。

 なんでも、六堂市のテレビ局が夏休み向けの特番でホラー特集をするらしいのだが、その中で実際に夜鴉が妖怪と戦うシーンを放送したいと言い出したそうだ。
 しかも撮影日は今日で御指名はご当地アイドルの一条隊。
 非番の彼らが出勤となり、如月隊はお役御免というわけだ。

 妖怪が溢れる六堂市のローカルチャンネルでホラー特集なんて、なんの皮肉だ。

 虎徹は不貞腐れた顔で戦闘訓練ができる闘技場に消え、美作兄弟は帰った。
 取り残された光季は暫くロビーでぼんやりしていたが、結局闘技場に向かった。

 闘技場にいた陽平と何度か戦って、負け越した陽平の奢りで基地付近の大正時代の匂いがするレトロな店構え喫茶店に入った。

 飴細工のようなカラフルなステンドグラスの窓、鈴蘭を模したシャンデリアの橙色の灯り、ワインレッドの皮張りソファの豪奢なインテリア。
 昼間なのに薄暗い店内は隠れ家のようで、寛いだ気分になる。

 光季はミックスサンドプレートを、陽平は名物の鉄板ナポリタンを注文した。

 静かな店内には哀愁漂う旋律が流れている。
 透明なアクアブルーのグラスが、窓から差し込んだ光でテーブルに水面の影を作っていた。
 店内のノスタルジックな雰囲気がそうさせるのか、光季はふと今朝の夢を思い出した。

 何か不思議な引力が働いたように、夢で見たあの川に行きたいという欲求が高まる。
「なあ陽平、飯食ったら行きたいとこがあるんだけど」
「行きたいところ?珍しいじゃん。どこだよ?」
「川。ちょっと遠いけど、家から自転車で行ける場所にあるから」
「いいぜ」

 基地に戻って戦いたいと断られるかと思ったが、意外にも陽平は快諾してくれた。


 喫茶店を出ると一度家に帰り、自転車に跨って出発した。
 外は相変わらず暑いが、自転車をこぐと爽やかな風が全身を撫でて心地良い。

 四十分ほどかけて二人は山の奥へやってきた。
 険しく曲がりくねった羊腸の小徑をぜいぜいと息を切らしながら(陽平はけろりとした顔で呼吸を乱していなかったが)登ると、目的の川が見えてきた。

「おー、キレイな川じゃん!自転車でこれる場所なのに、オレ知らなかったわ」

 陽平が切れ長の目を開いてしげしげと川を眺める。
 光季はスニーカーを脱ぎ捨てると川に足を浸した。
 川の水はひんやりしている。火照った体が冷やされて心地いい。

「光季、よくこんな場所知ってたな」

「ガキの頃、親に連れられて蛍を見にきたんだ。小学校になってから蛍は見にきてないけど、嫌なこととか悩みを話す時に姉ちゃんと二人でこっそり来て、親に聞かれたくない話をしてたんだよな。人がいない場所、ここくらいしか思い付かなかったから」

「そっか。イイ場所だもんな。連れてきてくれてサンキューな」

 陽平の笑顔が太陽みたいで眩しくて、光季は目を細めた。

 日向陽平。名は体を表すと言うが、陽平を見ているとその通りだと思う。

 シスコンではないので身内を褒めるのは恥かしいが、姉も美咲という名前がよく似合っていた。
 見た目もけっこう美人だが、それ以上に生命力溢れる活発さが生の美しさを表していた。

 美しく咲く花の命は短い。姉の名は彼女の人生を示していたのだろうか。

 皮肉めいた考えを打ち消し、光季は頭を空にした。
 あまり考えごとをしたり悩んだりする性質ではないが、胸の靄が晴れない時はよく此処にきていた。
 川に足を浸し、身の内にある蟠りを冷たい水にぜんぶ流してしまうのだ。

 光季は靴を河原に放りだして川の中に突撃していく陽平に視線を遣った。
 視線に気付いてこちらを向いた紫黒の瞳に自分が映る。

「光季と姉ちゃんってそっくりだよな。目の色は違うけど髪の色同じだし、顔似てるし」

「何だよ、突然。まあ、おれと姉ちゃんって似てたのかも。姉ちゃんは美人ってもてはやされてたのに、おれは別にイケメンって騒がれないけどな。不公平だ」

「オマエの顔、悪くねーのにな。まあ、性格の残念さが滲み出てんだろ」
「言いやがったな。おまえの性格の方が残念だっての」

 くだらないけど楽しい会話。いつもはそのまま延々と続く馬鹿話が唐突に終わる。

「なあ、光季。オマエさ、姉ちゃんとここで何話してたんだ?」

 普段のふざけた調子が嘘のように、真剣な顔と声で陽平が尋ねてきた。
 辺りが一瞬静まり返る。
 姦しい蝉の音さえも遠ざかり、川の流れが耳の奥で聞こえた。

「別に。大したことじゃねーよ。母さんが勉強しろって煩いとか、父さんが仕事が忙しいってぜんぜん遊びに連れてってくれないとか、子供じみた文句」

 嘘を吐いた。
 本当は妖怪が見えることや襲われることへの悩みを相談していた。

 親に信じて貰えなくて一人で抱え込んでいた悩みに気付いた美咲は、頼りがいのある強い顔と声で「光季はアタシが守ってあげる」と言ってくれた。

 不意に、頭に夢の言葉が蘇る。

 ――アタシを殺したのはアンタよ、光季。

 体の中に響いた薄暗い声に鼓動が不規則に揺れた。
 ぼんやりしていると、顔に冷たい水が飛んできた。

「うわっ、冷てっ」
「イエーイ、クリティカルヒット!」

 水鉄砲を顔に飛ばしてきた陽平が悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
 気分が沈んでしまったのを気取られたようだ。
 陽平の心遣いに乗っかり、光季も水遊びに高じる。

 光季も陽平も楽しいことが大好きで、遊びだしたらすぐに夢中になれる。
 服が濡れるのも気にせず、二人して川の中に突撃して、幼子みたいに水をかけあってじゃれ合った。

 先に遊び疲れた光季は岩に腰を降ろした。
 涼やかな風にウトウトしていると、誰かに名前を呼ばれた。

 若い男の声。自分の名を呼ぶ声は優しく、光季は吸い寄せられるようにふらりと立ち上がり、声が聞こえた茂みに入る。

 急に目の前の景色が消え、脳裏に浮かんだ光景が音や匂いを伴って網膜に焼き付く。

 むせ返るような草の青い匂い。煩い蝉の声。身を灼く真夏の陽射し。
 中学一年のお盆、光季は姉と此処に来たことを不意に思いだした。

 その時、今みたいに知らない男の声に呼ばれた。
 その後の記憶は曖昧だ。

 草のにおいを掻き消す鉄錆の匂い。地面に崩れ落ちた美咲が必死に何かを叫んでいる。真っ赤な血を浴びながら、誰かが嗤っていた。

 まるで浅い眠りの中で夢を見ているように、自身の深淵に凝る記憶の断片、忘れてしまった過去を見ている。不思議な感覚だった。
 光景ははっきりと思い出せるのに、それがどんな体験だったのかまったく覚えがない。

「おい待てよ、光季」

 陽平に腕を掴まれて、光季はハッと我に返った。怪訝そうな顔の陽平と視線がぶつかる。

「なにやってんだよ、オマエ。虫嫌いなクセに、そんな茂みにつっこんでくなよ」
「誰かが、おれを呼んでたんだ」

 ぼんやりと茂みに目を向けた。濃い翳の中に誘いこむように、ゆらりゆらりと枝が揺れている。
 陽平が鋭い目で闇を睨み付けた。

「行かねえほうがいいぜ。なんか、ヤな感じがすんだよな」

 陽平は人間のくせに野生の勘を備えている。その彼が嫌なものを感じ取ったのならば、近寄らない方が賢明だろう。
 光季自身、茂みの向こう側の闇に薄気味悪さを覚えていた。


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