妹に婚約者を奪われたので、怪物と噂の「冷徹公爵」に嫁ぎます。~どうやら彼は不器用なだけだったようで、今さら実家に戻れと言われても困ります~

みやび

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【第1章】 捨てられ令嬢と氷の公爵

第1話 「余りモノ」の処分先

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 学園の卒業パーティ会場、ではなく。
 ここは我が家、男爵家の居間である。
 薄汚れた壁紙に、少し埃っぽいカーテン。かつては名門だったらしいが、今や見る影もない我が家の象徴のような場所だ。

 父と継母、そして二つ下の異母妹ミリアが見守る中、私の婚約者である伯爵令息カイル様が高らかに宣言した。
 その腕には、ピンクブロンドの髪をふわふわと揺らす妹のミリアが、しっかりと抱き着いている。

「……あの、カイル様。それは本気でおっしゃっていますか?」
「当たり前だ! 見ろ、この愛らしいミリアを! 地味で、可愛げがなく、会えば領地経営の小言ばかり言うお前とは大違いだ。私は真実の愛を見つけたのだ!」
「お姉様、ごめんなさいぃ。カイル様がどうしてもって……。お姉様、いつもお仕事ばかりでお化粧もしないし、目の下にクマができてるしぃ。カイル様が『隣を歩くのが恥ずかしい』って嘆いてらしたのよ?」

 ミリアが上目遣いで私を見て、口元だけでニヤリと笑う。
 ああ、なるほど。
 私は心の中で、大きく安堵の溜め息をついた。

(やっと、解放される……!)

 我が男爵家の領地経営が傾きかけた数年前。私が必死に帳簿を見直し、カイル様の実家である伯爵家とのコネクションを繋ぎ止め、特産品の麦の卸値を調整して、なんとか家を立て直してきた。
 本来なら当主である父がやるべき仕事だ。けれど、父は母が亡くなってからというもの、酒とギャンブルに溺れ、本来の領主としての務めを放棄していた。

 そもそも、この男爵位は亡くなった母と祖父のものだ。
 父は入り婿としてこの家に入り、母が亡くなった後に後妻――今の継母を連れ込んだだけの男。
 私は「お母様とお祖父様の大切な領地を守らなきゃ」という一心で歯を食いしばってきたけれど、父と継母は「ミリアは可愛いからいいのよ」と、異母妹ばかりを甘やかした。

 私が睡眠時間を削って、ろうそくの火で目をこすりながら働いている間、彼らは私の稼ぎで新しいドレスを買い、ミリアはずっとカイル様に粉をかけていたわけだ。

 正直、カイル様もカイル様だ。
 私が必死に用意した商談の席で、彼はいつも「難しい話はわからない」と欠伸を噛み殺していた。伯爵家を継ぐ器ではないと思っていたが、まさかここまで愚かだったとは。
 この二人がくっつくなら、それはある意味「お似合い」である。破滅への特急列車へようこそ。

「わかりました。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「ふん、泣いてすがるかと思えば、可愛くない女め」
「今までお世話になりました、カイル様。ミリアとお幸せに」

 私が淡々と頭を下げると、カイル様はつまらなそうに鼻を鳴らした。
 すると、今までブランデーグラスを揺らして黙っていた父が、重々しく口を開いた。

「エリスよ。婚約破棄された傷モノを、家に置いておくわけにはいかん」
「……はい、お父様。では、修道院へでも参りましょうか」
「修道院? バカを言うな。お前を入れるのに寄付金がかかるだろう。そんな金はない」
「では……平民になって出ていけと?」
「いや、それでは金にならん……いや、なんでもない。実はな、ちょうど良い縁談があるのだ」

 父が下卑た笑みを浮かべる。
 嫌な予感がした。正当な後継者である私を追い出し、この家を完全に自分のものにしようとしているのだ。

「北の辺境を治める、ジークハルト公爵をご存じだな?」

 私は思わず息を呑んだ。
 背筋がヒヤリと冷たくなるのを感じる。
 ジークハルト公爵。その名は、この国で知らぬ者はいない。
 若くして公爵位を継いだ、国一番の武人にして魔法使い。だが、彼についた二つ名は――『氷の公爵』。

 他者に一切の関心を抱かず、近づく者には容赦なく氷の魔術を放つ冷酷無比な男。
 過去に何人もの令嬢が「公爵夫人」の座を狙って嫁いだが、全員が三日と持たずに逃げ出したという。
「あの目は人を見る目ではない」「寝室が氷点下だった」「話しかけたら凍らされかけた」……そんな恐ろしい噂が絶えない人物だ。

「あの方は……その、花嫁を探しておられるのですか?」
「うむ。なんでも、屋敷の管理ができる『形だけの妻』がいれば誰でもいいそうだ。愛など期待するな、余計な口をきくな、というのが条件だとか。持参金もいらん、むしろ結納金を弾むと言ってきている」

 つまり、父は私を売るつもりなのだ。
 厄介払いと同時に、まとまったお金まで手に入る。父にとっても、継母とミリアにとっても、これ以上の好条件はないだろう。

 胸の奥で、家への執着のようなものが、プツリと音を立てて切れた。
 母が愛したこの家を守りたかったけれど、もういい。これ以上、この寄生虫たちに人生を搾取されるのはご免だ。

「……わかりました。ジークハルト公爵のもとへ嫁ぎます」
「おお! そうかそうか! 善は急げだ、馬車はもう手配してある。すぐに発つがいい!」

 まるでゴミを捨てるような手際だった。
 私室に戻って荷物をまとめる時間すら与えられず、着の身着のまま、裏口に停められた古びた馬車に押し込まれた。
 唯一の手荷物は、いつも仕事で使っていた万年筆と、肌身離さず持っていた母の形見のロケットだけ。

 ガタガタと揺れる馬車の中で、私は遠ざかる生家を見つめた。
 悲しくはない。これで私は自由だ。せいぜい、私がいなくなった後の領地経営で苦しめばいい。

 ◇

 馬車に揺られること三日。
 北へ進むにつれ、車窓の景色は緑から白へと変わっていった。
 寒い。隙間風が入ってくるボロ馬車では、外套を重ねても震えが止まらない。吐く息が白く染まり、指先の感覚がなくなっていく。

 これが、私がこれから生きる場所。
 噂通りの極寒の地だ。心も体も凍りつくような世界で、私は孤独に死んでいくのかもしれない。

 やがて馬車は、巨大な城壁に囲まれた屋敷の前で止まった。
 万年雪に閉ざされた公爵邸。黒い石造りの外観は威圧的で、まるで侵入者を拒む要塞のようだ。

 御者に促され、強張った足取りで玄関ホールへと入る。
 広大なホールは静まり返っていた。煌やかな装飾はなく、あるのは洗練された機能美と、張り詰めたような静寂だけ。

「……お前が、新しい生贄か」

 頭上から降ってきたのは、低い、けれど耳に心地よく響くバリトンボイスだった。
 顔を上げると、大理石の階段の上に長身の影があった。

 銀色の髪は窓から差し込む冬の陽光を受けて輝き、切れ長の瞳は宝石のサファイアよりも深く、冷たい。
 整いすぎた顔立ちは、確かに人間離れしていて、美しい彫像のようだった。
 噂通りの、背筋が凍るような美貌の持ち主、『氷の公爵』ジークハルト様。

 彼がゆっくりと階段を降りてくる。一歩近づくたびに、強烈なプレッシャーが肌を刺す。
 ああ、殺される。あるいは、噂通り凍らされる。
 私は恐怖に身を縮ませ、ギュッと目を閉じた。

 けれど。

(え……?)

 ふと、彼と目が合った瞬間、私の胸がドクリと跳ねた。
 冷徹と言われるその瞳が、私を見た一瞬だけ、見開かれ――微かに熱っぽく揺らいだように見えたのは、気のせいだろうか。

 彼は私の目の前で立ち止まると、何かを堪えるように眉を寄せ、困惑したような声で呟いた。

「……なぜだ。なぜ、お前のような華奢な娘が……こんな……」

 その声には、軽蔑も冷酷さもなく。
 ただ、どうしようもないほどの「戸惑い」と、隠しきれない「甘さ」が含まれているように聞こえた。

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