妹に婚約者を奪われたので、怪物と噂の「冷徹公爵」に嫁ぎます。~どうやら彼は不器用なだけだったようで、今さら実家に戻れと言われても困ります~

みやび

文字の大きさ
2 / 40
【第1章】 捨てられ令嬢と氷の公爵

第2話 氷の城の温かいスープ

しおりを挟む
「……なぜだ。なぜ、お前のような華奢な娘が……こんな……」

 ジークハルト様はそう呟くと、私の前に跪いて、そっと私の手を取った。
 ビクリ、と体が跳ねる。
 氷の魔術で凍らされる――そう思って身構えたけれど、触れたその手は、驚くほど温かくて、大きかった。

「冷たい。まるで死人のようではないか」
「あ……う……」
「それに、なんだこの服は。外套一枚で、この北の地を越えてきたというのか? あの強欲な男爵は、娘に防寒具一つ持たせなかったのか」

 低い声には、明確な怒りが滲んでいた。
 けれどそれは、私に向けられたものではなく、私を送り出した父に向けられたものだということは、鈍い私にも理解できた。

「すまなかった。出迎えが遅れたな」
「い、いえ! 私が勝手に……きゃっ!?」

 弁解しようとした瞬間、視界がぐるりと回った。
 体がふわりと浮く。気が付けば、私はジークハルト様の腕の中にいた。
 い、いわゆる「お姫様抱っこ」というやつだ。

「じ、ジークハルト様!? お、降ろしてください! 私のような汚れた娘が、公爵様の衣服を汚してしまいます!」
「黙っていろ。舌を噛むぞ」

 有無を言わせぬ圧力。けれど、私を抱える腕は、壊れ物を扱うように慎重で優しい。
 彼はそのままスタスタと階段を上り始めた。

「ハンス! マーサ!」
「はっ、ここに」

 公爵が鋭く呼ぶと、影のように執事とメイド長が現れた。

「東の客間を……いや、主寝室の隣を使わせる。暖炉の火を最大にしろ。それと、消化に良い温かい食事をすぐに用意だ。湯浴みの準備もな」
「かしこまりました。直ちに」

 使用人たちは一瞬、私を見て驚いたような顔をしたが、すぐにプロの表情に戻り、駆け出していった。

 主寝室の隣?
 そこは確か、最も位の高い貴族や、王族を迎えるための部屋ではなかったか。
 混乱する私の思考をよそに、公爵の足は止まらない。
 彼の胸元からは、微かに冬の空気と、高価なコロンの香りがした。それが不思議と心地よくて、私は強張っていた力を少しだけ抜いた。

 ◇

 通された部屋は、私の実家が丸ごと入りそうなほど広い部屋だった。
 ふかふかの絨毯、天蓋付きの巨大なベッド、そして部屋の隅では大きな暖炉がパチパチと心地よい音を立てて燃えている。

「あ……」

 暖かい。
 部屋に入った瞬間、凍え切っていた肌が、じわりと溶かされていくようだ。

 公爵は私を長椅子(カウチ)に座らせると、すぐに分厚い毛布を肩から掛けてくれた。

「すぐに湯の準備ができる。それまではここで温まっていろ」
「あ、ありがとうございます……あの、公爵様」
「なんだ」
「あの……私は、『生贄』ではないのですか?」

 恐る恐る尋ねると、彼は怪訝そうに眉を顰めた。

「生贄? 誰がそんなことを言った」
「で、でも、父が……公爵様は冷酷無比で、嫁いだ女性はみんな逃げ出したと言っていました」

「……ああ、なるほど」

 彼は呆れたようにため息をつき、近くの椅子に腰を下ろした。

「半分は事実で、半分は嘘だ。私は他人に干渉されるのを好まない。だから、金目当てや地位目当てで擦り寄ってくる女たちを、少々手荒に追い返したことはある」
「手荒に、ですか?」
「部屋の温度を下げたり、雪だるまに変化させたりな」
「(やっぱり噂通りだわ……!)」

 私が青ざめると、彼はフッと口元を緩めた。初めて見る、彼の笑みだった。
 それは冷酷さとは程遠い、どこか悪戯っぽい少年のようで。

「だが、お前にはそんなことはしない。お前は……その、なんだ。見るからに弱そうで、今にも死にそうだからな。私が手を下すまでもない」
「は、はあ……」
「それに、お前の目は、欲に濁っていない。……綺麗な目をしている」

 最後の言葉は、独り言のように小さかった。
 私が聞き返す間もなく、扉がノックされ、湯気の立つ銀のワゴンが運ばれてきた。

「失礼いたします。旦那様、ポタージュとパンをご用意いたしました」

 初老のメイド長が、手際よくテーブルに食事を並べていく。
 野菜と鶏肉をじっくり煮込んだクリームスープの、甘く濃厚な香りが鼻をくすぐる。
 その瞬間、私の腹がグゥ、と情けない音を立てた。

「……っ!」

 恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
 けれど、公爵は笑わなかった。むしろ、痛ましげに目を細め、スプーンを私の手に握らせた。

「食え。これは命令だ」
「は、はい」

 震える手でスプーンを口に運ぶ。
 とろりとしたスープが舌の上で広がり、喉を通って、冷え切った胃の腑に落ちていく。

「……おいしい」

 言葉よりも先に、涙がこぼれた。
 野菜の甘みと、ミルクのコク。丁寧に裏ごしされた優しい味。
 実家では、使用人たちが辞めてしまって以来、まともな食事なんて取れていなかった。固くなったパンと、具のない薄いスープ。それが私の日常だった。

 こんなに温かくて、心のこもった料理を食べたのは、母が亡くなって以来かもしれない。

「……う、うっ……ぐすっ」

 一度溢れた涙は止まらなかった。
 みっともない。公爵様の前なのに。氷の公爵と呼ばれる方の前で泣くなんて、不敬で凍らされても文句は言えない。
 そう思って必死に涙を拭おうとすると、不意に、大きな手が私の頭に置かれた。

「……詫びる必要はない。好きなだけ泣けばいい」

 ぎこちなく、ポンポンと頭を撫でられる。
 その手つきは不器用で、まるで子供や小動物をあやすようだったけれど。
 私にとっては、どんな言葉よりも温かい「救い」だった。

 この時、私は思ったのだ。
 世間が彼を何と呼ぼうと構わない。
 私にとって、この人は「氷の公爵」なんかじゃない。
 凍え死にそうだった私に、毛布と温かいスープ、そして安らぎをくれた、優しい人だと。

(でも、どうしよう……)

 温かいスープを飲み干す頃には、私の体はすっかり温まり、同時に強烈な睡魔が襲ってきていた。
 安心したからだろうか。三日間の馬車の旅の疲れが、一気に出たようだ。

「眠いのか?」
「い、いえ! これしきのことで……」
「嘘をつけ。目が半分閉じているぞ」

 ジークハルト様は再び私を軽々と抱き上げると、天蓋付きのベッドへと運んだ。

「今日はもう休め。契約の話は明日だ」
「で、でも、何もお役に立てないで……」
「……お前が今日すべき仕事は、死なずに明日目を覚ますことだ。わかったな」

 それは、実家では一度も言われたことのない言葉だった。
 「働け」「役に立て」ではなく、「生きていろ」という、あまりにも低いハードル。
 けれど、今の私にはそれが何よりも嬉しかった。

「……はい。おやすみなさいませ、旦那様」

 ふかふかの羽根布団に包まれ、私は数年ぶりに、泥のように深い眠りへと落ちていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。

しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」 その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。 「了承しました」 ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。 (わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの) そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。 (それに欲しいものは手に入れたわ) 壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。 (愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?) エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。 「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」 類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。 だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。 今後は自分の力で頑張ってもらおう。 ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。 ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。 カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*) 表紙絵は猫絵師さんより(⁠。⁠・⁠ω⁠・⁠。⁠)⁠ノ⁠♡

私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ
恋愛
 その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。  そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。  冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。  誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。  それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。  だが、彼の言葉は、決定的だった。 「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです ※表紙 AIアプリ作成

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!

仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。 ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。 理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。 ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。 マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。 自室にて、過去の母の言葉を思い出す。 マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を… しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。 そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。 ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。 マリアは父親に願い出る。 家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが……… この話はフィクションです。 名前等は実際のものとなんら関係はありません。

婚約者の姉を婚約者にしろと言われたので独立します!

ユウ
恋愛
辺境伯爵次男のユーリには婚約者がいた。 侯爵令嬢の次女アイリスは才女と謡われる努力家で可愛い幼馴染であり、幼少の頃に婚約する事が決まっていた。 そんなある日、長女の婚約話が破談となり、そこで婚約者の入れ替えを命じられてしまうのだったが、婚約お披露目の場で姉との婚約破棄宣言をして、実家からも勘当され国外追放の身となる。 「国外追放となってもアイリス以外は要りません」 国王両陛下がいる中で堂々と婚約破棄宣言をして、アイリスを抱き寄せる。 両家から勘当された二人はそのまま国外追放となりながらも二人は真実の愛を貫き駆け落ちした二人だったが、その背後には意外な人物がいた

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

冬野月子
恋愛
「私は確かに19歳で死んだの」 謎の声に導かれ馬車の事故から兄弟を守った10歳のヴェロニカは、その時に負った傷痕を理由に王太子から婚約破棄される。 けれど彼女には嫉妬から破滅し短い生涯を終えた前世の記憶があった。 なぜか死に戻ったヴェロニカは前世での過ちを繰り返さないことを望むが、婚約破棄したはずの王太子が積極的に親しくなろうとしてくる。 そして学校で再会した、馬車の事故で助けた少年は、前世で不幸な死に方をした青年だった。 恋や友情すら知らなかったヴェロニカが、前世では関わることのなかった人々との出会いや関わりの中で新たな道を進んでいく中、前世に嫉妬で殺そうとまでしたアリサが入学してきた。

処理中です...