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【第1章】 捨てられ令嬢と氷の公爵
第2話 氷の城の温かいスープ
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「……なぜだ。なぜ、お前のような華奢な娘が……こんな……」
ジークハルト様はそう呟くと、私の前に跪いて、そっと私の手を取った。
ビクリ、と体が跳ねる。
氷の魔術で凍らされる――そう思って身構えたけれど、触れたその手は、驚くほど温かくて、大きかった。
「冷たい。まるで死人のようではないか」
「あ……う……」
「それに、なんだこの服は。外套一枚で、この北の地を越えてきたというのか? あの強欲な男爵は、娘に防寒具一つ持たせなかったのか」
低い声には、明確な怒りが滲んでいた。
けれどそれは、私に向けられたものではなく、私を送り出した父に向けられたものだということは、鈍い私にも理解できた。
「すまなかった。出迎えが遅れたな」
「い、いえ! 私が勝手に……きゃっ!?」
弁解しようとした瞬間、視界がぐるりと回った。
体がふわりと浮く。気が付けば、私はジークハルト様の腕の中にいた。
い、いわゆる「お姫様抱っこ」というやつだ。
「じ、ジークハルト様!? お、降ろしてください! 私のような汚れた娘が、公爵様の衣服を汚してしまいます!」
「黙っていろ。舌を噛むぞ」
有無を言わせぬ圧力。けれど、私を抱える腕は、壊れ物を扱うように慎重で優しい。
彼はそのままスタスタと階段を上り始めた。
「ハンス! マーサ!」
「はっ、ここに」
公爵が鋭く呼ぶと、影のように執事とメイド長が現れた。
「東の客間を……いや、主寝室の隣を使わせる。暖炉の火を最大にしろ。それと、消化に良い温かい食事をすぐに用意だ。湯浴みの準備もな」
「かしこまりました。直ちに」
使用人たちは一瞬、私を見て驚いたような顔をしたが、すぐにプロの表情に戻り、駆け出していった。
主寝室の隣?
そこは確か、最も位の高い貴族や、王族を迎えるための部屋ではなかったか。
混乱する私の思考をよそに、公爵の足は止まらない。
彼の胸元からは、微かに冬の空気と、高価なコロンの香りがした。それが不思議と心地よくて、私は強張っていた力を少しだけ抜いた。
◇
通された部屋は、私の実家が丸ごと入りそうなほど広い部屋だった。
ふかふかの絨毯、天蓋付きの巨大なベッド、そして部屋の隅では大きな暖炉がパチパチと心地よい音を立てて燃えている。
「あ……」
暖かい。
部屋に入った瞬間、凍え切っていた肌が、じわりと溶かされていくようだ。
公爵は私を長椅子(カウチ)に座らせると、すぐに分厚い毛布を肩から掛けてくれた。
「すぐに湯の準備ができる。それまではここで温まっていろ」
「あ、ありがとうございます……あの、公爵様」
「なんだ」
「あの……私は、『生贄』ではないのですか?」
恐る恐る尋ねると、彼は怪訝そうに眉を顰めた。
「生贄? 誰がそんなことを言った」
「で、でも、父が……公爵様は冷酷無比で、嫁いだ女性はみんな逃げ出したと言っていました」
「……ああ、なるほど」
彼は呆れたようにため息をつき、近くの椅子に腰を下ろした。
「半分は事実で、半分は嘘だ。私は他人に干渉されるのを好まない。だから、金目当てや地位目当てで擦り寄ってくる女たちを、少々手荒に追い返したことはある」
「手荒に、ですか?」
「部屋の温度を下げたり、雪だるまに変化させたりな」
「(やっぱり噂通りだわ……!)」
私が青ざめると、彼はフッと口元を緩めた。初めて見る、彼の笑みだった。
それは冷酷さとは程遠い、どこか悪戯っぽい少年のようで。
「だが、お前にはそんなことはしない。お前は……その、なんだ。見るからに弱そうで、今にも死にそうだからな。私が手を下すまでもない」
「は、はあ……」
「それに、お前の目は、欲に濁っていない。……綺麗な目をしている」
最後の言葉は、独り言のように小さかった。
私が聞き返す間もなく、扉がノックされ、湯気の立つ銀のワゴンが運ばれてきた。
「失礼いたします。旦那様、ポタージュとパンをご用意いたしました」
初老のメイド長が、手際よくテーブルに食事を並べていく。
野菜と鶏肉をじっくり煮込んだクリームスープの、甘く濃厚な香りが鼻をくすぐる。
その瞬間、私の腹がグゥ、と情けない音を立てた。
「……っ!」
恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
けれど、公爵は笑わなかった。むしろ、痛ましげに目を細め、スプーンを私の手に握らせた。
「食え。これは命令だ」
「は、はい」
震える手でスプーンを口に運ぶ。
とろりとしたスープが舌の上で広がり、喉を通って、冷え切った胃の腑に落ちていく。
「……おいしい」
言葉よりも先に、涙がこぼれた。
野菜の甘みと、ミルクのコク。丁寧に裏ごしされた優しい味。
実家では、使用人たちが辞めてしまって以来、まともな食事なんて取れていなかった。固くなったパンと、具のない薄いスープ。それが私の日常だった。
こんなに温かくて、心のこもった料理を食べたのは、母が亡くなって以来かもしれない。
「……う、うっ……ぐすっ」
一度溢れた涙は止まらなかった。
みっともない。公爵様の前なのに。氷の公爵と呼ばれる方の前で泣くなんて、不敬で凍らされても文句は言えない。
そう思って必死に涙を拭おうとすると、不意に、大きな手が私の頭に置かれた。
「……詫びる必要はない。好きなだけ泣けばいい」
ぎこちなく、ポンポンと頭を撫でられる。
その手つきは不器用で、まるで子供や小動物をあやすようだったけれど。
私にとっては、どんな言葉よりも温かい「救い」だった。
この時、私は思ったのだ。
世間が彼を何と呼ぼうと構わない。
私にとって、この人は「氷の公爵」なんかじゃない。
凍え死にそうだった私に、毛布と温かいスープ、そして安らぎをくれた、優しい人だと。
(でも、どうしよう……)
温かいスープを飲み干す頃には、私の体はすっかり温まり、同時に強烈な睡魔が襲ってきていた。
安心したからだろうか。三日間の馬車の旅の疲れが、一気に出たようだ。
「眠いのか?」
「い、いえ! これしきのことで……」
「嘘をつけ。目が半分閉じているぞ」
ジークハルト様は再び私を軽々と抱き上げると、天蓋付きのベッドへと運んだ。
「今日はもう休め。契約の話は明日だ」
「で、でも、何もお役に立てないで……」
「……お前が今日すべき仕事は、死なずに明日目を覚ますことだ。わかったな」
それは、実家では一度も言われたことのない言葉だった。
「働け」「役に立て」ではなく、「生きていろ」という、あまりにも低いハードル。
けれど、今の私にはそれが何よりも嬉しかった。
「……はい。おやすみなさいませ、旦那様」
ふかふかの羽根布団に包まれ、私は数年ぶりに、泥のように深い眠りへと落ちていった。
ジークハルト様はそう呟くと、私の前に跪いて、そっと私の手を取った。
ビクリ、と体が跳ねる。
氷の魔術で凍らされる――そう思って身構えたけれど、触れたその手は、驚くほど温かくて、大きかった。
「冷たい。まるで死人のようではないか」
「あ……う……」
「それに、なんだこの服は。外套一枚で、この北の地を越えてきたというのか? あの強欲な男爵は、娘に防寒具一つ持たせなかったのか」
低い声には、明確な怒りが滲んでいた。
けれどそれは、私に向けられたものではなく、私を送り出した父に向けられたものだということは、鈍い私にも理解できた。
「すまなかった。出迎えが遅れたな」
「い、いえ! 私が勝手に……きゃっ!?」
弁解しようとした瞬間、視界がぐるりと回った。
体がふわりと浮く。気が付けば、私はジークハルト様の腕の中にいた。
い、いわゆる「お姫様抱っこ」というやつだ。
「じ、ジークハルト様!? お、降ろしてください! 私のような汚れた娘が、公爵様の衣服を汚してしまいます!」
「黙っていろ。舌を噛むぞ」
有無を言わせぬ圧力。けれど、私を抱える腕は、壊れ物を扱うように慎重で優しい。
彼はそのままスタスタと階段を上り始めた。
「ハンス! マーサ!」
「はっ、ここに」
公爵が鋭く呼ぶと、影のように執事とメイド長が現れた。
「東の客間を……いや、主寝室の隣を使わせる。暖炉の火を最大にしろ。それと、消化に良い温かい食事をすぐに用意だ。湯浴みの準備もな」
「かしこまりました。直ちに」
使用人たちは一瞬、私を見て驚いたような顔をしたが、すぐにプロの表情に戻り、駆け出していった。
主寝室の隣?
そこは確か、最も位の高い貴族や、王族を迎えるための部屋ではなかったか。
混乱する私の思考をよそに、公爵の足は止まらない。
彼の胸元からは、微かに冬の空気と、高価なコロンの香りがした。それが不思議と心地よくて、私は強張っていた力を少しだけ抜いた。
◇
通された部屋は、私の実家が丸ごと入りそうなほど広い部屋だった。
ふかふかの絨毯、天蓋付きの巨大なベッド、そして部屋の隅では大きな暖炉がパチパチと心地よい音を立てて燃えている。
「あ……」
暖かい。
部屋に入った瞬間、凍え切っていた肌が、じわりと溶かされていくようだ。
公爵は私を長椅子(カウチ)に座らせると、すぐに分厚い毛布を肩から掛けてくれた。
「すぐに湯の準備ができる。それまではここで温まっていろ」
「あ、ありがとうございます……あの、公爵様」
「なんだ」
「あの……私は、『生贄』ではないのですか?」
恐る恐る尋ねると、彼は怪訝そうに眉を顰めた。
「生贄? 誰がそんなことを言った」
「で、でも、父が……公爵様は冷酷無比で、嫁いだ女性はみんな逃げ出したと言っていました」
「……ああ、なるほど」
彼は呆れたようにため息をつき、近くの椅子に腰を下ろした。
「半分は事実で、半分は嘘だ。私は他人に干渉されるのを好まない。だから、金目当てや地位目当てで擦り寄ってくる女たちを、少々手荒に追い返したことはある」
「手荒に、ですか?」
「部屋の温度を下げたり、雪だるまに変化させたりな」
「(やっぱり噂通りだわ……!)」
私が青ざめると、彼はフッと口元を緩めた。初めて見る、彼の笑みだった。
それは冷酷さとは程遠い、どこか悪戯っぽい少年のようで。
「だが、お前にはそんなことはしない。お前は……その、なんだ。見るからに弱そうで、今にも死にそうだからな。私が手を下すまでもない」
「は、はあ……」
「それに、お前の目は、欲に濁っていない。……綺麗な目をしている」
最後の言葉は、独り言のように小さかった。
私が聞き返す間もなく、扉がノックされ、湯気の立つ銀のワゴンが運ばれてきた。
「失礼いたします。旦那様、ポタージュとパンをご用意いたしました」
初老のメイド長が、手際よくテーブルに食事を並べていく。
野菜と鶏肉をじっくり煮込んだクリームスープの、甘く濃厚な香りが鼻をくすぐる。
その瞬間、私の腹がグゥ、と情けない音を立てた。
「……っ!」
恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
けれど、公爵は笑わなかった。むしろ、痛ましげに目を細め、スプーンを私の手に握らせた。
「食え。これは命令だ」
「は、はい」
震える手でスプーンを口に運ぶ。
とろりとしたスープが舌の上で広がり、喉を通って、冷え切った胃の腑に落ちていく。
「……おいしい」
言葉よりも先に、涙がこぼれた。
野菜の甘みと、ミルクのコク。丁寧に裏ごしされた優しい味。
実家では、使用人たちが辞めてしまって以来、まともな食事なんて取れていなかった。固くなったパンと、具のない薄いスープ。それが私の日常だった。
こんなに温かくて、心のこもった料理を食べたのは、母が亡くなって以来かもしれない。
「……う、うっ……ぐすっ」
一度溢れた涙は止まらなかった。
みっともない。公爵様の前なのに。氷の公爵と呼ばれる方の前で泣くなんて、不敬で凍らされても文句は言えない。
そう思って必死に涙を拭おうとすると、不意に、大きな手が私の頭に置かれた。
「……詫びる必要はない。好きなだけ泣けばいい」
ぎこちなく、ポンポンと頭を撫でられる。
その手つきは不器用で、まるで子供や小動物をあやすようだったけれど。
私にとっては、どんな言葉よりも温かい「救い」だった。
この時、私は思ったのだ。
世間が彼を何と呼ぼうと構わない。
私にとって、この人は「氷の公爵」なんかじゃない。
凍え死にそうだった私に、毛布と温かいスープ、そして安らぎをくれた、優しい人だと。
(でも、どうしよう……)
温かいスープを飲み干す頃には、私の体はすっかり温まり、同時に強烈な睡魔が襲ってきていた。
安心したからだろうか。三日間の馬車の旅の疲れが、一気に出たようだ。
「眠いのか?」
「い、いえ! これしきのことで……」
「嘘をつけ。目が半分閉じているぞ」
ジークハルト様は再び私を軽々と抱き上げると、天蓋付きのベッドへと運んだ。
「今日はもう休め。契約の話は明日だ」
「で、でも、何もお役に立てないで……」
「……お前が今日すべき仕事は、死なずに明日目を覚ますことだ。わかったな」
それは、実家では一度も言われたことのない言葉だった。
「働け」「役に立て」ではなく、「生きていろ」という、あまりにも低いハードル。
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