彼女の中指が勃たない。

坪庭 芝特訓

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『携帯ゲーム機型腱鞘炎』 5塗り目

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「ほんとに、すぐすんだね」

 快感に震える汐音の背をいつものように左手で撫でながら、紗月が言う。
 吐息がかかる肩が熱かった。張り詰めた背筋は弛緩していくが、汐音は腰を動かし、まだ添えられたままの中指にゆっくりと熱い部分を擦り付けていた。
 指が触れるたびに快感の余波が身体を打つ。放っておけばいつまでも楽しめた。

「汐音」

 もうそろそろ、と紗月の中指がたゆんだ糸を引きながら離すが、

「ああっ」

 離れていく愛しい指に、汐音が名残惜しそうな声をあげた。
 その口を紗月が慌てて左手で塞ぐ。予想以上に大きな、濡れた声をあげたからだ。

「声おっきい」

 小さな声で紗月がそう咎めると、汐音は左手で口許を覆われたままこくこくと頷く。
 そしてそのまま顔を近づけてきた。紗月の手の中で、汐音が熱い息を繰り返す。
 左手を離し、呼吸を解放するとすぐに汐音が口付けてきた。
 舌を絡ませ、味わい、唇を吸う。口付けに飽きたら頬を擦り寄せて柔らかな感触を楽しみ、首に吸い付き痕をつける。ずっとおあずけをくらっていた犬のように。
 紗月はもう、好きにさせた。


 放課後の教室で紗月の身体を散々堪能した後。二人は帰路についた。
 
「ごめん。まだ治ってないのに」

 欲望の限りを尽くし、妙に冷めた頭で汐音が謝る。

「いや、そんな。大して使ってないし」

 紗月にそう言われて、汐音が顔を赤らめる。ほとんど自分で勝手に突進して、撃墜されたようなものだ。繋いだ紗月の左手に汐音が力を込める。

「いたた」
「言わなくていいよ。バカ」
「ごめん」

 恥ずかしさをガス抜きするように汐音が深く深呼吸する。

「汐音」
「なに?」
「…嘘ついてごめん」

 視線をアスファルトに向けたまま紗月が言い、

「……ごめん、ね?」

 反応がない汐音にもう一度謝る。

「もう、いいよ」



 汐音の我慢が限界に達した放課後から三日間。紗月は治療に専念した。
 薬を塗り、汐音と触れあうのもキス程度にした。
 別に汐音からするには構わないのだが、紗月の体力を何より手の回復に向けたかった。

「誰かハートの6止めてる?」

 ゲーマー達は紅一点の病状を鑑みて、あまり指を酷使しないカードゲームで遊んでいた。
 この手の者達が好むカードゲームといえばトレーディングカードゲーム、かと思いきやシンプルにトランプだった。それはルールが覚えられない紗月を気遣ってのことだった。
 離れた場所でそんな光景を見ていた汐音は、恋人のオトコトモダチの間での立ち位置に安心した。
 そして暇さえあれば汐音の冷たい手でマッサージをした。
 手が触れることで炎症を和らげるように。手当てという言葉を信じるように。
 マッサージをし、されながら、二人はよく他愛も無い話をよくした。

「はじめてじゃないんだ」

 だがその時紗月がした話は、告白だった。右手を痛めたのは初めてでないという。

「付き合って、あの、そういうことするようになってさ、一回だけ生理だからって断ったことあったの覚えてる?」

 言われて汐音が記憶の糸を手繰る。なんとなくだが覚えていた。
 女の子がそういったことが出来ない、しづらい日は一ヶ月で一週間弱。
 けれど女の子同志で付き合ってるならその日数は二倍に跳ね上がる。
 出来るだけうまく掻い潜れるよう、お互いの周期はそれとなく把握していた。

「あの時さ、中指切れてたの」
「切れてた!?」

 大事な怪我に汐音が驚く。

「違う違う。付け根のとこが擦り切れちゃって」

 何をしてそんなことにと視線だけで問うと、

「ヨーヨーの、紐で切れちゃって…」

 決まり悪そうに紗月が言う。手を両手で掴まれているので逃げることは出来す、仕方なく順を追って話す。
 まず、自分達が生まれる前に高速回転するヨーヨーというものが流行っていた。
 それを紗月はふらりと立ち寄ったホビーショップにて格安で手に入れた。
 買ってから数日。夢中でマスターしようとし、結果手首を痛め、紐を通していた中指の付け根が擦り切れたと。
 それは随分時間が経ってからの告白であり懺悔だった。同時に今更な告白と懺悔だった。
 汐音が呆れる。そして、確かに自分の恋人はそういうところがあったと思い出す。
 無駄なことにハマり、闘志を燃やす。女の子なのに男の子が好むような遊びを好む。
 けれど上手くはない。男の子っぽくはない。
 人生において無駄なことを、一生懸命マスターしようとする。そんな可愛い恋人が、汐音は好きだった。大きな子供でも、男の子よりは幾分女の子の方が育てやすい。
 古傷を見ようとしたが、紗月の右手中指にはそれらしき傷はもう無かった。
 ホッとしたような、勿体無いような気持ちで汐音は今は無き傷跡をそっとなぞった。



「……嘘みたいに治った」
 
 腱鞘炎だと汐音に言ってから一週間後の朝。
 紗月が我が右手を見ながら呟く。
 昨晩まで微かにあった紗月の右手のダルさは完全に消えていた。
 鬱陶しいまでのダルさ、引きつる様な重さが。
 紗月は右手の指を開いたり閉じたり、数を数えるように折り曲げたりして感触を確かめる。完全に元通りだった。

『完治しました』

 右手で、ではなく左手で汐音にそうメールで伝える。

『良かったね』

 受け取った汐音はそう返す。心からそう思った。しかし紗月からは間を空かず、

『早くエッチしたい』

 と、返ってきた。
 汐音の真心の下にある本心が、下心が加熱する。
 当たり前だ。そのために我慢して、治療して、いや違う、本当に治したくて、いや違う。
 自分への言い訳をするが、無理だった。汐音は、紗月の身体が欲しかった。巧みな指で撃墜されたかった。

『いつする?』
『今日は?』

 今日の放課後、紗月の部屋で。恋人達はそう約束を交わした。まだ朝の七時前だった。



 学校に行っても汐音は落ち着かなかった。
 早く放課後になってほしい。そればかりが頭にあった。
 厳密には放課後ではなく、その先にあるイベントだが。
 授業中も時計と紗月ばかり見てしまう。見ると紗月は左手を使っていた。
 癖になったのか、はたまた病み上がりだから右手の力は温存しているのか。
 放課後への期待で、汐音の最奥が疼きだす。


 長い長い学校が終わり、やっと放課後になった。
 途中、休み時間や昼休みに保健室にでも連れ込んでやってしまおうかと汐音は何度も思った。
 紗月と帰りながらも、もう家じゃなくて公園のトイレとかでもいいんじゃないかと思った。
 しかしそれを抑えこんでどうにか紗月の家にたどり着く。が、

「なに、これ」

 久しぶりに訪れた紗月の部屋はぐちゃぐちゃだった。
 攻略本やゲーム雑誌が乱雑に積まれ、ゲームソフトのディスクがケースから飛び出し床に散乱している。

「ちょっとゲームとか攻略本とか整理しようかなと思って片付けてたんだけど、力尽きちゃって」
「片付けって」

 汐音が紗月の右手を見る。往々にして部屋の片付けというのは手でやるものだ。

「だからっ、あんまり右手使わないように片付けててさっ。そしたら時間かかっちゃって」

 また怒られないよう、紗月が慌てて言う。

「もう。とにかくさっさと片付けてよ。ああ、紗月はやんなくていいからそっち座ってて」

 汐音がてきぱきと、いらないゲームや攻略本はまとめて紙袋に詰め、中古ショップへ持っていけるようにする。古雑誌は紐で縛る。ゲームソフトや説明書はケースに戻す。
 お母さんか世話焼き女房のような手際の良さでそれらをこなしていった。
 ただひとつお母さん達と違うのは、原動力が性欲ということだ。
 紗月はといえば言われた通り、一切手を出さずにベッドの上にちょこんと座って自分の部屋が綺麗になっていくのを眺めているだけだった。
 その視線を感じながら、汐音が部屋全体に目を向ける。女の子にしては細々したものが少ない。
 ゲーム好きとは言ってもショップから貰ってきた限定ポスターが貼られているわけでもなく、ゲームキャラのフィギアが置かれたオタク部屋というわけでもない。
 たとえそうだったとしても汐音は構わなかったが、カモフラージュとして男性アイドルグループのポスターを貼ったり、使わないのに捨てられないものがあったり、やたらアニマル柄の多い自分の部屋と比較すると、紗月の部屋の方が大人に見えた。
 必要な物しか周りに置かない、いらなくなったものは流動的に処分していくという部屋は紗月にとってひどく大人に見えた。

「あ」

 処分するソフトの中から汐音があるものを見つける。

「これも、売っちゃうの?」

 言ってパッケージを紗月に見せる。それは二人でよく遊んだ落ちモノゲームのソフトだった。
 紗月が中古ショップで買ったもので、二人同時プレイでよく遊んだ。女の子は落ちモノゲームかパズルゲームしか出来ないという定説通り、汐音も落ちゲーしかロクに出来なかった。
 横に並んでやればいいものを、汐音はあぐらをかいた自分の膝に紗月を座らせ、密着状態でプレイした。
 まだ付き合いだしたばかりの、ゲーム中でも片時も離れたくなかった時にやったソフトだ。時にはコントローラーで相手のコントローラーを物理的に攻撃し、妨害した。
 遊び尽くして、飽きるまで遊んだ。落ちゲーには終わりがない。だから延々と遊んでいられた。
 そんな思い出のあるソフトだったのだが。二人の思い出を処分してしまうようで汐音は寂しかった。
 恋人の考えていることぐらいわかったのだろう。紗月が静かに言った。それはとっとこうか、と。

「いいよ。売る」

 だが天邪鬼な子供のように汐音は突っぱね、紙袋に戻そうとする。

「それはよけといて。またやるかもしれないから」

 それに対し、紗月はまた静かに言った。お願いでもなく、ただ淡々と。処分しないでおこうと。

「……うん」

 結局汐音は手にしていたゲームソフトを素直にラックに戻した。


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