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「秘密の特訓しよっか」
しおりを挟む今日、いい事と悪い事。どちらもあった。
いい事はもちろん、夢叶先生の想いを知れたこと。想いを知れたことで、嫌われていないか、を心配する必要が無くなり、気が楽になった。
水を得た魚、というのは少し違うかも知れないけれど。夢叶先生との、接し方、話し方、全てを思い出し、新たに得たような気がする。
「それじゃあ、今から来週行う球技大会の選手決めるからねー」
今朝とは違う。言いたいことを、伝えたいことを、俺に送ったことで、ぎこちなさが取れた夢叶先生が笑顔を浮かべて、教室を見渡しながら告げた。
その顔が見れただけで。俺はめちゃくちゃ嬉しくなる。
きっといつか。俺がこの笑顔を引き出して、そしていつまでも夢叶先生の笑顔を守りたい――
「男子はバスケットボール、野球、それからバレーボール。女子はドッヂボール、バトミントン、卓球、後はソフトボール。その中から、最低一種目には出場してもらいます」
夢叶先生が口頭で告げた競技を、黒板に文字で起こす。季節的に暑いのだろう。腰付近まで伸びた髪を1つに束ねている。
それを左右に振りながら、綺麗な文字で競技名を書き終える。
「最低ってことは、1人で何種目も出ることはできるんですか?」
卓が教室の後方から挙手し、声を上げた。そんなのを聞く前に、卓が出るのは野球に決まっているのに。
なぜそのようなことを聞くのか。
「2種目までです」
「了解です。それじゃあ、稜は野球とバスケな」
夢叶先生の答えを聞き、返事をしたところで終わるかと思った。だが、卓は想像すらしていなかった爆弾を落としやがった。
「はぁ!?」
突然の投下に目を丸くした俺。それを見た夢叶先生が、くすくすと笑う。
つい先日のことなどなかったかのように。夢叶先生は、今まで通りに笑顔を向けてくれた。
それがとても嬉しかった。そして、俺との強さの違いを思い知らされた。
幾らわだかまりを和らげたとしても。やはり脳裏には、あの日の出来事が残っている。それを押し退け、今まで通りに振る舞うのは、難しい。
これが大人と子どもの違いなのかもしれない――
「だって稜、めちゃくちゃ運動神経いいじゃん。だから、勝ちに行こうぜ」
「え。稜くんって運動神経はいいの?」
「ふ、普通ですよ。それと、運動神経はって酷いですよ」
卓の言葉に目をぱちくりさせながら、夢叶先生は俺を見た。あの日以来にしっかりと見る夢叶先生の顔は、やはり可愛くて。あの日以上に愛おしくて。胸の奥から、想いが暴れだしてしまいそうな程だ。
「先生、稜はめちゃくちゃ運動神経だけはいいんですよ」
教室のあちらこちらで、何の種目に出るか、という会話が聞こえてくる。
そのどれよりも大きな声で、卓は俺の運動神経の良さをアピールする。
「知らなかったな。稜くんが運動神経はいいことを」
「夢叶先生まで何なんですか.......」
卓と2人して俺をいじってくる。口角を釣り上げ、小悪魔的な表情を浮かべる夢叶先生は、魅惑的でとても素敵だと思う。
俺をいじっていなければ、もっと素敵に思えてただろう。
「だって。稜くん、歴史以外全部赤点なんだもん」
口先を少し尖らせた夢叶先生が、今日俺の身に起こった悪い事を告げた。
俺がずっと考えないようにしていた。夏休み返上がかかった再テストたちを迎えることを。夢叶先生が口にした。
「それは.......言わないでください」
「ちゃんとすれば、稜くん。絶対に出来るんだよ。だから、頑張ってよ?」
「が、頑張りたいですけど.......」
「やる気が出ない、とか?」
歴史のテストでは過去に見たことの無い高得点を叩き出せた。それはきっと、やる気があったからだ。
夢叶先生という、起爆剤があったから。勉強もしたし、授業だって起きてた。
しかし、ほかの教科になるとそれは激減する。というか、やる気など泡沫へ消え去る。
「ねぇ、稜くん」
どうすればやる気が出て、再テストを乗り越えられるかな。夏休み返上の補習は.......嫌だからな。
そんなことを考えていると。夢叶先生が俺に近寄ってきた。それは互いの息遣いが分かるほどに、近い距離まで来た夢叶先生は、口を俺の耳元に持ってくる。そして、猫なで声のような甘ったるい、とろけてしまいそうな声色で囁いた。
「秘密の特訓しよっか」
な、何.......!?
聞いた事の無いような、夢叶先生の甘く、優しく、色っぽい声に戸惑いを隠せない。
てか、みんな見てるよね?
そう思い、周囲を見ると出場競技の会話で盛り上がっていたらしく、誰もこちらを気に止めていない。
俺の反応が面白かったのか、夢叶先生は顔をくしゃっとさせて笑い、人差し指を口の前に立てた。
――言っちゃダメだよ。
そう言わんばかりで。鼓動が速まり、その音がうるさく感じられた。火照る顔を見られるのが恥ずかしく、下を見る。
「でも、それには条件がある」
夢叶先生も恥ずかしかったのだろう。耳まで真っ赤にした状態で、今度は顔の横で人差し指を立てる。
「稜くんが野球とバスケに出場して優勝すること」
「え、そんなの.......」
できるわけが無い。球技大会は学年ごとに行われるのではなく、学年関係なしのトーナメント戦なのだ。下級生の1年生や同級生の2年生には勝てたとしても、体つきから違う上級生の3年生に勝つのは至難の技だ。
「出来なかったらさっきの話はなかったってことで」
試すような表情を浮かべている。だが、少し意地悪をしてやろう、というのが目に見えて分かってしまう。
やはり、夢叶先生に悪巧み等というのは似合わない。真っ直ぐに考えていることを口にしている方が似合う。
こんなやり取り、俺が想いを告げなければ、きっとなかったと思う。
夢叶先生が他の生徒と俺をどのように見ているのかは分からない。だけど、きっと他の生徒よりは特別に感じていてくれるはずだ。
だからこその提案。秘密の特訓、というとても響きのいいもの。どこで、どのように特訓するのかは分からないけど、それに対価が必要なら。俺は、俺が払えるものならいくらでも払ってやる。
「いいですよ。俺は、俺が出るバスケと野球で絶対に優勝してみせます」
「うん」
俺の宣言に、夢叶先生はとても真剣な表情で頷いて見せた。
野球部のエースは手中にあるが、バスケ部のエースは敵だ。それに3年生だっている。
簡単な道のりではないかもしれない。でも、それよりも。夢叶先生との恋を成就させる方がよっぽど険しいだろう。
それを本気で叶える為に。願う、というスタートラインに立っているんだ。想いは伝え、伝わったけど。まだまだ夢叶先生との恋は始まってもいない。
相手に、夢叶先生に想いが伝わっているので1歩は進んでいるかもしれないが、それでもゴールはまだまだ先。
そう考えると、エースや3年生をぶっ倒して学校の頂点を取るくらい簡単な事だ。
壁はあるかもだけど、そんなものよりも、もっと高い壁を越えようとしているんだ。そんな低い壁で立ち止まってなどいられない。
「稜、やる気になったか!」
「あぁ。やってやるよ」
後方から卓の喜びに満ちた声が掛けられる。俺はそれに、ガッツポーズを作って応えた。
どんなに泥にまみれても、勝ってやる。練習とか、経験とか。想いで全てを跳ね除けてやる。
そんな想いのこもったガッツポーズに、卓も同じようにガッツポーズを作って、高々と掲げてみせた。
「それに、夢叶先生」
視線を、眼前にいる夢叶先生に移す。
言葉だけでは足りない、俺の想いを見せる。夢叶先生に相応しい男になる為に、頑張る。
そう思えば、無理だと思っていたことですらも出来そうな気になってくる。
俺はまだ高校生で、子どもだ。
どんなに想っていても、ありふれた言葉でしか想いを紡ぐことが出来ないし、伝え方も不器用かもしれない。迷惑だってかけるかもしれないけど、この想いだけは誰にも負けない真実だから。
何度も何度も、くどいと、しつこいと思われても。
夢叶先生のことが――好きだから。
「なに?」
俺の呼び掛けに、夢叶先生は真剣な表情を一切崩さずに首を傾げた。
夢叶先生と俺との今後を左右する大きな賭け。
夢叶先生はそれを笑って済ませて、誤魔化せるような人じゃない。だからこそ、俺が惚れているんだ。
真剣なその眼差しを捉え、俺は口端を少し釣り上げて、不敵に微笑んでみせた。
「幸い、このクラスには野球部のエースである卓。それからバスケ部に所属している門待優馬だっている」
「そうね。でも、それだけだよ?」
夢叶先生の言う通り、それだけなんだ。野球部はエースである卓だけ。しかし、プレーヤーは最低9人いる。確実に動けるのは、俺とあわせて2人しか居ないということになる。
バスケに関しても同じだ。バスケ部は門待だけで、5人中3人がほとんど動けない人になる可能性だってある。
それでも何故か――
「勝てますよ」
そう言いきれた。
嘘を告げたわけではない。勝ちたいという希望を告げた訳でもない。
最初は無理だと思っていたことが。夢叶先生と会話をしていくにつれて。夢叶先生の用意してくれる秘密の特訓を目指すことなって。
負ける気など毛頭しなくなった。
愛だとか、想いの強さだとか。証拠としては不確定なものかもしれないけど、確固たる自信を以てもう一度言う。
「絶対、優勝しますよ」
その瞬間、夢叶先生の表情が緩んだ。
真剣な表情を崩して、ごく自然な柔和な笑みを浮かべた。
今すぐ触れたくなるような。儚さすらも伴った夢叶先生の表情に、俺はドキドキが抑えられない。
その表情のまま、夢叶先生は薄ピンク色の唇をゆっくりと開く。
「期待、してるからね」
先日、あの口から発された言葉に絶望して。全てを諦めようと思った。
夢叶先生と出逢った事まで、否定しようとする自分がいた。
今思い返せば、情けなくて仕方がない。過去に戻れるなら、その時の俺をぶっ飛ばしてやりたいくらだ。
でも今は。その同じ口から発された言葉で胸が踊り、溢れ出す高揚感が抑えられ無い。
たった一言で、テンションが上がったり下がったりするなんて、単純かもしれないけど。
夢叶先生の期待には絶対に応えたい。だから――
「見てください」
作った拳を、夢叶先生の方へと向けて。
強い意志を込めた言葉を、精一杯の笑顔と共に言うのだった。
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