先生、付き合ってもらえますか?

リョウ

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「明日の放課後。大里駅で待ち合わせね」

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「正直、この組み合わせはやばいよな」
「そうだな。まさか準々決勝で先輩たちと当たるなんて。ついてなさすぎる」

 コートに入った俺たちの前に立ちはだかるのは、バスケ部の圧倒的エースと圧倒的センターがいる3年1組。

「決勝まで当たりたくなかったぜ」

 幾つかバレーボールが引っかかった体育館の天井を仰ぎ、門待が呟いた。
 そのニュアンスから読み解ける。勝てるとは、微塵も思っていないことが。

「諦めるなよ」

 センターサークルに入った門待に言う。俺の言葉が意外だったのか。目を丸くして、こちらを見る。

 負けるなんて許されない。夢叶先生と約束したんだ。きっと優勝するって。
 だから、俺はその約束を守りたい。
 もし負けることがあったとしても、胸を張って頑張ったって言える戦いをしないと。

 視界の端で、両手を合わせている夢叶先生。その姿はまるで、合掌し神にでも祈っているようだった。

 センターサークルの真ん中でボールが投げられ、ティプオフだ。
 同時に、10分にセットされたタイマーがカウントダウンされていく。
 投げ上げられたボールに、先に触れたのは相手だ。後方へと弾いたボールはバスケ部エースに渡る。
 目にも止まらぬ速度でドリブルをつき、味方を交わしていく。

「止める!」
「止められるわけないだろ」

 両手を広げ、行く先を防ぐようにディフェンスをする。それを遠心力を使い、回転をするテクニック。ロールを使い、交わすと開始10秒も経たないうちに得点される。

「俺らに勝てるわけないだろ」
大輝たいき、2年相手に本気になりすきだろ」

 バスケ部の圧倒的センターである大男が、エースを大輝と呼び、そう告げる。

堂林どうばやし、2年って言ってもこいつらは準々決勝までは上がってくるやつだ。仮にもエースと呼ばれてる俺が負けるわけには行かねぇーだろ」

 大男、堂林にそう言う大輝。どうやら、バスケ部はバスケ部の意地というやつがあるらしい。
 でも、俺にだって負けるわけにはいかない理由がある。
 応援してくれる人がいる。見てくれている人がいる。

「こっち!」

 それに応えたい。そして、夢叶先生を笑顔にしたい。
 エンドラインからボールを出そうとしている門待に、精一杯の声を上げた。それと同時にボールが投げ込まれる。
 少しふわっとした軌道。それを空中でキャッチし、着地する。

「やらせると思うか?」

 大輝が俺の前に回り込んでくる。ドリブルをつき、抜こうとするが大輝はきちんとついてくる。

「やっぱり、抜けないよな」

 後方から駆けてくる門待を一瞥する。その瞬間、大輝の意識が門待に移る。それを逃すことなく、大輝の腰よりも低く鋭いドライブで置き去りにする。
 そしてそのままレイアップシュートを決める。

「俺たちだって負けないぞ」

 シュートを決めてから、先輩である大輝へ指をさした。負けたくない。勝ちたい。
 準々決勝とは思えないほどのギャラリーが出来ている。

「生意気なガキだな」
「お前もあんなんだったぞ、去年」
  
 ゴールネットを揺らし、床にバウンドするボールを拾いながら吐き捨てる大輝。それを横目で見た堂林が、呆れたように言う。

「違うだろ。俺はもっと謙虚だった」
「そう思ってたのは大輝だけだったけどな」
「そんな訳ねぇーだろ。てか、行くぞ」

 エンドラインから堂林にパスを出す。俺はそこへ詰める。

「威勢はいいが、それじゃあダメだ」

 そう呟くと、堂林は右足を俺の体の横側へ出し、そのまま俺を置き去っていく。

 ――嘘だろ!?

 見えていた。でも、動けなかった。早すぎる。

「稜くん! 足だけで回り込もうとしないで!」

 夢叶先生のアドバイスが耳に届く。心地よく、心に染み渡っていく。それを実践するためにも、堂林に追いつこうと走る。だが、追いつく寸前で前方にパスを通される。

「くそッ!」

 そう言っている間に点数が決められる。得点を入れられ、得点を入れ。
 お互いに譲らないまま、前半は残り1分を切っている。

「頑張って! みんななら、稜くんならきっと勝てるよ!」

 コートの外から、夢叶先生の声が体育館中に響き渡る。
 うるさいくらいなのに、俺にとっては心地よくて。その声を聞く度に、体力が回復しているような。そんな感覚になれる。

「南先生、一応バスケ部の顧問だよな?」
「自分のクラスのが大事なんだろう」

 バスケ部の応援を全くしないことに疑問を抱いたのか。ドリブルをつきながら、大輝が口にする。堂林はそれを気にした様子もなく、ゴール下に入る。

「別に羨ましくはないが、何かムカつくから本気出す」

 そう言った瞬間、大輝の目が変わった。真剣の色を濃く帯び、ドリブルをつくスピードが変わる。体育館に響く、ドリブルの音が倍以上になる。

「来るならこい」

 両手を広げ、腰を落とす。眼前に来た大輝のドリブルのコースを完全に塞いだ。そのつもりだったのに。
 股の間にボールを通し、大輝本人だけは俺の横側を駆け抜けていく。
 ボールに追いつき、そのまま肘打ちで堂林にパスを通す。
 堂林はゴールに向き、ゴールリングの上にボールを投げた。

「入るわけないだろ」

 本心から出た言葉だ。どう見ても、あの軌道ではゴールに入るわけが無い。
 だからこそ油断してしまった。
 大輝が強く床を踏みしめ、高く飛ぶ姿を軽く見ていた。

「やばい!!」

 後方から門待の焦った声がする。何がやばいかも分からなかった。だが、次の瞬間。
 リングよりも高く飛んだ大輝は、空中でボールを掴むとそのままゴールに向かって、叩きつけた。
 ――アリウープだ。

 それと同時に前半終了を告げるブザーが鳴り響いた。












「お疲れ様」

 準々決勝の試合を終えた俺たちは、ゆっくりとコートから出た。夢叶先生から掛けられた言葉に、何も返せなかった。何を言えばいいのか、分からない。
 約束を果たせなかった俺に、言葉を紡ぐ権利なんてあるんだろうか。

「稜くんたちはよく頑張ったと思うよ」
「先生、そういうことじゃないと思う」

 慰めようとしてくれているのは、分かる。でも、それは今、俺が欲しい言葉じゃない。それを悟ったのだろう。門待が夢叶先生にそう進言する。
 優しい言葉なんて欲しくなかった。約束を果たせなかったんだから。

 俺は.......約束を果たしたかったんだ.......。

 悔しくて涙が溢れる。コートの外にあるスコアボード。そこに表示されているのは、75-23。圧倒的すぎる敗北。
 感じたことの無い雪辱感、虚無感、絶望感が俺を蝕む。

「稜くん.......」

 涙にまみれた俺を見た夢叶先生は、切なそうな表情
で俺の名前を呼んだ。
 でも俺はそれに応えることが出来ない。喉に包まった嗚咽が、言葉を吐き出させてくれない。

 約束を守れなかったし、何より。あんなに強気の台詞を吐いて、負けたんだ。
 恥ずかしくて、合わせる顔もない。
 あふれ、こぼれる涙はとめどなくて、この場にいること自体が辛くて。
 強く胸が締め付けられて、慟哭が溢れだしそうになり、俺は駆け出した。

「待って!!」

 あんな分かりやすくて、単純な約束だったのに。守れると思ったのに。
 夢叶先生の想いが、応援があれば、どこまでもいけると思っていた。それはあまりに稚拙で、子供じみた考え方なのかもしれない。
 でも、俺は本気だった。
 ごちゃごちゃになった感情は、自分自身でも分からない。
 分からないけど、ただ。誰もいない場所に行きたかった。こんな情けない姿、誰にも見せたくないから。

 野球をし、バスケをし、体は疲れているにも関わらず。脚は動く。誰もいない場所を目指して、ひたすらに走った。

「ここまで来ればいいだろう」

 2つある校舎と校舎の間。ただでさえ人通りの少ない場所。その上、今日は球技大会で周りの目は各競技に向いている。
 競技実施会場でもないこの場所に、人が来るわけが無い。
 俺はそこで、うずくまった。

 流れる涙はまだ止まってくれない。永遠と頬を濡らし続ける涙を無視して、思い返す。
 先生という立場もあるだろうに、必死に俺を応援してくれていた夢叶先生を。
 野球で優勝した時に、強く抱き締めてくれたことを。
 負けて、落ち込んだ俺を優しい言葉で慰めようとしてくれたことを。

 全部、全部、俺にとっては最高な事なのに。
 負けた悔しさ。叶えられなかった約束の重さに。押し潰されそうになり、逃げ出してしまった。
 その事がまた辛くて。涙に濡れた声でそっと呟いた。

「ごめん、夢叶先生。あんなに偉そうに言ったのに俺、約束守れなかった。せっかく夢叶先生が慰めようとしてくれたのに、その優しさに触れるのが怖くて、何も言えなかった」

 校舎の壁に反響し、霞む俺の声が耳朶を打つ。
 言葉にして分かる。俺が如何に情けないのかが。
 夢叶先生に甘えてばかりで、結局何も出来ない。それが明白になってしまったのが、憐れで、嘆かわしい。

「だから.......夢叶先生。ごめんなさい」
「私は全然気にしてないよ」

 俺の一人の謝罪に、現れた夢叶先生がそう返事をした。穏やかな笑顔を浮かべて、1歩、また1歩と、ゆっくりと歩きながら俺に近寄ってくる。
 逃げてしまいたくなる。でも、ここで逃げたら。もう夢叶先生の前に立つ資格が無くなるような気がした。
 逃げ出しそうになる脚に喝を入れる意を込め、太ももをパチン、と叩いた。

「ねえ、稜くん」

 俺の行動には言及せず、夢叶先生は俺の隣に腰を下ろした。

「秘密の特訓、やろっか」
「え.......。でも、約束が.......」
「うん、そうだね。約束は果たせなかった。でも、それだからどうしたの? 稜くん頑張ったじゃん」

 夢叶先生が褒めてくれるのはすごく嬉しいことだ。悔しくて胸を締め付けられのを和らげる。優しく、温かいものに包み込まれるのが理解出来た。

「それに、こんなこと言ったら稜くん怒るかもだけど。私、すごく感動したの。稜くんたちが優勝する姿も見たかったよ? でも、あんなに一生懸命な姿を見せられると、優勝とかどうでもよくなっちゃった」

 少し恥ずかしそうに、照れくさそうに、小声で言い放つと、夢叶先生は温かな手を俺の頭の上にポンっと置いた。
 そしてその手を少し動かし、頭を撫でてくれた。
 慣れているようで、どこかぎこちなさがある撫でに、胸が張り裂けそうなほどドキドキする。

「どうでもって――」
「そう言うかなって思った」

 俺の言葉を聞いた夢叶先生は、おどけるように小さく微笑んで見せた。
 俺の行動ってそんなに読みやすいのか?
 少し不安になる。

「優勝しても、しなくても。稜くんのかっこいい姿を見れたから。そのお返し。頑張ってくれた賞ってことで、秘密の特訓、しよ?」

 言葉と共に、少し顔を近づけた夢叶先生。端正に整った顔がすぐそこにあって、どこに視線を合わせればいいのか分からなくて、ドキマギしてしまう。
 艶のある声音で、囁くように告げられた言の葉。

 涙に隠れて、頬が赤く染まる。
 触れるのが怖いと思っていた夢叶先生の優しさ。それが心地よくて。
 隠していた嗚咽がこぼれた。
 拳を強く握りしめ、涙色の掠れた声で答える。

「いいん.......ですか?」
「うん」

 頭を撫でるのをやめ、慈愛に満ちたような表情を浮かべた夢叶先生。

「それに、これは稜くんの為にもなるしね」

 秘密の特訓。夢叶先生は一体何をするつもりなのか。俺には推測すら出来ないけど。
 夢叶先生と何かを出来るのは嬉しい。嬉しすぎて、思わず頬が緩む。

「泣くか笑うか、どっちかにした方がいいよ」

 その様子を見た夢叶先生が、笑みをこぼしながら告げた。それから手を口元に持っていき、隠すようにし、少し周囲を警戒する様子を見せた。

「明日の放課後。大里駅で待ち合わせね」

 こそばゆい程に、吐息の混じった声で。夢叶先生はそう囁くと、俺の返事を待たずにその場を後にした。

 負けて悔しいのに。それよりも、夢叶先生に誘われたことが嬉しくて。

 胸が痛い――

 好きな人から誘われたから。それよりも嬉しいことなんて、無い。
 遠くに駆けていく夢叶先生の背を眺める。
 どんどんと小さくなる背中。どんどんとヒートアップする歓声。
 それらを遠巻きに感じながら、残りわずかとなった涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
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