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「海ちゃんの恋は?」
しおりを挟む「今日はありがとうございました」
辺りはすっかり暗くなっている。帰宅ラッシュの時間はもう過ぎたというのに、姫坂駅はまだまだ多くの人で賑わっている。
新幹線も止まる大きな駅なだけはある。
そんな人の中、夢叶先生にポツリと告げた。
「今の稜くんなら、きっと再テストも合格するよ」
よそよそしささえ感じる夢叶先生の態度。
やはり原因は俺の告白だろう。
「そうだといいです」
「それじゃあ、気をつけて帰ってね」
切符を購入し、改札の前まで移動しながら言葉を交わす。
あのときの台詞。あのときの覚悟には触れることはないまま――
行きとは違う。前や後ろに夢叶先生がいるわけではない。たった一人で、改札を抜けて、振り返る。
曖昧な笑顔を浮かべた夢叶先生が、俺に手を振ってくれている。
それに応えるように、俺は体の前で手を振り返した。
決死の覚悟を紡いだ後とは思えないほどに、他人行儀で。拒否されたにしては、二人の仲は曖昧で。
人に流されるように、俺は駅の奥へと進んで。大里駅に戻れるホームへと向かった。
『私ね。たぶん、稜くんのこと好きだよ』
曖昧な言葉だった。でも、それが夢叶先生の精一杯なんだってのは伝わってきた。
たぶん。本当に整理がつけられてないのかもしれない。
だけど、俺としては――
ちゃんとした答えが欲しかったな.......。
ホームに電車がやって来る。点字ブロックよりも後ろへ下がるよう促すアナウンスが流れている。
『でも、待ってて。ちゃんと答え出すから。それまで、待っててくれる?』
保留。ということだろう。
夢叶先生の言葉が、何度も何度も。嫌というほどにリピートされる。
――いい答えが貰えますように。
俺が今できること。それは、ただそう願っていることだけだ。
* * * *
「俺、ここに居たいんだけど.......」
ワガママだってわかってる。だけど、ようやく手に入った。手に入れられた俺の幸せだから。
「何言ってんのよ!」
母さんからの怒声。わかってんだよ。でも、俺はこの幸せを手放したくないんだ。
「.......」
高校から何度も連絡がある事は俺も知っている。母さんたちがテストまでは、と我慢してくれていたことも知っている。
その優しさに俺は甘えて、幼いときからずっと恋焦がれてきた彩月ちゃんと一緒に居られる空間に浸ってきた。その自覚はある。
「私も、おばさんの言う通り。高校に行った方がいいと思うよ」
俺のために言ってくれている事は、重々承知している。でも、それでも。離れたら、このまま一生会えないような気がしてしまう。
「でもどうせ。期末終わってるし」
「再テスト、あるんでしょ?」
どんな口実をつけてでも、ここに残りたかった。それが彩月ちゃんと一緒にいるためには必要不可欠だから。
「海ちゃんなら出来るよ」
母さんは学校側の連絡で、再テストがある事まで知っていた。俺の気持ちは、彩月ちゃんしか知らない。だから、母さんは何も思わず帰れって。戻れって言うんだ。
それだけに彩月ちゃんの励ましが胸にしみる。この言葉だけで、本当に再テストをクリアできるような気にさえなれる。
「俺は.......」
「海斗。夏休みにまた戻ってきたらいいんだ」
静観を決め込んでいた父さんが口を開いた。ずっと好きで。何十年も好きだったんだ。そんな簡単に.......。はいそうですね、って戻れるわけないだろう。
優しい表情で俺を見ている彩月ちゃん。いつでも、いつまでも俺の中ではヒロインなんだ。
そんな人に見つめられたら、嬉しくてたまらない。
「分かった.......」
奥歯を噛み締めて。ずっと。一生居たいと思える人との別れを決める。
再テストの期間だけで、夏休みになれば戻って来られる。分かっていても。胸はズキズキと痛む。あの日、彩月ちゃんに想いを伝えて、実らなかった日以来だ。
「ずっと、ここで待ってるからね。海ちゃん」
彩月ちゃんと別れる事への恐怖からか。少し手が震えてた。それに気づいた彩月ちゃんが、俺の手を優しく包み込んで、そう言ってくれた。
「おう」
恐怖など気づいていない。いつも通り、平然に。
それを装い、俺は彩月ちゃんに返事をした。
浮かべる表情は、笑顔。心配を掛けたくないから、無難なそれを選ぶ。
「大丈夫.......?」
そんな俺に。彩月ちゃんは少し不安げな声を洩らした。その言葉は俺の胸に深く刺さって、戻ると硬く決意したものを溶かそうとしてくる。
「だ、大丈夫だから」
俺ん家のリビングだと言うのに。居心地が悪くて、俺はゆっくりと彩月ちゃんの手を解いた。
――えっ。
その瞬間、彩月ちゃんの口からそんな声が零れたような。そんな気がした。
彩月ちゃんの温もりは手に残ったまま。その温もりを抱きながら、俺はリビングを出て、2階へと上がり自室へと入る。
一緒に居たい。学校なんてどうでもいい。それくらいに彩月ちゃんが好きなんだ。
この想いは、言葉だけは決して嘘じゃない。
『キミが一番だよ』
何の感情も持たない女と関係を持つ時の常套句だった。嘘にまみれた、相手を悦ばす為だけに吐いた言葉。
ベターな言葉を選んで、相手を満足させる。
でも、今。彩月ちゃんに告げる言葉は全部が本気なんだ。でも、今までが軽くかったから。どうすれば、本気に伝わるのかが分からない。
もう数週間一緒にいると言うのに。俺の想いが、ちゃんと、正確に伝わっているのか。
月の光が俺の部屋に差し込む。それだけが俺の部屋の光源となっている。
そんな部屋の窓に何が当たる音がした。
音のした窓を見ると。その向こう側に、灯りの点った部屋があるのは分かった。
「さ、彩月ちゃん.......」
隣の家、俺の部屋から見えるその場所。
彩月ちゃんの部屋だ。
駆け出すように窓に向かい、俺は窓を開ける。
「こうやって話すのは久しぶりだね」
窓を開けると、向かいの窓から顔を出していた彩月ちゃんが言った。
「そうだな」
「やっぱり学校に戻るのはいや?」
「本音を言えば、嫌だ」
「どうして?」
言葉を紡ぐのを少し躊躇ってしまう。
――好きだから。
理由はわかっているのに、言葉にするのが恥ずかしい。偽りの思いは直ぐに言えるのに。誠の想いは、緊張して。上手く言葉が出てくれない。
「言えない理由?」
黙り込んだ俺に、彩月ちゃんは真剣な瞳を向けてく
る。
まだちゃんと想いは伝えていないから。彩月ちゃんと再会してから、まだ一度も好きとは言えていない。
言わなきゃ伝わらない。
それは色んな女と遊んできたからこそ、痛感している。
「言えなくはない。けど.......」
「そっか」
口ごもる俺に、彩月ちゃんは何かを察したのか。優しい笑顔を浮かべて、短く答えた。
「海ちゃん。私ね、海ちゃんの学校のこと知りたいな」
「え?」
「海ちゃんが学校でどんな風に過ごして、どんな友だちとどんなお話するのか。知りたいな」
そして、そう言った。
優しく包み込むような、声音で。俺に言う。
「学校のこと?」
「うん。きっと、私の想像が追いつかないくらい、たくさんのことを経験してるんだろうな」
かつての自分がそうだったのだろうか。遠い昔を、色褪せた思い出を呼び起こすように。静かに言ってのけた。
「色んなことは.......あったな」
「あった、じゃないよ。これからもきっとたくさんあるんだよ」
頬を少し上げて。微笑みを浮かべたまま、彩月ちゃんは言ってくれる。きっと、俺が学校に戻りやすいように。学校に戻りたくなるように言ってくれているんだろう。
それから俺は、彩月ちゃんにみなが荘の連中について話した。授業中は寝ていて、ずっと赤点ばっかり取っていることも伝えた。
ここ二年半で体験したことを。思い返しながら、言葉を紡いだ。
「そっか。楽しそうだね」
「まぁ。あいつらといる時間は悪くねぇ」
稜の先生に対する想い。そんな稜に想いを寄せる亜沙子。見ているだけで面白い。
「それで。海ちゃんの恋は?」
「俺の恋.......」
「うん。そんなにかっこよくなったんだ。きっと恋の1つや2つしてると思うんだけど」
悪戯に微笑み、楽しげに訊いてくる。
「そ、それは.......」
まだ告げてない想いを。満点の星と、満月になり損なった月が見下ろす空の下で。
また。2人を分かつ前日に。
ようやく。想いを口にした。
「ずっと。あの日からずっと。彩月ちゃんが好き」
耳まで真っ赤になっているだろう。それ程までに顔が熱いのが分かった。
そして、久しぶりに思い出した。
想いを告げることが、これほどまでに勇気のいることだって。
たった2文字の”好き”が。
これほどまでに重たいものなんだって。
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