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「俺は別に何もしてねぇーよ」
しおりを挟む「ただいま」
にこやかな、晴れやかな気持ちで。みなが荘に戻ってきたのは、はじめてかもしれない。
夢叶先生から答えを貰えたことがなかったから。そして、ようやく貰えた夢叶先生の答えが、俺の望むものだったから。
これ以上に嬉しいことは無い。
「やったな」
靴を脱ぎ、みなが荘内に足を踏み入れた瞬間。奥からそんな声がした。
そしてそのまま姿を現したのは、海斗先輩だった。
「海斗先輩、ありがとうございました」
「俺は別に何もしてねぇーよ」
顔を出した海斗先輩は、何も無いことのように言い放った。だが、俺は知っている。夢叶先生から聞いたから。
夢叶先生の背中を押してくれたのが、海斗先輩であることを。
「ちゃんと聞いてるんですからね」
そう言うと、海斗先輩は分かりやすく舌打ちをして、ため息をついた。
「なんで言うかな。黙ってればいいものを」
「言ってくれたから。俺がこうやってお礼を言うこともできるんですよ」
「いらねぇーよ。そんなもの」
満更では無いような態度で。気恥しそうな表情を浮かべて、海斗先輩は鼻先を掻いた。
「それよりも――」
そっぽを向いたまま、海斗先輩はそう切り出した。その声は楽しげで、意地悪げ。
「再テストの方はどうだったんだよ?」
「えっ.......?」
「結果、聞いてきたんだろ」
俺に向き直った海斗先輩は、口角を釣り上げてニマニマと笑う。
夢叶先生と付き合うことが出来た。そんな夢みたいな出来事に水を差す。なんて野暮なことを聞くんだよ。
少し不貞腐れたような表情を浮かべ、俺は口先を尖らせる。
「3教科、補習です」
瞬間、海斗先輩は大きな口を開けて大笑いする。
「俺より余裕あっただろうに」
「そういう海斗先輩はどうだったんだすか?」
あまりに大笑いをされたので、少し恥ずかしくなり、海斗先輩から目を逸らす。
そんな笑うことないだろう。どうせ、海斗先輩も補習があるくせに。
そう思ってはいるが、海斗先輩の未だかつて見たことない程の余裕な笑みに、まさかと思ってしまう。
で、でも。有り得ないよな。2週間くらい、学校行ってなかったし。1発でクリア出来るほど、再テストも甘くないって。
「聞いて驚くなよ?」
そう前置きをしてから、海斗先輩は俺に親指を立てた。
「全教科、ギリギリ合格だぜ」
「またまた。冗談は止してくださいよ」
冗談とは思えない口ぶりだけど。それでも、有り得ないという思いが強くて。俺がそう言い放つと、海斗先輩は少しムッとした様子を見せた。
「あのなぁ。ちょっとは俺を信じろよ」
「こと勉強に限っては、海斗先輩のこと全く信用してないんで」
「お前。先輩に対してなんて言い様だ」
「だって。海斗先輩が勉強とか似合わないですもん」
そう言うと、海斗先輩は俺に歩み寄り、頭を軽く小突いた。
「俺だって勉強ぐらいする時あるだろうが」
「赤点、再テスト、補習常連組の海斗先輩が?」
「ほんと、失礼なやつだな」
呆れたようにそう言い放った海斗先輩の背には、大きなリュックサックがあるのが見えた。
「どこか行くんですか?」
「実家に戻る」
「えっ。また、ですか?」
これまで海斗先輩が実家に戻っている姿を見たことがなかった。というか、海斗先輩の口から実家、という単語が出ること自体がなかった。
それなのにこの間実家に戻ってから、海斗先輩は得意の球技大会も欠席し、卒業もかかっている期末テストと欠席した。
「ちょっとな」
「ちょっとなって。そんなに実家好きな人じゃないでしょ」
「俺の実家に対して失礼なやつだな。まぁ、間違ってはないけど」
別に海斗先輩が居ないから、どうって言うわけではない。でも、やっぱり。いるはずの人がいないと――寂しい。
「じゃあ、なんで」
だから、思わず口から出た。居ることが当たり前と思っていた人が、離れていくのが怖くて。
夢叶先生と上手くいったのは、海斗先輩がいたから。もし海斗先輩がいなければ、まだ俺たちは付き合ってないだろう。だから、これからも相談に乗ってくれると思っていたから。
その人がいなくなると不安で、不安で仕方がない。
「大事な人がいるんだ。待ってくれてるんだ」
そう告げた海斗先輩の表情は、今までで見たことがない、好きな人を想う、恋の顔だった。
遊びの女の人に会いに行く。それとは掛け離れた。本気の恋なんだと、直感的に判断させる。
「そんなに大事な人、なんですか?」
「あぁ。何年も大事な人だ。そして、これからもずっと大事な人」
視界には俺が映っているはず。なのに、海斗先輩の目には俺がいないようで。海斗先輩が想っているであろう人を描いて、焦がれているのだろう。
「そうですか。なら、俺から言うことは無いです。海斗先輩なら絶対大丈夫ですから!」
俺の願いを叶えてくれた。そんな海斗先輩が失敗するわけが無い。
海斗先輩は男の俺から見ても、カッコイイし、気の利く。本当にいい人だ。だから、きっと叶う。俺はそう信じてる。
「ありがと。稜に先越されるとは思わなかったけどな」
「大人の階段なら、海斗先輩の上を行く人はそうそういないと思いますけどね」
「そんなことないだろ」
自分が女の人と遊んでいる自覚はあるが、それがどれ程に酷いか、ということは自覚していないらしい。問題があるとすれば、ここだろうな。
胸中でそう吐露しながら、靴を履く海斗先輩を見る。
「んじゃ、行ってくるわ」
靴先を、トントンと打ち付けながら。海斗先輩は俺に告げた。晴れやかな。でもその中に緊張感もある。そんな表情だ。
「行ってらっしゃい」
「おう」
「あ、補習の日だけはちゃんと戻ってきてくださいよ」
玄関を開け、みなが荘を出て行こうとする海斗先輩の背中に、最後の言葉を投げかけた。
すると、海斗先輩は足を止めて振り返る。
「だから、本当に再テストで合格したんだって!!」
怒ったような表情ではない。緊張が解れたような、いつもの海斗先輩らしい、海斗先輩の顔つきだ。
海斗先輩は更に頬を緩め、小さく息を吐き捨ててから。先程放った言葉を、もう一度いった。
優しい声で紡いで、拳を俺に向けた。
「行ってくる」
これまでのやり取りとは違う、深く深く強い意志がこもっていた。
もうこれ以上、俺から何かを言うことは出来ない。直感的にそう感じ、俺からも海斗先輩に拳を向けた。
恐らく、大事な人と何かあるのだろう。
ならば、海斗先輩がやってくれたように。俺も、海斗先輩の背中を押せるように。最大限を返せるように。
「行ってらっしゃい」
歩き出した海斗先輩には届いてないだろう。二度目のそれは、かなり小さかったから。
* * * *
正直、不安に押し潰されそうだった。人の面倒なんて見てる暇ないくらいに。俺の心は、緊張という名の重りがのしかかっていた。
好きな人から答えを貰う。
それがこんなにも辛くて、心が張り裂けそうになるなんて。思っていなかった。
「あんな巫山戯た言葉でも、正直助かったぜ」
正直俺の言葉を信じなかったのは許し難いが。まぁ、でも。あんな言葉でも救われた気がした。
マイナスの、振られる結果しか見えなかったのに、稜と話して笑えた。
「にしても。まさか、本当に上手くいくとはな」
大里駅に向かいながら、稜と夢叶先生を思って呟く。先生と生徒。上手くいくはずがない。俺と同じだって思ってたから。その二人が上手くいく姿を見ると、俺も上手く行けるような。
そんな気にさせてくれる。
「彩月ちゃん。今帰るから」
大里駅に着き、券売機の前に立つ。
そこで、明川駅までの切符を購入してから。そっと呟く。
彩月ちゃんが、あの日の俺の言葉を肯定してくれる。優しい笑顔を、少し赤らめた顔に刻んでいる。そんな様子を瞼の裏に映写しながら、改札を抜けた。
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