先生、付き合ってもらえますか?

リョウ

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「僕なんて全教科補習だからね?」

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 俺と夢叶先生が付き合えたあの日から。海斗先輩は実家からまだ戻ってきていない。
 授業も終業式も。何も参加しないまま、夏休みを迎えた。

 再テスト受かっただけで、本当に卒業出来るの?
 そもそも出席日数とか。その辺はどうなってるの?

 色々と疑問は残るが、まぁ二学期にどうにかする予定なのだろう。俺のことじゃないから、知らないけど。

 でも、帰ってきてないということは。
 海斗先輩にとって、大事な人と。ずっと何年も一緒に居たいと思える、それくらい大事な人と上手くいったのだろう。
 相談に乗ってくれたり、背中を押してくれたり。色々してくれた海斗先輩のことだから。上手くいってくれていると、本当に嬉しい。

「はぁ。今日から学校か.......」

 陽の光だけが、射し込む自室で。学校のスケジュール的には夏休み3日目だと言うのに、俺は制服に袖を通していた。
 エアコンはついているが、午前4時にはタイマーが作動して、消える設定になっている。それゆえ、7時半には室内はサウナの如く蒸し暑さが支配している。

「なんでこんなに暑いのに学校行かなきゃ行けねぇーんだよ」

 暑くて勉強出来ないから。そういった理由の夏休みじゃないのかよ。
 愚痴をこぼしながら、俺は自室を出てリビングに入る。

「おはよ」
「おはよー」

 声をかけて来たのは、綾人さんと亜沙子だ。夏休み3日目だと言うのに、皆揃って制服を着ている。
 言うまでもなく、みんな補習なのだ。

「おはよう」

 汗を掻きながら、朝ごはんを食べている2人に声をかけてから。台所に入り、お茶碗に白米を盛り席に座る。

「稜くんは教科何?」

 テーブルに並べられた、おかずにお箸を伸ばしながら、亜沙子が聞いてくる。
 補習ある?
 そう聞いて来るのではなく、教科から聞いてくるあたり、補習ある前提だ。亜沙子だってあるくせに、何かムカつく。

「古典、化学、英語だよ」

 コップに注いだお茶を口に含んでから、不貞腐れたように答える。それからテーブルに並ぶおかずに手を伸ばし、白米の上に乗せてから聞き返す。

「そういう亜沙子は?」
「私は数学と歴史」
「歴史は余裕だろ」

 朝ごはんを食べ進めながら、そう言うと。亜沙子は口先を尖らせ、軽く肘打ちを入れてくる。

「それは南先生ばっかり見てる稜くんだけ」
「夢叶先生ばっかり見てねぇよ。ちゃんと勉強もしてるだろ」
「それは絶対たまたま。稜くんが70点なんか取れるわけがない!」
「その言い草はないだろ。俺だって頑張ればこんなもんよ!」
「それだったら補習にならないじゃん」

 夢叶先生ばかり見てたことは否定出来ないし。ちゃんと勉強したけど、補習にはなったし。
 自分で理解しているからこそ。人に言われると、無性に腹が立つ。
 そんな会話を繰り広げながら、食事を進めていると。ずっと黙って話を聞いていた綾人さんが、不意に手を鳴らした。

「朝から喧嘩はやめてよ? せっかく作ったご飯が美味しくなくなるよ」

 怒っているような雰囲気ではなかったけど。綾人さんが言うこともわかる。だから、謝罪を口にする。すると、綾人さんはニコッと笑ってから

「僕なんて全教科補習だからね?」

 と、最大の爆弾発言をするのだった。


 * * * *

 朝食の後片付けをしてから、俺は自室に戻りカバンを持った。朝食を作った綾人さん、洗濯担当の亜沙子は、もう既にみなが荘を出ている。
 はじめてみなが荘に一人きりになる。あまりの静寂に、不安を覚えるくらいだ。別に何かが出るわけではないが、それでも奇妙に感じるのは、みなが荘自体が古い建物だということもあるだろう。

「鍵の管理するとか、めんどくさすぎる」

 独りで呟きながら、靴を履いていると。不意に玄関の壁に貼ってある住人表が目に付いた。
 いつもあったはずなのに。いつも気にしたことのなかったそれ。
 はじめて1人きりになったことにより、目をやるところ、話す相手が居ないから、周囲に目が向いていたらしい。
 そこで違和感に気づいた。

「若葉.......琴音ことね? こんな名前のやつみなが荘にいない.......よな?」

 見たことも、聞いたこともない名前。今まで気にしたことがなかったとはいえ、急に現れた名前に恐怖し、背筋が凍る感覚を覚えた。
 急いでみなが荘を出て、鍵を閉めてから。学校へと向かう。

 学校に着くと、1番早く補習が終わる亜沙子の元へと向かう。

「鍵な」
「あっ、ありがと。それじゃあ、3教科頑張ってね」
「2教科も3教科もそんなに変わらないだろ」
「強がりだね」

 短いやり取りをしてから、古典の補習が行われる教室へと向かった。
 その途中で、夢叶先生の姿が視界に入った。

 半袖の白色のカッターシャツで身を包む夢叶先生。袖から伸びる腕は降り積もった雪のように白い。それとは対照的に、髪は何色にも染まらない黒を帯びて腰の当たりまで伸びている。
 日によっては、髪を結っている日もあるが、今日は下ろしているようだ。
 吸い込まれてしまいそうな大きな黒い瞳が俺を捉えると、夢叶先生は弾けんばかりの笑顔を浮かべた。
 それからパタパタと小走りで俺の元へと駆けてくる。

「おはよっ。稜くん」
「おはよう、夢叶先生」

 恋人同士になって、初めて会う。どんな顔で、どんな風に挨拶をすればいいか分からず、いつも通りのそ になってしまう。

「何だか距離感がわかんないね」

 手に持っていたプリントを口元に持っていき、朱に染った頬を隠すようにして話す。
 その一つ一つの仕草ですらも可愛くて。今すぐにでも抱き締めたいけど。ここは学校だから。自重して、言う。

「俺もわかんないです」
「あ。とりあえずさ、稜くんは敬語と私の呼び方変えよ?」
「呼び方、ですか? じゃなくて、呼び方?」
「うん。だって、付き合ってるんでしょ?」

 甘く、蕩けてしまいそうな。そんな声で囁くように夢叶先生は言う。それに当てられ、自然と緩んだ表情が滲み出てしまう。

「付き合ってます!」
「改めて言うと。すごく照れるね」

 頬だけでなく、耳まで真っ赤にした夢叶先生の顔が近づく。プリント越しでも分かる、夢叶先生の息遣い。もし、ここにプリントが無ければ。キスが出来るんじゃないか。そう思えるくらいの距離感で、夢叶先生はそっと言う。

「いつまでも、先生、って呼んでほしくないの」

 俺たちの関係は先生と生徒であって、そうじゃないから。でも、誰にも悟られちゃいけない。
 これは禁断の恋だから――

「じゃ、じゃあ。2人きりの時は夢叶って呼んでいい?」
「うん。そう呼んで欲しい」
「じゃあ、夢叶」
「稜くん」
「夢叶」
「稜くん」

 いつまでも。こうやって名前を呼びあっていたい。こんなことが出来る日が来た。このことが嬉しくて。
 すぐ側にある夢叶の顔が。可愛くて。好きで、好きで、大好きで。
 愛おしくてたまらない。

 この癒しの、楽しい時間がいつまでも。永遠に続けばいいのに――

 そんな、有り得ない夢のようなことを思ってしまうほどだ。

 だが現実とは残酷なもの――
 時間は止まってくれない。どれほど望んでも、これだけは変えられない世の摂理。
 補習1限目の時は刻一刻と迫っている。恐らく、あと数分もないだろう。

「もう.......時間だね」
「うん」

 寂しそうな声で。夢叶が夢叶先生モードになって、呟いた。
 夏休み中、補習期間とはいえ。誰にも見られない保証はない。だから、いつまでもこんな密着状態でいるわけにもいかない。
 名残は惜しい。だけど、俺たちのこれからの為に。
 俺と夢叶は少しだけ距離を取った。傍から見れば、少し近づいて話しているように見えるくらいだろう。

「それじゃあね、稜くん」
「また」

 短く言葉を交わしてから、俺たちは互いが互いの進む方へと歩き出す。
 行き先は逆方向だから、これ以上一緒にいることは出来ない。
 すれ違う瞬間、夢叶の手が俺の手に軽く触れる。

「好きだよ」

 そして。夢叶から放たれた言葉が、ゆっくりと優しく、鼓膜に届いた。
 その声が、言葉が嬉しくて。足が止まる。
 そのまま勢いよく振り返ると、夢叶は耳まで真っ赤にして歩いていた。
 ここで、今すぐ返事をしたい。でも、ここは学校だから。大きな声でその言葉を言うことができない。

「言い逃げはずるいよ」

 貰った言葉を返したかった。返して、この胸のドキドキを。嬉しさを。2人で分かち合いたい。
 ずっと2人で。共に笑いあって、恥ずかしあって、悲しくなって、泣いて。楽しく過ごしていたいなぁ。
 そんな想いを込めて。俺は夢叶の背を眺めながら、蚊の鳴くような声で呟いた。

「俺はもっと好きだ」

 眼前に夢叶は居ないのに。それなのに、胸は高鳴り、鼓動ははやく、うるさくなる。
 それを抑え込むように、制服の上から心臓の辺りをぎゅっと握った。
 ちょうどその時。補習開始の合図、チャイムが鳴り響いた。

「やっべ」

 その音と同時に、自然と声が洩れた。遅刻をすれば、その分補習の回数が増やされる。
 そうなってしまえば。夏休みがなくなってしまう。夢叶と何かをすることも出来なくなってしまう。
 だから――
 チャイムが鳴り終わるまでに教室に向かうべく、俺は廊下を駆けるのだった。
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