31 / 51
「僕なんて全教科補習だからね?」
しおりを挟む俺と夢叶先生が付き合えたあの日から。海斗先輩は実家からまだ戻ってきていない。
授業も終業式も。何も参加しないまま、夏休みを迎えた。
再テスト受かっただけで、本当に卒業出来るの?
そもそも出席日数とか。その辺はどうなってるの?
色々と疑問は残るが、まぁ二学期にどうにかする予定なのだろう。俺のことじゃないから、知らないけど。
でも、帰ってきてないということは。
海斗先輩にとって、大事な人と。ずっと何年も一緒に居たいと思える、それくらい大事な人と上手くいったのだろう。
相談に乗ってくれたり、背中を押してくれたり。色々してくれた海斗先輩のことだから。上手くいってくれていると、本当に嬉しい。
「はぁ。今日から学校か.......」
陽の光だけが、射し込む自室で。学校のスケジュール的には夏休み3日目だと言うのに、俺は制服に袖を通していた。
エアコンはついているが、午前4時にはタイマーが作動して、消える設定になっている。それゆえ、7時半には室内はサウナの如く蒸し暑さが支配している。
「なんでこんなに暑いのに学校行かなきゃ行けねぇーんだよ」
暑くて勉強出来ないから。そういった理由の夏休みじゃないのかよ。
愚痴をこぼしながら、俺は自室を出てリビングに入る。
「おはよ」
「おはよー」
声をかけて来たのは、綾人さんと亜沙子だ。夏休み3日目だと言うのに、皆揃って制服を着ている。
言うまでもなく、みんな補習なのだ。
「おはよう」
汗を掻きながら、朝ごはんを食べている2人に声をかけてから。台所に入り、お茶碗に白米を盛り席に座る。
「稜くんは教科何?」
テーブルに並べられた、おかずにお箸を伸ばしながら、亜沙子が聞いてくる。
補習ある?
そう聞いて来るのではなく、教科から聞いてくるあたり、補習ある前提だ。亜沙子だってあるくせに、何かムカつく。
「古典、化学、英語だよ」
コップに注いだお茶を口に含んでから、不貞腐れたように答える。それからテーブルに並ぶおかずに手を伸ばし、白米の上に乗せてから聞き返す。
「そういう亜沙子は?」
「私は数学と歴史」
「歴史は余裕だろ」
朝ごはんを食べ進めながら、そう言うと。亜沙子は口先を尖らせ、軽く肘打ちを入れてくる。
「それは南先生ばっかり見てる稜くんだけ」
「夢叶先生ばっかり見てねぇよ。ちゃんと勉強もしてるだろ」
「それは絶対たまたま。稜くんが70点なんか取れるわけがない!」
「その言い草はないだろ。俺だって頑張ればこんなもんよ!」
「それだったら補習にならないじゃん」
夢叶先生ばかり見てたことは否定出来ないし。ちゃんと勉強したけど、補習にはなったし。
自分で理解しているからこそ。人に言われると、無性に腹が立つ。
そんな会話を繰り広げながら、食事を進めていると。ずっと黙って話を聞いていた綾人さんが、不意に手を鳴らした。
「朝から喧嘩はやめてよ? せっかく作ったご飯が美味しくなくなるよ」
怒っているような雰囲気ではなかったけど。綾人さんが言うこともわかる。だから、謝罪を口にする。すると、綾人さんはニコッと笑ってから
「僕なんて全教科補習だからね?」
と、最大の爆弾発言をするのだった。
* * * *
朝食の後片付けをしてから、俺は自室に戻りカバンを持った。朝食を作った綾人さん、洗濯担当の亜沙子は、もう既にみなが荘を出ている。
はじめてみなが荘に一人きりになる。あまりの静寂に、不安を覚えるくらいだ。別に何かが出るわけではないが、それでも奇妙に感じるのは、みなが荘自体が古い建物だということもあるだろう。
「鍵の管理するとか、めんどくさすぎる」
独りで呟きながら、靴を履いていると。不意に玄関の壁に貼ってある住人表が目に付いた。
いつもあったはずなのに。いつも気にしたことのなかったそれ。
はじめて1人きりになったことにより、目をやるところ、話す相手が居ないから、周囲に目が向いていたらしい。
そこで違和感に気づいた。
「若葉.......琴音? こんな名前のやつみなが荘にいない.......よな?」
見たことも、聞いたこともない名前。今まで気にしたことがなかったとはいえ、急に現れた名前に恐怖し、背筋が凍る感覚を覚えた。
急いでみなが荘を出て、鍵を閉めてから。学校へと向かう。
学校に着くと、1番早く補習が終わる亜沙子の元へと向かう。
「鍵な」
「あっ、ありがと。それじゃあ、3教科頑張ってね」
「2教科も3教科もそんなに変わらないだろ」
「強がりだね」
短いやり取りをしてから、古典の補習が行われる教室へと向かった。
その途中で、夢叶先生の姿が視界に入った。
半袖の白色のカッターシャツで身を包む夢叶先生。袖から伸びる腕は降り積もった雪のように白い。それとは対照的に、髪は何色にも染まらない黒を帯びて腰の当たりまで伸びている。
日によっては、髪を結っている日もあるが、今日は下ろしているようだ。
吸い込まれてしまいそうな大きな黒い瞳が俺を捉えると、夢叶先生は弾けんばかりの笑顔を浮かべた。
それからパタパタと小走りで俺の元へと駆けてくる。
「おはよっ。稜くん」
「おはよう、夢叶先生」
恋人同士になって、初めて会う。どんな顔で、どんな風に挨拶をすればいいか分からず、いつも通りのそ になってしまう。
「何だか距離感がわかんないね」
手に持っていたプリントを口元に持っていき、朱に染った頬を隠すようにして話す。
その一つ一つの仕草ですらも可愛くて。今すぐにでも抱き締めたいけど。ここは学校だから。自重して、言う。
「俺もわかんないです」
「あ。とりあえずさ、稜くんは敬語と私の呼び方変えよ?」
「呼び方、ですか? じゃなくて、呼び方?」
「うん。だって、付き合ってるんでしょ?」
甘く、蕩けてしまいそうな。そんな声で囁くように夢叶先生は言う。それに当てられ、自然と緩んだ表情が滲み出てしまう。
「付き合ってます!」
「改めて言うと。すごく照れるね」
頬だけでなく、耳まで真っ赤にした夢叶先生の顔が近づく。プリント越しでも分かる、夢叶先生の息遣い。もし、ここにプリントが無ければ。キスが出来るんじゃないか。そう思えるくらいの距離感で、夢叶先生はそっと言う。
「いつまでも、先生、って呼んでほしくないの」
俺たちの関係は先生と生徒であって、そうじゃないから。でも、誰にも悟られちゃいけない。
これは禁断の恋だから――
「じゃ、じゃあ。2人きりの時は夢叶って呼んでいい?」
「うん。そう呼んで欲しい」
「じゃあ、夢叶」
「稜くん」
「夢叶」
「稜くん」
いつまでも。こうやって名前を呼びあっていたい。こんなことが出来る日が来た。このことが嬉しくて。
すぐ側にある夢叶の顔が。可愛くて。好きで、好きで、大好きで。
愛おしくてたまらない。
この癒しの、楽しい時間がいつまでも。永遠に続けばいいのに――
そんな、有り得ない夢のようなことを思ってしまうほどだ。
だが現実とは残酷なもの――
時間は止まってくれない。どれほど望んでも、これだけは変えられない世の摂理。
補習1限目の時は刻一刻と迫っている。恐らく、あと数分もないだろう。
「もう.......時間だね」
「うん」
寂しそうな声で。夢叶が夢叶先生モードになって、呟いた。
夏休み中、補習期間とはいえ。誰にも見られない保証はない。だから、いつまでもこんな密着状態でいるわけにもいかない。
名残は惜しい。だけど、俺たちのこれからの為に。
俺と夢叶は少しだけ距離を取った。傍から見れば、少し近づいて話しているように見えるくらいだろう。
「それじゃあね、稜くん」
「また」
短く言葉を交わしてから、俺たちは互いが互いの進む方へと歩き出す。
行き先は逆方向だから、これ以上一緒にいることは出来ない。
すれ違う瞬間、夢叶の手が俺の手に軽く触れる。
「好きだよ」
そして。夢叶から放たれた言葉が、ゆっくりと優しく、鼓膜に届いた。
その声が、言葉が嬉しくて。足が止まる。
そのまま勢いよく振り返ると、夢叶は耳まで真っ赤にして歩いていた。
ここで、今すぐ返事をしたい。でも、ここは学校だから。大きな声でその言葉を言うことができない。
「言い逃げはずるいよ」
貰った言葉を返したかった。返して、この胸のドキドキを。嬉しさを。2人で分かち合いたい。
ずっと2人で。共に笑いあって、恥ずかしあって、悲しくなって、泣いて。楽しく過ごしていたいなぁ。
そんな想いを込めて。俺は夢叶の背を眺めながら、蚊の鳴くような声で呟いた。
「俺はもっと好きだ」
眼前に夢叶は居ないのに。それなのに、胸は高鳴り、鼓動ははやく、うるさくなる。
それを抑え込むように、制服の上から心臓の辺りをぎゅっと握った。
ちょうどその時。補習開始の合図、チャイムが鳴り響いた。
「やっべ」
その音と同時に、自然と声が洩れた。遅刻をすれば、その分補習の回数が増やされる。
そうなってしまえば。夏休みがなくなってしまう。夢叶と何かをすることも出来なくなってしまう。
だから――
チャイムが鳴り終わるまでに教室に向かうべく、俺は廊下を駆けるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
隣の家の幼馴染と転校生が可愛すぎるんだが
akua034
恋愛
隣に住む幼馴染・水瀬美羽。
毎朝、元気いっぱいに晴を起こしに来るのは、もう当たり前の光景だった。
そんな彼女と同じ高校に進学した――はずだったのに。
数ヶ月後、晴のクラスに転校してきたのは、まさかの“全国で人気の高校生アイドル”黒瀬紗耶。
平凡な高校生活を過ごしたいだけの晴の願いとは裏腹に、
幼馴染とアイドル、二人の存在が彼の日常をどんどんかき回していく。
笑って、悩んで、ちょっとドキドキ。
気づけば心を奪われる――
幼馴染 vs 転校生、青春ラブコメの火蓋がいま切られる!
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる