先生、付き合ってもらえますか?

リョウ

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「補習、お疲れ様ってことで。一緒に行きませんか?」

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 社会科準備室のドアはスライド式。そこまで力を込める必要は無いが、横にスライドさせる為に幾分かの力は必要だ。
 取手に手をかけた俺が、ドアを開けようとした瞬間。

 ドアが独りでに開いたのだ。力を加える前だと言うのに、開いたドアに驚いていると。社会科準備室の中から、人が現れた。
 肩幅は広く、身長も俺より高い。明らかに夢叶と違うシルエットだ。

「チッ」

 梅雨明け宣言もされ、灼熱の暑さを誇る夏という季節に。漆黒のスーツに身を包んだ男性が、鋭い視線で俺を睨めつけながら、大きく舌打ちをした。

「.......」

 キリッと整えられた眉、少しつり上がった意思の強そうな目は、圧迫感すら覚える。
 どうして俺が呼ばれたはずの社会科準備室から出てきたのか。
 どうして俺を睨んでいるのか。
 何から言葉にすればいいのかわからず。黙り込んでいると、男性が口を開く。

「お前のような奴がいるから」

 低く渋い声が、俺の心に刺さる。
 そして気づく。俺は、この声を知っている――

西門先生さいもんせんせい……?」

 補習初日。俺と夢叶が教室で話しているときに、教室に入ってきた男性教師だ。
 その人がどうしてここにいるのか?
 西門先生の担当教科は体育。はっきり言って、社会科準備室なんて縁のない場所だろう。
 特に、夏休み中なんて。通常時よりも、もっともっと来ることがないはずだろう。

「大人の関係に突っ込んでくるんじゃねぇーよ」

 怒りを帯びた声が。頭上から降り注いでくる。氷のように凍てついた視線で、言葉だった。大人、そう言われてしまえば、俺は何も出来ない。
 まだ学生という身分で、子どもだから。その上の段階の話に踏め込めない。

 俺が関われない。そう分かって吐かれた言葉に、苛立ちを隠せず。奥歯を強く噛みしめた。

「クソが」

 それが西門先生にも伝わったのだろうか。先生とは思えない言葉を吐き捨て、右手を強く握り締め拳を作り上げた。
 いつ振るってもおかしくない。そんな雰囲気すら纏わせて、西門先生は作った拳をより一層強く握る。
 その圧倒的な圧力に耐えきれなくなり、1歩退くと。西門先生は俺を睨んだまま、横を通り抜けてその場を去った。

 やっと圧から解放された。その安堵感から、一瞬ぼーっとしてしまったが。夢叶に会うためにここに来たんだ、ということを思い出して。
 飛び込むように、社会科準備室に入った。


「夢叶先生」

 学校だし。西門先生みたいに、誰かが社会科準備室に来るかもしれないし。
 そう思い、先生をつけて名前を呼んだ。

「稜くん.......」

 しかし、返ってきた言葉に元気はない。いつもの夢叶らしくない様子が心配になる。社会科準備室の奥にある事務机の椅子に腰を下ろしている夢叶に、ゆっくりと歩み寄る。

「どうかした?」
「別に.......大丈夫だよ?」

 嘘だ。夢叶は嘘をついている。
 それは直ぐに分かった。貼り付けた偽りの、弱々しい笑顔だ。それに、声も震えているように感じた。

「大丈夫じゃないだろ.......」

 大丈夫なら、もっと普通の笑顔で。普通の声で。話してくれよ。
 恐らく、西門先生と何かがあったのだろう。そこまでは予想がつくが。その後は分からない。

「俺に話して――」

 くれよ。そう言おうと思った。でも、つい先程西門先生に言われた言葉が脳裏に蘇る。

『大人の関係に突っ込んでくるんじゃねぇーよ』

 関係ないと、無視してしまえばいいのに。心のどこに残った、夢叶への、大人への遠慮で、想いが上手く言葉にならない。

「稜くんの、その優しさに触れられただけで。私は大丈夫だよ」

 キィー、とキャスター付きの椅子が少し軋む音がした。それと同時に、夢叶が立ち上がり、俺の方へと歩み寄って来ると。
 そのまま俺を通り過ぎて、少しだけ開いていた扉をピシッと締め、そのまま鍵まで閉めた。

「ゆ、夢叶.......?」
「ちょっとだけいい?」
「う、うん?」

 後ろから掛けられた声は。不安で押し潰されそうな、弱々しいものだ。
 何で鍵を締めたのだろうか。
 ということは、俺は密閉空間で夢叶と2人きりってことか!?
 ま、まさか――

 そんな淡い期待を抱くが。そんなことないってわかってる。だけど、俺だって健全な男子高校だから。そんなよこしまな気持ちも抱いちゃう。

「何も聞かないでね」

 耳元で囁くように言われた。先ほどまではもう少し後ろにいたはずなのに。
 そう思って振り返ると、目の鼻の先に夢叶の顔があった。
 雪のように白く、キメの細かい張りのある肌がすぐそこにあり、大きく丸い目が俺を覗き込んでいる。
 あまりに真っ直ぐ見つめられるから、恥ずかしくて。だんだんと顔が赤くなるから、それを見られるのが無性に照れくさくて、俺から先に目を逸らしてしまった。

「心配はかけないからね」

 強い意志のこもった言葉が、熱の篭った声で俺の耳に届いた。
 それと同時に。夢叶は背後から俺を抱きしめた。
 背中には夢叶の柔らかい二つの膨らみが押し付けられて、少し恥ずかしさを覚えた。でも、腹部に回された夢叶の震えた手を見た瞬間、そんな感情はどこかに飛んで行った。
 なんてしょうもないことを考えていたんだ。
 自分の浅ましい考えに、反吐が出そうになった。それを奥底に抑えつけ、俺は震える夢叶の手に、自らの手を重ねた。

「心配かけてくれもいいけど、一人では抱え込まないでくれ」

 言ってもらえないと分からないから。聞くしかできないかもしれないけど、夢叶の喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、全部全部分け合いたいから。
 誰にも負けない、理解者になって。ずっと夢叶と一緒に居たいんだ。

「うん。ありがと……」

 夢叶の声が涙色にまみれる。カッターシャツに生暖かいものがジワリと滲むのが分かった。所々に嗚咽が混じりだす。
 きっと、辛い思いをしたんだろう。何が原因かは言ってくれないから分からない。西門先生かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

「稜くん、大好きだからね。私は稜くんしか見ないからね。信じてね?」

 涙をこぼしながら。嗚咽交じりに懇願される。そんなの分かり切ってる。俺が夢叶を疑うことをするわけがない。
 一度、彼女の腕を俺の体から離させてから。振り返り、向き合ってから、俺は夢叶を抱きしめた。
 ここが学校だってことは百も承知だ。でも、言葉よりも確実に俺の想いを伝えられるのはこれしかないから。
 強く、夢叶を抱きしめて。そっと囁く。

「俺はどんなことがあっても夢叶を見てるから。そんなこと心配しなくていいから」

 俺の言葉を聞いた夢叶は、堰を切ったように涙を零しながら。ぐちゃぐちゃになった顔で俺を真っ直ぐにみた。
 涙にまみれた顔なのに。とても綺麗で、俺は夢叶から目を離すことが出来なかった。そのタイミングに、夢叶は自らの顔を、俺の顔に近づけた。
 そしてそのまま、唇を重ねた。だが、勢いが余ったこともあり、歯と歯が触れて、カチッという音がたってしまった。

「ごめん。でも、したくなったから」

 ぎこちなく、不格好なキスだったけど。はじめて唇を重ねたのが、嬉しくて。
 俺のファーストキスが夢叶だったことが幸せで。好きな人と出来るキスほど、嬉しいくて、気持ちいいことはないと思う。

「い、いや。俺もその.......。嬉しかった」

 恥ずかしさから、俺たちは離れた。あまりの恥ずかしさでゆでダコよりも真っ赤になった顔を。合わせるのが恥ずかしくて、俺は夢叶に背中を向けて静かに言った。

 人差し指で唇に触れる。
 歯が当たったのは少し痛かったけど。でも、触れ合った唇は柔らかくて、一生忘れられないだろう。

「え、えっと。それでね?」

 短く咳払いをしてから。腕で涙を拭いながら、夢叶は俺に言った。

「今日呼んだのには理由があるの」

 鼻声ではあるが、少し真剣味を帯びた声色でそう放った夢叶。彼女は一度、事務机の方へと戻り、引き出しを開けた。
 そこから何かを取り出し、俺の方へ戻ってくる。夢叶に背を向けて立っていた俺の前に回り込み、紙切れを差し出した。

「補習、お疲れ様ってことで。一緒に行きませんか?」
「えっ?」

 下唇を軽く噛み、まるで交際を申し込むかのように、頭を下げた。
 俺は差し出された紙に目を落とす。そこには、

 ――姫坂市民プール入場券
 
 そう書かれていた。

「ぷ、プール?」
「だ、ダメ.......かな?」

 驚く俺に。夢叶は顔を少しだけ上げて、上目遣いで訊いてきた。つい先程まで涙を流していたこともあり、目に潤いがあり、陽光が反射して、キラキラと輝いているように見える。

「だ、ダメなんかじゃない! む、むしろ俺なんかでいいの?」
「稜くんと行きたいの」

 顔を上げた夢叶は、極上の笑顔を浮かべて手にある入場券を俺に手渡した。

「あんまり長くいると怪しまれるし.......」

 そう言いながら、夢叶は社会科準備室の鍵を開けた。

「今週の日曜日とか、どう?」
「え、えっと.......」

 今週の予定を思い返す。うん、何も予定ないな。てか、補習が延びるかもだったし、予定いれなかったんだ。

「あいてる!」
「じゃあ、日曜日! 詳しい時間とかはまたLINEで決めよ!」
「おっけー!」

 社会科準備室を訪れた時の様子が嘘のように、夢叶は楽しそうな表情を浮かべている。

「じゃあ、私はまだやらないといけないことあるから」

 うんざりした様子を見せながら、キャスター付きの椅子に腰をかけてから、事務机の前に座ると。
 机上にあるプリントを俺に見せた。

「本当はずっと稜くんと話していたいんだけど」

 短くため息をこぼし、夢叶はペンを手にした。

「またね、稜くん」
「うん。また日曜日」

 そのように別れを告げ、俺は社会科準備室を出た。

「やっべぇ。めちゃくちゃ日曜日が楽しみなんだけど.......」

 手にある姫坂市民プールの入場券を眺めながら、そう呟いて。みなが荘へと向かったのだった。
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