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17歳
閑話40 大惨事
「これは、事件だ」
「……どこら辺が?」
ユリスの部屋にて。中央で仁王立ちした俺は、腕を組んで目の前の惨状を眺めた。これはもう間違いなく事件である。
呑気に本を読んでいたユリスは、顔をあげてからノリの悪いことを言い始める。このお子様のことは無視しておこう。
部屋の中央には、もふもふ毛玉が横たわっている。その上に、べったり黒いインクがこぼれていた。大惨事だ。
部屋には俺とユリス。それに倒れている綿毛ちゃんと、窓際でお昼寝しているエリスちゃんがいる。幸いタイラーとティアンは不在。ふたりが帰ってくる前に、どうにかしなければ。
『オレ、もうダメだぁ……。もふもふの毛がぁ。台無しだよぉ』
シクシク泣いている綿毛ちゃんは、なんだか憐れだ。動く気力もないのか。横たわったまま立ち上がる気配もない。
今日の俺はユリスの部屋で一生懸命に手紙を書いていた。相手はジェフリーである。ジェフリーは最近お手紙にはまっているらしい。しょっちゅう顔を合わせているのに、手紙を出してくるのだ。
こういうものに夢中になる気持ちはわかるので、俺はこまめに返事を書いていた。今日もペンとインクを持参して、ユリスの部屋でお返事を書いていたのだが、ここで予想外の出来事が起きてしまった。
まぁ、そんなに大事件というわけでもないのだが。手紙を書いているときに、うっかり腕がインク瓶に当たってしまったのだ。かなりの勢いで当たったインク瓶は、テーブルから落ちた。その先には、ちょうどカーペットの上でのんびりごろごろしていた綿毛ちゃんがいた。
結果、綿毛ちゃんの上に黒いインクが降り注いだというわけである。
シクシク悲しむ綿毛ちゃんに「しっかりするんだ!」と励ましの言葉をかけておく。俺がどうにかしなければ。
急いでクローゼットを開け放った俺は、目についたタオルを引っ張り出す。
「ユリス。これで拭いていい?」
「好きにしろ」
別に大事なタオルではないことを確認してから、綿毛ちゃんのもとへ戻る。
「カーペットをどうにかしないと」
『まずオレをどうにかしようよぉ』
ぶつぶつ言っている綿毛ちゃんをそのままに、とりあえずカーペットを拭いてみる。真っ白なタオルが黒いインクを吸っていく。
しかし毛足の長いカーペットも、同じくらいインクを吸い込んでいる。ゴシゴシ擦ってみるが、もはや誤魔化しようがないくらいに染みている。これではインクをこぼしたことが、ひと目でバレてしまう。
「……とりあえず綿毛ちゃんで隠すしかないか」
『なんでぇ?』
インク汚れの上に綿毛ちゃんを置いてみる。カーペットの汚れを隠すように綿毛ちゃんを配置してみるが、肝心の綿毛ちゃんも黒く汚れている。あまり意味がないかもしれない。
とりあえずタオルで綿毛ちゃんのことも拭いてみる。
「落ちないや」
『そんなぁ……』
しゅんと落ち込む綿毛ちゃんは、絶望していた。なんだか悪い気になった俺は、タオルで綿毛ちゃんをゴシゴシ拭く。
『痛い……』
「ダメだ。落ちないや」
『ひどいよぉ。悲しいよぉ』
「泣くな! 毛玉だろ!」
『関係ないよぉ』
弱気な綿毛ちゃんを頑張って励ます。
「綿毛ちゃん! 死ぬな!」
『もうダメかもしれない……』
「綿毛ちゃーん!!」
「おまえら、うるさい」
綿毛ちゃん! と何度も叫ぶ俺に、ユリスが半眼でうるさいと文句を言ってきた。なんて冷たい態度だ。綿毛ちゃんのことが心配じゃないのか。
「いいから早く綺麗にしろ。僕の部屋を荒らすな」
「拭いたけど綺麗にならない」
「そんな乾いたタオルで拭いてどうする。濡らせばいいだろ」
「なるほど!」
さすがユリス。
早速部屋を出た俺は、物置きから引っ張り出したバケツに水を汲んで戻ってきた。
タオルを水で濡らしてからカーペットを拭いてみる。
「……落ちたかな?」
「いや全然だろ」
もはやよくわからなくなって、ユリスに訊いてみる。しかしユリスいわく全然汚れが取れていないらしい。なんでだ。
「水が足りないのかな?」
悩んだ俺は、バケツを持ち上げた。とりあえず綿毛ちゃんも拭いてあげようとバケツの位置をちょっと変えようと思っただけなのだ。しかし運悪く、放り出していたタオルに足をとられて躓いてしまった。その拍子に、バケツが手から離れてしまった。
『冷たいっ!』
勢いよく床に水が撒かれて、ついでに綿毛ちゃんもびしょびしょになってしまった。
「綿毛ちゃんって、なんか不幸だね」
『いや不幸って言うか。全部坊ちゃんのせいだよねぇ?』
ひどいよぉ、と再び文句を言い始める綿毛ちゃんを前にして、俺は立ち尽くす。
部屋はインクで汚れて、おまけにびしょ濡れになってしまった。一体どうして。
ぐっしょり濡れたタオルを両手で握りしめる。しばらくそうしていると、ドアが開いてタイラーが入ってきた。
「うわっ! なんですか、この大惨事!」
悲鳴にも似た声をあげるタイラーは、俺に視線を向けてから眉を吊り上げた。
「ルイス様。なんでこんなことに」
『タイラーさぁん。助けてぇ』
ジタバタ暴れ始める綿毛ちゃんを慌てて抱っこする。黙らせようと格闘するが、毛玉はしつこい。そうこうしているうちに、ティアンもやってきた。
「え!?」
室内を覗くなりティアンが目を丸くした。その視線が、俺へと向けられる。
「ちょっと、ルイス様!」
慌てたように駆け寄ってきたティアンは、俺の腕から綿毛ちゃんを取り上げた。見れば、インクで汚れた綿毛ちゃんを抱っこしていたせいで、俺の胸元も黒く汚れてしまっていた。せっかくの白いシャツが台無しである。
「このカーペットいくらすると思って……!」
なぜかカーペットの価値を熱弁するタイラーは、必死の形相で汚れと格闘を始めた。まぁ、みるからに高そうなカーペットだもんね。
しかし落ちないらしく、カーペットを撤去し始める。どうやら本格的に洗ってみるつもりらしい。
「それ。落ちなかったらどうするの?」
なんとなく尋ねるとタイラーが「そしたら処分するしかないですよ」と力なく笑った。
俺は、ティアンによってタオルでぐるぐる巻きにされた綿毛ちゃんを見下ろす。これ以上インクをあちこちにつけないよう捕獲されてしまった毛玉は情けない姿だった。
「……落ちなかったら、新しいもふもふの犬を探さないと」
『えっ!?』
ひどいよぉ、あんまりだよぉと。
シクシク悲しむ綿毛ちゃんを抱き上げてから「冗談だよ」と撫でておく。途端にへらっと笑った綿毛ちゃんは、『オレ以上にもふもふの犬なんて、なかなかいないよ。オレ犬じゃないけど』と得意な顔になった。
「じゃあ俺は綿毛ちゃんを洗ってくるね!」
『えっ』
綿毛ちゃんを掲げて宣言すると、ティアンと共にカーペットを回収していたタイラーが「ちょっと待った!」と大声を出す。待つ理由もないので、そのまま部屋を駆け出そうとする。綿毛ちゃんが黒いままだと可哀想だ。けれどもタイラーは、無理矢理に俺を引きとめる。
「ちょっと、ルイス様! ルイス様に任せるとまた二度手間になるんですよ!」
「ならないよ!」
ちゃんと洗うから大丈夫。なんだか失礼な疑いを向けてくるタイラーに「噴水で洗うだけだから」と付け足した。これにタイラーが「いや、ダメですよ」と真顔で反論してきた。
「なんで噴水で。普通に風呂場にしてくださいよ」
『そうだそうだぁ! オレが可哀想だと思いまーす!』
なぜかタイラーに全力で同意する綿毛ちゃんは我儘である。
「じゃあユリスと一緒に洗ってくる。行くよ、ユリス」
「行くわけないだろ」
この騒動の中でも知らんふりを続けるユリスは「僕はそこまでその犬に思い入れはない」と酷いことを言った。これに綿毛ちゃんが落ち込んでしまう。
「ルイス様。僕が手伝いますから」
そんな中、やんわり口を挟んできたティアンを見上げる。シャツの袖を捲ってやる気を見せるティアンは、頼りになりそうな気がした。
「じゃあティアンと洗ってくる!」
「はいはい。変なことしないでくださいね」
どうも俺のことを信用していないらしいタイラーに見送られて、俺はティアンと共に風呂場へと向かった。
「……どこら辺が?」
ユリスの部屋にて。中央で仁王立ちした俺は、腕を組んで目の前の惨状を眺めた。これはもう間違いなく事件である。
呑気に本を読んでいたユリスは、顔をあげてからノリの悪いことを言い始める。このお子様のことは無視しておこう。
部屋の中央には、もふもふ毛玉が横たわっている。その上に、べったり黒いインクがこぼれていた。大惨事だ。
部屋には俺とユリス。それに倒れている綿毛ちゃんと、窓際でお昼寝しているエリスちゃんがいる。幸いタイラーとティアンは不在。ふたりが帰ってくる前に、どうにかしなければ。
『オレ、もうダメだぁ……。もふもふの毛がぁ。台無しだよぉ』
シクシク泣いている綿毛ちゃんは、なんだか憐れだ。動く気力もないのか。横たわったまま立ち上がる気配もない。
今日の俺はユリスの部屋で一生懸命に手紙を書いていた。相手はジェフリーである。ジェフリーは最近お手紙にはまっているらしい。しょっちゅう顔を合わせているのに、手紙を出してくるのだ。
こういうものに夢中になる気持ちはわかるので、俺はこまめに返事を書いていた。今日もペンとインクを持参して、ユリスの部屋でお返事を書いていたのだが、ここで予想外の出来事が起きてしまった。
まぁ、そんなに大事件というわけでもないのだが。手紙を書いているときに、うっかり腕がインク瓶に当たってしまったのだ。かなりの勢いで当たったインク瓶は、テーブルから落ちた。その先には、ちょうどカーペットの上でのんびりごろごろしていた綿毛ちゃんがいた。
結果、綿毛ちゃんの上に黒いインクが降り注いだというわけである。
シクシク悲しむ綿毛ちゃんに「しっかりするんだ!」と励ましの言葉をかけておく。俺がどうにかしなければ。
急いでクローゼットを開け放った俺は、目についたタオルを引っ張り出す。
「ユリス。これで拭いていい?」
「好きにしろ」
別に大事なタオルではないことを確認してから、綿毛ちゃんのもとへ戻る。
「カーペットをどうにかしないと」
『まずオレをどうにかしようよぉ』
ぶつぶつ言っている綿毛ちゃんをそのままに、とりあえずカーペットを拭いてみる。真っ白なタオルが黒いインクを吸っていく。
しかし毛足の長いカーペットも、同じくらいインクを吸い込んでいる。ゴシゴシ擦ってみるが、もはや誤魔化しようがないくらいに染みている。これではインクをこぼしたことが、ひと目でバレてしまう。
「……とりあえず綿毛ちゃんで隠すしかないか」
『なんでぇ?』
インク汚れの上に綿毛ちゃんを置いてみる。カーペットの汚れを隠すように綿毛ちゃんを配置してみるが、肝心の綿毛ちゃんも黒く汚れている。あまり意味がないかもしれない。
とりあえずタオルで綿毛ちゃんのことも拭いてみる。
「落ちないや」
『そんなぁ……』
しゅんと落ち込む綿毛ちゃんは、絶望していた。なんだか悪い気になった俺は、タオルで綿毛ちゃんをゴシゴシ拭く。
『痛い……』
「ダメだ。落ちないや」
『ひどいよぉ。悲しいよぉ』
「泣くな! 毛玉だろ!」
『関係ないよぉ』
弱気な綿毛ちゃんを頑張って励ます。
「綿毛ちゃん! 死ぬな!」
『もうダメかもしれない……』
「綿毛ちゃーん!!」
「おまえら、うるさい」
綿毛ちゃん! と何度も叫ぶ俺に、ユリスが半眼でうるさいと文句を言ってきた。なんて冷たい態度だ。綿毛ちゃんのことが心配じゃないのか。
「いいから早く綺麗にしろ。僕の部屋を荒らすな」
「拭いたけど綺麗にならない」
「そんな乾いたタオルで拭いてどうする。濡らせばいいだろ」
「なるほど!」
さすがユリス。
早速部屋を出た俺は、物置きから引っ張り出したバケツに水を汲んで戻ってきた。
タオルを水で濡らしてからカーペットを拭いてみる。
「……落ちたかな?」
「いや全然だろ」
もはやよくわからなくなって、ユリスに訊いてみる。しかしユリスいわく全然汚れが取れていないらしい。なんでだ。
「水が足りないのかな?」
悩んだ俺は、バケツを持ち上げた。とりあえず綿毛ちゃんも拭いてあげようとバケツの位置をちょっと変えようと思っただけなのだ。しかし運悪く、放り出していたタオルに足をとられて躓いてしまった。その拍子に、バケツが手から離れてしまった。
『冷たいっ!』
勢いよく床に水が撒かれて、ついでに綿毛ちゃんもびしょびしょになってしまった。
「綿毛ちゃんって、なんか不幸だね」
『いや不幸って言うか。全部坊ちゃんのせいだよねぇ?』
ひどいよぉ、と再び文句を言い始める綿毛ちゃんを前にして、俺は立ち尽くす。
部屋はインクで汚れて、おまけにびしょ濡れになってしまった。一体どうして。
ぐっしょり濡れたタオルを両手で握りしめる。しばらくそうしていると、ドアが開いてタイラーが入ってきた。
「うわっ! なんですか、この大惨事!」
悲鳴にも似た声をあげるタイラーは、俺に視線を向けてから眉を吊り上げた。
「ルイス様。なんでこんなことに」
『タイラーさぁん。助けてぇ』
ジタバタ暴れ始める綿毛ちゃんを慌てて抱っこする。黙らせようと格闘するが、毛玉はしつこい。そうこうしているうちに、ティアンもやってきた。
「え!?」
室内を覗くなりティアンが目を丸くした。その視線が、俺へと向けられる。
「ちょっと、ルイス様!」
慌てたように駆け寄ってきたティアンは、俺の腕から綿毛ちゃんを取り上げた。見れば、インクで汚れた綿毛ちゃんを抱っこしていたせいで、俺の胸元も黒く汚れてしまっていた。せっかくの白いシャツが台無しである。
「このカーペットいくらすると思って……!」
なぜかカーペットの価値を熱弁するタイラーは、必死の形相で汚れと格闘を始めた。まぁ、みるからに高そうなカーペットだもんね。
しかし落ちないらしく、カーペットを撤去し始める。どうやら本格的に洗ってみるつもりらしい。
「それ。落ちなかったらどうするの?」
なんとなく尋ねるとタイラーが「そしたら処分するしかないですよ」と力なく笑った。
俺は、ティアンによってタオルでぐるぐる巻きにされた綿毛ちゃんを見下ろす。これ以上インクをあちこちにつけないよう捕獲されてしまった毛玉は情けない姿だった。
「……落ちなかったら、新しいもふもふの犬を探さないと」
『えっ!?』
ひどいよぉ、あんまりだよぉと。
シクシク悲しむ綿毛ちゃんを抱き上げてから「冗談だよ」と撫でておく。途端にへらっと笑った綿毛ちゃんは、『オレ以上にもふもふの犬なんて、なかなかいないよ。オレ犬じゃないけど』と得意な顔になった。
「じゃあ俺は綿毛ちゃんを洗ってくるね!」
『えっ』
綿毛ちゃんを掲げて宣言すると、ティアンと共にカーペットを回収していたタイラーが「ちょっと待った!」と大声を出す。待つ理由もないので、そのまま部屋を駆け出そうとする。綿毛ちゃんが黒いままだと可哀想だ。けれどもタイラーは、無理矢理に俺を引きとめる。
「ちょっと、ルイス様! ルイス様に任せるとまた二度手間になるんですよ!」
「ならないよ!」
ちゃんと洗うから大丈夫。なんだか失礼な疑いを向けてくるタイラーに「噴水で洗うだけだから」と付け足した。これにタイラーが「いや、ダメですよ」と真顔で反論してきた。
「なんで噴水で。普通に風呂場にしてくださいよ」
『そうだそうだぁ! オレが可哀想だと思いまーす!』
なぜかタイラーに全力で同意する綿毛ちゃんは我儘である。
「じゃあユリスと一緒に洗ってくる。行くよ、ユリス」
「行くわけないだろ」
この騒動の中でも知らんふりを続けるユリスは「僕はそこまでその犬に思い入れはない」と酷いことを言った。これに綿毛ちゃんが落ち込んでしまう。
「ルイス様。僕が手伝いますから」
そんな中、やんわり口を挟んできたティアンを見上げる。シャツの袖を捲ってやる気を見せるティアンは、頼りになりそうな気がした。
「じゃあティアンと洗ってくる!」
「はいはい。変なことしないでくださいね」
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