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番外1:第一王子の挫折と栄光 ~彼女を手に入れるまで~
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十五を迎えてから、ジルベルトは女性と関係を持つようになった。
これまで避けていたわけではないが、肉欲に溺れる危険性を考えて積極的ではなかった。だが青年といわれる年になってゆき、経験豊富な侍女をあてがわれて最初の手ほどきをされたあとは、しばらく様々な相手と一時的な快楽に耽った。
だがどの女も肉体の喜びを与えてくれるだけで、ジルベルトにとってそれ以上にはならなかった。これに溺れることは、己の将来を見誤らせることだということは理解できた。
脳裏にはあの――エヴェリーナという少女の影がちらついていた。
伴侶を選べるというのなら、ああいう女がいい。
美しく、英明さを感じさせる女。母のように出しゃばらず、かといってただ分相応のために汲々とするだけにおさまらぬ女。
先日の昼餐で見かけて以来、ジルベルトはエヴェリーナという少女について少し情報を集めた。――見かけや印象はいいが、本当はただそれだけで、実情はさほどでもないのではとねじれた期待をしていた。
だが聞こえてくるのはどれもエヴェリーナの優秀さ、忍耐を称えるものばかりだった。
未来の王太子妃として厳しく教育され、それが着実に結果を出しているという。
ああいう女が自分にも欲しいとますます思い、弟は既に得たのだという焦燥と苛立ちが合わさると、他の女で気を紛らわせなければどうにかなりそうだった。
手に入らないのなら、エヴェリーナという少女を頭から振り払わなければならない。彼女を上回る、あるいは同等の人材を探した。
王位を得ることは無理でも、せめて伴侶だけはジョナタの妃に劣るなどということはあってはならない。
自分について来られる女が必要だった。ジョナタよりも優れると言われる自分についてこられる女が。
そういった思いを抱いたがゆえか、いままでなんとも思っていなかった結婚というものに妙にこだわりを持つようになってしまった。
もとより第一王子という微妙な立場で、これ以上強力な後ろ盾を得てしまうような政略結婚はあまり望まれていない。
かといって、王からすれば、露骨に後ろ盾のない家などと結ばせてしまえば、ジルベルトを蔑ろにしていると見られてしまう。
国王はそのあたりの微妙な機微をわかっていて、また悩みもしているようだった。それだけに、ジルベルトに結婚を急かすことはしなかった。
そのようにしてひとしきり女性との関係を持ったあと、ジルベルトは飽いた。
まるでそれを見計らったかのように、王はジルベルトに公務を与えるようになった。
ジルベルトのほうも他に気を紛らわせるものができたことで、黙々とこなした。
王の傍らで他国の使者と会うことからはじまり、王の名代として遠地に赴いて視察し、優れた観察眼と思考を活かして、汚職を摘発し、不穏の芽を摘み取ることもした。時に各地の領主に政策の助言を与えることもした。
その中でジルベルトが悟ったのは、叛逆は割に合わないということだった。少なくともいまの治世下では成功しない。
もしや、とジルベルトは思う。
(……父上は、それを私に悟らせようとして公務をお与えになったのか)
暗に、叛逆がいかに無意味なものかを悟らせるために。
ジルベルトは自嘲する。
――もしそうだとしたら、父は大層効果的な教えをくれたのだった。
ジョナタが十五を迎える前に、ジルベルトは王に願い出て、王都から遠く、国境に近い地を賜った。
その頃には、叛逆などという考えはすっかり捨てていたが、ジョナタの側にいるのはあまり好ましくないと思っていた。自分が腐ってしまう。
それに、一人の力で何かをなしてみたかった。
国の運営は無理でも、その一部分ならばと思った。
定期的に王に使者と贈り物を贈り、莫大な税をおさめ、とくに自ら出向いて連絡を絶やさぬようにしながら、ジルベルトは王都から遠いところで日々を送った。
領地を経営する多忙さは存外心地良いもので、いつしか、充実感を得られるようになっていた。なぜというあの心の声ももう聞こえない。
英邁な領主。優れた第一王子。
向けられる崇拝の眼差し。情熱的な賛美の声が、自分の中の暗い声をかき消していた。
己のもてるすべての力を使ってつかみとった名声だった。
(――無駄などではない)
これまで自分が積み重ねてきたものは、決して無駄などではない。
玉座はなくとも、人々の声がある。
そして、何よりも自分自身が誇りを持って生きている。
そう思えるようになっていた。
多忙さの中でジルベルトは時折女性と関係を持ったが、側室も正室も迎えなかった。いまだ、自分の傍らに立つにふさわしい女が見当たらない。
そうしていつの間にか年を重ね、あるときいきなり、懐かしい名前を聞いた。
「……ジョナタが、エヴェリーナとの婚約を破棄した?」
これまで避けていたわけではないが、肉欲に溺れる危険性を考えて積極的ではなかった。だが青年といわれる年になってゆき、経験豊富な侍女をあてがわれて最初の手ほどきをされたあとは、しばらく様々な相手と一時的な快楽に耽った。
だがどの女も肉体の喜びを与えてくれるだけで、ジルベルトにとってそれ以上にはならなかった。これに溺れることは、己の将来を見誤らせることだということは理解できた。
脳裏にはあの――エヴェリーナという少女の影がちらついていた。
伴侶を選べるというのなら、ああいう女がいい。
美しく、英明さを感じさせる女。母のように出しゃばらず、かといってただ分相応のために汲々とするだけにおさまらぬ女。
先日の昼餐で見かけて以来、ジルベルトはエヴェリーナという少女について少し情報を集めた。――見かけや印象はいいが、本当はただそれだけで、実情はさほどでもないのではとねじれた期待をしていた。
だが聞こえてくるのはどれもエヴェリーナの優秀さ、忍耐を称えるものばかりだった。
未来の王太子妃として厳しく教育され、それが着実に結果を出しているという。
ああいう女が自分にも欲しいとますます思い、弟は既に得たのだという焦燥と苛立ちが合わさると、他の女で気を紛らわせなければどうにかなりそうだった。
手に入らないのなら、エヴェリーナという少女を頭から振り払わなければならない。彼女を上回る、あるいは同等の人材を探した。
王位を得ることは無理でも、せめて伴侶だけはジョナタの妃に劣るなどということはあってはならない。
自分について来られる女が必要だった。ジョナタよりも優れると言われる自分についてこられる女が。
そういった思いを抱いたがゆえか、いままでなんとも思っていなかった結婚というものに妙にこだわりを持つようになってしまった。
もとより第一王子という微妙な立場で、これ以上強力な後ろ盾を得てしまうような政略結婚はあまり望まれていない。
かといって、王からすれば、露骨に後ろ盾のない家などと結ばせてしまえば、ジルベルトを蔑ろにしていると見られてしまう。
国王はそのあたりの微妙な機微をわかっていて、また悩みもしているようだった。それだけに、ジルベルトに結婚を急かすことはしなかった。
そのようにしてひとしきり女性との関係を持ったあと、ジルベルトは飽いた。
まるでそれを見計らったかのように、王はジルベルトに公務を与えるようになった。
ジルベルトのほうも他に気を紛らわせるものができたことで、黙々とこなした。
王の傍らで他国の使者と会うことからはじまり、王の名代として遠地に赴いて視察し、優れた観察眼と思考を活かして、汚職を摘発し、不穏の芽を摘み取ることもした。時に各地の領主に政策の助言を与えることもした。
その中でジルベルトが悟ったのは、叛逆は割に合わないということだった。少なくともいまの治世下では成功しない。
もしや、とジルベルトは思う。
(……父上は、それを私に悟らせようとして公務をお与えになったのか)
暗に、叛逆がいかに無意味なものかを悟らせるために。
ジルベルトは自嘲する。
――もしそうだとしたら、父は大層効果的な教えをくれたのだった。
ジョナタが十五を迎える前に、ジルベルトは王に願い出て、王都から遠く、国境に近い地を賜った。
その頃には、叛逆などという考えはすっかり捨てていたが、ジョナタの側にいるのはあまり好ましくないと思っていた。自分が腐ってしまう。
それに、一人の力で何かをなしてみたかった。
国の運営は無理でも、その一部分ならばと思った。
定期的に王に使者と贈り物を贈り、莫大な税をおさめ、とくに自ら出向いて連絡を絶やさぬようにしながら、ジルベルトは王都から遠いところで日々を送った。
領地を経営する多忙さは存外心地良いもので、いつしか、充実感を得られるようになっていた。なぜというあの心の声ももう聞こえない。
英邁な領主。優れた第一王子。
向けられる崇拝の眼差し。情熱的な賛美の声が、自分の中の暗い声をかき消していた。
己のもてるすべての力を使ってつかみとった名声だった。
(――無駄などではない)
これまで自分が積み重ねてきたものは、決して無駄などではない。
玉座はなくとも、人々の声がある。
そして、何よりも自分自身が誇りを持って生きている。
そう思えるようになっていた。
多忙さの中でジルベルトは時折女性と関係を持ったが、側室も正室も迎えなかった。いまだ、自分の傍らに立つにふさわしい女が見当たらない。
そうしていつの間にか年を重ね、あるときいきなり、懐かしい名前を聞いた。
「……ジョナタが、エヴェリーナとの婚約を破棄した?」
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