婚約破棄された王太子妃候補は第一王子に気に入られたようです。

永野水貴

文字の大きさ
31 / 38
番外2

望みうる最善1-1

しおりを挟む
 エヴェリーナは奇妙な緊張感を覚えていた。かつては王太子妃候補として、緊張を強いられる数々の場面を想定して練習したものだが――これから臨む場は、そのどれにもなかったものだ。

 矢車菊の瞳は静かに、姿見の中の自分を見つめた。背後に立つ二人の侍女が、入念に髪を梳かして結い上げ、数歩離れて検分しては近づいて微調整し、ということを繰り返している。それだけ、主の緊張と意気込みを理解しているのだろう。

 結い上げた長い金褐色の髪、傷一つ無い白い肌に、紅を塗られた唇が際立つ。鏡の向こうから見返す矢車菊色の瞳は、長い金の睫毛に縁取られていた。

 夜会ではないため、エヴェリーナが今まとうのは露出の少ない濃緑のドレスだった。落ち着いた色合いだが、胸元や袖や裾に使われているレースや刺繍が精緻で控えめな品の良さを漂わせている。過度に強調せずとも、豊かな胸やくびれた腰つきは、理想の貴婦人といわれる体型に近い。

 出しゃばらず、だが相応に高貴に、そして知性を感じさせるように――今回のエヴェリーナの装いはそう演出するためのものだった。すべて、これから会う相手のためのものだ。

 二人の侍女の入念な調整を受け、エヴェリーナの装いはようやく仕上がる。あまり時間をかけすぎても、夫を待たせることになってしまう。
 私室から出て、玄関へ向かう。すぐに、執事がエヴェリーナの夫を呼んできた。
 長身にくわえ、見事な赤毛が目を引く美丈夫がやってくる。
 エヴェリーナの夫――ジルベルトは妻の姿を見るなり、微笑というにはやや鋭すぎる表情を口元に浮かべた。

「ずいぶん念入りに準備したようだな」
「……お待たせして申し訳ありません」
「構わん。妻の準備を楽しむぐらいの余裕はある」

 さらりと言われ、エヴェリーナも自然と笑みを浮かべた。ジルベルトの美貌にはやや鋭すぎるきらいがあり、不慣れなうちは皮肉や揶揄を見出してしまう者も多いという。だが今のエヴェリーナには、ジルベルトの微妙な反応の違いを見分けることができる。
 からかうようでいて、賞賛の響きが確かにそこに滲んでいる。

「では行こうか」

 ジルベルトが腕を差し出し、エヴェリーナは手を伸ばしてそこへ触れた。



 エヴェリーナがジルベルトの――第一王子の妃となってから、目まぐるしく時が過ぎた。ジルベルトの領地は王都から離れたところにあり、妻となったエヴェリーナも同行して、ほとんどの時間を領地で過ごすようになった。

 ジルベルトは第一王子という微妙な立場であり、社交界から一定の距離を置く必要がある。その妻となり、彼に従うことになったエヴェリーナに、かつては王太子妃候補として社交界の中枢にいたあなたにはさぞかし退屈でしょうとささやく者も少なくなかった。

 だが、エヴェリーナにとってはむしろ好都合ですらあった。王太子に婚約を解消された一連の騒動で、少なからず疲弊していた。
 憶測と嘲笑の飛び交う場所から離れ、また王太子とその新たな婚約者の噂も届かぬところにいれば、療養にもなる。――何より、ジルベルト自身のことを知ることができる環境というのはとても好ましかった。

 優れた第一王子という評判を裏切らず、ジルベルトは領主としても優秀で、田舎の地を瞬く間に活気づけ、栄えさせた。領主さま、と領民から崇拝の念をもって呼ばれている。
 のどかでありながら活気に溢れた領地の暮らしを、エヴェリーナは思いのほか気に入った。療養のつもりでいたのに、新しい自分を発見し、力が満ちていくようだった。

 だからこのまま王都に行かなくてもいい――暮らしも落ち着き、そう思い始めてきたときに、ジルベルトの館に王宮からの使者が来たのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています

木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。 少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが…… 陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。 どちらからお読み頂いても話は通じます。

「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】 侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。 しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。 「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」 利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。 一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。

婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。 荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。 「この猫に構うな。人間嫌いだから」 冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。 猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。

婚約者が番を見つけました

梨花
恋愛
 婚約者とのピクニックに出かけた主人公。でも、そこで婚約者が番を見つけて…………  2019年07月24日恋愛で38位になりました(*´▽`*)

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!

雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユ伯爵令嬢は婚約式当日、婚約者の逢引を目撃し、動揺して婚約式の会場である螺旋階段から足を滑らせて後頭部を強打し不慮の死を遂げてしまう。 しかし、目が覚めると確かに死んだはずなのに婚約式の一週間前に時間が戻っている。混乱する中必死で記憶を蘇らせると、自分がこれまでに前回分含めて合計7回も婚約者と不貞相手が原因で死んでは生き返りを繰り返している事実を思い出す。 婚約者との結婚が「死」に直結することを知ったアンテリーゼは、今度は自分から婚約を破棄し自分を裏切った婚約者に社会的制裁を喰らわせ、婚約式というタイムリミットが迫る中、「死」を回避するために奔走する。 ーーーーーーーーー 2024/01/13 ランキング→恋愛95位 ありがとうございました! なろうでも掲載20万PVありがとうございましたっ!

恋愛戦線からあぶれた公爵令嬢ですので、私は官僚になります~就業内容は無茶振り皇子の我儘に付き合うことでしょうか?~

めもぐあい
恋愛
 公爵令嬢として皆に慕われ、平穏な学生生活を送っていたモニカ。ところが最終学年になってすぐ、親友と思っていた伯爵令嬢に裏切られ、いつの間にか悪役公爵令嬢にされ苛めに遭うようになる。  そのせいで、貴族社会で慣例となっている『女性が学園を卒業するのに合わせて男性が婚約の申し入れをする』からもあぶれてしまった。  家にも迷惑を掛けずに一人で生きていくためトップであり続けた成績を活かし官僚となって働き始めたが、仕事内容は第二皇子の無茶振りに付き合う事。社会人になりたてのモニカは日々奮闘するが――

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

処理中です...