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家族の秘密
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「ララ! どうしたの?」
少女の母親が、慌ててキッチンから少女に駆け寄った。
少女は、ムクっと体を起こした。隣には、古惚けた革のソファーがある。あたりは暗闇ではなく、見覚えのある使い古したテーブルに、見覚えのある今どきある方が珍しいハト時計。茶箪笥には、老夫婦が仲良く笑いながら映っている写真が飾られている。そして、部屋中に紅茶の香りが漂っていた。
少女は、寝ていた居間のソファーから落ちただけだった。少女は夢だったことに気付くと、安心したかのように顔を伏せた―ずいぶん、リアルな夢だった。
「大きな声出して――ほら、立って」
少女の母親は少女を起こすと、体中をまさぐった。
「ケガはない?」
「大丈夫よ、ママ」
少女は、母親から嫌そうに離れると、肘をさすりながら答えた。
「ホントにもう……、落ち着きがないんだから」
母親は、少女のおでこを人差し指で突っぱねた。でもその顔は、怒って呆れているというより、我が子を可愛がる愛おしい笑顔だった。
「さあ、こっちにいらっしゃい」
少女は、眠たそうな目をこすりながら、母親に肩を支えられて、暖炉の前に連れて行かれた。
ブロンド色の髪色をしたソバージュの小さな少女、この子の名前は南野・ララスタシア・オフマイヤー。あだ名は、ララ。まだまだ甘えん坊な小学四年生。学校が冬休みに入り昨日の夕方、この北海道の田舎町紋別の高台に住んでいるおばあちゃんの家を訪れていた。
外は大きな雪の結晶が、ララが紋別に来てからもう何日も降り続けている。ララの住んでいる街札幌なら、すぐに除雪が入り、そう車の大きな音が聞こえそうなものだが、この田舎町紋別はとても静かだ――というか、人っ子ひとりいない。ただただ白い冬景色が広がっていて、何の役にもたたない塵のように雪が積もっていた。
眠りから覚めたララは、母親のレジュリーに連れられ、暖炉の前で手を温めながら、かなり暇を持て余していた。遊ぶ友達もいない。テレビもワイドショーばかりで面白くないし、外は大雪で出られない――出るのは、あくびだけだ。
「ママ、暇だわ。おばあちゃん、よくこんな町に住んでいられるわね。つまらないでしょ?」
十歳の気の強くひねくれたララは、暖炉の火に手をかざしながら皮肉まじりに言う――さっきまで泣いていたくせに――古い木で造られた家を見渡しながら、ララは顔をしかめた。天井は埃だらけで、屋根裏のネズミが走るたびに、ララの肩に埃が落ちてきた。
「この家も古いし……。そうだ! パソコンぐらいあるわよね?」
「コラ、ララ!」
レジュリーが、テーブルに紅茶を運びながら怒鳴った。
「だって……、暇なんだもん……」
「そんなに怒るもんじゃないよ。都会暮らしのララには、少々退屈かもしれないねえ」
おばあちゃんのオルバは、お茶菓子をテーブルに置きながら、流暢な日本語で言った。そして、ララを手招きし、ボロボロのソファーに座らせた。
「ゴメンね、ママ」
レジュリーが、オルバに謝りながらお茶を入れるのを手伝った。
「いいの、いいの。ララは、パソコンみたいなハイカラな物使えるのかい?」
オルバはそう言いながら、ララに笑顔を見せた。ララは、オルバから目をそらし、少しふて腐れながら外の景色を眺めた。
オルバは、いつもララに笑顔を見せた。この優しさが、ララは大嫌いだった――いつもララに優しくしてくれる。悪戯しても、勉強ができなくても、いつも怒らずに優しくしてくれる。このオルバの優しさが、ひねくれ者のララには、この田舎町以上につまらなかった。
そのとき、玄関のドアが開く音がして、寒がるうめき声が聞こえた。
「どうしたんだ?外にまで聞こえてるぞ」
納屋に薪を取りに行っていた父親の真咲が、肩に積もった雪を払いながら、震えた声で訊いたが、かけているメガネが曇っていて、真咲の目が見えない。しかも、寝ぐせがついている。そして、使い慣れた日本語をしゃべる――ララの父親は日本人。そして、母親とおばあちゃんはイギリス人。ララは、日本人とイギリス人のハーフ だ。
「お疲れ様」
レジュリーが、上着を脱いでいる真咲に近づき、紅茶を差し出した。そして真咲は、ありがとうの言葉の代わりに、レジュリーの頬にキスをして紅茶を一口飲んだ。ララは、そんなラブラブな二人に冷たい視線を送る。両親でさえ、このつまらない町にいると快く思えなかった。
「どうした? そんな顔して?」
真咲は、メガネを拭きながら、少年が無垢に尋ねるような澄んだ目でララを見た。
「別に」
ララは不機嫌に暖炉を離れると、二人の間を通って部屋を出た。
そんなララを見て、両親は顔を合わせながら肩をすくめた。
部屋を出たララは、寝室に向かうためにきしむ階段を上った。ギシギシと、一歩ずつ上がるたびに音が鳴るのが、ララにとってこの家で唯一の楽しみだった。まるで、バレエを踊るように舞いながら、自分なりのメロディーを奏でてララは階段を上がった。
暖炉の火が届かなく冷たい階段を上がって、すぐ左の部屋のドアノブに手をかけた。ここがララの寝室だ。とそのとき、ガチャンとどこかのドアがしまる音が聞こえた。ララは、周りをキョロキョロ見渡し、冷たい廊下の突き当りの部屋へ目を移す。そこは、ララが生まれてすぐに亡くなったおじいちゃんの書斎だった。
おじいちゃんの書斎のドアは、不気味なぐらい普通にたたずんでいる。ララは、顔をしかめたままドアノブから手を離し、ゆっくりとおじいちゃんの書斎に近づいた。
ララはスカートをたくし上げ、きしむ廊下を緊張して歩く。なんとなくその方が、これから始まるかもしれないちょっとした冒険ミステリーの雰囲気が出るからだ――ただ、忍び足で歩いているだけだが、ララの顔は恐れるどころか、悪戯な笑顔で歩いている。
ギィ、ギィ、ギィと音をたてて廊下を歩き、おじいちゃんの書斎のドアの前に立つ。他の部屋のドアとは違い、新しく取り付けたような、場違いなぐらい黒いドアだった。ララは、自分より大きいドアを見上げたあと、おじいちゃんの書斎のドアに手をかけた。何度ひねっても開かない。鍵がかかっているようだ。ララはこじ開けようとドアノブを力ずくで回すが、何度やってもビクともしない。でも確かに、ドアが閉まる音が聞こえた。
「おかしいなあ……」
念のためノックしてみたが、開く気配がない。ララは、さらに強く乱暴に開けようと、ドアに足をかけて引っ張った。すると、ララは足を滑らせ、悲鳴を上げた。
「うわ! 危ない……」
危うく転びそうになったララは、ホッと胸をなでおろし、下を見て飛び跳ねて驚いた――床が凍っていたのだ。
「何で……?」
窓は全部閉まっている。念のため、おじいちゃんの書斎のドアに耳をあてるが、物音一つしない。家も古いが、床が凍るほど寒さをしのげていないわけじゃない。凍っているのは、おじいちゃんの書斎のドアの下だけだし、廊下にある窓に霜は張っているが、カチカチに凍っているわけではない。廊下自体も、ひんやり冷たい空気が漂ってはいるが、床が凍るほどではない。ララは、床に張り付いている氷を、自分の足で擦ってみた。擦った部分の氷が解けて、ララの靴下がひんやり濡れた。
「ララや」驚いたララは、後ろを振り返った。
「どうしたんだい?」
オルバが、笑顔で立っていた。
「な、何でもない……」
ララは、オルバを通り過ぎて階段を下りた。オルバの声は優しい物言いだったが、目が笑っていない。オルバの目は、まだララの後ろ姿を見ていた。
ララは、生まれて初めて、オルバのことを怖いと感じた。
「ララや、おじいちゃんの書斎の前で何してたんだい?」
家族で静かに食事をしていると、オルバが優しく鋭い目でララに尋ねた。突然訊かれて、ララは驚きむせてしまい、スープを口から軽く吹いてしまった。
「もう、ホントに落ち着きないわね……」
レジュリーは、ララの服を優しく丁寧に拭いた。
「自分で拭けるから」
ララは、このちょっとした子供扱いが気に入らなかった。レジュリーから布巾を取ると、自分でこぼれた部分を拭いた。
「で、何してたんだ?」
真咲が、ロールキャベツをほおばりながら訊いた――「うまいな」と、真咲が言うとレジュリーは満面の笑みでロールキャベツを一口食べた。ララは、さらに顔をしかめた。
「ドアが閉まる音がしたの」
ララは、少々声を大きめに言った。あまりにも両親が、ララのことを無視して、仲良くするから、自ら話を戻した。
すると、三人がいっせいに手を止め、ララを見た。ララは、予想以上に注目を浴びて少したじろいだ。
「本当か?」
真咲の目が見開いていた。レジュリーやオルバも怖い目でララを見ている。
「そ、そうよ……。おじいちゃんの書斎のドアの前だけ凍ってたからおかしいな……って」
動揺を隠すために毅然と振舞うララの話を無視して、三人がヒソヒソ話し始めた――信じられないと、ララは目をぐるりと回してふて腐れた。
――じゃあ、もしかして……
――床が凍っていたってことは……、〟冬の女王〟かもしれないね……
――ということは、〟あいつ〟も……
――でも、特に問題はないわよね?
――家にいる限りは……
――問題ないわよ
「何の話をしているの?」
ララは、除け者にされていることに腹をたて、拳を握ってテーブルを叩いた。
「い、いや、何でもない……」
何でもないと言っている真咲の言い方が、何かあることを意味している 。ララの目が細くなり、大人三人を睨む――三人は、目も合わせない。
すると、オルバがゆっくりと話し始めた。
「ララや。しばらく家から出てはいけないよ」
オルバの顔が笑っていなかった。
ララの中で、三人の態度の急変に、猛烈な好奇心が湧いてきた。ララの頭の中で、カチッとスイッチが入った。
「いいわね! 絶対ダメよ!」
ララのスイッチに気付いたレジュリーが念を押す。
「わかったわよ――ていうか、こんな雪じゃ、外に出る気にもならないし……」
つまらなそうにうつむくララ。しかし、頭の中はひねくれ者――キレ者の策士みたいに作戦が練られていた。
三人がララを外に出したがらない理由、〟冬の女王〟のこと、〟あいつ〟とは誰か。どうやら忙しくなりそうだと、ララは心躍らせた――まずは、情報収集だ。
「じゃあ……さ」作戦実行。「おじいちゃんの書斎見てみたい!」
またも三人がいっせいにララを見た。ララは、六つの目が同時に自分に向けられたとき、今度は満面の笑顔を返した。
「書斎……?」
「危ないわよ!」
真咲とレジュリーは、オルバを見た。
「大丈夫。あの人がいますから……」
オルバは、笑顔で二人を見た。
「でも、明日クリスマスの買い物に行くのよ。ララ、プレゼントはどうするの?」
少し慌てながら真咲が言った。
「適当に決めていいわ。後から文句は言わないから」とは言うものの、とんでもなくセンスのないプレゼントだったら、とんでもなくうるさい駄々をこねるのがララだ。
「文句言わないのね?」
「言わない! それに外に出たらだめなんでしょ?」
我が子のいやらしい笑顔に騙され、レジュリーも真咲も肩をすくめた。
「しょうがないわね……」
「じゃあ明日、鍵を渡すね」
「ありがとう! いろんな本があるんだろうなあ……」と、言っているララの目は、意地悪く、悪巧みをしている目になっていた。
「ごちそうさま。もう寝るわ」
ララは、そそくさとイスから立ち上がる。
「もう寝るの?」
レジュリーは、自分の席から立ち上がり、ララの食べ終わった食器を片付けながら訊いた。
「うん、早く明日になってほしいから」
「変な子……」
レジュリーは、愛娘の笑顔にはにかみながら食器を片づけた。真咲はイスに座りながら、大きな伸びと大きなあくびをして、天井を見つめている。先ほどの話を考えているかのように一点だけを見ている。オルバは、みんなの分のお茶を入れていた。
「おや? ララ、紅茶飲まないのかい?」
「私はいい。もう寝るから」
昼間とは打って変わって笑顔で答えたララに、誰も違和感を抱いていない。違和感を抱いているのは、無理に笑顔を作っているララだけだ。
「おやすみなさい」
ララは、普段見せない笑顔を保つのに疲れ、三人に手を振り寝室に向かった。
三人は、ほのぼのした顔でララを見ていた。が、ララがいなくなると、三人とも硬い表情になっていた。
ララは、ギシギシきしむ階段で一通りメロディーを奏でたあと、自分の寝室のドアノブを持ちながら、おじいちゃんの書斎をチラリと見た――この家には不釣り合いな黒いドアは、ただただ静かにたたずんでいる。床は、凍っていない。明日、あの中に入れると思うと、ララの心はリオのカーニバルのように躍った。
あの部屋には、何か秘密がある。そう思うと、寝室に入る足取りも軽くなった。
ララはベッドに入ると、興奮しながらいろんなことを考えた。おじいちゃんの顔は、茶箪笥に飾られている写真でしか見たことない。おじいちゃんの載ったアルバムは、書斎にしまってあると見せてもらったことがない――今思えば、おかしな話だ――両親におじいちゃんのことを訊くと、楽しかった思い出話しかしないことを思い出した。何か、摩訶不思議な話もしてくれたようなことを言っていたが、そんなことはもうどうでもいい――明日になれば、わかることだ。
明日になるのを心待ちにしながら、温かい掛け布団の中でララは目をつむり、静かに眠りについた。
眠りについたララは、昼間見た恐い夢を見ずに、ぐっすりと眠っていた。
少女の母親が、慌ててキッチンから少女に駆け寄った。
少女は、ムクっと体を起こした。隣には、古惚けた革のソファーがある。あたりは暗闇ではなく、見覚えのある使い古したテーブルに、見覚えのある今どきある方が珍しいハト時計。茶箪笥には、老夫婦が仲良く笑いながら映っている写真が飾られている。そして、部屋中に紅茶の香りが漂っていた。
少女は、寝ていた居間のソファーから落ちただけだった。少女は夢だったことに気付くと、安心したかのように顔を伏せた―ずいぶん、リアルな夢だった。
「大きな声出して――ほら、立って」
少女の母親は少女を起こすと、体中をまさぐった。
「ケガはない?」
「大丈夫よ、ママ」
少女は、母親から嫌そうに離れると、肘をさすりながら答えた。
「ホントにもう……、落ち着きがないんだから」
母親は、少女のおでこを人差し指で突っぱねた。でもその顔は、怒って呆れているというより、我が子を可愛がる愛おしい笑顔だった。
「さあ、こっちにいらっしゃい」
少女は、眠たそうな目をこすりながら、母親に肩を支えられて、暖炉の前に連れて行かれた。
ブロンド色の髪色をしたソバージュの小さな少女、この子の名前は南野・ララスタシア・オフマイヤー。あだ名は、ララ。まだまだ甘えん坊な小学四年生。学校が冬休みに入り昨日の夕方、この北海道の田舎町紋別の高台に住んでいるおばあちゃんの家を訪れていた。
外は大きな雪の結晶が、ララが紋別に来てからもう何日も降り続けている。ララの住んでいる街札幌なら、すぐに除雪が入り、そう車の大きな音が聞こえそうなものだが、この田舎町紋別はとても静かだ――というか、人っ子ひとりいない。ただただ白い冬景色が広がっていて、何の役にもたたない塵のように雪が積もっていた。
眠りから覚めたララは、母親のレジュリーに連れられ、暖炉の前で手を温めながら、かなり暇を持て余していた。遊ぶ友達もいない。テレビもワイドショーばかりで面白くないし、外は大雪で出られない――出るのは、あくびだけだ。
「ママ、暇だわ。おばあちゃん、よくこんな町に住んでいられるわね。つまらないでしょ?」
十歳の気の強くひねくれたララは、暖炉の火に手をかざしながら皮肉まじりに言う――さっきまで泣いていたくせに――古い木で造られた家を見渡しながら、ララは顔をしかめた。天井は埃だらけで、屋根裏のネズミが走るたびに、ララの肩に埃が落ちてきた。
「この家も古いし……。そうだ! パソコンぐらいあるわよね?」
「コラ、ララ!」
レジュリーが、テーブルに紅茶を運びながら怒鳴った。
「だって……、暇なんだもん……」
「そんなに怒るもんじゃないよ。都会暮らしのララには、少々退屈かもしれないねえ」
おばあちゃんのオルバは、お茶菓子をテーブルに置きながら、流暢な日本語で言った。そして、ララを手招きし、ボロボロのソファーに座らせた。
「ゴメンね、ママ」
レジュリーが、オルバに謝りながらお茶を入れるのを手伝った。
「いいの、いいの。ララは、パソコンみたいなハイカラな物使えるのかい?」
オルバはそう言いながら、ララに笑顔を見せた。ララは、オルバから目をそらし、少しふて腐れながら外の景色を眺めた。
オルバは、いつもララに笑顔を見せた。この優しさが、ララは大嫌いだった――いつもララに優しくしてくれる。悪戯しても、勉強ができなくても、いつも怒らずに優しくしてくれる。このオルバの優しさが、ひねくれ者のララには、この田舎町以上につまらなかった。
そのとき、玄関のドアが開く音がして、寒がるうめき声が聞こえた。
「どうしたんだ?外にまで聞こえてるぞ」
納屋に薪を取りに行っていた父親の真咲が、肩に積もった雪を払いながら、震えた声で訊いたが、かけているメガネが曇っていて、真咲の目が見えない。しかも、寝ぐせがついている。そして、使い慣れた日本語をしゃべる――ララの父親は日本人。そして、母親とおばあちゃんはイギリス人。ララは、日本人とイギリス人のハーフ だ。
「お疲れ様」
レジュリーが、上着を脱いでいる真咲に近づき、紅茶を差し出した。そして真咲は、ありがとうの言葉の代わりに、レジュリーの頬にキスをして紅茶を一口飲んだ。ララは、そんなラブラブな二人に冷たい視線を送る。両親でさえ、このつまらない町にいると快く思えなかった。
「どうした? そんな顔して?」
真咲は、メガネを拭きながら、少年が無垢に尋ねるような澄んだ目でララを見た。
「別に」
ララは不機嫌に暖炉を離れると、二人の間を通って部屋を出た。
そんなララを見て、両親は顔を合わせながら肩をすくめた。
部屋を出たララは、寝室に向かうためにきしむ階段を上った。ギシギシと、一歩ずつ上がるたびに音が鳴るのが、ララにとってこの家で唯一の楽しみだった。まるで、バレエを踊るように舞いながら、自分なりのメロディーを奏でてララは階段を上がった。
暖炉の火が届かなく冷たい階段を上がって、すぐ左の部屋のドアノブに手をかけた。ここがララの寝室だ。とそのとき、ガチャンとどこかのドアがしまる音が聞こえた。ララは、周りをキョロキョロ見渡し、冷たい廊下の突き当りの部屋へ目を移す。そこは、ララが生まれてすぐに亡くなったおじいちゃんの書斎だった。
おじいちゃんの書斎のドアは、不気味なぐらい普通にたたずんでいる。ララは、顔をしかめたままドアノブから手を離し、ゆっくりとおじいちゃんの書斎に近づいた。
ララはスカートをたくし上げ、きしむ廊下を緊張して歩く。なんとなくその方が、これから始まるかもしれないちょっとした冒険ミステリーの雰囲気が出るからだ――ただ、忍び足で歩いているだけだが、ララの顔は恐れるどころか、悪戯な笑顔で歩いている。
ギィ、ギィ、ギィと音をたてて廊下を歩き、おじいちゃんの書斎のドアの前に立つ。他の部屋のドアとは違い、新しく取り付けたような、場違いなぐらい黒いドアだった。ララは、自分より大きいドアを見上げたあと、おじいちゃんの書斎のドアに手をかけた。何度ひねっても開かない。鍵がかかっているようだ。ララはこじ開けようとドアノブを力ずくで回すが、何度やってもビクともしない。でも確かに、ドアが閉まる音が聞こえた。
「おかしいなあ……」
念のためノックしてみたが、開く気配がない。ララは、さらに強く乱暴に開けようと、ドアに足をかけて引っ張った。すると、ララは足を滑らせ、悲鳴を上げた。
「うわ! 危ない……」
危うく転びそうになったララは、ホッと胸をなでおろし、下を見て飛び跳ねて驚いた――床が凍っていたのだ。
「何で……?」
窓は全部閉まっている。念のため、おじいちゃんの書斎のドアに耳をあてるが、物音一つしない。家も古いが、床が凍るほど寒さをしのげていないわけじゃない。凍っているのは、おじいちゃんの書斎のドアの下だけだし、廊下にある窓に霜は張っているが、カチカチに凍っているわけではない。廊下自体も、ひんやり冷たい空気が漂ってはいるが、床が凍るほどではない。ララは、床に張り付いている氷を、自分の足で擦ってみた。擦った部分の氷が解けて、ララの靴下がひんやり濡れた。
「ララや」驚いたララは、後ろを振り返った。
「どうしたんだい?」
オルバが、笑顔で立っていた。
「な、何でもない……」
ララは、オルバを通り過ぎて階段を下りた。オルバの声は優しい物言いだったが、目が笑っていない。オルバの目は、まだララの後ろ姿を見ていた。
ララは、生まれて初めて、オルバのことを怖いと感じた。
「ララや、おじいちゃんの書斎の前で何してたんだい?」
家族で静かに食事をしていると、オルバが優しく鋭い目でララに尋ねた。突然訊かれて、ララは驚きむせてしまい、スープを口から軽く吹いてしまった。
「もう、ホントに落ち着きないわね……」
レジュリーは、ララの服を優しく丁寧に拭いた。
「自分で拭けるから」
ララは、このちょっとした子供扱いが気に入らなかった。レジュリーから布巾を取ると、自分でこぼれた部分を拭いた。
「で、何してたんだ?」
真咲が、ロールキャベツをほおばりながら訊いた――「うまいな」と、真咲が言うとレジュリーは満面の笑みでロールキャベツを一口食べた。ララは、さらに顔をしかめた。
「ドアが閉まる音がしたの」
ララは、少々声を大きめに言った。あまりにも両親が、ララのことを無視して、仲良くするから、自ら話を戻した。
すると、三人がいっせいに手を止め、ララを見た。ララは、予想以上に注目を浴びて少したじろいだ。
「本当か?」
真咲の目が見開いていた。レジュリーやオルバも怖い目でララを見ている。
「そ、そうよ……。おじいちゃんの書斎のドアの前だけ凍ってたからおかしいな……って」
動揺を隠すために毅然と振舞うララの話を無視して、三人がヒソヒソ話し始めた――信じられないと、ララは目をぐるりと回してふて腐れた。
――じゃあ、もしかして……
――床が凍っていたってことは……、〟冬の女王〟かもしれないね……
――ということは、〟あいつ〟も……
――でも、特に問題はないわよね?
――家にいる限りは……
――問題ないわよ
「何の話をしているの?」
ララは、除け者にされていることに腹をたて、拳を握ってテーブルを叩いた。
「い、いや、何でもない……」
何でもないと言っている真咲の言い方が、何かあることを意味している 。ララの目が細くなり、大人三人を睨む――三人は、目も合わせない。
すると、オルバがゆっくりと話し始めた。
「ララや。しばらく家から出てはいけないよ」
オルバの顔が笑っていなかった。
ララの中で、三人の態度の急変に、猛烈な好奇心が湧いてきた。ララの頭の中で、カチッとスイッチが入った。
「いいわね! 絶対ダメよ!」
ララのスイッチに気付いたレジュリーが念を押す。
「わかったわよ――ていうか、こんな雪じゃ、外に出る気にもならないし……」
つまらなそうにうつむくララ。しかし、頭の中はひねくれ者――キレ者の策士みたいに作戦が練られていた。
三人がララを外に出したがらない理由、〟冬の女王〟のこと、〟あいつ〟とは誰か。どうやら忙しくなりそうだと、ララは心躍らせた――まずは、情報収集だ。
「じゃあ……さ」作戦実行。「おじいちゃんの書斎見てみたい!」
またも三人がいっせいにララを見た。ララは、六つの目が同時に自分に向けられたとき、今度は満面の笑顔を返した。
「書斎……?」
「危ないわよ!」
真咲とレジュリーは、オルバを見た。
「大丈夫。あの人がいますから……」
オルバは、笑顔で二人を見た。
「でも、明日クリスマスの買い物に行くのよ。ララ、プレゼントはどうするの?」
少し慌てながら真咲が言った。
「適当に決めていいわ。後から文句は言わないから」とは言うものの、とんでもなくセンスのないプレゼントだったら、とんでもなくうるさい駄々をこねるのがララだ。
「文句言わないのね?」
「言わない! それに外に出たらだめなんでしょ?」
我が子のいやらしい笑顔に騙され、レジュリーも真咲も肩をすくめた。
「しょうがないわね……」
「じゃあ明日、鍵を渡すね」
「ありがとう! いろんな本があるんだろうなあ……」と、言っているララの目は、意地悪く、悪巧みをしている目になっていた。
「ごちそうさま。もう寝るわ」
ララは、そそくさとイスから立ち上がる。
「もう寝るの?」
レジュリーは、自分の席から立ち上がり、ララの食べ終わった食器を片付けながら訊いた。
「うん、早く明日になってほしいから」
「変な子……」
レジュリーは、愛娘の笑顔にはにかみながら食器を片づけた。真咲はイスに座りながら、大きな伸びと大きなあくびをして、天井を見つめている。先ほどの話を考えているかのように一点だけを見ている。オルバは、みんなの分のお茶を入れていた。
「おや? ララ、紅茶飲まないのかい?」
「私はいい。もう寝るから」
昼間とは打って変わって笑顔で答えたララに、誰も違和感を抱いていない。違和感を抱いているのは、無理に笑顔を作っているララだけだ。
「おやすみなさい」
ララは、普段見せない笑顔を保つのに疲れ、三人に手を振り寝室に向かった。
三人は、ほのぼのした顔でララを見ていた。が、ララがいなくなると、三人とも硬い表情になっていた。
ララは、ギシギシきしむ階段で一通りメロディーを奏でたあと、自分の寝室のドアノブを持ちながら、おじいちゃんの書斎をチラリと見た――この家には不釣り合いな黒いドアは、ただただ静かにたたずんでいる。床は、凍っていない。明日、あの中に入れると思うと、ララの心はリオのカーニバルのように躍った。
あの部屋には、何か秘密がある。そう思うと、寝室に入る足取りも軽くなった。
ララはベッドに入ると、興奮しながらいろんなことを考えた。おじいちゃんの顔は、茶箪笥に飾られている写真でしか見たことない。おじいちゃんの載ったアルバムは、書斎にしまってあると見せてもらったことがない――今思えば、おかしな話だ――両親におじいちゃんのことを訊くと、楽しかった思い出話しかしないことを思い出した。何か、摩訶不思議な話もしてくれたようなことを言っていたが、そんなことはもうどうでもいい――明日になれば、わかることだ。
明日になるのを心待ちにしながら、温かい掛け布団の中でララは目をつむり、静かに眠りについた。
眠りについたララは、昼間見た恐い夢を見ずに、ぐっすりと眠っていた。
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そんなセレナに起きた奇跡とは?
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
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