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第三章 余韻が消えるまで
最終話 届かないまま、好きだった
しおりを挟む仕事から帰り、食事もシャワーも済ませて、部屋の明かりをひとつだけ残していた。
パジャマ姿でベッドに腰をおろした玲奈は、ふとスマホを手に取る。
連絡先をスクロールし、指が止まったのは“遥香”の名前。
──話そうと思えるまで、数日かかった。
けれど、ずっとひとりで抱えているのも、そろそろしんどくなってきていた。
軽く深呼吸をして、通話ボタンを押す。
数コールのあと、変わらない声が電話口から響いた。
「もしもし?……玲奈?
もしかして……例の話?」
「うん……今、大丈夫かな」
「もちろん。
かけてきてくれるの、ちょっと嬉しいかも」
玲奈は少しだけ笑って、けれどすぐに、声が静まる。
「……その話なんだけどね」
「うん。あれからどうなった?返事、来た?」
少しの沈黙のあと、玲奈は頷くように言った。
「うん。来た。……すっごく、丁寧で優しかった」
「……そっか。でも、過去形ってことは……」
「そう」
声のトーンが、ほんの少しだけ落ちる。
「“水島先輩”って、呼び方に戻ってたの。
あの日、玲奈って呼ばれたの……嬉しかったんだよ。
バカみたいだよね、そんなことで期待して」
受話器越しの遥香が、優しいため息を漏らす。
「バカじゃないよ。
それだけ大事だったってことでしょ、その夜が」
「ううん、わかってたの。
あの人、別の人を見てるんだって……なんとなく。
でもさ、やっぱり、可能性に触れたくなっちゃって。
一瞬でも、自分に向いてた視線、忘れられなかった」
まぶたを閉じると、ケイの指先が、髪を払った瞬間が蘇る。
「名前を戻された瞬間に、これはもう"なかったこと”にされるんだって……分かった」
遥香はしばらく黙っていた。
その沈黙が、玲奈にはありがたかった。
「……でも、ちゃんと終われそうだね、玲奈」
「……うん。たぶんね」
「それにね、今日、生理きたの」
唐突に、けれどぽつりと、玲奈が言った。
「身体って、ちゃんとわかってるんだね。
なんか、ちゃんと“終わった”って、合図された気がした」
遥香が、少し笑う。
「わかるかも。リセット、だね」
「うん。そんな感じ」
もう涙は出なかった。
感情は静かに整理されて、代わりに胸の奥が、じんわりと空いた気がした。
「ありがとう。……聞いてくれて」
「当たり前でしょ。
そういう話、玲奈からじゃなきゃ聞けないもん」
笑いながらそう言う遥香に、玲奈もふっと力を抜いた笑みを漏らす。
「今度さ、またちゃんと、飲もうよ。
あの頃みたいに、バカみたいな話してさ」
「お。じゃあ久しぶりに予約しとくわ、うちの近所の例の焼き鳥屋」
「ふふ、お願い」
通話を終えたあと、玲奈はスマホを伏せて、天井を見上げた。
あの夜と同じ天井。
でも、少しだけ見え方が変わっていた。
電話を切ったあと、玲奈はしばらくベッドに背を預けたまま、窓の外ににじむ夜の灯を、ぼんやりと見つめていた。
あのLINEの返事を受け取った日から、数日。
今日ようやく、それを人に話す気持ちになれた。
自分でも、あんなふうに泣くなんて思わなかった。
玲奈って呼ばれたとき、ほんの少し期待していたんだ。
"水島先輩"
たったそれだけの言葉が、彼との距離を思い出させて、一瞬で現実に引き戻された。
でも、それでよかった。
ちゃんと終われた。
そう思える夜だった。
──そのころ、街のどこかで。
怖くて、声も出せないほどに震えていた女の子が、誰かの腕の中で、静かに涙を流していた。
「……好きだ。あやちゃんが、怖いときも、笑ってるときも。全部、守りたいと思った」
その声は、もう過去には向けられていなかった。
玲奈は、そのことを知らない。
ただ、自分の想いに、最後まで名前をつけて、
今夜そっと、それを胸の奥にしまっただけだった。
――――――――――――――――――
ねぇ、風間くん。
いつか、ちゃんと笑って会えるかな。
そのとき私は、また“強い水島先輩”で
いられるようにするから。
――――――――――――――――――
~ 完 ~
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